人生

2011.06.22

 朝陽と卵

 Photo

          

               <写真は3月に伊良湖で眺めた朝陽>

  

 5時に眺めた朝陽がとてもきれいだった。

 オレンジより朱色に近く、周囲の風景をピンク色に染めていた。

 紛れもなく、希望を感じる美しさだった。

 子どもの頃、目玉焼きを見ると、太陽を思い出していた。

 卵によるのか焼き方によるのか、黄身が黄色い時もあれば、朱色、うっとりするような桃色の時もあり、そのグラデーションは太陽に似てるとよく思った。

 命の始まりの卵と太陽が似ているなんて、不思議だな、と思うと同時に、なんだか当然で自然なことのような気がしていた。

 自然は毎日、変わりなく美しいのに、人間が地球を汚してしまってごめんなさいと思った。

 今日、大好きな人二人が、関東から会いに来てくれる。

 その二人同士はまだ会ったことがないけれど、何年も前からそれぞれに存在を伝えてあり、たまたまのタイミングで私の地元で会えることになった。

 縁や流れって本当にある。

 こんな時に東から来てくれる人は、大げさに言えば、「戦火を逃れて」という気がしてしまう。

 久々に会えたら、人目など気にせず、思いっきり抱きしめ合うつもり。

 生は無限じゃない。

 一昨年病気した時、カラダとタマシイについていっぱい感じ考えた。

 身体があるから、生を楽しみ、誰かと抱きしめ合うことができる。

 魂と魂を交信させることができる。

 身体があるうちに、好きな人とはめいっぱい抱き合っておきたい。

 人は一人じゃ生きていけない。

 まずは自分自身が今、生きていることをかみしめて、大切な人と支え合いたい。

 書いた後に気づいた。今日は夏至ですね。太陽の力を感じる日ですね

            

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2011.02.04

 2月4日の陽の光

 2月4日の陽の光を浴びながら、

 洗濯物を干す。

 お布団を干す。

 隣の庭では、

 梅の花が咲いている。

 春の訪れを少しずつ感じる今日。

 世界に、みんなに、自分に降り注ぐ

 陽の光が、あたたかくて、やさしくて

 私は大地に立っていて

 確かに生きている

 そのことが、本当にうれしい。

 うまくいくことも、いかないこともあるけれど、

 ふとした瞬間に思うよ。

 こんな風にふつうに過ごせるだけで、ありがたいって本当に。

 病気の体験もプレゼントだったね。

 人生が、一層美しく、素晴らしい。

 昔は38歳なんて終わってると思ってたけど、

 そんなこと全然ない。

 どんどん自由になれて、ますますおもしろい。

 この世に生まれて、出会えたみなさまに感謝。

 泣けるようなメッセージも、ありがとうございます。

                        

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2011.02.03

 ひとり大晦日 (追記)

 なんとなく、誕生日前に清算したくて、このところ書きかけていた記事を一気にUPしました。これと併せて昨日今日で5つUPしてるけど、興味のある方はさかのぼってご覧ください。写真も多いので、アッサリ?読めます。

 2月4日というのは、立春や旧正月でもあって(移動するので毎年同じではない)、よく占いとかでも、3日と4日が境目になったりする。今日は節分で、豆まきの後、自分の誕生日(「明日だったらもう一つ多く豆が食べられたのに」なんて幼い頃思った)。

 旧暦を意識する人もちらほらいるけど、今日が一年の終わりとか思ったことなかったけど、なんだか今年は、すごく節目に感じる。

 胸騒ぎとか霊感とか直感に後押しされるみたいに・・・

 後厄が明ける?ってのも大きいのかも。

 そんなわけで、今日はひとり、大晦日気分で色々整理したいと思っています。

 運の流れって本当にあるし、私はどうも敏感にキャッチしてしまうようだ。

 そのくらい、一昨年の病気は恐ろしかったのだよ(まったく意識してなかったけど、バッチリ厄年だった)。

 病気以来閉じて暮らすことを心がけていたけど、快復とともに、やはり色んなものが寄ってくる。色んな人が寄ってきてくれる。

 この節目に、色々と整理して考えてみたいけど、自分で切り拓いてきた人生以外に、どうしようもなく訪れる運命とか宿命ってあるから、ここまで来たら、「私は私の人生」として、割り切って受けとめて生きていこうと思う。

 というほどの大げさなものでもなく、例えば今日、夕方には、次男の友達親子二組がいらっしゃる。

 目の前の今、毎日のひとつひとつを、大切にお迎えして過ごしていきたい。

 あと、自分に欠けてるのは、「夫にやさしくすること」だと思うので(笑)、それ、一生の課題。ようやく死ぬ頃にできるのかもしれないけど、今年はがんばりたいな(敢えて書いておく!)

