不思議な偶然

2009.10.14

333 偶然とご報告。

           
 ****以下、10月12~13日にかけて書いた真実(「334」へつづく)****
          
 入院中、親しい人にちょこちょこと電話を入れさせてもらったが、その中の一人、偶然や運や神や仏や世界の不思議に詳しい大好きな学者さんと話した時のこと。

 「色んな人の運命や、不思議な人生とか知ってると思うけど、私っておかしな部類ですかね?」

 と(控えめに)聞いたら、

 「キミは相当おかしなほうだと思うよ!!」

 と即答(断言)され、

 「今後も平坦だとは思われないよね、ははは」

 と笑われた(注:たいへんやさしくておだやかな方です)。

 なんかそれ聞いて、すーっとした(笑)。

 そうか、やっぱり私は、おかしな部類なんだ。
 
 この、抜け出した感というか安堵感(いいとか悪いとかではなく)は、台風前の父の言葉にも重なる。

 「やって来るものはしょーがない!!」

 病気も台風も、やって来るものは確かにしょーがないのだ(ビニールハウスが壊れ、両親は予定していた来月のヨーロッパ旅行をキャンセルした・・・とはいえメゲておりません)。

 
 今回の病気、実はとても不思議な偶然だった。

 なかなか表立って書けなかったけれど、この際、私の小説の読者さんのために書かせていただく。

 昨年一年間、ポプラ社でがんばっていた短編集は、諸事情のため保留となり、その後、1月にこのブログにも書いたけど、気持ちを切り替え、別の出版社(朝日新聞出版)で新しい小説を書いていた。

 第一稿を書き終え、6月に編集者さんと東京で会い、そのアドバイスをもとに子供たちの夏休み前に第二稿を書き上げた。

 担当の編集者さんは、某小説誌の編集長でもあり、超多忙で、第二稿をじっくり読むのは9月の5連休になってしまった。

 9月の5連休。

 私がまさに、熱で寝込んでいた時期。

 何が偶然かと言うと、実は、その小説は、15年前の不明熱の体験を中心にまとめたものでした。
 その半年間にも不思議なできごとがあり、それらをまとめて、「生きるってどういうことだろう?」と考えるような内容だった。

 小説を書き終え、編集者さんがエンピツを入れてるタイミングでの再発。

 呼んでしまったのか、予知していたのか・・・

 そんなわけで、自分の中では終えたはずの小説(体験をもとにしているけど、当然創作としてまとめてあった)が終われなくなってしまった。


 現実が小説を超えている。


 書き直すのか、今回の体験をねじ込むのか、360枚ぱあにするのか、編集者さんと相談中。
 そのくらい、ぜんぶふくめて、大きな体験(まさに台風)だった。 

 なんというか、こんなことが現実に起きてしまうと、創作なんて、本当にちっぽけなものだと思わざるを得ない。
 現実をやり過ごすことに精一杯で(俯瞰して見れば、現実の方がずっとおもしろくなってしまい)、小説なんて吹っ飛ぶ。

 今はただ、ゆっくり静養しよう(しなければ)と思っています。

 というわけで、進行中だった書き下ろし小説も、再び保留。

 新作を楽しみにしてくださっている方々、1月にコメントをくださった方々、たいへん申し訳ないです。

 私自身、悔しいとか残念とか、そういう感情より、ただただ不思議でならない。

   
 今回の入院でも、ちょこちょこ不思議な偶然に出会った。
 だいたい、テレビのAD時代に知り合ったSさんが、助産師として一つ上の階で働いていたこともおかしいし(「279、330」参照)、同室になった患者さんたちと驚くべき偶然があれこれあった。
 妹は台風がやって来ると知って「おねえちゃん、退院だな」と思ったらしい。

 今まで私は、「偶然は神様からのプレゼント」と思い、うれしく楽しく受けとめていた。何かに守られているようなハッピーな気持ちだった。

 でも、今回のようにマイナス要素も含む(かどうかは、今後の人生しだいでもあるので、単純に決められないが)偶然は、嫌なものだ。

 「やって来るものはしょーがない」けど、正直しんどい。

 人生はトントンだとつくづく思う。

 私には霊感はないけど(霊感とはなんぞや?)、ここまで来ると、うぬぼれではなく、霊感と普通の感覚との間の偶然力とか直観力みたいな不思議な感覚は確かにあると認めざるを得ない。

 とにかくやって来てしまう。

 人が体験しないことを体験し、世の中に伝えるメッセンジャーみたいな役割があるのかな?とも思うし、実際、今までは、マイナスの体験を書くことでプラスに変え、世の中の人を励ましたい、なんて思ってやってきたけど、今の私には守るべきものがある。思いのパワーは並外れて強いけど、それに見合う身体の強さを持ってないことは今までにも散々感じてきた。

 特殊な能力を失ったとしても、平穏な生活のほうがいい。

 というわけで、もともと「伝える」とか「表現」「創作」に興味があって、テレビの仕事~現代美術の仕事とかじって、小説にいったん落ち着いたけど、小説は終着点ではないのかも、と思い始めている。
 小説は素晴らしいと思うけど、もしかしたら私には、その先の何かがあるのかもしれない。

