不思議な偶然

2011.04.03

 『銀河の星屑』

 以下(*****の下)は、3月8日に書いてあった記事です。

 地震前のその頃、書きたいことが重なっていたので、UPするタイミングを計りかねていたもの。

 下に書いたことというのは、日本の現況を思うと、なんだか幾重にも重なるような? 複雑な思いになる。

 たまたま、いしだ壱成さんが地震の一週間前に書いた原発に関するブログが話題にもなってるけど、それらは、予言していたとかではなく、日頃から、どれだけ問題意識を持っているか、ということなんだと思う。

 (すべては読んでないです→)http://ameblo.jp/isseiishida/entry-10819818986.html

 私が一昨年の病気以来、取り組んできた小説のタイトルは、『人間の存続』と言います。

 出版に至るか否かは、今は何とも言えないんだけど、大げさに感じていたそのタイトル、今は大げさではなくなってしまった(と言っても、私にとっては林檎ちゃんの『ありあまる富』みたいなイメージで名付けたんだけど)。

 昔手伝っていた美術作家が作品のコンセプトとしてよく、「死は生の対極にあるのではなく、生の中にある」と言っていた。日常の中で、どれだけ死を意識できるかによって、今回の震災も受けとめ方が違うのかな?と思いつつも、すべてが吹っ飛ぶくらい、あまりに巨大過ぎた。そしてまだ続いている。

 得体の知れない高熱を出していた一昨年の私は、自分の中に地震や津波を抱えているような状態だった。

 死も意識した。

 今は元気だけど、完治しない病気なので、くすぶった火や病気の芽は内包している。

 だから悲壮になるのではなく、だからこそ、刹那的に享楽的に生きてしまうのだと思う。

 今回の震災で、様々な境界線が吹っ飛んでいる。

 生と死の境が一瞬にしてあいまいになり、家と家の境界線、地区と地区の境界線、法律、道徳、色々なボーダーが消えざるを得なくなった。

 ただひとつ、みんなの共通の願いは「生きたい」ということ。

 本当に大切なものは何なのか。

 日本中の人たちが自問自答している。

 今回初めて意識した、という人は、今までが恵まれ過ぎていたんじゃないかな。

 なんだかまとまらないけど、かと言って、真面目に重たく考えればいいという話ではなく、私はやっぱり、「明日何が起こるかわからないから、今日を大切に生きよう」という20代の頃からの考えを変えずに、目の前の今を楽しみたいと思う。

 何を書いたって傍観者の戯言に過ぎず、失う痛みには言及できない。すみません、と思いながら・・・。

  

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 桑田さんのニューアルバムに収録されている、『銀河の星屑』が好き。

 (↓音出ます)

 http://www.dailymotion.com/video/xgtu5e_yyyy-yyyyy_music

 バイオリンの音色も印象的だけど、

 この歌詞、「蓮の御池」「御釈迦様」「痛みも苦しみも無い世界」「哀れみの献花」「人生にゃ未練がいっぱい」「お別れの歌?」「そんなバカな」「蘇れもう一度」等々続いていく。

 一聴、一読すると、さすが闘病体験を経て生まれた歌だなあと思うけれど、この間のNHKの特番で、この歌は、病気がわかる前の昨年3月にレコーディングされたものだと知った。

 本人もインタビューされていたけど、「予感」があったのだろうか。

 はからずも、現実がそうなってしまったのか。

 絢香が歌った「みんな空の下」も、絢香のインタビューによると、「つくった時はそんなつもりがなかったのに、(状況や心境が)同じようになった」みたいなことを言っていた。

 ものすごく僭越ながら自分の話を持ち出すと、私も、16年前に体験した不可思議な熱の体験を含む小説を書いていたら、一昨年、書き終えたタイミングで同じ病気になってしまった(入院し、半年間投薬治療を受けていたことは、このブログの長い読者さんはご存じ)。

 深層心理、潜在意識っておもしろいし、恐ろしい。

 当時、自分の体験について、色んな道のスペシャリストに質問してみた。「書いていた小説と同じ病気になっちゃったけど、どう思いますか?」って・・・。

 「自分で呼んだ」「偶然」という意見が多い中、精神科医をしている友達のダンナさんは、こう言った。

 「書いたから病気になったのではなくて、病気の兆候を無意識のうちに感じていたから書いたかもよ」

 この意見は、コペルニクス的転回みたいな感じで、目からウロコだった。

 いずれにしても、感じやすいタイプの人は、マイナスなことは考えない方がいいんだろうな、と思う。

 恐ろしい小説を書いて、平然としていられる人というのは、鈍感なんだろうな、と思ってしまう。

 私なんて、感即生、情即生、という感じなので(造語です)、気をつけなくちゃと思うよ。特に実体験がヘビーだったので(「事実は小説より奇なり」は本当にビビる)、今は断然絶対ポジティブ!!(悪いことは意識に入れない)って感じに過ごしています。

             

         

    

    

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2010.11.11

 日常曼荼羅 

 

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 写真は、ミラクルなできごとに出会った直後に立ち寄った、大好きな「宇宙公園」の遊具から見た風景(クリックで大きくなります)。

 同じ風景でも、見方や切り取られ方が違うと、新しい世界観が個々に生まれるようでおもしろい。

 万物は・・・みたいな。         

    

