夫婦

2010.10.07

 有機化学

 夫の大学・大学院時代の専門は有機化学だった。

 今は会社の研究所で別の仕事をしているけれど、化学的なアプローチが役立つ時もあるらしい(仕事の話は滅多にしないけど)。

 朝、5時に起きて6時台に出発する彼が、出かける前に朝刊を読むことはない。

 ところが今朝、私が起きていったら(私は5時に夫に朝食を用意した後二度寝する)、テーブルの上に朝刊が置いてあった。

 一面の記事は、ノーベル化学賞。

 ああ、彼はこれに興味があったんだな、と思ったら、少し泣けそうになった。

 夢と生活の両立はなかなか難しく、夫は仕事についてはっきりと「金のため」と言っている。やりたい研究ができるわけではない。

 もちろんノーベル賞を狙えるほどの人物ではないことは本人も私もわかっているけど、本当に今もやりたいのは、化学なんだろうなあと思う。しかし彼は若き日々に、研究に研究を重ねる毎日は、自分には向いてない、と思ったのも確か。そのくらい、ノーベル賞を狙えるくらいの人というのは変人的に研究熱心だと思う。

 理数系がてんでダメな私は、夫と出会った時、理系の人、というだけですごいな、と思った。

 それまで圧倒的に自分と同じ文科系というよりは表現系・創作系の人が好きで、でもその人たちはことごとくケッコンに向かなかった。

 繁殖期に当たり、自分とはだいぶ違う遺伝子にも興味があったと思う。

 違いに惹かれたのに、今は違いがうっとうしいけどまあ、以下(過去に書いたことと)同文・・・。

 それにしても、夫は典型的なマイホームパパで、私より母性が強いんじゃないか、と思う時がある。

 子供が小さい頃は子供たちは圧倒的に「お母さん大好き」だったけど、今子供たちは「オヤジ大好き」。

 おととい、風邪気味の次男が夫の胸に抱かれていた時、「そりゃ、私よりふわふわのオヤジの胸の方が気持ちいいだろうなあ」と思った(言った)。

 授乳期を過ぎて再びペッタンコの私の胸より、でぶな夫の胸の方が大きいです。

 夫はそのおっぱいから、乳が出てきそうな勢いくらい子供を愛しているし、授乳できる私に嫉妬してたかも、と思いました。

 さて、一昨日の朝刊(『諏訪哲史の偏愛蔵書室』)に出ていたレイモンド・カーヴァー(村上春樹訳)の『愛について語る時に我々の語ること』を図書館で借りてきた。

 村上春樹の他の翻訳作品を見て、想像以上に多いなあと思い、自身の小説が世界中で翻訳されてることに加え、訳者としての仕事的にも評価が高いんじゃないか、と思った。

 ハルキ氏、文学賞、どうなるでしょう!?

   

 

               

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2010.04.13

 ワッフル

         
 前回の件について・・・

 夜中に激論し、夫の熱意とはいえ子供への風当たりが強まることを恐れ、昨日は夫の帰りが気が重かったんだけど、結局は、機嫌良さそうに帰ってきた。

 子供たちは子供たちで、夫のことが好きなので(私にとっての彼と、子供たちにとっての彼は大きく違い)、なんの抵抗もなく近寄り、楽しそうにグローブや野球の話題で盛り上がっている。

 夫も、よくわからんが悪かったと思った様子で、子供たちに駅でワッフルを買ってきてお詫び。


 なんなんだ、いったい。


 時々買ってくるお詫びの意を込めた手土産。いったい何度目だろう。


 多くの奥様方がうなずいていらっしゃるかと思うけど(まったくそんな経験のない方には謎だろうけど)、結局は夫の機嫌の波に左右されることが、本当に悔しい。

 思えば一昨日は酒が入っていて、そのせいで、夫は「くどく」なっており、私はそういう時だからこそ不毛になる話を切り上げたかったのに、まじめにつき合って本当にバカらしい。
 風邪気味だったのに、体調が悪化したではないか。

