生と死

2010.01.30

 化粧と演出

  

 初めてお会いしたその人は、お花に囲まれ、安らかなお顔をしていた。

 享年93歳。

 きれいにお化粧が施され、ほんわかとしたおしろい、グロスで控えめに光るピンクのくちびる、見えなかったけれど、白無垢姿の手の先には、ラメ入りのマニキュアもしてあったそう。

 「おくりびと」で話題になった納棺師のお仕事。
 おばあさんが亡くなる数日前、ちょうど新聞に出ていた方が担当してくださった。

 ちなみにこの方・・・

 http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100119/CK2010011902000028.html

 おばあさんは、派手なこと、華やかなことが好きだったそう。ミュール姿ではしゃぐ姿も想像できる。死化粧は本当に素晴らしかった。

         

 ダンナさんを戦争で失った後、4人の子供を育て、子供たちが巣立った後、60過ぎで海外に渡ったとのこと。

 今から30年前に女が一人で海外に行こうとしたら、相当たいへんだったと思う。

 今の時代でさえ、自分のやりたいことと家庭との両立はなかなか難しいのだから、亡くなったおばあさんは、異端の人だったと思う。

 家族・親族にとっては「とんでもない!」ということも、個として見れば魅力に映る。

 生前にお会いしてみたかったなーとほんの少しだけ思った。

 昔の女性が抱えていた苦労と思えば、今なんて本当にたいしたことない。

 とはいえ、自立とワガママを履き違えちゃいけない。

 戦争の傷を差し引いても、とんでもない母のために、確かに歪みは生じてしまったのだから。

 それらをゆるし、飲み込んでいくためには長い時間を要する。

 私たちの代のもがきは、次の代、その次の代まで伝播してしまう。

 たまたまそばで流れを見せてもらったので(夫の屈折ぶりも含め:笑)、戒めにしたいと思う。

 親戚が集まる場は好きで、色んな方々とお話しするのが楽しいんだけど、おもしろいことに、私の親戚の場で息子たちは私に似てると言われ、夫の親戚の場では、夫に似ていると言われる(よくあることだろうけど)。

 夫の母方の親戚に共通する顔のラインをしみじみと眺めた。

 特徴的なものって遺伝しやすいよね。

 そこんとこは、私という遺伝子が入り、今のところ修正されているように思われる。

 お葬式の参列者で、私と血がつながる人は子供たちしかいないのに、子供たちにとっては、血がつながる人がたくさんいた。

 結婚ってやっぱり不思議。

 

*****

 お葬式後、いったん家に帰り、上記を書いた。

 火葬場は(まだ体力がないため)失礼させていただき、その後のお経とお食事(精進落とし)に参加。

 たまたま隣り合わせたおばあさんの妹さん(90歳)とも、死化粧の話で盛り上がった。「私も今からお願いしておきたいわ~」と・・・(女心)。今までに見たという大口開けてるご遺体について、「吸い込まれそうだった」「あれは家族がいけない」「まだやわらかいうちに口はちゃんと閉じておかなくちゃ」「うちのおじいちゃんの死に顔は立派だった」「入れ歯を探したら口の中にあった」などなど、周囲のおばさんも巻き込んで死に顔談義。

  

 夜、夫から聞いたおばあさんの逸話は想像以上に凄まじいものだった。

 破天荒な男並み!

 常々思うのですが、男のアウトローは愛されて、女のアウトローは嫌われるって、いったいどういうことでしょう。

 はらわた煮えくり返るような話を美談としてまとめ上げる葬儀屋さんの手腕にも驚いた。

 演出ってスゲー!!