 前回(同時にUP)の終わりの部分で、近所に建築予定の病院について触れた(よかったら、最後の6行読んでから、今回分を読んでください)。

 先にこれを書いておくと、オチがわかっちゃうんだけど、

 昨日、久々に昨年の病気の科に出かけ(以下の事情につき科の名称は伏せます)、4ヶ月ぶりの血液検査の結果を聞いたら問題なかった。

 なので、主治医の先生に、次回の予約を「半年後くらいにしてもらえますか?」と何気なく伝えたら、

 「半年後は、やめちゃっていないんですよ」と、教えてくれた(事務の方も知らなかった事情に関するこの気安さは、昨年来の信頼関係による・・・自分のいちばんつらかった時を知ってくれてる先生だし、なんといっても、入院というのは親睦を深める合宿のようなものだった)。

 「おっ、開業か!?」と思ったのと、この夏、先生が近くの100円ショップ前の道路で自転車に乗っていた姿を偶然見かけていた私としては、建築予定の病院の看板も併せて思い出し、、、

 「もしかして!!」と言うのと同時に、先生は私のカルテの住所を見て、

 「そうです、そこです!」と、にんまり笑った。

 ピンと来て、あっ!と思って、ビンビン一致しちゃったよ!!!

 

 なんか、あまりにもこういう偶然が多過ぎて、よくあることなのかな?と思ってみたり、いい加減自分の霊感を認めようと思ってみたり(地元でそっち系の能力ある人にはっきり「ある」と言われており)、それにしても、この地域では珍しい科の先生(実際市民病院でも専門医はその先生お一人だけ)が、ごく近所(家から150メートルくらい)の場所に開業するなんて、ミラクルとしか思えない。

 健康でいて、お世話にならないのがいちばんだけど、再発の可能性もある病気なだけに心強い。だって、薬もらって入院の代わりに家で過ごせるくらい近所だよ。パジャマで行ける距離だよ(笑)。

 「おめでとうございます!ご縁ですねえ」と言って、先生のこと、ペシペシ叩いちゃった(50歳くらいのケンタウロスみたいな方です)。

 この1週間だけでも、例えば、初めて行った長男の整形外科の先生にその夜バッタリ会ったり、私のブログを知ってくださっていた先生とお話したり、その先生と私の中学時代の恩師が200人中席がお隣だったり、昨年の入院でお世話になった先生が、ごく近所に開業予定だったり・・・

 と書いていて思ったけど、「先生」と縁のある週だったのでしょうか??(笑)

 いくら偶然が重なるとは言っても、その日!とか、隣!とか、家から150メートル!とかは、すごいよなあ・・・。

 と書きつつ、ジタバタ感動してるようじゃ、まだまだ修行が足りんってことね(笑)。

 こういうできごとを、できるだけポーカーフェイスでクールに受けとめ、さらりと流せるようになったら本物だろうけど、それは一生無理でしょう。

 このブログも、私の過剰過ぎる日常をクールダウンさせるためのツールでして、また、個人的に私の過剰性を受けとめてくれる人たちもいて、そのうちの一人は冒頭の写真について、「曼荼羅みたい」と言った。

 「きみは不思議を引き連れて歩いてる」とも・・・。

 日常のすべてのつながりに、「ありがとう」。 その言葉しか思い浮かばない。

               

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2010.11.06

 つながり過ぎる。

 いま、中学時代の陸上の恩師から電話があった。

 一昨日の金さんの講演会のご案内をお送りしていたのだけど、参加してくださったそうでその報告。

 講演会に参加してくれたこともうれしかったけど、

 な・ん・と、、、

 前々回のブログで書いた夏目先生と席がお隣だったそう。高校教師と中学教師と分野が違うため、存在は知っていたけど面識はなく、まったくの偶然。

 200人くらいの観客の中で、すごくないですか?

 自己満足かもしれないけど、鳥肌が立ってしまった。

 私が夏目先生の話をする前に、恩師が「夏目先生と隣だった」と言い始め、「キャーッ」とびっくりし、「私はその後の懇親会で初めてお会いし、じっくりお話しました」と伝えた。

 なんというか、そういうことはあるにしても、例えば近くの席にいた、くらいなら驚かなくても、隣って!!

 昨日夏目先生に宛てたメールで、その恩師についても触れていたので、不思議だなあと・・・。

 つながる人とはつながるけど、密接につながり過ぎちゃうねえ(笑)。

 恩師は、私の手紙を見た時(封を開ける前)、悪い報告かな?と思ったそう。「例えば別れましたとか」。

 爆笑しながら、「あり得るあり得る~~!!」と。

 今日、たまたま恩師は歯医者で、小学校時代の別の先生(妹の担任だった)に会い、私の話にもなったそう。

 「あの頃は色々あったねえ」と言ってたらしい。

 私は良いも悪いも込み込みで昔の先生たちに記憶されている。

 おもしろいな。

 おもしろいぜ、人生!!!

               

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2010.05.30

 青年期すっとばして壮年

 会いたい人には会える。

 先週、まずはイトーヨーカドーにて、息子の柔道で一緒だったお母さんにバッタリ会った。

 イトーヨーカドーの屋上に車を停め、階段を降りながら、この3ヶ月、柔道に来なくなった兄弟のお母さんのことを思い出していた。やめたのか、休んでいるのか気になっていたのだ。「そうか、イトーヨーカドーの近くに住んでるって言ってたから、会えるかもしれないな」と思いながら一階まで行き、買い物をしようと食料品売り場に向かったら、そのお母さんの姿が!!