 今回の入院中、文字や映像から遠ざかり、ようやく余裕を取り戻した頃、夫に持ってきて欲しいとお願いした本は、伊集院静氏の『乳房』だった。
 体験がどこまで反映されているのかはわからないけれど、夏目雅子さんを看取ったからこそ書ける言葉が確かにあり、私は時々読み返す。

 上っ面の思想や娯楽ではなく、

 「それでも届く言葉」

 を書ける人に、いつかなりたい。


 など思いを巡らせつつ・・・封印封印!
 きっと、創作にも、育児にも、世の中に対しても、もっと無責任になれたら病気などならないだろうに、我ながら正直過ぎるんだと思う。 
 とにかく今は、家族のために内向きの生活をして、自分自身の役割については、パワーが戻ってからまた考えたい。


 新聞広告で見て、思わずメモしてしまった河合隼雄さんの言葉。


 「幸福のために頑張っても幸福は逃げ、目の前の一人の人のために一生懸命になると幸福が訪れる。それが幸福の面白さなんですね。」


 まずはとにかく、子供と家族のために生きよう。
 そんな生活が、とても快適だとあらためて知る毎日です。

             

           


          

          

         
           


           


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2009.07.11

293 守られているという実感

 今、旅に出ている人が、置き土産のように教えてくれたマンガ、『聖☆おにいさん』。

 一昨日アマゾンで注文し今日届いた。それを読み、ゆったりした気持ちで笑っている。  

 http://morningmanga.com/lineup/25

 このマンガはもう、設定の勝利。どう転がしても、可笑しい。作者が1984年生まれということにもびっくり(もうそういう年頃の人たちが、多くの読者をつかんでるんだなあと・・・)。

 そして、たまたま今日、友達のミクシィ日記を見たら、その友達(Cちゃん)も同じタイミングで、『聖☆おにいさん』を読んでゲラゲラ笑っていた。

 Cちゃんとは、ほんっとうにほんっとうにシンクロすることが多く、離れて暮らしているのに、同じタイミングで同じ何かに触れていることが多い。

 はははと笑いながら涙が出てくる。

 存在だけで感謝したくなる聖なる友達。Cちゃん、いつもありがとう。

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 このところ触れさせてもらってきた、チリから一時帰国&就職活動中のSさん。このたび、豊橋の病院に採用が決まり(東京やら大阪やら巡ったうえで豊橋に決定かな)、現在家探し。昨日泊まりに来て、明日は一緒に物件を見に行く。

 今日のSさんは、市内に住む牧師さんのおうちに泊まっている。

 その牧師さんはコロンビアの出身で、派遣されて豊橋に住んでいるそう。

 そして、この地域(主に東海地域)で困っているスペイン語圏出身の方々の支えになっている。

 詳しいことはわからないけれど、牧師さんの生活は保障されていて、人々を助けることが牧師さんのお仕事らしい。

 なんというか、そういう存在がいてくれることって、本当に救われるよなあ。

 現在の日本に欠けている仕組みだったり、精神の支えが、世界のあちこちではちゃんと機能していることに素晴らしさを感じると同時に、日本人の生き難さについて考えてしまう。

 私は仏教の曹洞宗の家で生まれ育ち、と言っても、多くの日本の家庭のように、常に信心深く信仰しているわけではなかったけど、ただ、家に当たり前のように仏壇と神棚があるというのは、大きかったと思う。

 仏様や神様にお参りするのが当たり前の生活(もっと言えば、アニミズムというか、自然が近かったので、木や山や海のことも敬っていた)。

 今住んでいる家には、神棚も仏壇のスペースもつくってあるけれど、新家なので仏壇はまだない。

 なかなか難しいことだけど、子供たちも、なにか見えない大きな力に対する「感謝」や「祈り」の習慣を身につけてほしいなあ。 

 それにしても、豊橋に縁もゆかりもなかったSさんが、豊橋で働き始める偶然に驚く(というかもう、偶然が多過ぎて驚かずムフフと受けとめるようになったけど、冷静に振り返ると、東京のテレビ時代に出会ったSさんがチリ人のダンナさんと結婚し、今、助産師として豊橋にいることが不思議でならない)。それも私が子宮内膜症の頃から世話になり、息子たちを産んだ病院で。それなりに広い豊橋において、Sさん一家が大阪在住の頃からお世話になっていた牧師さんの家が私たちと同じ校区というのもすごい。

 前回牧師さんのおうちにお送りした時、娘ちゃん二人を連れた牧師さんにお会いした。

 見るからにやさしそうなお方だった。

 素朴にも見えたその方が、スペイン語でキリスト教について語る時、後光が差すほど素晴らしいんだって。

 毎度くどいけど、私は、「偶然は神様からのプレゼント」と思っている。

 数々の偶然に出会うと、「守られている実感」を得られ、うれしくなる。

 このよろこびを、表現という形にして世の中におかえししたい、と思いつつ、なかなか本という形にはならず、ブログを重ねてることが情けない気もするけれど、生活そのものが毎日本当におもしろくて、ここに書きたいことが増えてしまう。

 ちゃんと生活することは、それだけで十分たいへんなことであり、生活が満たされていれば他に表現することなどなくなるような気もしちゃうけど、ちゃんと生活してない人の表現がいっぱい増えているのを見ると、ちゃんとした生活の声を書かなくちゃという使命感に燃えるのも確か。ちゃんとって、表現って、生活って何?とは思いつつ。