 テッテー的に威圧的かと思えば、テッテー的に楽しげだったり、相手するというよりは、子供との間に立つ私は疲れる。


 男って結局はさみしいんだろうなあと思う。
 私は子供と長くいられるし(それは夫のおかげでもあり)、腹の中から結ばれていた信頼関係は確固たるものだけど、男は遅く帰ってきて子供と寝ようとしても「お母さんがいい」と言われる始末だもんな。


 と、やさしく見守ろうとは思いつつ、本当にむかつくし、夫婦の間の心理関係っていったいなんだろう?といつも思う。
 いいと思いたいってのと、どうにも嫌だの繰り返し。
 夫は子煩悩ではあるし(その熱意が時々うっとうしいのだけど)、私以上に母性を持ってると感じるところもあるし(熱の子供を一晩中看病したり)、料理も上手だし(一昨日だって、夫作の酢豚やら菜の花のソテーやら刺身を楽しんだ後のことで)、いいお父さんだとは思う。だけどやっぱりバランスが悪いというか厄介な面があるのも事実。

 簡単に切れないってのがまた本当に面倒で、監獄だとか修行だとか思ってしまう時がある。

 私だって10年前は結婚は最大の夢で、この人なら大丈夫!と確信して結婚したんだけどね。
 あー、あの時の夫は、何をしても許してくれるほど甘かった。
 ああ、それなのに・・・


 そうは言っても目の前の子供は、いつだって圧倒的に素晴らしく(勉強のできとか親ばかとかそういうレベルではなく、子という存在の迷いのなさについて)、夫と私の子であるのに、独立した凛とした存在に見えるから不思議。
 
 
         
 今週は、家庭訪問週間で、小学生の帰りが早い。
 来週ようやく、少しは白い日が待っている。

     

       

                    

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2010.01.07

 複素6次元

           
 前回分を書いた夜の、夫との対話。

 自分の嘆きについて、小説調に書いたもの(短文)を夫に読み上げた。
 それに対し夫は紙に、「実数」と「虚数」について書きながら持論を展開した。

 我が夫婦の会話の8割はケンカだけど、話の最後に、結婚前にも聞かせてもらったことのある数学者の言葉にたどり着き、私は泣いてしまった。

 理系の夫による、私の想像の及ばないアプローチの仕方から導き出される見解には、新しい発見がある。
 昨日まで「絶対離婚してやる」と思っていたのに、「うーむ、だから結婚したんだよなあ」と思い直す。

 自分とはまったく違う方法で、同じ結論に到達すると、
 複雑な数式が華麗に解かれるような感動がある(数学、大っ嫌いだけど・・・)。

 子供はすべからく他人との子。
 そこに、子供を産み育てる醍醐味もあるんだろうなあ。

 夫婦の対話について、もっとリアルに書こうかと思ったけど、小説のネタとして盛り込めそうなので控えます(笑)。


     只今、
     なかなか手に入らない
     新鮮なネタが豊富にあり、
     それを料理する
     板前の腕にかかっているのですが、
     この板前(←わしのこと)、なにぶん技量不足で、
     おまけに療養中ときて、
     なかなか思うようには進まないのですが、
     実数大切に、
     虚数もがんばりたいと思います☆


  
 複素6次元は球面だとかなんとか、、、いやはや、どーでもいいのだが、数学者の方からすれば、私の文学もどーでもいいんだろうな(そう考えると『博士の愛した数式』ってすごいこころみだ)。
 どんな分野でも、向かう過程や到達点には共通するものがあるんだろうね。


         


          


           

           

          


  
                    
        

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2009.11.17

 ブレない男

 病気やその後のもろもろを境に、夫と話をする時間が増えた。

 ある夜、話題は仏教に及んだ。

 我が家は、双方の実家が曹洞宗ということもあり、曹洞宗を継承していくのだろうけど、たまたま夫が数年前に買った、『永平寺の心と精進料理』というカラーの本の話になった。