<追記>今年については、すでに新年明けていた(笑) 2011年の旧正月は2月3日だそう。立春はほとんど2月4日だけど、調べてみて、勉強になった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%98%A5

 まさにひとり勝手に大晦日気分になっててお恥ずかしい(笑!)

 

    

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2011.01.18

 免許の更新

 珍しい雪の写真もUPしたいけど、それはまたの機会にして・・・

 今日、思い立って、自動車免許の更新に行ってきた。

 5年ぶり。

 過去、渋谷で更新した時は、古い免許がもらえて記念になったんだけど、愛知では回収されるので、前回は古い免許をわざわざカラーコピーしておいた。

 なんというか、自分の移り変わりが感じられるので、免許証って好きなんだよね。若かりし日は、あの写真一枚に、かなり気合入れてたし・・・(笑)

 今日も、カラーコピーして臨んだんだけど、係のおじさんがふつーに回収しようとした時、「これでお別れですよね?」と言ったら、「欲しい?」と言われ、「欲しいです!」と言ったら、「じゃ、あの窓口で穴開けてもらってきて」と言われ、確かに渋谷でもらったものも穴が開いていたので「ハイ!」と行ってお願いしたら、本当にアッサリ古い免許証がもらえた。

 記念に欲しい方、お願いしたらもらえますよ!!!(笑)

 20代の頃は、気合いを入れても満足できる写真じゃなかったのに、今は肩の力が抜け、それなりに自信が芽生え、何より、このところ幸せだったので、すごく満足できる写真の仕上がりとなった(あくまでも当社比です:笑)。

 5年前の私は、1歳の次男と4歳の長男を抱えて、たいへんだった。

 次男の産後に腫れた側頸嚢胞を隠そうと、髪を伸ばしていた時の写真。

 その後の5年の間に、入園・入学、小説を出し、病気して入院し、復活して今楽しい、と変化している。

 

 独身の頃は、半年後の住所が定まらない時期があり(前も書いたけど、免許の更新の間にあまりに引っ越しが重なっていたので、オウムか逃亡者と間違われて警察署で尋問を受けたこともあった)、「次の更新の頃は、どこで誰といて何をやってるかな?」と思っていた。

 今、住む場所や家族、やりたいことは安定して、子供の変化の方が顕著になっている気がする。

 5年前の息子たちはまだあまり意志を持っていなかったけど、5年後の今は、各々に確固たる個性がある。

 さあ、次の5年。

 私は何をしていくか、子供たちはどんな風に成長していくか。

 そういえば、前回は小・中時代の同級生男子に会ったけど(17歳でパパになったような元ヤン友!)、今回は、同級生女子のお母さんに会った。私もすぐ話しかけちゃうんだよね(笑) おばさんも喜んでくれてうれしかった。

 今日はもうひとつ、うれしいミラクルがあって、免許センターの帰りにお茶をした。すごく心が温かい。

 つながる人とはつながっちゃうんだよね。

 神さまに感謝です。

     

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2010.11.17

 アッパレ大石さん&ランニング

 お昼に家にいる時、いちおうチェックしておく番組欄がある。『スタジオパークからこんにちは』と『徹子の部屋』。昨日のスタジオ~には、脚本家の大石静さんが出ていた。

 大石さんは、59歳の女性。NHK朝の連ドラ『ふたりっ子』の脚本家というのが広く知れ渡っていると思う。

 でも私は、2年くらい前の『四つの嘘』(永作博美、寺島しのぶ、高島礼子、羽田美智子共演)の大石脚本で女の生々しさを見て、大石さんの印象ががらりと変わった。『ふたりっ子』の頃見たお顔が、おばさんっぽかったので(イメージって残念だけど重要)、そのまんまホームドラマ中心かと思えば、女を描くのがすごく巧くて深くて、新鮮だった。昨日の大石さんはとっても若くてキュートな人だった。

 今も大石脚本の『セカンドバージン』を毎週録画して見ているので、興味津々でトークを聞く。

 昼のNHKで、いいの~?と思うような内容でもあり、断然痛快だった。

 話によると、大石さんは24歳の時に甲状腺のがんを患い、27歳で再発、その後は、30歳まで生きられないかも、40歳まで生きられないかも、と思いながら過ごしてきた。

 取り組む仕事もすべて、「これが遺作」という思いでやってきたそう。

 大石脚本の女の斬り方は嫌らしいほど深く、現実的で、いつもどこか「刹那」を感じさせるわけがよくわかった。

 ほのぼのホームドラマの人ではなかった。

 大好き、こういう女性!!

