お盆を過ぎると、切なくなるくらい、風が変わりますね・・・
以下の内容は、どんな切り口から書こうとも、どうしても言葉足らずになってしまう。 あらかじめお詫びします。
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この夏は、子供たちと行動することが楽しかった。
少し前までは、子供が旅を楽しめなかったり、自分で自分の荷物を持てなかったり、「疲れた~抱っこ~」となったりしていたので、私一人で子供二人を連れての遠出は難しかった。
子供を旅のパートナーとして、あちこち行ってみたいなあと思えるようになったというのは、つまり、子供の成長のおかげ。
夏休み前の小学校の懇談会で、担任の先生(男の子3人のお母さん・・・昨年に引き続き、3兄弟を持つ母としての大先輩)が、「今、いちばんいい時ですよ~。どこへ行くにも連れて歩きやすいし」と言ってくれて、その言葉も励みになった。あと何年かすれば、親と一緒に歩くなんて嫌がる時も来るわけで、「いちばんいい時」という今を楽しみたいと思いながら過ごしたこの夏、本当に楽しかった。
レイチンがブログで書いていたことからもそう思った。というより、やっぱり彼女とは思いが連動してる。
http://ameblo.jp/reinapark/entry-10321578446.html
(余談だけど、「テーマパークで知り合いに会う」というくだりは、私もかつてアメリカのディズニーランドで大学のクラスメイトにバッタリということがあったので、そーいうのも同じだなあと思った)
この先、違ったたいへんさは訪れるだろうけど、育児が本当にたいへんなのは、最初の5年くらいのような気がする。両手がふさがり、思い通りにいかないのが当たり前という状態は、過ぎてしまえば限られた期間。
人生において、その5年をどこに持ってくるか、ってことなんだと思う。
育児は、やってみたら、想像以上にたいへんだった。
体力ある男兄弟を子供に持った場合、私の年齢と体力でギリではないかと何度も思った。
今は、出産のある種のボーダーラインを40歳くらいに定める傾向があるけど、実際は、出産よりその後の育児の方がたいへんなので、駆け込み出産で終わり!ではない。マスコミが「まだ大丈夫」という感じで取り上げる姿勢には疑問を感じる。
働く独身女性が消費を支えていたりもするので、そこをターゲットにした商売や見出しが多いのもうなずけるけど、例えばきらびやかな女性誌の見出しを読んで、悲しくなることもある。「そんなに自分にしがみつきたいか?」と。
独身の友達も多いし、子供を産むことがすべてではないし、私自身、子供を産めないかもと悩んだ時期が確かにあったので、一概に「子供を産もう」とは言いたくないけど、もしも「どうしようかな?」と考えているひとがいたら、少しでも早く!とは思う。
たいへんな時期を過ぎればまた、両手が空いて、自分の時間を楽しめるから。
働くシングルマザーの先駆け的存在、桐島洋子さんも、無責任なくらいに「産めば子供は育ちますから」と言っている。
産むのは女にしかできない特権。私は人生で、せっかくだからそれもやってみたいと思った。
23歳で子宮の病気になった時、人生設計について考えざるを得なかった。
人生において「追い込まれる」という瞬間が、思いがけず早く訪れてしまった。24歳で受けた大きな手術。苦しくて悲しくてつらかった。
その後、私は結局、相手よりもまだ見ぬ子供を優先させた。もちろん、夫のことが大好きで結婚したし、すべてドライに割り切ってきたわけではないけど。
相手選びで苦戦する人もいるけど(その気持ちもわかる)、結局のところ、男なんて(女なんて)自分にとってのある一定の水準をクリアしていれば、誰と結婚しても同じではないかと思う。
これは、私が共感する人生の先輩複数(結婚を継続している人もしていない人も)の同意見。
熱烈なラブを生涯貫ける夫婦はうらやましいけれど、それはなかなかいない。
人間は成長していくから、ラブも変化していく。
私にとって夫は別格の存在ではあるが、単純にラブってものを考えると、夫は今や家族的ラブであって、恋愛的ラブではない。
恋愛的って意味では、他の男性(複数・・・これ自慢でも倒錯でもなくて、一人を愛するほうが恐い)のほうが勝っている。
UAと村上淳が結婚した頃のインタビュー記事や、CHARAと浅野忠信が結婚した頃の熱く甘い記事を憶えている。神々しいほどの結びつきに思えて、うらやましかった。
でも、二組とも別れた。
これはまったく不思議なことではなくて、そんなもんだろうと思う。
別れる夫婦のほうにこそ、一個人としては共感してしまう。
今の私は一個人よりも、子供の母親としての自分を優先させたい(もちろん、一個人としてより、母親としての気持ちを優先させるがために離婚に至る方の気持ちもわかるつもりです)。
というわけで今のところ離婚するつもりはないけど、トキメキという気持ちについて、自分を律するつもりはさらさらない。トキメキを封印できる人もいるけど、私は生きてる限り無理だと思うし、結婚によって他の異性へのトキメキを封印することが当然とはどうしても思えないんだよな。法や宗教や倫理や道徳以前に人間は存在していたではないか。例えば、夫に私以外にときめく女性ができたとしても、まったく不思議ではないし、家庭は家庭として守ってくれれば、あとのことは気に障らない程度に楽しんでいて欲しい。
生きものとして子孫をのこし、子孫を守っていたら、それ以外の自由(全般的に)は男女ともゆるされてもいいんじゃないかと思う。
はーっ、何が書きたいかわからなくなってきたけど、「子供を持つ」という話を書こうと思ったら、日本の場合、「結婚相手を探す」という課題が避けて通れず、しかし、最近は100%の相手を求めてなかなか結婚に踏み切れない人が多いように感じ、早いうちに「100ってのはムリ」と、いい意味で諦めたほうが人生楽なんじゃないかと思って、ダラダラ書いてしまった(夢がないようだけど、私はそう思い至ってから結婚しました)。結婚の時点で100だと思ったとしても、その後100であり続けるかどうかはわからない。結局のところ重要なのは相手よりも自分の心持ちだと思う。
そして、相手に望む100は無理だとしても、子供という存在は、ずっとずっと100であり続けてくれる。そこが、人類のおもしろいところだなあと思う。
以上、夏休みの終わり頃の、ある母のつぶやきでした(この回、地味に「312」に続く)。
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長いついでに、いつも読んでる宮沢章夫さんの日記。
特にファンというわけでもなかったけど、NHK「爆問学問」の早稲田特集で、現在早稲田の教授をなさっていることを知り、拝読するようになった。考え方、思考の深さ等々、共感することが多い。8月20日の回も、後半の(オペラシティに~辺りから)観察眼や思考の深め方に、レベルは違えど、そうそう、そうなんだよなあと思った。
そうやって、ものごとを考え、考えつづけることが私もやっぱり好きというかやらずにおれず、宮沢さんのような忙しさではない私だけど、やっぱりここに書かずにいられないんだよなあと思う。役に立つとか立たないとか、金になるとかならないとかではなく。
今日はさっきまで、友達親子が遊びに来ていた。大きなベンツに2歳の息子くんとおばあちゃまのご兄弟をお一人乗せて、東京からの帰省。一人で運転し、子連れというだけでもすごいのに、おじちゃまの度重なるおトイレにも応じながらの旅。すごいなあ、愛が深いなあといつも感心する。
☆宮沢さんの『富士日記』 http://u-ench.com/fuji21/