 Photo         

 本より・・・

<永平寺の開祖である道元禅師様は、とくに調理を重視されました。それは「食」が人間生活には欠かすことのできない大切な行為だからなのでしょう。>

<道元禅師様は、「食を作り、お供えし、そしていただく」という行為がいかに大切な修行であるかを懇切ていねいにお説きになられました。>

 等々、<日々の暮らしのなかで真の仏法を実践する>大切さが、おいしそうな精進料理の作り方とともに書かれた素敵な本なんです。

 夫は土日に料理をするんだけど、それは単なる趣味かと思っていたら、「修行という気持ちもある」とのこと。

 上記の本も、彼が数多く持っている料理本のひとつかと思っていたら、想像以上に深い内容だった。

 私も、もともと料理は好きだったけど、今、前よりひとつひとつを大切に作り(ゆっくり休み休みでないとできないこともあり)、ひとつひとつ大切にいただくと、素材そのものの味や美味しさを深く感じる。*私は今、そうせざるを得ない状態であったり、ゆっくりできる環境をありがたいと思ってるけど、忙しく働かざるを得ない方はそれそのものが修行だろうから、バタバタのお料理を苦にすることはないと思います。

 たまたまの曹洞宗について、深く考えたことはなかったけれど、今、神道やら仏教やら、昔からの教えを改めて学び直している(というほど根詰めてではなく、のんびり・・・)。

 夫は、

 「いいことは喜び過ぎちゃいかん。悪いことは気にとめ過ぎちゃいかん」

 と言った。

 一喜一憂しがちな私にとっては、確かにその通りだと思った(本当に夫とは色んなことが真逆だったりする)。

 その後、彼は付け加えた。

 「それはオレの在り方であって、キミや子供たちは何ら萎縮することなく、大いに笑ったり泣いたりして過ごせばいい」

 オレのあり方とは、一家の大黒柱である彼の自覚らしい。

 「色んなことに惑わされていたら家が傾ぐ」とも・・・。

 ふだんどうにも許せない部分もあり(たたかうべきはたたかい)、私はよほど彼に萎縮して過ごしてきたのだが、深い話になると、確かに共感し、尊敬するところがある。 

 迷いなく夫婦になったものの、継続することは迷いの連続で、今となってはなぜ夫婦になったのかわからない。でも、揺れまくりの私や、そんな私の子供にとっては、ちょうどいいのかもしれない、とはよく思う。

  

☆☆☆   

 
 弱ってる時は、ついつい響く言葉をストックしちゃいますが・・・
 14日付 中日新聞 『伝えてゆきたいこと』 梶田真章(法然院貫主)より一部抜粋。*ちなみに法然院は京都・浄土宗。
      
<ブッダの教えは「苦からの解放」を説くものだが、人生を苦と感じていない人には、ブッダの言葉といえども響かない。仏教は「苦の自覚」を持たない人には意味がない。
ブッダにとって一番大切なのは、内なる心が常に安らいでいることであり、自身の見解を相手に分からせることにこだわらず、自分と他人を比較せず、因縁によってわが身がどのような状況に置かれようと、これがかけがえのない自分の人生なのだ、と自信を持ち続ければ楽に生きてゆけることをブッダは教えて下さったのである。>
   
       

☆☆☆

 

 1年前から時々拝見している、ご夫婦の共作ブログ。

 今日見たら、青いお花がとてもきれいだったのでご紹介。

 http://sesenta.exblog.jp/10461982/

 私は青いお花が大好き。ブルーローズの開発とかなんとか(不可能を可能にするとか)してるけど、無理な色を作らなくても、もともとある露草など、自然界のあおいお花で十分だと思う。         

      

                      

                     

 

          

               

      

                       

                     

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2009.08.21

312 茶道

 当ブログ、迷いつつもシャッターをおろせない時は、上塗りしておく(笑)。

 茶道、私はやらないが(母は着物をくいくいっと着て、ちゃちゃっとお点前する)、茶道を習っている友達がかつて発した印象的な言葉。

 「三十路過ぎると、和にはまるんだよね~。

 これだけふだん自由に過ごしてると、茶道みたいに制約のある世界が、かえって心地いいよ」

 そんな彼女も今や一児の母。

 本日、遅く帰ってきた夫にご飯のおかわりを頼まれ、「はい」と茶碗を受けとり、そそくさとジャーに向かいながら、むむむ、これが私にとっての茶道ではないか?と思ってしまった。