 ま、ぼちぼちまいります(笑)。

         

              

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2009.06.13

279 チリのオリーブとらっきょと梅干し

☆以下、ほろ酔いで書いた文章で、長過ぎる!と思ったけど、思いがけず読んでくれた本人がポロポロ泣き笑いしてくださったので、このままUPします。

 チリから一時帰国中のSさんが我が家に泊まりに来た。
 Sさんとはこれまでにも、驚くべき偶然が重なってきた。
 出会いは東京のテレビ番組の制作会社にて。入社一年目の私がADとして関わった某番組に、フリーディレクターという立場でSさんが参加したのが最初の出会い。編集室にて、Sさんが過去に制作した番組が上映されたのだが、なんとその番組に私の大学時代の同級生が出てきた。しかもその同級生とは、キューバの映画学校に留学中の友達。Sさんは、キューバに取材に出かけ、たまたま私の友達(Aちゃん)を取材してきたのだった。
 うーむ。文字にすると伝わりにくいけど、何気なく見ていたモニターから、キューバにいる友達が出てきた瞬間は、びっくりたまげて、顎が外れそうになったよ!「これ!この子、私、友達です!」「えーっ!?」みたいな(笑)。
 仕事上の関わりを終えても、その後もなぜだか縁はつづき・・・
 Sさんが青年海外協力隊で出かけたエルサルバドルで知り合ったチリ人のダンナさんとともに日本に帰国した頃、私は井の頭公園の近くに住んでいて、同じく井の頭公園の近くに住んでいたAちゃんを介して再会。
 その頃、井の頭公園の近くに、ケニア帰りの親子(超美女母子)が住んでいて、そのアパートは、周辺の外国人のたまり場になっていた。私は当時、荻窪の豪邸でバイトしながらケニア帰りの女子高生に数学を教えていた(苦手なのに頼まれ、美人ママの無国籍料理を楽しみに通っていた)。Sさん夫妻もそのアパートに出入りしていて、そこで何度か顔を合わせた。
 井の頭公園の路上でアクセサリーを売るグループもあり、その方々の輪にSさんも私も参加。
 南米人と道端でつるみながら私はふと思った。こんなことしてるけど、Sさんは上智卒で、私は早稲田卒なんだよなあと。自慢でも自虐でもなく、ふと思ったあの夏。

 そして、その後も数々のつながりがあったけど、今回のつながりは、昨年、骨をうずめる覚悟でチリに渡ったSさん一家だったが、再び日本での生活を考えるようになり、一家の大黒柱であるSさんが先に仕事を探しに日本に一時的に戻ってきて、仕事先候補のひとつに、豊橋の病院もあるのだ。

 ふーっ。書きながら、全貌を書くのは無理だとわかったけど、Sさんは、その後のその後、助産師の免許を取得していて、今助産師として仕事ができるのだよ。というか、助産師としてがんばりたい人なのだ。

 んで、なぜ豊橋かと言うと、豊橋に、もともと一家が訪れるスペイン語の教会があるから(昨年知ったこの縁にも驚いた。しかも牧師さんは校区内に住んでる)。

 東京で出会ったバリバリキャリアウーマンだったSさんが、その後チリ人と結婚して、しかも豊橋に縁ができるなんて、つくづく不思議。
 豊橋は、自動車等の工場が多いこともあって、南米人の方々が多数住んでいるのです。
 当然ネットワークも生まれ、こういう土地なら、チリを恋しがるダンナさんや娘ちゃんたちにも馴染みやすいのではないかと・・・。

 てなわけで、私は今回、アッシーくんとしてSさんに協力(就職活動用の靴も差し上げた)。
 Sさんのチリ土産は、自家製オリーブの塩漬けと「メリケン」と呼ばれるインディオの香辛料(七味みたいでうどん等にも合いそう)とチリワイン!

 夕食は、息子たちのリクエストでから揚げ(鶏肉・豆あじ・かぼちゃ)と冷奴(薬味は茗荷・しょうが・庭の大葉)とあさりの味噌汁をご用意(おもてなしとしては手抜き)。食卓の上に、Sさんからいただいたオリーブと先月漬けたらっきょうと、夫が去年漬けた梅干しを並べたら、なんだかとても幸せな気持ちになった。

 遅れて帰宅の夫も交え、わいわい話しながら食べている途中、Sさんの弟さんの話になった。ここには書けないけど、姉弟とも驚くべき人生を歩んでいる。いろーんな話を聞きながら、気がつくと私は泣いていた。

 「どうして泣いてるの?」とSさんに言われ、私は人から「どうして泣いてるの?」と言われることが多いのだけど、目の前の会話がただただ目にしみるのだ。苦楽ひっくるめて、その人の気持ちになったり、人生っておもしろいなあ、人っておもしろいなあとしみじみ思い、ひたすら涙が出てきてしまう。

