新プロジェクト!

2011.05.08

 その都度の熱に浮かされて

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 ドミューン・フクシマが始まった。http://www.dommune.com/fukushima/

 5月8日19時スタートで、現在は放送中(23時現在)。かぶりつきで見ているとか聴いているわけではないけど、応援したい。

 主要メンバーの大友さんのことは菊地さんとの共演や、映画やドラマの音楽で知っていたけど、先週、東京芸大での特別講義をUstreamで見て、こんなに温かい語り口の人なんだ!と興味が湧き(仕事のイメージから、クールな人を想像していた)、福島発のプロジェクトを応援したいと思った。

 何かせずにはいられない、っていうのは、自分も同じ性格なだけによくわかる。

 ドミューンフクシマの内容よりも、その心意気に感動しちゃって、私も触発されている。

 私がしようとしているプロジェクト!は、小さなものではあるけれど、呼びかけた3人の友達はみんな快諾してくれて、育児や日々の生活を大切にしながら、「外に向かって何かしたい」という秘めたる熱を感じ、感動した。あとお二人、声かけます。

 入れものとなる(おうちとなる)サイトの制作を弟に頼んでいるので、今は彼の仕事待ちだけど、なんとか実現させたい。

 ドミューンフクシマもそうだけど、今はどこに住んでいたって世界に発信できるんだから。

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 昨日の深夜は、大学時代の先輩のブログを読んで泣いてしまった。

 ここだけを抜粋されることは嫌だろうけれど、ある放送局社員の地震直後の大切な記録だと思う。

 http://ameblo.jp/sendaihyakka/entry-10831028990.html

 

 大学の頃から熱い人だったけれど、今も熱い人でいてくれることがうれしかった。

 地震の前日、私の同期との飲みを綴ったブログには、「伝えたいことがあるうちは大丈夫。」と書いてあった。

 その言葉にも泣けた。

 私たちは、「伝えたい」という思いのもと、青くさいアナウンス研究会というサークルで同じ時間を過ごした。そして今も、「伝えたい」という気持ちを原動力に生きている。

 その原点を、久々につながった先輩から再び教えてもらえてうれしかった。

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 香港に住んでいる大学時代の友達Sを、同じく友達のCちゃん(二人は同じクラスだった)が訪ねた。Sは二人の男の子の母、Cちゃんは娘ちゃんの母。子連れでの旅のひとときを、facebookに写真付きで載せてくれた。

 インターネットの登場って大きいな。

 Cちゃんが私の『赤土に咲くダリア』を持って行ってくれて、香港からのメッセージで、「Sはまーちゃんの本、一晩で読破してました。」と書いてくれて感動。帰国後にCちゃんが、「とても読後感よかったです!!! 」と送ってくれて、うれしかった。

 批判も浴びた小説だけれど、同じにおいの女性たちはわかってくれる。

 二人は本当にキレイで、大学で出会ったばかりの頃なんて憧れすら感じたから、その二人が香港で私の小説を読んでくれてたなんて、恐縮&感激。

 旅の間イキイキしていたCちゃんの娘ちゃんが元気で利発そうで可愛くて、そのようにコメントしたら、お返しの謙遜の言葉の後に、「我々一派に近いかも」とあって、うれしかった。

 我々一派に近い女の子の今後の成長が楽しみだよ♪

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 それにしても私は、その都度その都度の熱に浮かされて、「~~せずにはいられない」で生きてきた。中学時代、学校や先生に反抗しまくってた頃から変わってないなあと思う。

 人生何度もわくわくできて、幸せ。

 元気か病気かの私だけど、気をつけつつ、がんばるぞ。存在そのものがビョーキだなあと思いつつ(笑)、ここまで来たら、このように生きていくしかないでしょう。

          

 

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2011.04.28

 リアルと在野

             

 水曜。息子の柔道で一緒だったママ友達二人とランチした。一人はシングルマザーで某自動車メーカーの社員食堂で働いていて、もう一人はスーパーでパート(ダンナさんはペルー出身の日本人)。ようやく、ようやく実現した束の間の会食。色んな悩みがあったけど、母してる私たちはそれだけでガンバッテル気がした。
 子供を持つことは今やマイノリティーみたいな意見?をどこかで目にしたけど、確かに子供を持ってる「層」というのはある(その層も様々)。
 子供を持つことがたいへんになってる世の中っておかしくないか?という思いは前々からある。

 以下、あれやこれや思いを書いたけど、結局まとまらないので消した。デリケートな問題なので、不十分なままUPできないなあ。

 彼女らと話していて、つくづく人生というのはトントンだと思った。

 私はあくせく働く必要はなく、そのことを申し訳なくも感じたけれど、私には三つも治らない病気があって、結局はあくせく働けない。その分(ってわけじゃないけど)、頭を巡らせ、今ひとつのことを立ち上げようとしている。