 自分でご飯をよそう父親を持った別の友達は、新婚当初、夫が「ごはん」と茶碗を差し出した時、「え?私が?」と思ったらしい。

 まあ、あれだ、よく言われるけど、やっぱり結婚とは修行なんだ。

 自由気ままに過ごしていたアバズレの私が、結婚とか育児で型にはめられざるを得ず、そこんとこが時に苦しかったりするんだろうな。でも、その苦しさは、大きな視点でとらえると、やーなものではないのも事実。

 6年前、最初の出版時、編集者さんに向かい、「夫婦ゲンカをして、いつ戻るかわからない状態で実家に行きます」というようなメールを送らざるを得なかった時、その編集者さん(山田詠美さんを発掘した時代の元『文藝』編集長さん)は、「結婚は修行ですから。当方もいまだに修行の身です」という返事をくれた。

 今はそこまでの大喧嘩はなくなったけど、結婚とは修行だとつくづく思うよ。

 話は変わり、

 先月知った、小島聖さんのブログ。

 小島さんは、出てきた頃の、電波子ちゃんに似てると思ってしまった頃から好き。やわらかい笑顔と突出した感性・・・。『完全なる飼育』は、当時かなり衝撃的でした。

 彼女がお料理好きと知って、ますますファンになった。このブログの最後の方、小麦とお米の描写が好き。マクロビで教わる言い方なのかもしれないけど、なるほどと思いました。

 ☆ http://blog.honeyee.com/hkojima/archives/2009/07/26/post-20.html

 ブルーベリータルトもたまらんです!(ここで紹介したいと思った頃から時間が経ってしまい、先月分のブログです)

 ★ http://blog.honeyee.com/hkojima/archives/2009/07/24/post-15.html

 

         

            

               

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2009.06.06

273 強烈な努力

         
 土曜の午前、NHKのアーカイブスで、先月83歳で亡くなった藤沢秀行さんの追悼番組を見た(アイロンをかけながら・・・。土日はいつも夫のYシャツにアイロンをかけるのでその間に見る番組か聴く音楽を探す。というわけで偶然キャッチできた番組だったけど、前もって知っていたら、ぜひともみなさまにもお知らせしたかった・・・)。

 『かあちゃんは好敵手 棋士・藤沢秀行と妻モト』 (「人間ドキュメント」より)

 これは、2005年に放送されたもので、かつて一緒に仕事をしたことがある杉山さんがカメラマンを務めていたので、その時も見て、とても感動した。
 番組はその後、テレビ界の賞をもらい、映画館でも上映された。
 あらためて見ても、藤沢さんの勝負師としての顔、弟子への愛、夫婦の暮らしぶり(緑や花やおいしそうな食べ物)や一筋縄ではいかない深い深い夫婦愛を感じられる素晴らしい番組だった。

 NHKに出ていた番組紹介によると・・・

 <棋士・藤沢秀行、79歳。自由奔放な棋風で無類の強さを誇ったが、一方で、酒とギャンブルにのめり込み「最後の無頼派」と呼ばれた。「碁は芸である」という藤沢は、現役を引退した今も弟子たちと修行に励む毎日。そんな彼の波乱の人生を支えてきたのが妻のモト(75歳)。借金取りと渡り合い、裁縫や華道教室で家計を支え、子どもたちを育て上げた。無頼の天才と呼ばれた男と、彼と共に歩んできた女の生きざまを見つめる。>

 台所や割烹着がよく似合うという感じのモトさんは、骨太で、「おっかさん」という雰囲気。
 よく思うことだけど、トガった男性はトガった女性を妻にしているかと思いきや、思いのほか温かい、奥さんというよりは「お母さん」という言葉が似合う女性をしっかりとつかまえている。
 猛獣が人間界で生き抜く術として、しっかり者の伴侶を選んでいるように感じる。それも含めて生命力の強さと言うべきか。