 「やったあ!」というのと「やっぱり!」というのを同時に感じつつ、声をかける。

 相手もこちらのことを気にかけてくれていたようで、事情を聞き、長々話し、お互いの連絡先を交換した。

 つづいて・・・

 長男の運動会にて。

 このブログにも書いたことのある、去年、長男が同じクラスで大好きだったAちゃんのお父さんにバッタリ会えた。2年生の最後にお母さんに声をかけたら、Aちゃんのお父さんは私と同郷で同じ小学校で一学年下のHくんだと判明し、運動会辺りで会えたらいいなあと思っていたのだ。

 20年以上ぶりの再会に、Hくんだけが歩いていたらわからなかったが、春休みに遊びに来てくれたAちゃんの弟くんを連れていたのでわかった。

 それにしても、1000人くらいが集まっている運動場でバッタリはうれしい。

 ものすごく個人的な話なので(だいたいそういう記録だけど)申し訳ないけど、色んな感情でいっぱいになった。

 頭の中のHくんのイメージは、小学生時代で止まっていて、色白の美少年という感じだったけど、バッタリ会ったHくんは、すっかり大人のお父さんなわけで、思わず、「大人だね」とか「なんつーか、男だね」って言ってしまった(笑)。向こうも「ふつうに歩いてたら、わからんね」を二回言った。確かにお互いわからん。

 たまたま夫が近くにいたので、紹介せざるを得なかったけど、できれば隠しておきたかった。というのも、夫は、私の好みのタイプからはあまりにかけ離れていて、私の頭の中には、Hくんと一緒だった小・中で自分が好きだった男の子が浮かんでいたから。私の好きな人が誰だったかHくんは知らないけど(小さい学校なので各々は知ってるけど)、「結局こんなんと結婚しました~」っていうのは、妙に恥ずかしかった。

 別に弁解する必要はないのに「ずっと結婚から遠い人と恋愛してて、子供を産みたかったからカタギと結婚した」と話しても、「金がなくて生活できないってのはたいへんだからね」など、すぐ通じる。「金がなくても愛があれば生きていけるって嘘だよね」「嘘だよね!」と盛り上がる。

 20数年ぶりに会った一学年下の男性とそこまで話すか、ってことをお互い話したけど、それが私たちの育った地域の特殊性だよなあと思った。

 一学年2クラスしかない環境で、保育園から中学まで同じメンバーで過ごす。

 みんな、本当にきょうだいみたいなのだ。

 それにしても、つるつるした可愛らしい少年が、次に会った時に髭の生えたお父さん(じゅうぶん爽やかでかっこいいパパだったけど)になってるってのは、衝撃的。

 真っ暗になるまで無邪気にソフトボールしてた友達と、青春期すっとばして、育児や夫婦の話をする不思議。

 同学年の同窓会もいいけど、一学年上や一学年下には思い出がいっぱいあるので、三学年くらい合わせた同窓会したいなあ。

 息子の運動会も、とっても楽しかった。幼稚園時代はおかずが余って大きく感じていた重箱が、すっかり小さく感じられるようになり、感慨深かった。

 嵐のBelieveの踊りもかっこよかったし、クイーンのWe Will Rock Youでの入場もかっこよかった!ズン・ズン・チャで手拍子しながら・・・(笑)

 とても楽しい一日だった。

 そして、Hくんとの再会に、けっこう長いこと、不思議な感覚に包まれていた。

            

                

                      

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2010.01.16

 よろずや


 毎度、人には言えない悩み事を相談され、今回は夫も巻き込み、労働法やら民法取り出し、少しはお役に立てた。
 夫は法律に詳しい。
 味方につけると心強いが、敵に回すとたいそう厄介な男である。
 彼と親権争いしようなんて思わないもんね~(笑)

 法律があるがゆえに窮屈な場合もあるが、法律のおかげで人権が守られるんだなあと実感した。
 私たちは法治国家に暮らしているんだね。


                       ☆


 長男と幼稚園で一緒だったAちゃんが、同じ校区に引っ越してきて、我が家の目の前の道が通学路となった。
 先週久しぶりに会ったAちゃん。
 背と髪の毛が伸び、ランドセルを背負う姿に、涙が出そうになった。
 「Aちゃん、大きくなったね! 転校、ママ心配してたけど、Aちゃんが楽しそうで良かったよ。困った時はおばちゃんちに寄ってね!」
 と語りかける。
 涙をこらえながらの私には、たぶんおかしな気迫があり、Aちゃんまで涙ぐみそうになりながら「はい!」って素直にこたえてくれた。
 
 もともと仲良しのAちゃんママから引越しの相談を受けた時、ダンナさんが気に入ったというアパートの形状を聞き、ピンと来た。長男が1年生の時同じクラスだったKくんと同じところだと思ったのだ。
 Kくんのお母さんも、めっちゃいい人で、迷っている住環境や校区環境についてプラスのことを並べて伝えたら、Aちゃんたちは本当に引っ越してきた。
 入居前にAちゃんママをKくんママにメールで紹介し、例えばカーテンの丈について相談させてもらったり、Aちゃん家族の新生活は円滑にスタートした。

 Aちゃんママには以前、おっぱいマッサージをしてくれる助産師さん(素晴らしい方)を紹介したことがあり、最近も、私たちがお世話になっている小児科(先生は友達のお父さん)を紹介した。
 「まあちゃんが紹介してくれる人は、みんないい人なんだよね」と言ってもらえてうれしかった。