 おもしろかったのは、ご主人が「君はいつ死ぬかわからないから自由にやったらいい」と、結婚を継続しながら外の恋人に会いに行くことを許してくれたこと。夫にとって自分は「しょうがない妹みたいなもの」だったそう。

 いいなあ、それ(笑)。

 だけどまったく、彼女の言うことには共感したけど、「死をどれだけ意識するかで人生は変わってくる」「明日死んでもいいように生きてきた」・・・・・それらは、本当に死を体験として感じた人にしか得られない境地だと思う。

 「命」の前では、ちっぽけな常識など吹っ飛ぶ。

 私もなぜだか、そういう生き方になっちゃってるよなあ。

 先日の東京で編集者さんが、「読む人の人生を変えるものでなければ、やる意味がない」と言った。全く同感。

 ただ、ここで大石さんと私が違うのは、彼女には病気の体験もあって、子供がいない。

 私には子供がいる。

 捨て身でやれば・・・というのは子を持つまでのことで、さすがに今は子供のために捨て身にはなれない(精神的にはいくらでも捨て身になれるけど、文字通り身は捨てられないって意味で)。

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 番組を見る前のこと・・・

 いつも行く公園でランニングをし、今まで2周で精いっぱいだったところ、3周回って余裕だった。まだまだ行けたけどやめておいた。

 今の私に大切なのはペース配分だとつくづく思った。

 昔走っていた頃の記憶で、身体が速いリズムでジョグしようとしてしまうのだけど、ゆっくりなら、たくさん走れるんだとわかって、ちょっと感動だった。

 本来ならできることも、ペース配分を誤るとできなかったり、

 ペース次第では、ゆっくりでも、最終的には大きなことを成し遂げることができたり・・・。

 ランニングは、本当に人生に似ている。

 大石さんのパッションに共感しつつ、私は私のペースでがんばろう、と思った。

      

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2010.07.16

 点と点が線になる

  3ヶ月ぶりの膠原病内科にて。

 「何か薬いる?」と言われ、「いりません」と笑顔でこたえられて、幸せだなあと思った。

 ステロイドはもちろん、睡眠薬と胃薬が欠かせなかった日々が確かにあったのに、確実に身体はよくなっている。

 1週間ぶりの耳鼻咽喉科にて。

 「先生がおっしゃった通り、腫れなくなりました!」

 「ほんとですねえ」

 先生が触診した後、「前は硬かったですもんね~」と、自分の痛みを共有してもらえる幸せを感じる。

 「いったい何だったんでしょうか?」

 「何だったんでしょうねえ」

 と、専門家でもこたえが出せない人体の不思議。

 そうだよそうだよ、世の中にはまだまだわからないことの方が多いんだよ!と、不安より嬉しい気持ちになる(おまけに両方診てもらって、本日は210円だったのも嬉しかった)。

 その後、待合室で、知った顔を発見。

 小学校は違うんだけど、習字塾が同じだった同学年男子で、妹の同級生をお嫁さんにもらった人。

 首が腫れてた時なら声をかけなかったと思うけど、お互い「知ってるこの人」という空気になり、話しかけた。

 彼は「ちくのう」の手術をしたんだと。

 たいへんだけど、よくある病気だ。

 私はこういう症状で「10万人に1人!」と、エッヘンという気持ちで首を見せる。

 「さすが天才は違うなあ」と笑われたので(注:私は決して天才ではないが、オラが村辺りでは確かに華々しい時期があった)、「これだけじゃないんだよ。去年も10万人に1人の病気で入院した」と自慢?する。

 「でも、命に関わりはないんでしょ」ってことで、つくづく私はラッキーだと思った。

 彼の話によると、私たちの学校より3倍大きかった彼らの中学の同級生たぶん200人くらいのうち、5人が亡くなっているそうだ。

 その中には知った名前もあった。

 37歳、38歳。そんな年頃である。

 みんな色々あるよ。

 ちなみに、どうでもいい話だけど、その彼と出会う前には伏線があった。

 2日前、妹のダンナさんが東京ビッグサイトでのお仕事で、大勢の人ごみの中、一度だけ会ったことのある私の同級生男子(キッカというあだ名)にバッタリ会った。

 キッカと耳鼻科で会った彼は、高校時代の野球部のチームメイトだったのだ(今日もキッカの話をした)。

 どうでもいいけど、私の中では、点と点がまたつながった。

 病院の待ち時間には、今日発売されたばかりのある本を読んでいた。

 病院通いが長いのは悲しく情けないけれど、おかげで長く待つ場合の穴場を心得ている。

 誰もいないふかふかの椅子に座ってゆっくり読書。

 「ふりかかった災難こそ人生が変わるきっかけだ」とおっしゃるその著者さんと近々会う予定。

 私はまだ人生に懲りてない。ぜーんぜん懲りてない。

 