 印象的だった言葉の数々・・・

 モトさん:「お花の教室をさあ始めようって時に家に戻ってきちゃったんだもの。あの時は落ち込んだわ」
       「80近くなってようやく落ち着いてきたぐらいよ。若い時は本当にひどかったからね。猛獣よ。人間だなんて思うとくやしいじゃない。猛獣かライオンよ」
       「あの家はガラスが多かったわよね。帰ってきて玄関から部屋のガラスを全部割って勝手口から出て行ったんだもの。自分は靴履いてるからいいけど」

 秀行さんが、息子(モトさんとの子ではない)の電話番号を探していた時・・・
    モト:「誰が誰だか」
   秀行:「そう、子供も多すぎると誰が誰だか、、、女房も・・」
二人一緒に:「誰が誰だか(笑)」

 秀行さんは胃がんの手術をした後、彼女を家に連れてくるようになったそう。「彼女がみてくれている間に私は買い物に出たりできるので、分担すればいいのだと思いました」

 D:「どうしてそんなにお酒を飲むんですか?」
 秀行:「神経が耐えられないんだろうね。戦うってのは並大抵のことじゃないから」
 D:「碁ですか?」
 秀行:「碁でも何でも。あなた方のお仕事も」

 酔った車内で・・・

 秀行:「人生が煙のように去ってゆく」
 D:「秀行さんの夢って何ですか?」
 秀行:「もう少し、マシになりたいっていうこと」

 モトさんの話に及ぶと、、
 秀行:「なんだよ、あのクソババア」
 しんみりと、
 「藤沢秀行にまるっきり惚れられた女じゃないですか」

       
****

 その後の取材にて・・・

 さいごの病床で、書にしたためた言葉は、
 <強烈な努力>
 碁の後輩や若手たちのことをさいごまで心配していた。
 ある新聞によると、この言葉は碁の世界ばかりではなく、日本人に向けての遺言ではなかろうか、とのこと。

 秀行さんは、まさに超人という風情だった。
 やせ細った老後の姿しか知らないけれど、パワーや愛がハンパではないと思った。
 そして生命力。
 妻との間のみならず、外にも子をのこした(まさに動物のオスっぽい:笑)。
 天才が芸を追及するのみならず、しっかり子をのこしている姿を、痛快に思う。
 豪快で乱暴で、でも、みんなに好かれたのは、秀行さんが愛の人だからだと思った。愛やパワーが並外れて大きい人は、一人の相手におさまらなくても当然という気がした。バケツリレーも思い出す。彼(彼女)が愛をふりまくばかりではなく、彼(彼女)の愛を受けとめる側もその負担を分担すればいいのだ。

 意識をなくした後も、亡くなる直前まで、碁の後輩には言葉を発したそう。
 肉体の衰えに勝る魂の強さを感じた。

 先月、中日新聞に出ていた追悼記事(過去のインタビュー)より・・・
 「飲む打つ買うの酔いどれ棋士と見ている人がいるかもしれないが、僕は自然児のような生き方が好き。独創的な芸なんてものは、そんなところに息づいているものだよ」


****

 秀行さん亡き後のインタビューでモトさんが言っていた。
 「好き放題やれて、幸せな人生だったと思いますよ」
 モトさんの笑顔に、仏様を見るような思いがして、テレビ画面に向かい、思わず合掌してしまった(笑)。

  
 人生は修行ですね。
 秀行さんやモトさんのように、すべてを受け入れ、あきらめ、達観した愛に満ち、神仏に近い顔を得て、眠りにつきたいものです。


       

