アート

2009.07.19

297 数ある表現 

 昨日から始まっているこれにとても行きたい。

 http://www.operacity.jp/ag/exh108/

 浜松で行われた松井冬子さんの展覧会にはなんとか足を運んだけど、本物を観て揺さぶられながらも、正直、ちょっとした甘さを感じた。それは描かれた女体の足首の太さだったり、どこかとどこかのバランスから受ける違和感など(本人の美こそが最大の作品ではないかと思ってしまう)。

 対して鴻池さんは本物という気がする(↑も←も話半分に聞いてください)。というか、やっぱりまずは実物を観てみたい。

 とはいえ、当然すぐには叶わない(苦笑)。この期間、東京方面に出かける予定もあるけど、なんせ子連れだし、むむむ・・・。

 こんな時、東京を目指していた高校生の頃の感情を思い出す。

 観たい映画や観たい舞台、展覧会のために東京に行きたい!という思いも大きかった。

 そして今、私が数ある表現のなかで、執筆ってものに至ったわけもそこにある。

 田舎にまで届く表現ということで、まずはとにかく「全国ネット」に憧れた。テレビの仕事を経て現代美術に移行し、マスとカルト?の違いを体感した。そして自分の目指すものとしては書くことへ移行・・・。書きたい出来事に遭遇したことも大きかったけれど、なにより、どこでもできて、どこの人にも届く表現方法だと思ったから。

 とまあ、意外にあれこれネチネチ頭の中で考えて今に至るけど、やっぱり、自分より大きな作品に挑んでいる美術作家さんには憧れてしまう。

 「NANA」や「HON」を制作中のニキ・ド・サンファルの写真を見た時も、単純にその風景に憧れてしまった。

 アトリエもね・・・(笑)。美術作家の助手時代、様々なアーティストのアトリエにおじゃましたけど、そのガテン系とも言える佇まいは素敵でした。

 色々憧れはいまだに募るけど、美術をやってる人ってのは、もうそれはそれは技術がまったく違うから、私は入り込んで集中するには至らなかった。

 「つくりたい」ってものに対する熱意もハンパじゃない。

 石の彫刻に挑んでいる友達がいるけど、小柄な彼女がゴーグルして、機械や鑿を使ってウィーン、ガンガンガンってやってるんだから、そんで、来る日も来る日もインコつくってるんだから、その思いだけでも尊い。

 冒頭の鴻池さんは1960年生まれだけど、とても若く見える。色々経て今があるというのにも励まされる。

 確固たる自分の道を歩んでいる女性はとても美しい。

 

                     

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2009.05.23

267 ゴーギャン展

 金曜。名古屋ボストン美術館で開催中の『ゴーギャン展』に行って来ました。

 もともとの予定だったけど、新型インフルエンザの関係で、この先どうなるかわからないので、先延ばしにはせず心もち慌てて・・・

 名古屋のサイト http://www.nagoya-boston.or.jp/gauguin/index.html

 7月から9月開催の、東京のサイト http://gauguin2009.jp/

 外出を控えて人が少なければいいのにな~と思っていたけど、思ったより多くの人が詰め掛けていました。それでも、むかーし、東京での学生時代、MoMA展のために確か西洋美術館で、ディズニーランドのアトラクション並みの2時間待ちの列に並んだことを思えば、やはりこういう時、地方はありがたい。

 数々の作品のなかで、私がいちばん心を打たれたのは、木彫りの『恋せよ、さらば幸福ならん』でした。(このなかにある→)http://www.nagoya-boston.or.jp/gauguin/gallery.html

 タヒチの絵で有名なゴーギャンだけど、絵よりも、彼の息づかいを感じて泣けてきた。

 この木彫りは、名古屋だけの公開らしいので残念。東京で観る方にも観ていただきたかった。

 全体を通して感じたキーワードを羅列すると(メモより・・・)、

 苦悩

 女

 シャッフル(色彩と構図を選び取る)

 リアリティは重要だけど、現実でなくていい

 

 さて、ゴーギャン自身も最高傑作と呼んでいる『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』について。http://www.nagoya-boston.or.jp/gauguin/guide.html