                          

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2010.04.25

 ワンダフォー/闇のなかの祝祭

 育児や生活に関する愚痴を夫に言ったら、俺だってたいへんだからそんなことは聞きたくないと返され、結婚後何十回めかの失望を感じながらも、確かに夫も私もたいへんだ、せめて家庭が安らげる場であるように努力しようと思った翌日。

 夫が早く帰ってきて、「ただいま!」と子供にはニカッと笑顔。私には仏頂面をさらすので、「まずは笑顔から始めなきゃ☆ 家庭は家庭でワンダフォー!」と大きな声で鼓舞するうちに、くっくと笑いがこみ上げ、「こんな女が嫁だなんて嫌だろうな」と思った。  

 夕食を終え、最近読んでいる吉行淳之介の『闇のなかの祝祭』に戻る。

 その中の一節・・・

 <男と女とが一緒に暮してゆくために必要なものは、情熱でもなく、肉でもなく、それは忍耐にちがいない。相手の存在を燦めく光が取囲んでいたとしても、それはやがては消え去って、地肌の醜い部分が露出してくる。それをたじろがずに見詰め、自分の中に消化しようとする。しかし消化し切れない部分が常に残り、絶え間ない違和感と生ぬるい苦痛とを与えてくる。それを忍耐することが、男と女とが暮してゆくために最も大切なことだ。>

 うーん。頷ける。

 暮らし続けることに何の疑問も持たない人もいるだろうけれど、「絶え間ない違和感と生ぬるい苦痛」を敏感に感じ取ってしまうのは吉行氏や私みたいな人間に共通する性質なんだと思う。

 吉行氏に、奥さんと、宮城まり子さんがいたことは知っていたけれど、そこに大塚英子さんという女性もいたこと(もちろん他にも超いっぱいだろうけど、生涯を貫く関わりを持った女性としては3人か4人。いや、もっと?)は、知らなかった。

 奥さんとの生活が忍耐となり、宮城さんとの生活も忍耐となった時、生活や責任を背負わないで済む大塚さんという女性が必要だったのだと思う。

  

 『闇のなかの祝祭』はシリアスな内容であるのに喜劇のようにコミカルな部分もあり、笑いがこみ上げてくる。ほとんどそのまんまであろう登場人物たちのキャラが立っていて、本人たちは大真面目なのに、可笑しくてたまらない。主人公の「沼田沼一郎」という名前もおもしろい。

 まだ途中だけど、私は吉行さんが愛しくて、可愛くてたまらない。

 どうしようもない厄介な状況から逃れればいいのに、彼の繊細さややさしさや正直さが、責任と恋情との間で引っ張られる。

 浮世離れした人かと思っていたけれど、生活どっぷりの吉行氏が身近に感じられて共感しきり。

 中島らもさんの言葉、「恋愛は日常に対して垂直に立っている」も思い出した。

 世の中から決して褒められることではないけれど(咎められることだろうけど)、どうしようもない衝動に突き動かされて生きているまっすぐな人たちが私はすごく好きだ。

 生きている、という感じがするからかな。

  Life is beautiful ! 

  Life is wonderful !!

*****

 後日読み上げた『闇のなかの祝祭』。

 吉行淳之介さんはすごい作家だったんだなと再認識。

 何年か前の中日新聞(東京新聞も?)の夕刊で連載されていた宮城まり子さんの『この道』の切り抜きより・・・

 <「修行僧の『氷のやうに透み渡った』世界には、線香の燃える音が家の焼けるやうに聞こえ、その灰の落ちる音が、落雷のやうに聞こえたところで、それはまことであらう。あらゆる芸術の極意は、この『末期の眼』であらう」という川端康成の文章を吉行はほとんどそらんじていて、口伝えのように教えてくれた。>

 まさにその通りで、驚くほどの繊細さで吉行氏は世の中や女を見ていた。

 名作は今、文庫でも読めるけれど、私は出版時の本にも触れたいといつも思っている。

 『ベッドタイムアイズ』も『限りなく透明に近いブルー』も文庫で感動した後、図書館の閉架書庫で出版時のハードカバーを借り、その時代の空気に触れた。

 『闇のなかの祝祭』は昭和36年発行。『暗室』は昭和45年。古めかしくて重みのある本。

 言葉を選びながら、原稿用紙の桝目を埋めていった、ひとりの小説家の息遣いを知る思いだった。

      