 日常にささやかな偶然は相変わらず起こっていて、それは狙ってではなく、向こう側から飛び込んでくる形で、私は自然な思いで誰かと誰かの間をつないでいる。

 なんというか、やはり、こういう役目があるんだなあと思う。


 小説を書く作業は、利他を願いながらもスタートは利己に違いなく、コツコツと書き続けながらも、今の私には違うという思いもぬぐえない。
 病を経たから余計に・・・。
 夢や理想は変わらずあるけど、人生のタイミングの問題。


 退院後に知り合ったある年配の人から、「オレの跡を継げ。看板あげなくても人がやって来るようになる」と言われ、その前段階とも言える相談ごとは昔っからずっとやって来るのだけど、私にもホントに人を救う特殊能力が身につくのだろうか? こうやって書いてる間はまだナイってことですが。

 直木賞とった白石一文さんが、編集者時代、藤沢周平さんから「『絶対作家になれる。40すぎてやればいい』って言われた」というエピソードを披露していたけど、男性の白石さんでさえ「40」ってのは目安だったんだな、と妙に納得する思いだった。
 myonさんに教えていただいた『私という運命について』はまだ読んでないけど、今、『僕のなかの壊れていない部分』を読んでいます。あの表紙、印象に残っていて・・・。
 今さらながら、白石ワールドのうまさにはまる。
 直木賞受賞作についても、白石さんが書きたいこと、かなり共感する。根底にある疑問や挑戦は同じような気がする。

 
 とはいえ今は、
 書きたい書きたい!よりも、私のすべきことは他にあるんじゃないか、と思っている(このブログは感情の発露なのでどうしようもない)。
 子供第一にした上で、利己ではなくあらかじめ利他に向かうような・・・。

 ひとまず目安の40歳までの過ごし方について、あらためて考えている最近。


    


              
                        

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2009.07.11

293 守られているという実感

 今、旅に出ている人が、置き土産のように教えてくれたマンガ、『聖☆おにいさん』。

 一昨日アマゾンで注文し今日届いた。それを読み、ゆったりした気持ちで笑っている。  

 http://morningmanga.com/lineup/25

 このマンガはもう、設定の勝利。どう転がしても、可笑しい。作者が1984年生まれということにもびっくり(もうそういう年頃の人たちが、多くの読者をつかんでるんだなあと・・・)。

 そして、たまたま今日、友達のミクシィ日記を見たら、その友達(Cちゃん)も同じタイミングで、『聖☆おにいさん』を読んでゲラゲラ笑っていた。

 Cちゃんとは、ほんっとうにほんっとうにシンクロすることが多く、離れて暮らしているのに、同じタイミングで同じ何かに触れていることが多い。

 はははと笑いながら涙が出てくる。

 存在だけで感謝したくなる聖なる友達。Cちゃん、いつもありがとう。

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 このところ触れさせてもらってきた、チリから一時帰国&就職活動中のSさん。このたび、豊橋の病院に採用が決まり(東京やら大阪やら巡ったうえで豊橋に決定かな)、現在家探し。昨日泊まりに来て、明日は一緒に物件を見に行く。

 今日のSさんは、市内に住む牧師さんのおうちに泊まっている。

 その牧師さんはコロンビアの出身で、派遣されて豊橋に住んでいるそう。

 そして、この地域(主に東海地域)で困っているスペイン語圏出身の方々の支えになっている。

 詳しいことはわからないけれど、牧師さんの生活は保障されていて、人々を助けることが牧師さんのお仕事らしい。

 なんというか、そういう存在がいてくれることって、本当に救われるよなあ。

 現在の日本に欠けている仕組みだったり、精神の支えが、世界のあちこちではちゃんと機能していることに素晴らしさを感じると同時に、日本人の生き難さについて考えてしまう。

 私は仏教の曹洞宗の家で生まれ育ち、と言っても、多くの日本の家庭のように、常に信心深く信仰しているわけではなかったけど、ただ、家に当たり前のように仏壇と神棚があるというのは、大きかったと思う。

 仏様や神様にお参りするのが当たり前の生活(もっと言えば、アニミズムというか、自然が近かったので、木や山や海のことも敬っていた)。

 今住んでいる家には、神棚も仏壇のスペースもつくってあるけれど、新家なので仏壇はまだない。

 なかなか難しいことだけど、子供たちも、なにか見えない大きな力に対する「感謝」や「祈り」の習慣を身につけてほしいなあ。 

 それにしても、豊橋に縁もゆかりもなかったSさんが、豊橋で働き始める偶然に驚く(というかもう、偶然が多過ぎて驚かずムフフと受けとめるようになったけど、冷静に振り返ると、東京のテレビ時代に出会ったSさんがチリ人のダンナさんと結婚し、今、助産師として豊橋にいることが不思議でならない)。それも私が子宮内膜症の頃から世話になり、息子たちを産んだ病院で。それなりに広い豊橋において、Sさん一家が大阪在住の頃からお世話になっていた牧師さんの家が私たちと同じ校区というのもすごい。

 前回牧師さんのおうちにお送りした時、娘ちゃん二人を連れた牧師さんにお会いした。

 見るからにやさしそうなお方だった。

 素朴にも見えたその方が、スペイン語でキリスト教について語る時、後光が差すほど素晴らしいんだって。

 毎度くどいけど、私は、「偶然は神様からのプレゼント」と思っている。

 数々の偶然に出会うと、「守られている実感」を得られ、うれしくなる。

 このよろこびを、表現という形にして世の中におかえししたい、と思いつつ、なかなか本という形にはならず、ブログを重ねてることが情けない気もするけれど、生活そのものが毎日本当におもしろくて、ここに書きたいことが増えてしまう。