 ピカソの『ゲルニカ』やモネの『睡蓮』と思うと、大作というイメージの割には小さいと聞かされていたので、今度は、「それなりに大きいじゃん!」と思った(笑)。

 確かに、最高傑作だと思う。私もじっくり、遠くから近くから、いちばん時間をかけて観ました。

 時間をかけて観れば観るほど、今度は、館内の展示の仕方や、照明が気になってしまった。私も仕事で美術作品を展示することは何度かやったので、それぞれ作家の立ち会いのもと、その作品が最も映える展示の仕方をするわけだけど、作家が亡くなった後は、当然作家の意図は伝わらないわけで、この展示の仕方でゴーギャンはいいのかな?なんて思ってしまった。光によって、作品の見え方はまったく違うから・・・。

 ゴーギャン自身が最高傑作と呼ぶこの作品は、ゴーギャンが、どの時点をもって、完成としたのだろう、という興味が湧き、当然、完成時は、タヒチの陽光に照らされていたわけで、美術館の、ものものしい暗い照明の下ではなく、ぜひともタヒチで観てみたかったなあと叶わぬ願いを抱いてしまった。

 生の作品を観に行ったはずなのに、どうしたって生に触れられないもどかしさ。

 描かずにいられなかった作品たちが、思い入れ深いタヒチにないことは、いいことなのかどうなのか(世界中に散らばってるけど、タヒチにはないんだそうです)。

 『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』については、ゴーギャンが友人に書き送った解説がある。それによると、中央の人物は、男か女か定めておらず、ただ「中央の人物は果実を採っている」とされている。ここがまずうまいなあ、深いなあと思った。そして、左淵にいる、白い鳥は、ゴーギャンによると「言葉のむなしさを表している」。

 亡くなった偉大な画家や作品については、後世の人間が意味を持たせて持たせて仰々しくしていってるけど、本当は、作家本人以外の言葉にはあまり意味がない。ゴーギャン自身が言った、

 「言葉のむなしさを表している」

 この言葉に尽きるのではないか。

 美術展では必ず「あれは何?」という声がささやかれ、それに対し、なんとしてでも「何である」という答えを持ちたがったり与えたがったりする人がいるけど(今回もたくさんいらした)、無理に言語化しなくていいのにな~ただ感じればいいのにな~ということを強く思った。

 謎は謎のままでいい。

 だってきっと、作者にとっても謎だったと思うもん。

 とまあ、『ダリア』に書いた「ゴーギャンの絵に出てきそう」は実際何度か言われたことがあるので、どうしても観たかったゴーギャン展についてでした(作品にはもちろん感動しつつ、自分でも思いがけない感想を持ったな)。

 ゴーギャンの絵に出てくる女性は決してきれいではないので喜んでいいのかどうかわからないけど、やっぱり自分でも自分と重なると思う。それは中学時代似てると言われたジャマイカの陸上選手「マリーン・オッティ」(ブロンズ・コレクターと呼ばれた)や、フリーダ・カーロの自画像と同じで、私ってのはどうにもプリミティブで南国なんだろうなあ(笑)。プリミティブって書くとかっこいいけど、原始的ってやつです。自分でも自分は原始人っぽいってよく思う。

 この展覧会に合わせて愛知で先行放送されたNHK『迷宮美術館』が役に立ったので、もしも、東京で行かれる予定の方は、よかったらどうぞ・・・(28日、29日放送予定です)。言葉も解説も、必要ないけどね!

 https://pid.nhk.or.jp/pid04/RebroadNoticeInsert/Confirm.do?pkey=001-20090513-10-02490

       

        

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2008.12.02

185 松井冬子展

 「見せびらかす」という言葉は、なんと卑猥で哀切に満ちた響きだろう。

 松井冬子さんの『浄相の持続』と、そばに提示されていた解説文を目の前にして、そう思った。 

 平野美術館(浜松市) 『松井冬子展』

 http://www.hirano-museum.jp/tenran/fuyuko_matsui1.htm

 