        

           

 

 

                 

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2010.03.31

 一遍上人語録

        
 (新しいパソコンより)

 今読んでいる伊藤比呂美さんの『読み解き「般若心経」』の中に出てきた、一遍上人の言葉。


  
   「ひとり―――― 一遍」


    かかわるのをやめて
    一切を捨てて
    ひとりに
    ひとりきりに
    なりはてることが
    「死ぬ」ということだ。

    生まれたときも
    ひとり。
    死ぬときも
    ひとり。
    人と住むということも、また
    ひとり。
    添いとげなければならぬ人などいないのだ。


 
*****
  

 私はこの言葉にとても共感する。
 この言葉に共感するかしないかで(どちらがいいとか悪いとかではなく)、
 その人の人生における立ち方が見えると思う。
 男女関係だったり、夫婦や親子、友達等々あらゆる関係に対し、基本「ひとり」と考えられるか否か。
 むしろ、ひとりと考えずに済む人というのは幸せなのだと思う。

 結局これは自分ひとりの問題なのだな、という恐ろしいほどの孤独感を嫌でも味わった経験のある人は、いい意味で諦めがつく。
 私が抱えている病気も、人生も運命も、結局は私一人の問題。
 なにも自分だけが孤独を味わっているのではなく、私の本当の気持ちが誰にもわからないように、私を心配してくれる周囲の人の気持ちも、本当のところはわからない(病人以上に、病人を思いやる家族の方がしんどいことも多いだろう、という意を込めて)。

 親というのは、子供の楽しさやつらさを、まったく自分のことのように感じてしまうけれど、親子だって当然ひとりとひとり。
 よりよい人生を送りたいと誰もが願うけれど、
 なぜ訪れるのかわからない運命や人生に、それぞれ身をゆだねるしかない。


****

   
 と、どちらかと言えば暗いトーンで書きつつ、決して悪いことがあったわけではない。
 ただまあ、例えば結婚したら「妻がいちばん」「夫がいちばん」と本気で思える人がいるけど(とてもうらやましいけど)、私は残念ながらそういうタイプではなく、それは互いの関係性というよりは、人間の種類の違いなんだろうなあとよく思う。
 この気持ちに深いところで共感してくれそうな友達の顔が思い浮かぶ(笑)。
 その友達たちは離婚していたりするけど、例えばその中の一人が、かつて言った「ダンナさんのために、家を掃除しておいしい料理を作って、子供のことを第一に考えて、、っていう人のブログとか見ると、劣等感なのか罪悪感なのかわからないけど、泣けそうになる」という言葉にものすごく共感した。
 完全にうち(家であり内・・・家内とはよく言ったものだ)を向ける女性と、うちを向きながらも外も向かずにいられない女性と、外ばかり見てうちを見られない女性と色々いる。
 単純に、(強調するけど、どれがいいとか悪いではなく)種類や度合いの問題だから、気にするのはやめようぜ!


***


 昨日、人間ドックに行ったら、高校の同級生のKくんに会った。
 Kくんとは市内の離れたところに住んでるけれど、一昨年も幼稚園関係の会合でばったり会ったので、またそのうち会うだろう。
 Kくんはお坊さんなので、坊主頭にメガネに検査着。
 私もすっぴんで検査着。
 あんまり会いたくない場だけど、37歳の健康について話し合った(笑)。

 去年のドックでは何ともなかったスティル病について、看護師さんや検査技師さんに話すと、みんな病名を知らず、かろうじて診察してくれた医師だけわかってくれた。「たいへんでしたねえ」

 その後、いつもの病院で血液検査(同じ日に血液検査を2回もしたくなかったけど、子守りの関係でやむを得ず)。
 会計を済ませ、帰ろうとしたら、ホールからピアノの音が聴こえてきた。
 電子ピアノの自動演奏ではないと思って、戻って見ると、ボランティアの女性が生演奏をしていた。
 流麗なショパンに感動し、それなのに誰も拍手しないので手を叩きながら寄っていくと、300曲もあるレパートリーの中から、「好きなものを弾きますよ」と言ってもらえた。
 私は少し迷い、ラヴェルの『ボレロ』をリクエストした。
 ボレロはもともと好きな曲だったけど、妊娠中読んだ本で、「お産はちょうど『ボレロ』のようです。同じような痛みが繰り返し訪れ、それがじょじょに強まっていき、クライマックスを迎えたところで赤ちゃんが出てきます」みたいに書いてあり、子供を産んだ病院で聴くのにふさわしいと思ったのだ。