 以下、Sさんに関する断片的な思い出。

 某有名ドキュメンタリー制作会社に勤務経験のあるSさんが、出会ったばかりの頃語ってくれたこと。「ガンジス川で洗濯したこともあるのよ」。

 「貧しい相手と結婚して、自分は『Forbes』で億万長者の記事を書いてることに矛盾を感じた。父と母が立て続けに亡くなって『このままじゃいけない』と思った」

 私の最初の子供がまだ生後半年の頃、妹の住む函館へ行くために乗る飛行機が怖かった。「耳抜きとか言うけど、飛行機に乗ることが、赤ん坊の耳に良くなかったらどうしよう?」そう心配していた頃、ふと話したSさんは、「小さい子二人連れてチリに行かなくちゃならない」と言っていた。ブラジルに行ったことのある私は、それがどれほど遠いか体験で知っている分、函館程度でうじうじ悩んでいる自分がちっぽけに思えた。

 今回戻ってきて、急にかかってきた電話で「泊めて」と言われた時、Sさんが言っていた言葉。「チリの大地は本当に大地で、私には広過ぎた」

 Sさんと話すと、いつも大陸の風を感じ、小さなボーダーが消える。

 きっともっとスマートに楽に生きることもできただろうに、「それじゃ私らしくない」と言って、自ら荒波に飛び込んでしまうSさん。

 でも、いつ会っても「目の前の今」を生きているSさんは元気だ。

 素朴で純粋なんだよな。今回も子供たちと逆立ちしてたし(笑)。

 夫はSさんについて「今まで出会ったことがないタイプだな」と言っていた。彼なりの分析には、天動説・地動説まで飛び出した。

 いつまでも、変化していく人。

 最初に出会った、32歳の頃のSさんに抱いたイメージがまさに「変化の人」だった。

 結婚しても、子供を産んでも、46歳になってもなお、変化し続けてるって、本当にすごいと思う。

 かつて自分中心だった彼女が、子を持ってどんどん家族中心に変化している様子も見てきた。

 女は男以上に変われる。

 たいへんなこともいっぱいあるけど、せっかく女として生まれた現在の生を、めいっぱい楽しんでおきたいと思う。

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 タイトなスケジュールの中、急な来客を受け入れてくれた家族に感謝。特に子供たちの歓迎ぶりはすごかったし、ありがたかった。

              

         

        

              

    

                            

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2009.05.31

270 読書体験と魔女修行

 前回書いたアニキの娘さんに、私は本をお贈りしたことがある。

 梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』。

 この本を読んだ時、深い感動に包まれ、いても立ってもいられない気分で、何人かの友達にプレゼントした。ふだん、本をお贈りするのは押し付けになってもイヤなので、よほど感性の合う相手以外にはしないけれど、『西の魔女が死んだ』に関しては、迷いなくお届けしたい友達が何人かいた(ひとりは、このタイトルにも関わらず、出産祝いとして赤ちゃんの絵本とともにお贈りした:笑)。

 そして、誰よりも、その本の主人公と同じ年代に当たる女の子に、今!読んでもらいたかった。その時真っ先に思い浮かんだのが、本好きというアニキの娘ちゃん(当時中学生)だったのだ。

 今思えば熱病に冒されたかのような突進力で、お会いしたこともない女の子に本をお贈りし(アニキに仲介していただき)、ハードカバーにするか文庫本にするか迷いに迷った末、両方お渡しするという間抜けな状態で(文庫には文庫にしかない短編付きだったし、しかし、贈り物というからには、ハードカバーにしたかったし・・)、てんとう虫と葉っぱの付いたラッピングペーパーに包み、紙紐でリボンをかけたことも鮮明に憶えている。乳飲み子を抱えた状態で・・・(笑)。

 ありがたいことに娘ちゃんは、「号泣しました」という温かいお手紙をくださりホッとした。本当に、いったいあれは何だったんだ?と思うくらいの届けたい熱!だったのだけど、本というのはやはり出会うべきタイミングというのがあり、私は、『西の魔女~』を、主人公と同じ年代に読んでみたかったなーと切に思ったがゆえの行動であった。

 私の読書体験の最初の強い記憶は、小学校2年生の時に読んだ伝記。

 『キュリー夫人』と『野口英世』と『ヘレン・ケラー』。

 なぜそのチョイスだったのかは憶えていないが、確かまず『キュリー夫人』を読み切れたことがうれしくて、その他へ移行したような気がする(ちなみに、現在は『キュリー夫人』というより『マリー・キュリー』で出ています。時代の変化ですね)。

 どれも100ページを超えるような厚い本で(とはいえ字は大きい)、全体の内容を憶えてはいないが、例えば、<キュリー夫人が貧しいなか実験をし、パンを何日にも分けて食べたという場面を思い出し、給食にコッペパンとチーズ(確かアーモンドチーズ)が出るとキュリー夫人を真似るようなイメージでボソボソと食べていた(ついでに、その組み合わせの献立の時は細切りコンブの煮物とりんごとおしるこが付くことが多かった)>とか<幼少期の野口英世がいろりに落ちて手にやけどを負ってしまった場面とお母さんのもんぺ>とか<ヘレン・ケラーが「水」を認識する場面。芝生の庭先でポンプの水が泡のようにはじけて・・・そこは(自分の想像では)間違いなく陽だまり>とか、断片的に今も小学校2年生の時の目線でよみがえってくる。

 小学校2年生の時には確かにあった私の読書熱だが、その後まったくスポーツ少女と化した私は、きっちり社会人になるまでまともに本を読まなかった(見事に頭の中も筋肉だった)。