 正直、万人におすすめできる絵ではないです。

 私も友達も、長い時間、そこにとどまりたいとは思いませんでした。

 でも、たまらなく惹きつけられたし、揺さぶられた。

 心に残ったのは、あんなにきれいな人が、なぜあそこまで執拗に描写するのか、という不思議と、あそこまで描写せずにはいられない情念。

 言葉にできないものが、強烈な残像として私に残ったのは確か。

 松井冬子さんの代表作としてよく取り上げられる『浄相の持続』(どんな絵かは、上記のHP等からご覧ください)。

 添えられた解説の一部に、「赤児のいる子宮を見せびらかす」「雌しべを見せびらかしている」とあった。「同調は卵子を持つ女の特権」とも・・・(撮影やメモは禁止だったので、同調~の部分は克明でない)。

 確かに絵の中の女は、腹の中や子宮の中まで見せびらかし、周囲の花はいやらしいほどに花弁を開き、雌しべの存在を誇示している。

 女であるがゆえの苦しみ。女であるがゆえの凄み。

 松井さん本人の卓越した美しさと、描かれる絵のおどろおどろしさとのギャップが話題に上りがちだけれど、本人(おそらく)による解説とともに観ると、哲学や心理学、生物学、ジェンダー論等々、幅広い「知」を感じさせてくれる。

 正直、「松井さん、何があったの?」とみんな問いかけたいと思うけれど(笑)、女として生まれ、女であることから逃れられず、そして、女であることから逃げず目を背けず、女を描く松井さんの強さを感じた。

 植物との絡みや、傷や血や乳腺まで描く絵は、フリーダ・カーロを思い起こさせたし、私自身の創作ともつながる面を感じた。

 なぜ、そこまでかくの?

 と問われても、

 かかずにいられないから、としか答えようがない。

 私も、自分の内臓を見たことがあるけれど(腹腔鏡手術の映像)、艶かしいほどに美しいと思った。

 業(ごう)、そして、性(さが)。

 才能とは欠落だと言った人がいるけれど、祝福よりも嘆かれるような狂気、才気を感じた。

 部屋に飾ってハッピーになるような絵ではない。

 人によっては拒否反応を起こしたり、怒りや不快感を覚えるだろう。

 救いようがないほど暗い、陰惨な絵を目の前にして思ったのは、

 「私は、今、生きている」ということだった。

 何年か前、冬のアイルランドに出かける友達に、なぜアイルランドかと尋ねたら、「寂しい風景を見て塩抜きしたい」と言った。

 松井さんの絵を観て、その言葉を思い出した。

☆☆☆☆

 美術館のあとは、ずっと行ってみたかった『キルフェボン』へ。

 http://www.quil-fait-bon.com/top/top.html

 今更!?って感じでお恥ずかしいですが、私が東京を去る頃に青山店が話題になり、ずっと食べてみたいと思っていました。実は静岡が発祥で、寄ってきた浜松店が2号店、『キルフェボン』という名前は浜松店から始まったそうです。いちごのタルトと洋梨のタルト、季節のフルーツのタルト、チョコレートとバナナのタルトを1ピースずつお土産に・・・。

 その後は、駅ビルに入っている『フレッシュネスバーガー』でお昼ごはん。

 これも、近くにある人は、なぜ?って思うかもしれないけれど、東京時代のお気に入りのお店でした。当時住んでいたアパートの近くの一号店からスタートし、AD時代には、会社の近くでみんなのランチとして買い求めたこともありました。その後、「やっぱり」というチェーン展開(10年ぶりに食べたけど、おいしかった)。手作り感にあふれ、海の家みたいだった発祥の頃が懐かしいな(興味のある方は、HPの「PROFILE(会社概要)」のところの「フレッシュネスバーガー誕生秘話」をご覧ください)。

 http://www.freshnessburger.co.jp/

 帰り際、息子たちに頼まれていた「安倍川もち」もゲット。

 電車に乗り、友達に車で家の近くまで送ってもらい、歩いていたら、向こうからランドセルを背負った息子の姿が・・・。安倍川とケーキを見せて、お互い笑顔。

 このところ、子供や幼稚園への奉仕が続いていたので(お遊戯会の舞台裏は汗だくでたいへんでした)自分のために時間を使えて、満足だった。子供が無事に学校や園に行き、予定や希望を叶えられることがミラクルに思えてしまう今日この頃。

 「見せびらかす」って嫌な言葉だけれど、この言葉に性別をつけるとしたら、女だなと思った。

 ☆2年前の松井さんの写真&映像(音が出ます)

 VOGUE Women of the year 2006 http://www.vogue.co.jp/woty/09.html

                 