 病院は数分間私のお願いした曲で満たされ(ピアノの音が嫌だと思う人にとっては申し訳ないけど)、この贅沢に幸せな気持ちになった。
 女性にお礼をお伝えし(その後おじさんたちからリクエストが相次いで良かった)、病院を出る。

 さまざまなものごとに対し、病気をしなければ出会わずに済んだのにと嘆くか、病気のおかげで出会えなかったものに出会えた!と喜ぶかによって、人生は大きく違ってくると思う。

 ひとりであることを正面から受けとめ、ひとりであることを楽しみたい。
 訪れる運命に身を任せ、その上でオリジナルな人生をつくっていきたい。
 

**


 今日の診察で、いよいよステロイドを飲まなくてもよくなった。
 このところお世話になっているよきアドバイザー・日の丸薬局の薬剤師さんにも、「半年というのは早いですよ!」と驚かれた(春を乗り切る漢方を処方してもらった)。
 順調だと思う。
 私は負けない。
 運命や人生に畏れは持っても、恐れは持ちたくないな。



 満月。
 親友の赤ちゃんは産まれたかな?


             


          

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2010.03.25

 VIVA LA VIDA !!

                 
 ここにも何度か書かせていただいた助産師のSさんが、神奈川県へ引っ越すことになった。
 より良い職場を求めての選択と決断(一家の大黒柱ということもあり・・)。
 新しい勤務先をHPで見たら、とても家庭的で温かみのある助産院だった(Sさんが仕事に慣れ、告知しても良さそうだったらここにも載せます)。ホメオパシーや鍼灸、酵素風呂なども取り入れている妊産婦の味方という印象。

 お産というのは、女性と赤ちゃん(家族)にとって、本来とても大きなできごと。
 妊娠の経過を診てくれて、取り上げてくれる助産師さんや先生と、親子で一生つながってもいいくらいのできごとなのに、大きな病院のお産ではなかなかそうもいかない。

 私は、もともと子宮内膜症で市民病院へ通っていたので、そのまま市民病院での出産を選択したけど(当時は市内で助産院という選択肢がなく)、私が産んだ頃と比べると市民病院はたいへんな状況。
 周辺地域でお産をやめる医療機関が増えているため、難しいお産や緊急搬送などがいっぱい集まってしまう。
 そこで激務をこなしている医師や助産師、看護師はとても立派だけれど、その環境に迷いを感じてしまったら続けられなくなる。

 これ以上書くことは控えるけれど、Sさんが、ひとりひとりともっと向き合いたいと願って違う職場を求めたのは、彼女の感性や理念を知っている身としてはごく自然な流れだったし、彼女も私も当初から想定していた。

 豊橋滞在は、ほぼ半年。

 いったんは永住する覚悟でチリに渡った家族が、再び日本での生活を始めるにあたり、ひとつのステップとしての就職先と居住先を探すお手伝いができたことは良かったと思う。

 6月、一緒に探したがらんどうの部屋に、8月家具や荷物が積み込まれ、3月再びその部屋はがらんどうとなる。
 明日引越しという日に、お別れのひとときを過ごした。
 シュンシュンと湯気を立てているやかん、テーブルの上には食べかけのほうれん草の炒め物、別の部屋にはこたつも置かれている。
 その部屋が「生活」を失ってしまうさまを想像すると、切なくなった。

 引越しは2トントラックで。
 運転はSさん!!
 ダンナさんではなくSさんが運転すると聞いて、最初に爆笑してしまった。
 私もかつて美術の仕事時代、2トンの冷凍車の助手席に座って、島根→東京を移動していたので、その大きさと距離感はわかるつもり。

 いったいどこまで男前なんだろうSさんは。
 私より10歳年上です。上智出てます。英検1級で、英語もスペイン語もペラペラです。
 かつてはドキュメンタリー・ジャパンで硬派な番組つくってました。出会いはテレビ番組の制作会社で、彼女ディレクター、私AD。キューバの映画学校へ留学中の友達をSさんが取材していた偶然にびっくり!という始まりでした。

 出会いから15年目の今、Sさんは助産師で、ダンナさんはチリの出身。ミックスの娘ちゃん2人連れて、2トントラックに家具積んで移動。

 くらくらするような彼女の過去と現在。
 「書いてね!」って言われたけど、やっぱり書ききれないわ~~(笑)

 出会った時バリバリの河内弁だった娘ちゃんたちは、半年ですっかり三河弁。
 「○○だに~」とか
 「○○だら~」とか。
 娘ちゃんたちは豊橋から離れることを悲しんでくれて、心が痛みながらも、地元民としては、ひそかにうれしくもあった。
 引越しが重なっていることをSさんはもちろん申し訳なく思っているけれど、彼らは家族という単位で地球を旅しているようで、たくましく見えた。重要なのは、「生きていく」ということだろう。