 でも、社会人時代に再び本を読むことに目覚め(テレビのAD時代、忙しさのみで一日が終わるのがくやしかった)、以後は、ほとんど毎日何か読んでいる。

 青春期によき本との出会いがなかったというのは、たいへん不幸だと思うけど(その頃は活字より体験だと強く信じていて、数少ない読んだ本で印象に残っているのも体験が描かれた『一リットルの涙』や『車椅子の花嫁』だった)長いブランクがあっても、再び本に戻ったのは、やはり小2の読書体験が根底にあるからだと思う。

 本によって、知らない世界に触れるおもしろさ。知を想像すること、外国を想像すること。本は確かに私にとって、世界の窓だと思う。

 窓を開けるとそこには、様々な世界が広がっている。時代も国境も超えて・・・

 今のところ息子たちは本への興味が薄いけれど(長男は私のキュリー体験と同じ小2であるが、まったく気配なし)、「ここ!」というタイミングでは、「絶対」という本を差し出したい。親になってから、子供にのこす本、というのも意識するようになった。遅ればせながら『ノルウェイの森』に感動した時は、思わず文庫だけではなくハードカバーも購入しておいた。いつか息子たちにも読んでもらいたいから(読んでないし買うつもりも今はないけど、『1Q84』人気、すごいっすね~)。

 『西の魔女が死んだ』については、小学校高学年から中学生・高校生の娘さんをお持ちの方は、よかったらお薦めいただきたいです(こんな風に強く思う本はこれしかない)。

 少女の繊細さを描きつつ、人生や世界、生と死を語ってくれる深さ(木々の緑やおいしそうな食べ物もたくさん登場するので読んでいて心地よいです。そもそも私がその本を読んだきっかけは、新聞で紹介されていた作中の「キッシュ」がおいしそうだったから!)。

 初めて読んだのは確か今頃の季節、5月だったと思う。おじいちゃんの命日(5月30日!・・・げげっ、この回は、おじいちゃんが書かせてくれたのかな?)とも重なる。

 思い出すだけで泣けてくる。あれは本当に傑作だと思う。

   

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 上記を書いたのは、28日の夜でした。この頃は、息子たちとともに9時半には寝てしまうような生活ですが、なぜだか目が冴え、ぐるぐる回転し続ける頭をおさめようと、ブログを書いていた。書いた時点では、祖父の命日が30日だと思い込んでいて(上記の通り、最後にハッとし)、30日にUPしようと思ったけれど、その後確認したら、命日は28日で、お葬式が30日でした。

 すると今度は、まさに命日の夜、祖父のことを思い至った流れ(眠れずにいた夜更け、『西の魔女』から祖父のことへ・・・というのも、『西の魔女が死んだ』というのは、おばあちゃんが亡くなる話なので)に、涙がこみ上げてきました。

 私は、おじいちゃんが、本当に本当に大好きだった。

 あんなおかしなひとはなかなかいない。

 この世で出会えて良かったな。そしてふとしたタイミングに舞い降りてきてくれるようで、やっぱり、死は別れじゃないんだな、などなど思い、タオルを握りしめて涙を拭き拭き眠りについた夜でした。

 (もう一つ、その夜は、『われわれはどこへ行くのか』というキーワードで結ばれた相手に上記の流れ(&すでに送ってあるゴーギャンの絵葉書)について、『一日の終わりに』というタイトルでメールをお送りした。つながる人とはどうしたってつながってる。つながってしまう。その不思議さと温かさに感謝し、そういう「冴え」や「受容」を今後も研ぎ澄ませてゆきたい。人生は魔女修行なのだ☆)

   

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 『西の魔女が死んだ』について、4年前、アマゾンに書いたレビューより

 <5月のさわやかな死>

 読み終えた時、やさしい光に包まれたようで、涙が止まりませんでした。
 本を人にすすめることはあまりしないのですが、この本は
 複数の友達に贈り、自分でもハードカバーと文庫とそれぞれ大切にしています。
 最初の楡出版(絶版)のものとはテイストが異なっているのが
 残念でもあるけれど、中身は本当におすすめです。
 この本を読んだ少しあとに、祖父が急に亡くなったのですが、
 「魔女」から教わった死のとらえ方を心の支えにしています。
 子供にも伝えていきたい素晴らしいお話だと思います。

         

           

    

      

         

         

     

              

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2009.04.02

239 心臓と偶然

  
 人間ドックの心電図で引っかかり、市内にあるハートセンターへ。
 春休み中の息子たちは、幼稚園の預かり保育にお願いする。お弁当を持たせて・・・。
 午前中で終わるかも、という淡い期待は早々に打ち砕かれ、結局、計4時間もかかった。
 センターは二度目だが、入った瞬間、100人ほどの患者さんにおののいた。
 一見して高齢の患者が多いが、中には作業服姿の働き盛りといった男性もいる。
 グレーのトーンの待合室で、それぞれが心配を抱えている真っ赤な心臓が、透けて見えるような気がした。