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2008.08.21

143 赤よりも、もっと赤い夏(赤って漢字じゃ物足りない)

            
 暦の上では秋とは言っても、まだ暑い夏!
 色濃い思い出が甦るのはたいてい夏。

 10年前の8月、美術作家の助手として、原宿の展覧会に参加していた25歳の私は、心身ともにボッロボロだった。
 ボッロボロの理由はいくつか複合的に絡み合っていたのだが、そんな状態でも(そんな状態だったからこそ)、その夏のできごとを鮮明に記憶している。

 詳しくは書かないけれど、原宿の個展(ちょっと大き目の)に加え、時間外に、とある美術プロデューサーから乞われて行ったゲリラ的パフォーマンス(←当てはまる言葉がない)も思い出深い。
 ある夜は、作品をホテルオークラの個室に持ち込み、抽選で当たった、たった一人の観客にお見せした(ホテル代はプロデューサー持ち・・・ナゾの人物で、当時フェラーリに乗っていた)。
 ある夜は、原宿の路上で、歩行者とともに鑑賞した(作品が凍結したものだったので、それが溶けていく過程を)。
 当然覚悟していたことだけれど、警察がやってきて、表参道から渋谷に向かってみんなでワイワイと逃げた(と言っても、全く悪いことはしてなくて、路上と言っても歩道の片隅なので、ご迷惑はおかけしてないです)。
 その日初めて会った、誰だか知らない人たちと心がひとつになる感覚はおもしろかった。

 展覧会後、島根県のアトリエに戻り(アトリエと言っても、お坊さんがいなくなったお寺を借りていたのだけれど)、そこに突然、オーストラリアの映像ディレクター(22歳・女性)が、オーストラリアの番組用に作品の制作過程を取材しに来て、本堂で、3日間、作品をつくったり、何人かが寝泊りした。
 本人の希望で、ディレクター自らモデルになり、全裸の坐像を型取り(すっごいナイスバディ)。私は彼女らの通訳と制作の助手と、食事づくりをした。大人5~10人分くらいのご飯を作ることはザラだったけど、その頃の私は料理熱が高かった。
 今の家族には申し訳ないけど、東京での豪邸のお手伝いさん時代と、島根での美術作家助手時代の方が、明らかに凝った料理をつくっていた。
 徹夜も当たり前で、今思うと、なぜあんなに動き回れたのか不思議でならない。
 それが若さなのかな。
 オーストラリア人のケイトと、なぜだか映画『トレイン・スポッティング』の話になり、「私CD持ってるよ」とパカッと開けたら空だった瞬間や(今も『パルプ・フィクション』のサントラとともに、なくなったことが悔やまれる)、アメリカ人の、名前を忘れた大きな男の人が見物にやってきて、その彼も本堂に泊まることになった夜、ケイトが彼と布団を隣り合わせていて、どうするつもりか気になって仕方なかったことや、ケイトのお姉さんのリズ(LIZ・・・ケンブリッジを卒業していた)が「日本人の『リズ』の発音がおもしろい」と言っていたことや、ケイトがきのこ類を食べられず、丁寧によけていた時の眉間の皺など、昨日のことのように思い出す(ちなみに、その番組は無事放送され、私も映った)。日本でも、当時は、『ニュース23』とかNHKBSの深夜番組とかで特集されました。
 その頃、借り物のパソコンで執念深く書き続けていた処女小説が、のちに群像新人文学賞で最終に残ったわけです。

 なんとまあ、壊れた時間を過ごしていたのだろうと思うけど、過去の自分は、確実に今の自分につながっている。

 こんなことをふと書きたくなったのも、数年間音信不通だった美術作家と、再びネットでつながったから。
 その人は今、オースト「リ」アで展覧会をしています。

 この10年、お互い色々あったけど、お互い表現活動を続けていて、良かったと思う。
 小説に取り組んでいると、知らず知らず秩序を求められるような気がしてしまい、それらをぶち壊して、自由になりたいのだと思う。自己満足的に映る抽象表現はキライだけど、アートはやっぱり自由だから。自由に爆発させつつ、ちゃんと着地できる小説を書く手腕がまだなくて情けない。そんなわけで、ここでトリップさせていただいてます。

             

                  


     

              


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