194 白の中の赤
入院中の義父のお見舞いに家族で出かけた。
病室へ向かう途中、踊り場で日向ぼっこをしていたおじいさんが、息子に飴をくれた。
「ありがとうございます!!」と大げさに喜んで見せながら、少し悲しかった。
おじいさんは憶えていないだろうけど、前に来た時も私たちに飴をくれた。
子供が喜ぶ顔を見たくて、たくさんの飴を配っているおじいさんのやさしさが、うれしくて切なかった。
久しぶりに会った義父は、以前より痩せていた。
顔には出さないけれど、夫はショックだったと思う。
義父よりも隣のベッドのおじいさんが、歯のない顔をくしゃくしゃにしてうれしそうに笑った。
笑いながら泣いていた。
形にならない言葉を吐きながら。
布団にしまわれていた義父の手を取り出してもらい、触った。
頬はいつも血色がいいのに、その手は冷たかった。
義父は何か言葉を吐くが、それがなかなか意味をなさない。
しばらくして、義父がうめいた。
息子も夫もびっくりしていた。
私も内心びっくりした。
でも、頭や身体が思うようにならない老人にはよくあること。
ひいおばあちゃんが時折発した獣のような叫び声や、
大学時代入院していた時、同じ部屋の品のいいおばあさんが、夜中になると発していた深いため息やうめき声を思い出した。
入院患者自身や、看病する人の前で、びっくりした表情や、哀れむような表情は絶対に見せてはならない。
夫は、病んだ老人に慣れていない。
私の家には、幼い時から呆けて寝たきりのひいばあさんがいた。
高校の時には、祖母が難病になった。
入院中、久しぶりに訪ねてきた見舞い客が、痩せて皺だらけになった祖母を見て、泣き出した。
私はそのおばさんに対し、「おばあちゃんを可哀想な目で見るな。泣くならさっさと帰れ」と思った。
可哀想なのは、本人も家族も、百も承知のこと。
不用意な他者の涙によって、自分たちのたいへんな状況をさらに知らされるのは残酷なことだ。
すぐ泣く私だけれど、闘病中の人の前では、涙をこらえる。
つとめて(というところがまだふがいないけど)平静に過ごす。
相手より先に泣くのは、失礼だから。
相手が泣いた時は一緒に泣くけど・・・。
白い病室で、髪の毛も顔も白い義父を目の前にして、
こんな時は、私の中の女や若さを売りにできればいいと思う。
握った手から、私の温度や色が、少しでも伝わればいい。
(毎日看てないから言えることだと分かっちゃいるけど)
義母は毎日、義父を訪ねて世話を焼いている。
共依存ではないかと揶揄したくなった時もあるが、今は義母のやさしさに素直に頭が下がる。
隣のおじいさんの家族はそれほど来ないらしく、私たちを見て、楽しいような寂しいような気持ちになったのだと思う。
下の歯が一本だけ残った口を大きく開けて、楽しそうに、寂しそうに、笑い、泣いていた。
脳梗塞のそのおじいさんは、目からこぼれた涙を自分で拭くことができない。
私は、おじいさんの涙を、そーっと拭いた。
おじいさんは目を閉じ、赤ん坊のように、初めて会った私に身を委ねた。
病室を出てすぐ、夫は消毒液で手を清めた。
男なんてこんなものだと思う。
女はやはり、強いと思う。
子供たちにとっても、老いていく人をみることは、とても大切なことだ。
生と死は別々のことではなく、生のなかに死があることを、少しでも感じてほしい。
帰り道、途中のスーパーで、明日のケーキ用の材料を買った。
白い生クリームの上の赤い苺を思い浮かべながら、白い病室で見た義父の、やけに赤かった舌がよみがえる。
私たちは、生の只中にいる。
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