 お坊さんのお話やら、親戚のおばさんのお話やら、色々と実りの多い一日でした。

                                  

|

2008.12.23

194 白の中の赤

            
 入院中の義父のお見舞いに家族で出かけた。
 病室へ向かう途中、踊り場で日向ぼっこをしていたおじいさんが、息子に飴をくれた。
 「ありがとうございます!!」と大げさに喜んで見せながら、少し悲しかった。
 おじいさんは憶えていないだろうけど、前に来た時も私たちに飴をくれた。
 子供が喜ぶ顔を見たくて、たくさんの飴を配っているおじいさんのやさしさが、うれしくて切なかった。

 久しぶりに会った義父は、以前より痩せていた。
 顔には出さないけれど、夫はショックだったと思う。

 義父よりも隣のベッドのおじいさんが、歯のない顔をくしゃくしゃにしてうれしそうに笑った。
 笑いながら泣いていた。
 形にならない言葉を吐きながら。

 布団にしまわれていた義父の手を取り出してもらい、触った。
 頬はいつも血色がいいのに、その手は冷たかった。
 義父は何か言葉を吐くが、それがなかなか意味をなさない。
 しばらくして、義父がうめいた。
 息子も夫もびっくりしていた。
 私も内心びっくりした。
 でも、頭や身体が思うようにならない老人にはよくあること。
 ひいおばあちゃんが時折発した獣のような叫び声や、
 大学時代入院していた時、同じ部屋の品のいいおばあさんが、夜中になると発していた深いため息やうめき声を思い出した。
 
 入院患者自身や、看病する人の前で、びっくりした表情や、哀れむような表情は絶対に見せてはならない。
 夫は、病んだ老人に慣れていない。
 私の家には、幼い時から呆けて寝たきりのひいばあさんがいた。
 高校の時には、祖母が難病になった。
 入院中、久しぶりに訪ねてきた見舞い客が、痩せて皺だらけになった祖母を見て、泣き出した。
 私はそのおばさんに対し、「おばあちゃんを可哀想な目で見るな。泣くならさっさと帰れ」と思った。
 可哀想なのは、本人も家族も、百も承知のこと。
 不用意な他者の涙によって、自分たちのたいへんな状況をさらに知らされるのは残酷なことだ。

 すぐ泣く私だけれど、闘病中の人の前では、涙をこらえる。
 つとめて(というところがまだふがいないけど)平静に過ごす。
 相手より先に泣くのは、失礼だから。
 相手が泣いた時は一緒に泣くけど・・・。


 白い病室で、髪の毛も顔も白い義父を目の前にして、
 こんな時は、私の中の女や若さを売りにできればいいと思う。
 握った手から、私の温度や色が、少しでも伝わればいい。
 (毎日看てないから言えることだと分かっちゃいるけど)

 義母は毎日、義父を訪ねて世話を焼いている。
 共依存ではないかと揶揄したくなった時もあるが、今は義母のやさしさに素直に頭が下がる。
 隣のおじいさんの家族はそれほど来ないらしく、私たちを見て、楽しいような寂しいような気持ちになったのだと思う。
 下の歯が一本だけ残った口を大きく開けて、楽しそうに、寂しそうに、笑い、泣いていた。
 脳梗塞のそのおじいさんは、目からこぼれた涙を自分で拭くことができない。
 私は、おじいさんの涙を、そーっと拭いた。
 おじいさんは目を閉じ、赤ん坊のように、初めて会った私に身を委ねた。
 
 病室を出てすぐ、夫は消毒液で手を清めた。
 男なんてこんなものだと思う。
 女はやはり、強いと思う。

 子供たちにとっても、老いていく人をみることは、とても大切なことだ。
 生と死は別々のことではなく、生のなかに死があることを、少しでも感じてほしい。

           
 帰り道、途中のスーパーで、明日のケーキ用の材料を買った。
 白い生クリームの上の赤い苺を思い浮かべながら、白い病室で見た義父の、やけに赤かった舌がよみがえる。

 私たちは、生の只中にいる。


               


          

                  

|

2008.08.12

139 LOVE LIVE LIFE

           
 いつまで続くのかと心配した痛みが、
 少しずつ少しずつ消え去り、
 死ぬまで人は生きつづけるのだなあ、
 という
 当たり前のありがたさを、しみじみと感じる。

 83歳で死んだ祖父が80歳くらいの時、
 どこかですりむき、腕にけがをした。
 枯れ枝のように茶色い肌にできたその傷口には、
 少しずつ少しずつ新しい皮膚が生まれ、
 赤い傷はやがてかさぶたとなり、
 何日かして、ふさがった。