 私が心臓について楽観視できないのは、全く血筋による。
 母は30代の頃から血圧が高く、祖母は心臓発作のような形で亡くなっているし、伯母も心臓を患っている。おまけに、血圧の高かった従兄弟が、44歳の若さで、くも膜下出血で突然亡くなっている。4人も子供をのこして・・・。これはかなり派手な悲劇だった。循環器系に難があるのは、すべて母方の家系。というわけで、私も心臓については、気にするようにしている。

 それにしても、我ながら病院通いが絶えず、呆れるし笑えるし、泣けてくる。先月のめまいとも関係があるような気がする。
 長い待ち時間に備えて持ってきた読みかけの本は、人間ドックの結果が出る前から読んでいたものだが、偶然にも、心臓大動脈瘤が出てくる。村田喜代子さんの体験に基づく小説で、ダンナさんの心臓大動脈瘤とたたかう夫婦の話。
 タイトルは、『あなたと共に逝きましょう』

 夫婦連れ添ってやって来ている人たちも多い中、まさかこんなタイトルの本を目立つように読むわけにはいかない。タイトルが見えないようにそーっとそっと読んでいた。

 村田さんは、40歳過ぎて芥川賞をとった人。九州に住み、生活の確かなにおいが感じられる小説を書いている人。
 『あなたと共に・・・』は装丁の段階でもしや?と思ったけれど、やはり伊藤比呂美さんの『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』の装丁と同じく、菊地信義さんによるものだった。
 小説も、『とげ抜き・・・』と同じにおいを感じる。
 確かな生活、生活にまつわる修羅を知る人にしか書けない凄み。

 例えば、

<現代医学が科学治療の見通しの良い世界なら、民間療法は中にどんな魚が棲んでいるのか定かに見えないようなところがある。科学と疑似科学が入り混じって、人間の智慧と無知が一緒くたになって、慈善と商売が同じ姿をして隣り合っている感じがしないでもない。>

<結婚以来何十年、私が義雄に食事を作って食べさせた。義雄の体は私がこしらえた。その体を切られるということは、私もやられるのと同じことだ。今まではまさかそんなふうに考えるとは予想もしなかった。人間はその場になってみなければ自分の気持ち一つわからないものなのだ。>

 これを読んでいる最中、会計から母の名前が呼ばれた。
 「え!?」と思って見回したが、母はいない。名前の主が現れず、何度も呼ばれている。
 母の名前は、フルネームとなると多いとはいえない名前なので、本当に母なのかと思い、外に出て、携帯電話から母に電話を入れた。母は家にいた。「同姓同名の人がいる」と言うと、母も珍しがっていた。「それに、あんたが、その場で聞いてるってのもおもしろいねえ」と言って笑った。

 胸のレントゲン写真と心電図をとり、小説を読み終え、何冊か雑誌を読んでようやく呼ばれた診察室の前で待っていると、今度は私の名前に反応した伯母(冒頭に書いた、心臓を患っている伯母)が私を追ってきた。
 この偶然にもびっくり。
 近所の病院で近所の知り合いに会うわけではないのだ。
 伯母からすれば、ハートセンターは車で一時間かかる場所。
 聞けば、6週間に一度通っているそう。
 偶然に出くわすことが多いと、このブログでも何度も書いているけれど、本の内容、母と同姓同名の人、伯母(おじも)とのバッタリに、やはりまた笑うしかなかった。 

 伯母に聞いた話では、ハートセンターの名医(当時は別の病院にいた)に、かつて祖母は診てもらおうとしたのだが、診てもらう直前に院内で容態が悪化し、帰らぬ人となった。その時付き添っていた伯母は、そのショックで、伯母こそが意識を失ってしまい、狭心症と診断され、以来、その名医にお世話になっている。
 なんたるご縁(うれしくない縁だが)。
 19年も心臓の疾患と付き合い続けている伯母であるが、発症したのは50代とのことなので、私はまだ早過ぎる。

 おおごとではないと思っているけれど、この日の診察だけでは判断できず、24時間の心電図とやらを胸につけて帰ってきた(今装着している)。で、明日の夕方、再びハートセンターに行き、心臓のエコーと負荷心電図と診察。

 やれやれだよ、まったく。
 
 伯母と話しながら、「私なんて、20代の前半から病院との縁が切れないから、子供が成人するまで生きられたら御の字と思ってる」と言ったら、伯母が笑った。
 そして、「私はもう、22、3歳の孫がいるから、いいね」と言うので、「とっても幸せだと思うよ~」とこたえた。
 ほんとにそう思う。
 電話口の母にしても伯母にしても、私がハートセンターにいることを心配していた。

 人の寿命や運命は、どうやって決まっているのかわからないし、私だって、子供をのこせただけで十分なのかもしれないけれど、病院に多数集まるお年寄りを見ていると、ここまで生きてこられただけでも十分じゃないかな、と思ってしまう。

 私なんて、いつも、「今が心配」の繰り返し。
 産んで息絶える虫や動物もいるけれど、人間の子は、独り立ちするまでに時間がかかる。
 子供が大きくなるまで、お世話をしたいです。
 細々とでいいから(病弱な人ほど長生きするって例も多いように)、子供の成長を見守りたいな。
 長生きしたいとは思わないけど、責任は果たしたいよ。

 健康だと当たり前としてとらえる人が多いけれど、子が成人するまで親子ともに元気で過ごせたら、それはとてもとても幸せなことだと思います。


        