 ちゃんと生活することは、それだけで十分たいへんなことであり、生活が満たされていれば他に表現することなどなくなるような気もしちゃうけど、ちゃんと生活してない人の表現がいっぱい増えているのを見ると、ちゃんとした生活の声を書かなくちゃという使命感に燃えるのも確か。ちゃんとって、表現って、生活って何?とは思いつつ。

 ま、ぼちぼちまいります(笑)。

         

              

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2009.06.13

279 チリのオリーブとらっきょと梅干し

☆以下、ほろ酔いで書いた文章で、長過ぎる!と思ったけど、思いがけず読んでくれた本人がポロポロ泣き笑いしてくださったので、このままUPします。

 チリから一時帰国中のSさんが我が家に泊まりに来た。
 Sさんとはこれまでにも、驚くべき偶然が重なってきた。
 出会いは東京のテレビ番組の制作会社にて。入社一年目の私がADとして関わった某番組に、フリーディレクターという立場でSさんが参加したのが最初の出会い。編集室にて、Sさんが過去に制作した番組が上映されたのだが、なんとその番組に私の大学時代の同級生が出てきた。しかもその同級生とは、キューバの映画学校に留学中の友達。Sさんは、キューバに取材に出かけ、たまたま私の友達(Aちゃん)を取材してきたのだった。
 うーむ。文字にすると伝わりにくいけど、何気なく見ていたモニターから、キューバにいる友達が出てきた瞬間は、びっくりたまげて、顎が外れそうになったよ!「これ!この子、私、友達です!」「えーっ!?」みたいな(笑)。
 仕事上の関わりを終えても、その後もなぜだか縁はつづき・・・
 Sさんが青年海外協力隊で出かけたエルサルバドルで知り合ったチリ人のダンナさんとともに日本に帰国した頃、私は井の頭公園の近くに住んでいて、同じく井の頭公園の近くに住んでいたAちゃんを介して再会。
 その頃、井の頭公園の近くに、ケニア帰りの親子(超美女母子)が住んでいて、そのアパートは、周辺の外国人のたまり場になっていた。私は当時、荻窪の豪邸でバイトしながらケニア帰りの女子高生に数学を教えていた(苦手なのに頼まれ、美人ママの無国籍料理を楽しみに通っていた)。Sさん夫妻もそのアパートに出入りしていて、そこで何度か顔を合わせた。
 井の頭公園の路上でアクセサリーを売るグループもあり、その方々の輪にSさんも私も参加。
 南米人と道端でつるみながら私はふと思った。こんなことしてるけど、Sさんは上智卒で、私は早稲田卒なんだよなあと。自慢でも自虐でもなく、ふと思ったあの夏。

 そして、その後も数々のつながりがあったけど、今回のつながりは、昨年、骨をうずめる覚悟でチリに渡ったSさん一家だったが、再び日本での生活を考えるようになり、一家の大黒柱であるSさんが先に仕事を探しに日本に一時的に戻ってきて、仕事先候補のひとつに、豊橋の病院もあるのだ。

 ふーっ。書きながら、全貌を書くのは無理だとわかったけど、Sさんは、その後のその後、助産師の免許を取得していて、今助産師として仕事ができるのだよ。というか、助産師としてがんばりたい人なのだ。

 んで、なぜ豊橋かと言うと、豊橋に、もともと一家が訪れるスペイン語の教会があるから(昨年知ったこの縁にも驚いた。しかも牧師さんは校区内に住んでる)。

 東京で出会ったバリバリキャリアウーマンだったSさんが、その後チリ人と結婚して、しかも豊橋に縁ができるなんて、つくづく不思議。
 豊橋は、自動車等の工場が多いこともあって、南米人の方々が多数住んでいるのです。
 当然ネットワークも生まれ、こういう土地なら、チリを恋しがるダンナさんや娘ちゃんたちにも馴染みやすいのではないかと・・・。

 てなわけで、私は今回、アッシーくんとしてSさんに協力(就職活動用の靴も差し上げた)。
 Sさんのチリ土産は、自家製オリーブの塩漬けと「メリケン」と呼ばれるインディオの香辛料(七味みたいでうどん等にも合いそう)とチリワイン!

 夕食は、息子たちのリクエストでから揚げ(鶏肉・豆あじ・かぼちゃ)と冷奴(薬味は茗荷・しょうが・庭の大葉)とあさりの味噌汁をご用意(おもてなしとしては手抜き)。食卓の上に、Sさんからいただいたオリーブと先月漬けたらっきょうと、夫が去年漬けた梅干しを並べたら、なんだかとても幸せな気持ちになった。

 遅れて帰宅の夫も交え、わいわい話しながら食べている途中、Sさんの弟さんの話になった。ここには書けないけど、姉弟とも驚くべき人生を歩んでいる。いろーんな話を聞きながら、気がつくと私は泣いていた。

 「どうして泣いてるの?」とSさんに言われ、私は人から「どうして泣いてるの?」と言われることが多いのだけど、目の前の会話がただただ目にしみるのだ。苦楽ひっくるめて、その人の気持ちになったり、人生っておもしろいなあ、人っておもしろいなあとしみじみ思い、ひたすら涙が出てきてしまう。

