299 日食と遊ぶ
日食というものに人生で出会えるか出会えないか、当日見えるか見えないか、というのは、まったく運や確率の問題で、そういうどうしようもない大きな力のなかで私たちは生きている。
自分や人間を中心にこの世界や宇宙を考えちゃいけない。
天体の大きな流れの中で、たまたま出会えた日食。
愛知県豊橋市にある我が家のベランダにて。
7月22日、午前10時過ぎ。
まるいビスケットを誰かがちょこんとかじったように、上から少しずつ欠け始め、うす曇りの中、時折顔を出す太陽の光の強弱を楽しんだ。
束の間照っている時は日食グラスで。次男いわく「お月様みたい」
雲がかかっている時は、肉眼でその欠け方を見ることができた。
しかし、我が家においては、その10分ほどが観測のピーク。
最大時の11時過ぎは、欠けていく太陽と時を同じくするかのように厚い雲に覆われた。
太陽が最も欠ける時刻を観測のピークと位置づける人は多いけど(私もそうだったけど)、それは太陽が燦燦と輝いている晴れの場合であって、曇りの中では、力を失っていく太陽の姿を探すことは難しい。
ただ、太陽が隠れていくという急速な陰りは、急な夕立の直前や台風の前のようでありながらも、やはりまったく独特のものだったと思う。
太陽と同時に月の存在を強く感じる時間。
目に見える太陽の形ばかりではなく、肌で感じる気温の変化、影の形や濃淡、そんなものからも日食を感じることができる。
うーん、やっぱり貴重な体験だったな。
三日月木漏れ日は残念ながら確認できなかったけど、もろもろ新しいことを知れてよかった(何の準備もしてなかった一週間前、ふと見た太陽の眩しさに「うわっ太陽って見れないもんだなあ(危険です)」って思ったことや「そうか、せっかく日食グラスがあっても当日晴れとは限らないんだ」という当たり前のことから始まり・・・)。
加えて、部分日食と皆既日食というのは大きく違うんだなあと。
部分日食の我が地域においては、大部分欠けたとしても世の中に明るさを残してくれる太陽のパワーはすごいと思った。
中継で見た、中国や屋久島の皆既日食は劇的だった。
太陽がまったく(ってことはないけど)見えなくなるのは、本当にすごい瞬間だ。
太平洋上はぐるり360度夕闇のようだった。
映像を見ると、追いかけたくなる人の気持ちもちょっとわかる(笑)。
太陽って本当にありがたい。
主婦は太陽と日々おつき合いしながら過ごしてるけど(みんなそうだけどとりわけ日常において)、洗濯物やふとんを乾かしてくれる太陽のエネルギーは本当に素晴らしい。
植物も動物も人間も、太陽の恵みがなければ生きていけない。
日食を見て長男が、「おおじいじ(曽祖父)も、天国から見てるかな?」などつぶやいていたので、「おい、夏休みの作文か詩、それにしろ!」と強制しておいた(片づけ仕事です:笑)。
3年後に金環日食、26年後に皆既日食。
特に26年後、私は、家族は、どうしているのかな。
大人になった息子たちが、7歳と5歳の時に見た、ビスケットみたいな太陽をおぼえていてくれたらいいな。
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