               

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2008.11.20

180 偶然力 

 いただきものの『ラスト、コーション』のCDを、繰り返し繰り返し聴いています。ひんやりした空気に、ワルツのピアノはよく似合う。

 もともと、「偶然」とか「シンクロニシティ」とかは、よく経験するほうだけど、この頃「これは」と思う人が当然のように自分の知り合いにつながっていたり、このネタを振ったら相手が反応するだろうと思ったら、ことごとく適中したり(珍しい場所を知っていたり、珍しい体験をしていたり、とにかくピンポイントの一致)、神様に感謝しつつ、自然に受けとめています。

 抽象的な表現になってしまったけど、私には霊能力はないけど、偶然力?みたいなものはあるのではないかと思ってしまう。それは、意識や努力で何とかなる問題ではないし(「行動」や「伝達」は重要だと思うが、そこに「作為」や「策略」が入ると幸運が消えてしまう気がする)、自分で引き寄せているというよりは、やはり見えない力、神様からのプレゼントに思えてならない。それら不思議な現象を受けとめて活かして、社会に還元しなくちゃと思うのだけど、ただひとつ足りないのが、アウトプットするための私の能力のような気がする。

 世の不思議に見合うように自分の能力を高めるのは容易ではないけれど、死ぬまでになんとかバランスが取れてほしいなあ。

☆☆☆☆

 先週末、少しだけ、地元の映画祭のお手伝いに行き、http://www.slowtown.info/index.php 前からお話してみたかったデザイナーさんが、川崎和男さんの研究室で学んだ経験をお持ちの方で、やっぱり!という川崎像も知れて興味深かった。改めて検索し、HPやブログなどを拝見し、すごい人だなあとつくづく思った。最近は、ペイリン氏の眼鏡が話題だけど、もっとずっと前から、すぐれた発想と提案と発言を、身を呈して行ってきた鬼才だと思う。

 ☆ http://www.design.frc.eng.osaka-u.ac.jp/kazuokawasaki.html

 ☆ http://artgene.blog.ocn.ne.jp/kawasaki/

 その映画祭で、たまたま『ぼくらの七日間戦争』でおなじみの宗田理さんの息子さんとお話し、宗田さんがポプラ社のお仕事もされている関係で、私の編集者さんともすでに面識があり、私の本も、すでにお手元にあった。加えて(上記の偶然の話につながるけど)、息子さんは私と同級生に当たり(宗田ファミリーは一時豊橋に住んでいらしたのです)、共通の友人もちょこちょこ、その他もろもろ、スゴイ!&ヤバイ!という展開だった。宗田さんのお言葉を借りるなら、「多くの部分で接点がありすぎて非常にびっくりしましたよ」。本当に非常にびっくりしつつ、偶然が続いている時期だったので、嬉しいなあ、ありがたいなあと温かい気持ちになっていました。
 私がその日、映画祭のお手伝いに出かけたのは偶然で、もともと親しいYくんも偶然入っていて、Yくんが紹介してくれたおかげで偶然いらしていた宗田さんと話し、開けてびっくり☆偶然の数々、という展開でした(Yくん&Yちゃんありがとう)。

 『ぼくらの七日間戦争』は、とても思い出深い本であり、映画なので(宮沢りえちゃんの長い足を思い出すなあ)、新装版を読んでみたいと思います。

 ☆ http://www.bokura.com/

 ☆ http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=40320010

 私にとって、不思議な縁の土地があるんだけど、市内で言えば夫の中学の校区(私の父の母校でもある・・・私の生まれ育った場所からは40kmくらい離れている)。そして、横須賀市。横須賀は父が青春時代を過ごした土地であり、結婚前の夫が、唯一一人暮らしをした場所であり、妹のダンナさんの出身地&巡り巡って妹家族の現在の居住地。

 これらはいったい、どういうことでしょうね。

 文字にしたらたいしたことなくなってしまうけど、上記以外にも、いろいろあった最近です。犬も歩けば偶然に当たる。っていうか、年取って経験や人脈が増えて、出くわす偶然が増えたってだけなのかな?しかしまあ、ある種の法則性はあるわけで、そのうち統計的にわかってくるでしょう。

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 文化の日にすっ転んでできた大きな痣やかさぶたは、おもしろくないくらい、あっという間に治ってしまいました。30代も半ばなので、もっと時間がかかると思っていたのに、ありがたいことです。

 金魚とかアメリカザリガニとか鼻ちょうちんとか『けろっこデメタン』を連想させた次男のおちんちんも、たいへんだったのは一日だけで、すっかり普通サイズです。

 神様に感謝して、生きていこう。

   

           

                 

                  

            

                

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2008.02.28

61 土地の力

       
 私は、聖地とかパワースポットと呼ばれるところに興味があるのだけど、ある人のブログに、
<つまり、バリのビーチで眠っていると、全身に「ピップエレキバン」を貼られたような
状態になるわけである。> という一文があった。
 よく言われている話だけど、リピーターが多いリゾートというのは、土地の磁気が高いらしい(研究結果もあるとのこと)。