 以下、Sさんに関する断片的な思い出。

 某有名ドキュメンタリー制作会社に勤務経験のあるSさんが、出会ったばかりの頃語ってくれたこと。「ガンジス川で洗濯したこともあるのよ」。

 「貧しい相手と結婚して、自分は『Forbes』で億万長者の記事を書いてることに矛盾を感じた。父と母が立て続けに亡くなって『このままじゃいけない』と思った」

 私の最初の子供がまだ生後半年の頃、妹の住む函館へ行くために乗る飛行機が怖かった。「耳抜きとか言うけど、飛行機に乗ることが、赤ん坊の耳に良くなかったらどうしよう?」そう心配していた頃、ふと話したSさんは、「小さい子二人連れてチリに行かなくちゃならない」と言っていた。ブラジルに行ったことのある私は、それがどれほど遠いか体験で知っている分、函館程度でうじうじ悩んでいる自分がちっぽけに思えた。

 今回戻ってきて、急にかかってきた電話で「泊めて」と言われた時、Sさんが言っていた言葉。「チリの大地は本当に大地で、私には広過ぎた」

 Sさんと話すと、いつも大陸の風を感じ、小さなボーダーが消える。

 きっともっとスマートに楽に生きることもできただろうに、「それじゃ私らしくない」と言って、自ら荒波に飛び込んでしまうSさん。

 でも、いつ会っても「目の前の今」を生きているSさんは元気だ。

 素朴で純粋なんだよな。今回も子供たちと逆立ちしてたし(笑)。

 夫はSさんについて「今まで出会ったことがないタイプだな」と言っていた。彼なりの分析には、天動説・地動説まで飛び出した。

 いつまでも、変化していく人。

 最初に出会った、32歳の頃のSさんに抱いたイメージがまさに「変化の人」だった。

 結婚しても、子供を産んでも、46歳になってもなお、変化し続けてるって、本当にすごいと思う。

 かつて自分中心だった彼女が、子を持ってどんどん家族中心に変化している様子も見てきた。

 女は男以上に変われる。

 たいへんなこともいっぱいあるけど、せっかく女として生まれた現在の生を、めいっぱい楽しんでおきたいと思う。

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 タイトなスケジュールの中、急な来客を受け入れてくれた家族に感謝。特に子供たちの歓迎ぶりはすごかったし、ありがたかった。

              

         

        

              

    

                            

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2009.05.31

270 読書体験と魔女修行

 前回書いたアニキの娘さんに、私は本をお贈りしたことがある。

 梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』。

 この本を読んだ時、深い感動に包まれ、いても立ってもいられない気分で、何人かの友達にプレゼントした。ふだん、本をお贈りするのは押し付けになってもイヤなので、よほど感性の合う相手以外にはしないけれど、『西の魔女が死んだ』に関しては、迷いなくお届けしたい友達が何人かいた(ひとりは、このタイトルにも関わらず、出産祝いとして赤ちゃんの絵本とともにお贈りした:笑)。

 そして、誰よりも、その本の主人公と同じ年代に当たる女の子に、今!読んでもらいたかった。その時真っ先に思い浮かんだのが、本好きというアニキの娘ちゃん(当時中学生)だったのだ。

 今思えば熱病に冒されたかのような突進力で、お会いしたこともない女の子に本をお贈りし(アニキに仲介していただき)、ハードカバーにするか文庫本にするか迷いに迷った末、両方お渡しするという間抜けな状態で(文庫には文庫にしかない短編付きだったし、しかし、贈り物というからには、ハードカバーにしたかったし・・)、てんとう虫と葉っぱの付いたラッピングペーパーに包み、紙紐でリボンをかけたことも鮮明に憶えている。乳飲み子を抱えた状態で・・・(笑)。

 ありがたいことに娘ちゃんは、「号泣しました」という温かいお手紙をくださりホッとした。本当に、いったいあれは何だったんだ?と思うくらいの届けたい熱!だったのだけど、本というのはやはり出会うべきタイミングというのがあり、私は、『西の魔女~』を、主人公と同じ年代に読んでみたかったなーと切に思ったがゆえの行動であった。

 私の読書体験の最初の強い記憶は、小学校2年生の時に読んだ伝記。

 『キュリー夫人』と『野口英世』と『ヘレン・ケラー』。

 なぜそのチョイスだったのかは憶えていないが、確かまず『キュリー夫人』を読み切れたことがうれしくて、その他へ移行したような気がする(ちなみに、現在は『キュリー夫人』というより『マリー・キュリー』で出ています。時代の変化ですね)。

 どれも100ページを超えるような厚い本で(とはいえ字は大きい)、全体の内容を憶えてはいないが、例えば、<キュリー夫人が貧しいなか実験をし、パンを何日にも分けて食べたという場面を思い出し、給食にコッペパンとチーズ(確かアーモンドチーズ)が出るとキュリー夫人を真似るようなイメージでボソボソと食べていた(ついでに、その組み合わせの献立の時は細切りコンブの煮物とりんごとおしるこが付くことが多かった)>とか<幼少期の野口英世がいろりに落ちて手にやけどを負ってしまった場面とお母さんのもんぺ>とか<ヘレン・ケラーが「水」を認識する場面。芝生の庭先でポンプの水が泡のようにはじけて・・・そこは(自分の想像では)間違いなく陽だまり>とか、断片的に今も小学校2年生の時の目線でよみがえってくる。

 小学校2年生の時には確かにあった私の読書熱だが、その後まったくスポーツ少女と化した私は、きっちり社会人になるまでまともに本を読まなかった(見事に頭の中も筋肉だった)。