 それは、経済的に裕福ではないお母さんたちにも届けられるようにネットで始めたいと思っている(すでに動いているよ!) パソコンは昔は高級品だったけど、今や小学校の授業でもあるので、意外と多くの家庭に普及している。

 自分も出版に関わっておきながら申し訳ないけれど、本を買える人と買えない人ってあるし、これからますます二極化していく気がする。

 震災以来、小説を書く気分ではなくなってしまった。震災前に予定していた内容があったのに、全く入り込めない。

 編集者さんにガッカリされそうだけど、私はやはり泣けるくらいに、手を荒らしながら働いているお母さんたちが大事。こんな時代に、一緒に子育てしていくお母さんたちを励ましたい。例えば冒頭の二人は、小説など読んでる暇がない。私の母もそうだった。4年前、小説の帯の推薦文を重松清さんが書いてくれた時、幼稚園のお母さんたちで重松さんを知っている人はごくごく少数だった。そういう世界に私は今、いるんだよなあと半分は失望し、半分は痛快に思った。私は小説が好きだけれど、はまり込んで読んでいる人は生活から遠い人も多い。高尚とか高潔とか知の追求とか、なんだかなーになっちゃった。私も今や、リアルじゃない小説には入り込めなくなっている。

 今日見たツイートで、斉藤環さんがこう書いていた(フォローしてないけど回ってきた)。

 <地震被害の影響は広い範囲で長期的な影響をもたらす。おそらく地震以前と地震以後では「何がリアルか」という判断のありようが、位相的にずれてしまうだろう。安克昌のいわゆる「リアル病」は、そうした変化を徴候的に言い当てていた。>

 確かにそう思う。

 もともとリアルじゃないものは、読めなかった。

 テレビ、美術、小説と渡り歩いてきて、私にとっての今のリアルを始めたいのだと思う。

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 以下、企画のための覚え書き。

 在野

 ないならつくる!

 女たちが集うサロンのような家(白石家)

 <ラウンジバー菊>的な

 須藤元気 枠にとらわれない表現 <僕はこの災害を契機に、人間の価値観は所有や支配から共有や協力へと大きく変わるのではないかと考えている。>

 キレイぶってる、オシャレぶってる世の中への違和感

 人生折り返し? ならば一層自由に。

 迷ってきたこれまで 迷わないこれから

 人のことを思いやるけど、人のことは気にしない。

 性教育のガイドライン

 コンテンツ

 悲観からスーパーラッキーへ

 『WORLD ORDER』より・・・

 自分の価値観で生きる ~Live by your own rules~

  新しい発想は、たいてい常識のワクの外にある  ~The cutting edge is never normal~

 捉え方を変えると世界が変わる ~The world is in your own eyes~

      

               

  

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2011.04.14

 「階段やで」

 今新しいことを始めようと頭の中で思いを巡らし、ここにも熱く書いたのだけど、UPするのはやめにした。

 書きたい、伝えたい、と思って①書くことと、②UPすること、③その記事が出続けることにはそれぞれに温度差があって、書いてまとめることで満足し、UPしたはいいけど、自己嫌悪に苛まれる時がある。

 なので、ひとまず温存。

 ただ、前々から思っていた、マザーの力を結集、的なことが大げさではなくやりたくて・・・。

 メディアを通して表に出てくるのは働くお母さんの声が多かったりするけど、思うように表には出られないけど、素晴らしい、世の中に必要な言葉を持ってる友達がいる。

 そういう声をすくいあげたい。

 そして、これからの時代、一緒に子育てしていくお母さんたちを励ましたい。

 やっぱり大切なのは子供だし、時代を悲観しながら生きていくより、どんな状況であれ前向きに生きていくこと(まずは親が自然にそう生きて子供が自然にその姿を見ること)は重要だと思うから。

 情報が多い時代だからこそ、上質な言葉が必要となってくるような気がする。

 そういう場を提供したい。 

 お節介にならない程度に、本質的なことを少しずつ。

 思い出すのは、15年ほど前、美大の友達が語ってくれたある場面。

 彼女が東大寺のお水とりに参加した時、よく憶えてないけど、夜、長蛇の列の中、少しずつ前に進む時、どこかのポイントから階段になった。そうしたら、前に並んでいた人が順に後ろの人に向かい、「階段やで」と示したんだそう。

 友達は東京の子なのに、みなさんに習って「階段やで」と関西弁で言い(おそらく得意気に)、後ろにつないでいったそう。

 段差を思いやって、前から回ってきた「階段やで」の言葉の連鎖。好意の階段。

 夜の二月堂、松明の光、思いやりがずずずーっとつながっていく様子を想像して、心がほっこりした。

 そのイメージで、過去ずっと続けてきた「伝える」を柱に、新しいことに向かって、少しずつ動き出すよ!(実現するかどうかは別としてね)

                      

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