☆上記の番組は、『無頼の遺言 棋士・藤沢秀行と妻モト 』としてDVDが出ています。硬派なドキュメンタリーというよりは、なぜだか尾を引く魅力的な作品です(カメラマンの杉山さんの温かい目も感じる)。
☆今見て、アマゾンの順位が跳ね上がっていて驚いたけど、新潮新書から、藤沢秀行 『野垂れ死に』、角川から、藤沢モト 『勝負師の妻―囲碁棋士・藤沢秀行との五十年』も出ています。
 いずれも、秀行さんの死後、便乗したように出されたものではなく、生前のものです(今読むべき本がたまっているのですが、そのうち読みたいと思います)。
 昨年このブログに書いた『ゲゲゲの女房』もNHKの朝の連ドラになるし、激動を生きた夫婦像というのが、現代人に求められているのかもしれませんね。


               
        
          


         


                     

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2008.11.04

173 続婚


 久々に夫と大ゲンカした。
 うちの夫婦にとって、10、11月、そして3連休はやはり鬼門。

 お互い子供に対する善意から始まっているのに、
 善意と善意の方向性が違っていて、
 「そんなことも分からんのか」というのが心の中にあり、
 表に出てきた態度や言葉が悪意に満ちたものになってしまった(しかし毎度のことながら、ふっかけてくるのは無意識のうちの夫で、また夫の言葉や態度は誰でも怒ると思う)。
 家族とはいえ他人である、という前提を、私には叩き込まれた過去があるが(いい意味で)、彼には早くその辺の葛藤から抜け出して欲しい。
 心を広く持ちたいけれど、心を広く持とうとしない相手といると、苦しいし情けない。
 コミュニケーションって難しい。

 自宅に戻り車を降り、夫にカード(ケンカの場所となった店のスタンプカード)を求めたら、夫がぞんざいに投げた。
 地面に落ちたカードを見て私が憤慨。
 夫の足を踏んだ。
 夫が怒り出す。
 夫から逃げようと私は走り出した。
 ところが、足がもつれ、道路で派手にすっ転んでしまった。
 ドテーッと・・・
 口の中が切れた。
 歯が折れてないか確認した。
 大丈夫。
 
 あらためて実感したが、
 大人が転ぶと、ダメージが大きい。
 両手・両足に大きな擦り傷。
 特にひじが真っ赤っ赤。
 車のサイドミラーで顔を確認。
    (今週の金曜、大切な約束があるのです)
 顔はさほど傷ついておらず、
 よかった~と思うのと同じくらいの分量で
 「痣でもできたほうがおもしろかったかも」
 と思っている自分がいた。
 ほんと、あたしって、サイテー。。。

 その後、お互い冷静さを装って話し合い。 
 以前は、そのまま子供を連れて飛び出したが、
 私もしぶとくなりました。

 こういうケンカを子供の前で抑えられない私たちはいけないと思うけれど、
 (近所の品行方正な奥様が、ベランダで洗濯物をしまっていたのが見えた、ので、すべて見られていたかもしれない)
 家族には家族にしか分からない事情があると思う。
 ダンナさんの親と同居している友達に
 「思いっきり夫婦ゲンカができていいね」と言われたことがある。
 しかし、歯止めが利かないというのは恐ろしいことだ。
 彼女の本当の辛さが分からないように、私の本当の辛さも彼女には分からないだろう。

 立ち上がり、最初に思ったのは2点。
 ①歯が折れなくて良かった。
 ②こんな程度で転ぶなんて(元陸上部員として)情けない(運動会で張り切って大怪我をするお父さんに通じる)。やはりジョギングを始めようか。

 この3連休、けっこう平和だったんです。
 夫は息子たちを連れ、ザリガニ釣りや公園や競輪場に出かけたりして、彼は子煩悩ではあるのだなあ、ありがたいなあと思っていたし、今家には、20匹のザリガニと10匹のめだか、2匹のおたまじゃくしがいます。