 でも、社会人時代に再び本を読むことに目覚め(テレビのAD時代、忙しさのみで一日が終わるのがくやしかった)、以後は、ほとんど毎日何か読んでいる。

 青春期によき本との出会いがなかったというのは、たいへん不幸だと思うけど(その頃は活字より体験だと強く信じていて、数少ない読んだ本で印象に残っているのも体験が描かれた『一リットルの涙』や『車椅子の花嫁』だった)長いブランクがあっても、再び本に戻ったのは、やはり小2の読書体験が根底にあるからだと思う。

 本によって、知らない世界に触れるおもしろさ。知を想像すること、外国を想像すること。本は確かに私にとって、世界の窓だと思う。

 窓を開けるとそこには、様々な世界が広がっている。時代も国境も超えて・・・

 今のところ息子たちは本への興味が薄いけれど(長男は私のキュリー体験と同じ小2であるが、まったく気配なし)、「ここ!」というタイミングでは、「絶対」という本を差し出したい。親になってから、子供にのこす本、というのも意識するようになった。遅ればせながら『ノルウェイの森』に感動した時は、思わず文庫だけではなくハードカバーも購入しておいた。いつか息子たちにも読んでもらいたいから(読んでないし買うつもりも今はないけど、『1Q84』人気、すごいっすね~)。

 『西の魔女が死んだ』については、小学校高学年から中学生・高校生の娘さんをお持ちの方は、よかったらお薦めいただきたいです(こんな風に強く思う本はこれしかない)。

 少女の繊細さを描きつつ、人生や世界、生と死を語ってくれる深さ(木々の緑やおいしそうな食べ物もたくさん登場するので読んでいて心地よいです。そもそも私がその本を読んだきっかけは、新聞で紹介されていた作中の「キッシュ」がおいしそうだったから!)。

 初めて読んだのは確か今頃の季節、5月だったと思う。おじいちゃんの命日(5月30日!・・・げげっ、この回は、おじいちゃんが書かせてくれたのかな?)とも重なる。

 思い出すだけで泣けてくる。あれは本当に傑作だと思う。

   

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 上記を書いたのは、28日の夜でした。この頃は、息子たちとともに9時半には寝てしまうような生活ですが、なぜだか目が冴え、ぐるぐる回転し続ける頭をおさめようと、ブログを書いていた。書いた時点では、祖父の命日が30日だと思い込んでいて(上記の通り、最後にハッとし)、30日にUPしようと思ったけれど、その後確認したら、命日は28日で、お葬式が30日でした。

 すると今度は、まさに命日の夜、祖父のことを思い至った流れ(眠れずにいた夜更け、『西の魔女』から祖父のことへ・・・というのも、『西の魔女が死んだ』というのは、おばあちゃんが亡くなる話なので)に、涙がこみ上げてきました。

 私は、おじいちゃんが、本当に本当に大好きだった。

 あんなおかしなひとはなかなかいない。

 この世で出会えて良かったな。そしてふとしたタイミングに舞い降りてきてくれるようで、やっぱり、死は別れじゃないんだな、などなど思い、タオルを握りしめて涙を拭き拭き眠りについた夜でした。

 (もう一つ、その夜は、『われわれはどこへ行くのか』というキーワードで結ばれた相手に上記の流れ(&すでに送ってあるゴーギャンの絵葉書)について、『一日の終わりに』というタイトルでメールをお送りした。つながる人とはどうしたってつながってる。つながってしまう。その不思議さと温かさに感謝し、そういう「冴え」や「受容」を今後も研ぎ澄ませてゆきたい。人生は魔女修行なのだ☆)

   

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 『西の魔女が死んだ』について、4年前、アマゾンに書いたレビューより

 <5月のさわやかな死>

 読み終えた時、やさしい光に包まれたようで、涙が止まりませんでした。
 本を人にすすめることはあまりしないのですが、この本は
 複数の友達に贈り、自分でもハードカバーと文庫とそれぞれ大切にしています。
 最初の楡出版(絶版)のものとはテイストが異なっているのが
 残念でもあるけれど、中身は本当におすすめです。
 この本を読んだ少しあとに、祖父が急に亡くなったのですが、
 「魔女」から教わった死のとらえ方を心の支えにしています。
 子供にも伝えていきたい素晴らしいお話だと思います。

         

           

    

      

         

         

     

              

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2009.04.02

239 心臓と偶然

  
 人間ドックの心電図で引っかかり、市内にあるハートセンターへ。
 春休み中の息子たちは、幼稚園の預かり保育にお願いする。お弁当を持たせて・・・。
 午前中で終わるかも、という淡い期待は早々に打ち砕かれ、結局、計4時間もかかった。
 センターは二度目だが、入った瞬間、100人ほどの患者さんにおののいた。
 一見して高齢の患者が多いが、中には作業服姿の働き盛りといった男性もいる。
 グレーのトーンの待合室で、それぞれが心配を抱えている真っ赤な心臓が、透けて見えるような気がした。

 私が心臓について楽観視できないのは、全く血筋による。
 母は30代の頃から血圧が高く、祖母は心臓発作のような形で亡くなっているし、伯母も心臓を患っている。おまけに、血圧の高かった従兄弟が、44歳の若さで、くも膜下出血で突然亡くなっている。4人も子供をのこして・・・。これはかなり派手な悲劇だった。循環器系に難があるのは、すべて母方の家系。というわけで、私も心臓については、気にするようにしている。

