333 偶然とご報告。
****以下、10月12~13日にかけて書いた真実(「334」へつづく)****
入院中、親しい人にちょこちょこと電話を入れさせてもらったが、その中の一人、偶然や運や神や仏や世界の不思議に詳しい大好きな学者さんと話した時のこと。
「色んな人の運命や、不思議な人生とか知ってると思うけど、私っておかしな部類ですかね?」
と(控えめに)聞いたら、
「キミは相当おかしなほうだと思うよ!!」
と即答(断言)され、
「今後も平坦だとは思われないよね、ははは」
と笑われた(注:たいへんやさしくておだやかな方です)。
なんかそれ聞いて、すーっとした(笑)。
そうか、やっぱり私は、おかしな部類なんだ。
この、抜け出した感というか安堵感(いいとか悪いとかではなく)は、台風前の父の言葉にも重なる。
「やって来るものはしょーがない!!」
病気も台風も、やって来るものは確かにしょーがないのだ(ビニールハウスが壊れ、両親は予定していた来月のヨーロッパ旅行をキャンセルした・・・とはいえメゲておりません)。
今回の病気、実はとても不思議な偶然だった。
なかなか表立って書けなかったけれど、この際、私の小説の読者さんのために書かせていただく。
昨年一年間、ポプラ社でがんばっていた短編集は、諸事情のため保留となり、その後、1月にこのブログにも書いたけど、気持ちを切り替え、別の出版社(朝日新聞出版)で新しい小説を書いていた。
第一稿を書き終え、6月に編集者さんと東京で会い、そのアドバイスをもとに子供たちの夏休み前に第二稿を書き上げた。
担当の編集者さんは、某小説誌の編集長でもあり、超多忙で、第二稿をじっくり読むのは9月の5連休になってしまった。
9月の5連休。
私がまさに、熱で寝込んでいた時期。
何が偶然かと言うと、実は、その小説は、15年前の不明熱の体験を中心にまとめたものでした。
その半年間にも不思議なできごとがあり、それらをまとめて、「生きるってどういうことだろう?」と考えるような内容だった。
小説を書き終え、編集者さんがエンピツを入れてるタイミングでの再発。
呼んでしまったのか、予知していたのか・・・
そんなわけで、自分の中では終えたはずの小説(体験をもとにしているけど、当然創作としてまとめてあった)が終われなくなってしまった。
現実が小説を超えている。
書き直すのか、今回の体験をねじ込むのか、360枚ぱあにするのか、編集者さんと相談中。
そのくらい、ぜんぶふくめて、大きな体験(まさに台風)だった。
なんというか、こんなことが現実に起きてしまうと、創作なんて、本当にちっぽけなものだと思わざるを得ない。
現実をやり過ごすことに精一杯で(俯瞰して見れば、現実の方がずっとおもしろくなってしまい)、小説なんて吹っ飛ぶ。
今はただ、ゆっくり静養しよう(しなければ)と思っています。
というわけで、進行中だった書き下ろし小説も、再び保留。
新作を楽しみにしてくださっている方々、1月にコメントをくださった方々、たいへん申し訳ないです。
私自身、悔しいとか残念とか、そういう感情より、ただただ不思議でならない。
今回の入院でも、ちょこちょこ不思議な偶然に出会った。
だいたい、テレビのAD時代に知り合ったSさんが、助産師として一つ上の階で働いていたこともおかしいし(「279、330」参照)、同室になった患者さんたちと驚くべき偶然があれこれあった。
妹は台風がやって来ると知って「おねえちゃん、退院だな」と思ったらしい。
今まで私は、「偶然は神様からのプレゼント」と思い、うれしく楽しく受けとめていた。何かに守られているようなハッピーな気持ちだった。
でも、今回のようにマイナス要素も含む(かどうかは、今後の人生しだいでもあるので、単純に決められないが)偶然は、嫌なものだ。
「やって来るものはしょーがない」けど、正直しんどい。
人生はトントンだとつくづく思う。
私には霊感はないけど(霊感とはなんぞや?)、ここまで来ると、うぬぼれではなく、霊感と普通の感覚との間の偶然力とか直観力みたいな不思議な感覚は確かにあると認めざるを得ない。
とにかくやって来てしまう。
人が体験しないことを体験し、世の中に伝えるメッセンジャーみたいな役割があるのかな?とも思うし、実際、今までは、マイナスの体験を書くことでプラスに変え、世の中の人を励ましたい、なんて思ってやってきたけど、今の私には守るべきものがある。思いのパワーは並外れて強いけど、それに見合う身体の強さを持ってないことは今までにも散々感じてきた。
特殊な能力を失ったとしても、平穏な生活のほうがいい。
というわけで、もともと「伝える」とか「表現」「創作」に興味があって、テレビの仕事~現代美術の仕事とかじって、小説にいったん落ち着いたけど、小説は終着点ではないのかも、と思い始めている。
小説は素晴らしいと思うけど、もしかしたら私には、その先の何かがあるのかもしれない。
今回の入院中、文字や映像から遠ざかり、ようやく余裕を取り戻した頃、夫に持ってきて欲しいとお願いした本は、伊集院静氏の『乳房』だった。
体験がどこまで反映されているのかはわからないけれど、夏目雅子さんを看取ったからこそ書ける言葉が確かにあり、私は時々読み返す。
上っ面の思想や娯楽ではなく、
「それでも届く言葉」
を書ける人に、いつかなりたい。
など思いを巡らせつつ・・・封印封印!
きっと、創作にも、育児にも、世の中に対しても、もっと無責任になれたら病気などならないだろうに、我ながら正直過ぎるんだと思う。
とにかく今は、家族のために内向きの生活をして、自分自身の役割については、パワーが戻ってからまた考えたい。
新聞広告で見て、思わずメモしてしまった河合隼雄さんの言葉。
「幸福のために頑張っても幸福は逃げ、目の前の一人の人のために一生懸命になると幸福が訪れる。それが幸福の面白さなんですね。」
まずはとにかく、子供と家族のために生きよう。
そんな生活が、とても快適だとあらためて知る毎日です。
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