 それを聞いて思ったこと。

 私は、滝を巡るのが好きで、子供ができてからはなかなか行けないけれど、滝のあるところというのは、圧倒的に心地よいと思う。マイナスイオンがどうとか、まつられている神社がどうとか、詳しいことは分からないけれど、今まで出かけた、那智の滝も、養老の滝も、真名井の滝(高千穂峡)も、赤目四十八滝も、ナイアガラの滝もイグアスの滝も、小さな名もない滝も、ただただ心地よかった。
 土地から感じる、何?ここ、なんでこんなに気持ちがいいの?という感覚は、例えば、和歌山の南紀白浜辺りとか、伊豆や四国のふとした場所とか、時折出会うものだけど、その不思議を確かめに、もう一度行ってみたい。

 その逆で、何ここ?きっと何かあった場所だ、と思う場所もある。
 例えば、大学時代、最初に住んだ学校の近く。
 住んでいたアパートから、いつもの道ではない道を遠回りして通ると、どうにもこうにも胸騒ぎのする場所があった。
 のちに、そこは、旧日本軍が細菌兵器による人体実験を行い、私が住み始める2年前に人骨がごろごろ発掘された場所だと知り、驚くよりも納得した。
 その場所の近くには桜がきれいな公園があったけれど、残念ながら近寄れなかった。

 うわぁ心地よい、とか、うわぁ、変な感じ、というのは、うまく言葉で説明できないけれど、その感じを家を建てるための土地探しに生かせば、気持ちよい、何かに守られた毎日を過ごせるのではないか?と、ふと思ったけど(さっき)、今住んでいる家の磁場がいいのか悪いのかは全く分からない。土地を探すためにあちこち見て歩き、初めて「ここ、いいかも?」と思った場所ではあるけど、家庭の事情で早く手放したい人が売ってくれた土地なので、本当はあんまり良くないだろう。ただ、土地を買ってから家を建てるまでに2年、さら地になっている期間があったので、その間に風が通って、悪い気を払っていてくれたらいいなあ、と思う(勝手な願い)。

 今思うと、私の育った実家は、とてもいい場所に建っている。
 海の見える高台で、神社の近く。地元の雨乞山を臨む場所。おまけに巨大な岩(岩盤)の上に建っていて、地震があってもさほど揺れない。
 20代以上も続いている古い家なので、ご先祖様がたぶん村の中で良さそうな土地に住み始めたのだと思う。
 ご先祖様は村の開拓にも尽力したらしいが、だからと言って、その後幸せな時が続いたわけでもないし、みんなが健康に過ごせているわけでもない。
 でも、その後、東京に住んだり、今中途半端な地方都市に住んでいると、確かに、いい場所で育つことができたなあと思う。

 霊感ほどのものはいらないけど、「なんかいい感じ」「なんか悪い感じ」っていうのをキャッチできる感度を身につけていたいと思う。


☆なーんて書いてますが、今週また兄弟が風邪で休んでいて、「癒されたい、誰がって私が・・・」という願いからトリップしてしまった。二人が園に行くようになって、楽な時間も増えたけど、病気をもらうとくるくる回ってたいへんですね。

         


 

             

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2007.10.29

4 偶然はプレゼント

 長男の風邪が悪化。回復した次男は必要以上に元気で双方なかなか眠らず、ようやく寝たら今度は私の目が冴えてしまった。私自身、風邪がなかなか治らないので早く寝ようと思ったのに、眠れないから再びリビングへ戻り、ビデオを見ようかテレビを見ようか、ほんの少し迷ってテレビをつける。

 画面に知っている人の顔が現れた。

 島根県に住んでいた時お世話になった松場さん。番組はテレビ東京系の『ソロモン流』。

松場さんのお店はこちら・・・ http://www.gungendo.co.jp/ 

 子供がすんなり寝ていたら、この番組には出会えなかっただろう。

 しかもこの日は日本シリーズのために、番組は20分遅れで始まっていたので、ほとんど最初から見られた。

 番組では、島根時代何度も訪れた懐かしい町並みが映ったり、10年前はまだ学生だった娘さんが新ブランドを立ち上げたりしていて感慨深かった。しかも、今や世界遺産の土地。

 こういう偶然に出会うことは多いほうだと思うけれど、その瞬間はやっぱりドッキリする。神様からのプレゼントのように思え、温かい気持ちになる。

 実はこの日、昼間にも高校時代の同級生をテレビの中で見た。

 警察の番組で、ひき逃げ犯の車種を分析する仕事をしている男性。整った顔のひとだなあと思っていたら、名前が同級生で、思わず卒業アルバムを確認してしまった(珍しい名前だし、面影を残していたので間違いないと思う)。

 どちらも、すぐに連絡して「見ましたよ」というような仲ではないので、しみじみ、現在の活躍に感心していた。

 私は子供が夜泣きして困っていた頃から、起きていたくはない夜中に出会う番組などは「息子が出会わせてくれた」と思うようにしてきた。そのくらい思わなきゃ、わけの分からない夜泣きを乗り切れなかった、ということだけど。

 楽になったとはいえ、まだまだ育児はたいへんで、この10月は親子で体調を崩し、たいへんだった(まだスッキリせず・・・)。

 眠りたいのに眠れなくて出会えた番組を、息子と神様からのプレゼントと思い、ありがたく拝見した。

 ☆結果、興奮してますます眠れなくなりました(笑)。

                 

                       

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