 その他、印象的だった会話。

 「牧師さん(コロンビア人)のところは、夫婦とも目の色、黒なのに、子供3人のうち、2人はブルーなの」

 「ぼく(目は黒)のおばあちゃんは、髪がブロンドで、目がブルーだった。ぼくのきょうだいで一人、目が緑の子いた。お父さんジェラシーで、お母さんに『違う男の子だろ』って言った」

 初めてアメリカに行った時、出会ったブラジル人の女の子は褐色の肌に黒い髪、黒い目をしていた。アパートに遊びに行くと、出てきた弟が白い肌にブロンドの髪、ブルーの目をしていて驚いた。
 そんなことを思い出しながら、南米は大きな大陸で、ほんとうに混血の文化なんだって思った。
 日本は、なんて一辺倒のつまらない国なんだろうと思ってしまう。

 「地震は今も余震どころじゃない。みんな眠れなくてお薬飲んで寝てる」

 「日本からチリへ船便で70箱運んだ中には父や母の写真もあった。でもきっと今回の津波で・・・。それをいつ確かめに行けるかもわからない」

 時折交わされるスペイン語。ルイスさんのダンボールにはスペイン語の文字。
 テレビには、録画してあった志村けんのバカ殿様が出ている。
 笑う息子と娘ちゃんたち。
 ルイスも笑う。

 「志村けんのお笑いが、ラティーノのお笑いに一番近いんだって」

 コーヒーにミルクを入れてもらう時、Sさんが口にした「レチェ」という響き。
 スペイン語でミルクはレチェだそう。カフェ・オ・レの「レ」とのつながりを思いながら、ああ、私は、この人たちやこの空間から、もっともっと多くのことを学びたかった。と思った。

 Sさんに「いろいろ経てきて今の助産師というお仕事は、どうですか?」と質問したら、
 「その質問は核心をついているけど、今は仕事を覚えることに精一杯で考える余裕がない」
 「でも、テレビにしても、助産師にしても『感動』の近くにある仕事ですよね」
 「そうだね。私は社会に向けて発信したいんだよね。助産師の仕事を通していつかできたら・・・」
 みたいな話をした。

 農業やってる友達とも最近そんな話をしたけど、いかにも「現場」という仕事の人たちは忙しいし弁が立たなかったりで、本当はとても重要な職業の声が表に届かなかったりする。
 Sさんみたいな人こそが、医療界や出産にまつわるおかしなことを世に向けて発信して、世の中が変わっていけばいいのに、と思う。
 Sさんはとても能力の高い人だけれど、家族を抱え、余裕がないのもわかる。
 「いつか取材に行きますから(笑)」と言いつつ、Sさん自身が何らかの発言やアクションを起こしてくれる日を楽しみに待ちたい。
 いずれにしても、Sさんの人生自体、ホントおもしろい。

 思いのほか早いお別れとなってしまったけれど、Sさんに関しては、ここまで縁がつづいた以上、これからも途切れるはずがないと思っている。
 年も重ねたので、別れは辛いけど、つながる人とはつながるという確信があるからさみしくない。

 でも・・・

 離れがたい思いを断ち切ってのお別れに、家族みんなとハグして、ルイスさんに「Sさんをお願いしますね。彼女の人生、ジェットコースターね」と伝えた辺りからSさんが涙。
 私もSさんと抱き合いながら、涙があふれた。

 転職を決めた時、Sさんは電話で「チリから日本に来ていちばん辛かった時に、助けてくれてありがとう」と言ってくれた。お役に立ててうれしかった。
 思いがけない病気で入院した時、自分の病棟の真上の階でSさんが助産師として働いていることが不思議だしおもしろかった。

 なんというか、私は小説を書くよりも、日々の生活で起こるできごとがドラマチック過ぎて(うーむ。自分の感じやすさもあるけど、それとは別に偶然の連続で)、このブログに書くようなできごとこそが愛おしい。

 最後に、約束だったので、夫がSさんに向けて書いた手紙をここに記します。
 広告の裏に書いてあって、電話でSさんに読み上げたもの。


 <日本での生活の再開にあたり、少しでもお役に立てたことを嬉しく思います。
   早く生活を軌道に乗せていただけるようお祈りします。
   また、豊橋が、第何番目かの心の故郷であれば何よりです。
   日本の中の拠点の一つとして、また、いつでもお越しください。
   家族一同 お待ちしております。>