 その時、
 この老人の肌は、まだまだ生きようとしているのだな、と
 自然のなせるわざに、感動した。

 死ぬまで人は生きつづける。

 自分の意志よりも、身体は正直に、
 傷口をふさぎ、痛みを癒し、
 前へ進もうとしてくれる。

 生きようとしてくれる自分の身体を発見し、
 ありがたい気持ちでいっぱいになる。

 35歳の壮年期に、何を弱気なことを言っているのだろう、
 と思う人もいるかもしれない。

 でも、
 生きているって、ただそれだけで
 やっぱりすごいこと。

 21歳で入院した時、同じ病室には、白血病の人が二人いた。
 退院後に、そのうちの一人が亡くなったことを知らされた。
 病院にお見舞いに来ていた12歳の娘ちゃんのことが忘れられない。

 24歳で入院した時、同じ病室には子宮ガンの人がいた。
 初潮を迎えるより先に、卵巣を患ってしまった女の子もいた。

 手術を受ける前夜、私は誰もいない病院のホールを走った。
 好きな人に電話をかけるために。
 冬の病院の中を、全力で走りながら、
 「今、私は、生きてる」って思った。
 腹にできた傷の痛みは、なかなか消えなかったけれど、
 その後、無事に、回復した。

 人生、いつ何が起こるか分からない
 という気持ちは、
 20代の頃から、ずっと変わらないけど、

 私には今、6歳と4歳の子供がいて、
 まだまだ生きなくちゃならない、と思う。

 生きていることを当たり前とは
 いつまで経ってもきっと、思えないだろうけど、

 生かしてもらってる間は、
 ただただ、精一杯生きていたい。

  

 以上、夏の腹痛に思ったこと。 毎度大げさな、LOVE LIVE LIFE

  

****

 ブログの更新はしばしお休みします(それよりも、メールや手紙のお返事が出せてない方、すみません。夏休み、色んなことが滞り滞り・・・)。

 このプール、最高です(実家近くの大好きなホテルです。ゆる~い田舎です。観光にいらしてください)。

 http://www.viewhotels.co.jp/irako/summer/index.html

   

          

         

            

       

 

 

          

                                      

|

2008.05.29

106 生きてる生きてる生きてる! 

 前回のつづき・・・

 前回分の、「次の子も同じ相手とつくるなんてつまらないな~」という部分について、「何をアホなことを言ってるんだ!」とお怒りの方もいたかもしれないけれど、速攻で「大共感!!!」というメールもいただきました。女性として妻として母として尊敬しているお方から・・・(ありがと☆)

 ま、色んな考えがあるかと思うけれど、私は今、人間の生命力が弱まってきていると感じるので、細胞や記憶や心の底から湧き上がってくるようなどうしようもない「本能」を大切に受けとめる(感じてみる)ことも必要ではないかなってことが言いたいです。

 引き続き、熟考してみたものの、もちろん答えは出ません。

 人間は動物と違って子供が自立するまでの時間が長くかかり、その間、パートナーと協力することが重要なわけで(経済的にも精神的にも)、もしも、オットセイのように、男が妻を20人も抱え、妻が毎年違う相手の子を産んでいたら、「育児期間」を円満に過ごすことができなくなり、最も大切な子供へも悪い影響を与えてしまう。なぜ円満に過ごせないかと言えば、やはり人間は他の動物と違い、知恵や心や感情が生活に大きく関わってくるからだと思いました。
 男も女も欲望のまま好き放題していたら、家庭は崩壊する。
 私は俺はこんなに仕事を家庭をがんばっているのに、アナタはキミは好き勝手遊んでいてずるい!!
 ってだけで大ゲンカですもんね(我が家は若干、男女の悩みが逆転しております:笑)。
 何も異性関係に限らず、嫉妬という感情はこわいものです。
 道徳や倫理にとらわれている人間のことをちっぽけだと思うこともあるけれど、やはり道徳や倫理があるおかげで(それらを守る能力を持ち得ているおかげで)、人間というのは存続してきたのかなあと思いました。
 過去からの教えは、やはりそれなりの意味を持つのだなあ、と気づき、膝を打つような思いでした(ちなみに、幼稚園に次男を送り、暑い中、運動会を見ようと小学校へ歩いて向かう途中の膝打ち!)。