 全部で7つほどの傷は、どれも驚くほど赤く、鮮やかな薔薇のよう。
 以前だったらもっと、小難しく考え、涙もしたけれど、
 取っ組み合いに近いケンカをして思ったのは、
 ケンカできるってことは、心も身体も元気なんだよなあということ(健康かどうかはちょっと別として)。
 エネルギーがなければ、感情を爆発させたり、猛ダッシュで駆け出したり、なんてできないわけで・・・。
 幼い子供のように、ケンカして走って逃げて激しく転んで・・・こんなこと35歳(2児の母)になっても繰り広げている私は、とんでもない大バカで、しかし、幸せかもしれないと思ってしまった。手足が動く。心が躍動する。というのは、ありがたいことだと思う。

 息子たちにはちゃんと説明した。
 「お父さんとお母さんは、二人とも家族にとって、いいことを考えていたんだけど、その考え方が違って、表に出てきた言葉が悪かったから、ケンカになったんだよ。ケンカしてごめんね」
 二人とも、すでにたくましいので、納得していた。
 
 夜、息子たちに聞いてみた。
 「お母さんが転んだところ、見た?」
 (長男)「見た!超おもしろかった!」
 「どうして?」
 「だって、大人なのに、あんな転び方するなんて。それに、この程度のケガでオヤジを『もう許さん』なんてダメ、甘い!」
 「えっ?それじゃ、どのくらいならいいの?」
 「包帯とかギブスとか歯が折れるとか(ニヤリ)」
 さすが、この夏足を切って縫われた経験者である。春に次男は骨折でギブスになったし(あごを救急で縫った経験もあるし・・・)。我が子がこの二人で良かったと思いました。
 しかし、夫婦ゲンカで包帯とかギブスとか歯が折れたら、、、それはもう事件ですから!!

 「それに、お母さんが自分で転んだんだから、お母さんが悪いと思うよ」
 その通りです。
 傷口をツンツンしてくる意地悪な長男に対し、次男は「大丈夫?」ととてもやさしかった(日常の逆)。

 思った以上に傷は痛いです。
 でも・・・
 歯が折れなくてホント良かった。飛び出した道で車に轢かれなくて良かった。
 小学生並みのケンカとケガを、いまだ繰り広げている情けない母です。


 私はいつか、色川武大の『離婚』の女版を書きたいと思う。パロディーっぽく、ですます調で(主役はダラシナイ女。町田康の『夫婦茶碗』も『人間の屑』も改めて読んでみよう。異端やアウトローや堕落は何も男性だけのものじゃない。バカ正直に生きようとすると、世の中の仕組みから弾かれるってことで。『臨死!!江古田ちゃん』にもそんなにおいを感じるわけで・・・)。人生最大のナゾ「結婚」を語るにはまだ何十年も早いけど、いつの日かのために、ネタを集め、記録しておくぞ。


             


              


       

                    

                


         

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2008.01.17

40 夫婦ゲンカ・図・芥川賞

Img001_3 

 これは、13日に行った夫婦ゲンカにて私が夫に示した図。

 ブログにわざわざ書きたくて、14日に実家に行った時に弟にスキャンしてもらって送ってもらった。

 伝えたかったのは 「どんなに素晴らしい気持ちや思いやりを持っていたとしても、周囲の人にとっては、表に出た態度や言葉がすべてになってしまう」 ということ。

 5年くらい前、夫が私の実家の家族の前で不機嫌をさらしたことがあり、ケンカのなかで、ふとその話になった。すると、夫としては「自分の思いやりが通じなかったから」悪い態度になったらしく、その「思いやり」部分については、5年間全く分からなかった。

 夫もかわいそうな人間ではあるけど、コミュニケーション能力が低いところがあり、せっかくの彼なりの思いが伝わらず、彼も周囲も迷惑する。なので、図を描いて説明したら、彼も私も、なんとなく、夫婦としての今後のあり方が見えた気がした。

 ただ、それだけです。

 水面下の思いと、表に出ている態度や言動に開きがあってもなくても、周囲は表に出ている態度や言動でその人の気持ちを判断してしまう。

 伝えすぎも良くないけれど、伝えた方が人間関係がまるくなることも多い。

 自分の思いをしゃべる、ということに関しては、女性の方が上手だと思う。夫は男兄弟で育ち、男の多い大学で学び、男の多い職場にいるので、平均的な人より、思いを伝えることが苦手なのかもしれない。