 これを読み上げた時、電話口でSさんは泣いていた。
 私も、私に対してふだん冷酷な夫が、本当はやさしい人であること、特に困った人に対してはやさしさを発揮することを思い出した、というか、知ってると思った。


 生きてる、生きてる私たち。
 つづいていく、愛しい家族、生活、愛しい人生。
 VIVA LA VIDA!!! 
 また会って抱きしめ合おう。


    
 ☆蛇足ですが、Sさんの娘ちゃんたちが通った小学校で唯一知っている女の子が息子の柔道にいました。
 チリから豊橋に来る前、長女ちゃんがその子と同じ学年にあたるとわかった時点で、ここまで縁が続いたら、ぜったい同じクラスになるだろうなと思った。
 最後の最後で確認したら(「○○ちゃん知ってる?」ってのを聞く機会はこの先もあると思って暢気に構えていた)、やっぱり4クラスある中で同じクラスだった。
 ここまで来ると「予知?」って思う瞬間もあるよ。


              

            



 

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2010.03.17

 20代と70代

 今、長男がクラスでいちばん仲良くしている男の子(Tくん)が遊びに来ている(外で弟も交えぎゃーぎゃー)。

 Tくんとは、お互いの出生時、病院で一緒だった。

 息子、1月4日生まれ。Tくん、1月8日生まれ。

 息子と同じ誕生日だった女の子のお母さんと授乳室で友達になり、そのお母さんとTくんのお母さんが中学の同級生だった縁もあり、私とTくんのお母さんは一瞬顔を合わせただけだったけれど、なんとなく印象に残っていた。

 たまたま同じ校区で、2年生で同じクラスになり、最初(病院で一緒だったことを伝える前)から仲良し。

 つくづく不思議だなあと思う。

 私の周り、そんなご縁ばっかり!

 ありがたいし、世の中ってやはり、自分の力じゃどうしようもできない運や縁に守られているんだなあ、ジタバタしても仕方がないなあと思います。

 

 ところで、沢尻エリカさんのことは元々好きで、「別に」の頃も、なぜあんなに叩かれるのかわからなかった(関係者の方々にとってはお気の毒だったと思うけど、何かが弾けてしまうくらい、いっぱいいっぱいだったんだと思う)。今回の復帰会見を見て、演技だ演出だと言う声もまたあるけど、私は彼女の緊張や、涙や笑みがこみ上げてしまうような感性を応援したいと思った。

 女優さんってやっぱり違う。

 美しい外見の下に、激しさもやさしさも純粋さも醜さも内包しているだろうし(そうでないと人の心を打つ演技なんてできないと思うし)、一般的な感覚で計れない人の方が表現者としては魅力的だ。

 まだ23歳。

 強気、生意気、大いにけっこう。というか、あらゆる女の子に向けて、20代はどんどん冒険してほしいと願ってしまう。

 女にとって、20代(特に前半)の1、2年ってものすごく大きく変化する時だと思う。

 久々に動く「沢尻エリカ」を見て、ちょうど読んだばかりの、オノ・ヨーコ 『今あなたに知ってもらいたいこと』を思い出した。

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この方、77歳だよ~すごい!

どんなにバッシングされても、自分の信念を貫いてきた人。               

愛と夢と女の強さを、身をもって知っている人。

私は、ジョン&ヨーコの心棒者ではないし、ヨーコさんに関しては、「よくわからない」と思っていた(同じようにニューヨークで活動していた同年代のアーティストとしては草間彌生の方が好きで・・・いやー、草間さん、もうすぐ81歳)。でも、NHKのトーク番組に出ていたヨーコさんのまったく威圧的でない、控えめなお姿に、あらためて興味が湧いた。

 この本、一時間ほどで読めてしまうけれど、その中に、珠玉の言葉がぎゅうっと詰まっています。20代、30代で発信できることもあるけれど、人生の終盤、70代だからこそ達観して、自由に発せられる言葉や表現ってある。

 それにしても、クリント・イーストウッド(今年80歳)のご活躍は、化け物級にびっくりだけど!  

 刹那的に生きる20代も素敵だし、残り時間のカウントダウンが始まった70代80代の表現者の動向も見逃せません。         

 と、何が書きたいのかよくわからなくなったけど、運や縁に感謝して、自分を信じ、批判を恐れるな!ってことで。

  

 今日は、幼稚園の卒業式でした(次男は今度年長)。

 今週は小学校の卒業式もあるし(在校生は休み)、来週からは春休みに突入。

 いよいよ落ち着かない日々。

 毎度ジレンマはあるけど、親子で楽しく過ごしたいと思います。

         

    

                 

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