 とはいえ、姦通罪、貞操帯、女性器切除(女子割礼)、纏足等々、明らかに女性を抑圧するような、男性による歪んだ支配が、この世でまかり通ってきた(通っている)ことも事実で、女が人間としての自由と尊厳を獲得するために、たたかうべき時は断固としてたたかうぞ、と思います。

 内田春菊さんや野口美佳さんみたいに、好きな仕事をして経済力があり、子供が四人いて(違う相手との子供も含み)という女性も確かにいて、そういう方々は、人間としての高度な経済生活と動物としての本能を併せ持っているようで圧倒されてしまう。なんか、スーパーサイヤ人みたいなスゴさだな(ってよく知らないけど:笑)。

  
 毎度、考えることはいっぱいあるし、楽しい。
 出版時にお世話になった方から、「母性と思索は両立できるのですね」と言われたけれど、私の場合、子供を産んでからの方が、感じ考えることがますます増えたし、楽しくなった。独身時代に考えていたことが机上の空論だったとすれば、今は体験や根が伴っているような、ズバリ「実感」がある。

 昨日、市民病院にて、がん検診の結果を聞いたら、大丈夫でした。
 また生き延びさせてもらった。
 大げさなようだけど、次男が生まれてまだ半年だった頃に、簡易検査でクロ(グレー)と言われ、目の前が真っ暗になりながら精密検査を受け、ツーンとした痛みや出血に耐えたことを思うと、何気ない日常や子供の健康がやっぱりありがたい。

 ここには書けないアホな悩みも万年抱えているけど、生きてる生きてる生きてる!って実感しながら過ごしていきたいです。

             

             

|

2007.12.03

20 夏の日の雲のように

     
 年の瀬。
 毎日のように、喪中葉書が届く。

 80歳90歳を超えた祖父母の死を知らせるものもあれば、まだ若い父母の死を知らせるものもある。

 今日届いた葉書。

 夫の友達のお父さん。

 夏に、元気な姿で会ったのに、信じられなかった。

 そのおじさんは、モータースをやっていて、我が家の車は二台とも車検や修理でお世話になってきた。
 夫は高校の頃からのおつき合いで、自分の車を20年近くみてもらっていた。

 いつも、白いつなぎを着て、そこから覗く顔や手は、真っ黒に日焼けしていた。
 背筋がピンと伸び、70過ぎには見えなかった。
 奥さんと連れ立ってやって来て、うちの車を運転し、持っていってくれる。
 車検が終了したらまた、奥さんと二台でやって来て、車に乗って帰っていく。

 車の受け渡しの際に、よく話をした。

 夫婦とも、話好きで、それなら中に入ってお茶でも、、、と思うくらい、長いこと立ち話をした。

 毅然としたお父さんと、よく働くお母さん。

 息子は二人とも、医者になった。

 二人の息子が自分の家庭を持つようになってもなお、父親としての威厳に満ちていた。
 私は時々、夫の愚痴を聞いてもらった。
 おじさんも、おばさんも、包み込むような笑顔で聞いてくれた。
 古き良きニッポンのおやじさんとおふくろさん。
 朝から晩まで働き、強さとやさしさを持ち合わせ、
 親とはこうあるべきだ、という見本のような人たちだった。


 夏に会った時、うちの車のハンドルが太陽の熱で熱くなっていた。
 ハンドルを握ったおじさんが「こりゃ、手がやけどしちゃう」と言った。
 「昔はこんなことなかったのになあ」と、若い時より弱くなった(きっと皮膚が薄くなった)自分の手を嘆いていた。

 あれが最後。

 たまたま実家でもらったメロンを持っていってもらった時だった。

 おじさんの、しゃがれた声がよみがえる。
 あんなに色濃い人が、もう、いない。


 潔い、と思った。

 おじさんの死に、
 真っ青な空の下で映えていた、つなぎの白さを思った。

 ずっと現役でがんばって、去っていく時は、長く病まずにきっぱりと。
 野球の仰木監督を思い出した。

 色んな生き方があり、色んな死に方があるけれど、
 まさに、枯れ木がポキッと折れるように亡くなるひとがいる。

 一概には言えないし、軽率にも言えないことだけど、
 人の死に方には、それまでの人生が表れるような気がしてならない。

      夏の日の 雲のように 潔く

      逝ってしまった あの人想う (涙)

        


                   


           

|