 面倒くさいけど、この図を思い出して、がんばってみるか。

 なんとこのケンカでは、夫が泣き、私も泣いた(ああ、泣いたさ! ええ、泣きましたとも!!)。そんで、その一部始終を子供は見ていた。子供も強くなったもので、最後には「オヤジとお母さん、仲直りするなら、握手しなきゃ」と諭された。

 子供の前でのケンカはなるべく控えているけれど、私たちは、これはこれで精一杯の、できそこないの夫婦なので、この親のもとで、育っていってもらうしかない。

 10歳の時に両親が離婚したという知人は言った。

 「ある日突然『お父さんのところに来るか、お母さんのところに来るか』なんて言われるより、ケンカを見せてくれた方がいい」

 昔々の日本女性は、自分の思いを抑え、夫に従っていたかもしれないけれど、私は違う。勝手な想像だけど、欧米の女性が強いのは、家庭のなかで、お母さんがお父さんとしっかり意見を戦わせる姿を子供たちも見て育つから、強い(というより、ふつうの)女性を受け入れられる社会が自然に育つのかな?などと思った。

 なかなか難しい問題だ。

                     ☆

 話は変わり・・・

 ちょこちょこ書かせてもらったけど、川上未映子さんが、予想通り芥川賞を受賞して、めっちゃうれしい!(直木賞の桜庭さんも、大方の予想通りではあるけれど、主催の文藝春秋社ものが重なると、やや萎えますが・・・)

 もの書きの端くれとしては嫉妬すべきだろうけれど、昨日今日と、インタビューに答える彼女を見て、「すごくまともな人だ!」と思い、好感を持った。作品の雰囲気から、近寄りがたい、トガった美女を想像していたけど、周囲へのやさしさや気配りが感じられ、「めっちゃかわいい!」とファンになってしまった。私、意志の強そうな目を持つ女性、大好きなんです。あと、パッツン前髪やおかっぱ頭も昔から異様に好きでして・・・。

 受賞作『乳と卵』はまだ読んでいないけれど、これまでの、川上さんの作品を読んだ限りでは、もう独特。ほんと独特。川上さんの文章は、川上さんにしか書けない凄みがある。例えば、山田詠美さんも、川上弘美さんも、小川洋子さんも、天才!と思う作品があるけれど、ほかの人にも書けるのでは、と、思えるところもないではない。でも、川上未映子さんの文章は、川上未映子以外、誰にも書けない、生み出せない天性の才能と気迫に満ちている。この人イカれてるのか壊れてるのか、いったいどうしてこんな文章書けるのだろう?という衝撃で言えば、例えば村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』とか『コインロッカー・ベイビーズ』辺りを思い出す。評論家の誰かが、当時の龍作品について「脳天にコカインを突き刺したまま書いたような小説」と評していたけれど、そういう、凡人では計り知れない能力を、久々に川上未映子さんは、感じさせてくれる。危うさ、エロさは、私の好きな鈴木いづみさんにも通じる。語りや節のリズム感は町田康さんと重ねて評する人も多いけれど、なんというか、未映子さんは、もっともっと生々しい。女ってもののおどろおどろしさ、生きることの不思議や困難を感じさせてくれながら、どこか可笑しくて、お茶目で、読んでいると吹き出してしまう。

 『乳と卵』の評論を読む限り、登場人物の「巻子」と「緑子」という名前の設定からして天才って思ってしまう。これは単に私のツボにはまるってことかもしれないけど。

 冒頭の、ケンカネタと絡めて、未映子さんのブログに書かれていた、未映子さんのご両親の夫婦ゲンカのお話。

 激しいケンカを子供に見せても、子供が将来、芥川賞作家になるならいいか~とは決して思わないけれど(平和がいちばんです!)、夫婦も、子供も、人生も、なるようにしかならないのだ(アクセス集中して、つながりにくかったらすみません)。

  http://www.mieko.jp/blog/2006/06/post_7d79.html

 

 

          

         

            

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