 それにしても、我ながら病院通いが絶えず、呆れるし笑えるし、泣けてくる。先月のめまいとも関係があるような気がする。
 長い待ち時間に備えて持ってきた読みかけの本は、人間ドックの結果が出る前から読んでいたものだが、偶然にも、心臓大動脈瘤が出てくる。村田喜代子さんの体験に基づく小説で、ダンナさんの心臓大動脈瘤とたたかう夫婦の話。
 タイトルは、『あなたと共に逝きましょう』

 夫婦連れ添ってやって来ている人たちも多い中、まさかこんなタイトルの本を目立つように読むわけにはいかない。タイトルが見えないようにそーっとそっと読んでいた。

 村田さんは、40歳過ぎて芥川賞をとった人。九州に住み、生活の確かなにおいが感じられる小説を書いている人。
 『あなたと共に・・・』は装丁の段階でもしや?と思ったけれど、やはり伊藤比呂美さんの『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』の装丁と同じく、菊地信義さんによるものだった。
 小説も、『とげ抜き・・・』と同じにおいを感じる。
 確かな生活、生活にまつわる修羅を知る人にしか書けない凄み。

 例えば、

<現代医学が科学治療の見通しの良い世界なら、民間療法は中にどんな魚が棲んでいるのか定かに見えないようなところがある。科学と疑似科学が入り混じって、人間の智慧と無知が一緒くたになって、慈善と商売が同じ姿をして隣り合っている感じがしないでもない。>

<結婚以来何十年、私が義雄に食事を作って食べさせた。義雄の体は私がこしらえた。その体を切られるということは、私もやられるのと同じことだ。今まではまさかそんなふうに考えるとは予想もしなかった。人間はその場になってみなければ自分の気持ち一つわからないものなのだ。>

 これを読んでいる最中、会計から母の名前が呼ばれた。
 「え!?」と思って見回したが、母はいない。名前の主が現れず、何度も呼ばれている。
 母の名前は、フルネームとなると多いとはいえない名前なので、本当に母なのかと思い、外に出て、携帯電話から母に電話を入れた。母は家にいた。「同姓同名の人がいる」と言うと、母も珍しがっていた。「それに、あんたが、その場で聞いてるってのもおもしろいねえ」と言って笑った。

 胸のレントゲン写真と心電図をとり、小説を読み終え、何冊か雑誌を読んでようやく呼ばれた診察室の前で待っていると、今度は私の名前に反応した伯母(冒頭に書いた、心臓を患っている伯母)が私を追ってきた。
 この偶然にもびっくり。
 近所の病院で近所の知り合いに会うわけではないのだ。
 伯母からすれば、ハートセンターは車で一時間かかる場所。
 聞けば、6週間に一度通っているそう。
 偶然に出くわすことが多いと、このブログでも何度も書いているけれど、本の内容、母と同姓同名の人、伯母(おじも)とのバッタリに、やはりまた笑うしかなかった。 

 伯母に聞いた話では、ハートセンターの名医(当時は別の病院にいた)に、かつて祖母は診てもらおうとしたのだが、診てもらう直前に院内で容態が悪化し、帰らぬ人となった。その時付き添っていた伯母は、そのショックで、伯母こそが意識を失ってしまい、狭心症と診断され、以来、その名医にお世話になっている。
 なんたるご縁(うれしくない縁だが)。
 19年も心臓の疾患と付き合い続けている伯母であるが、発症したのは50代とのことなので、私はまだ早過ぎる。

 おおごとではないと思っているけれど、この日の診察だけでは判断できず、24時間の心電図とやらを胸につけて帰ってきた(今装着している)。で、明日の夕方、再びハートセンターに行き、心臓のエコーと負荷心電図と診察。

 やれやれだよ、まったく。
 
 伯母と話しながら、「私なんて、20代の前半から病院との縁が切れないから、子供が成人するまで生きられたら御の字と思ってる」と言ったら、伯母が笑った。
 そして、「私はもう、22、3歳の孫がいるから、いいね」と言うので、「とっても幸せだと思うよ~」とこたえた。
 ほんとにそう思う。
 電話口の母にしても伯母にしても、私がハートセンターにいることを心配していた。

 人の寿命や運命は、どうやって決まっているのかわからないし、私だって、子供をのこせただけで十分なのかもしれないけれど、病院に多数集まるお年寄りを見ていると、ここまで生きてこられただけでも十分じゃないかな、と思ってしまう。

 私なんて、いつも、「今が心配」の繰り返し。
 産んで息絶える虫や動物もいるけれど、人間の子は、独り立ちするまでに時間がかかる。
 子供が大きくなるまで、お世話をしたいです。
 細々とでいいから(病弱な人ほど長生きするって例も多いように)、子供の成長を見守りたいな。
 長生きしたいとは思わないけど、責任は果たしたいよ。

 健康だと当たり前としてとらえる人が多いけれど、子が成人するまで親子ともに元気で過ごせたら、それはとてもとても幸せなことだと思います。


        


               

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2008.11.20

180 偶然力 

 いただきものの『ラスト、コーション』のCDを、繰り返し繰り返し聴いています。ひんやりした空気に、ワルツのピアノはよく似合う。

 もともと、「偶然」とか「シンクロニシティ」とかは、よく経験するほうだけど、この頃「これは」と思う人が当然のように自分の知り合いにつながっていたり、このネタを振ったら相手が反応するだろうと思ったら、ことごとく適中したり(珍しい場所を知っていたり、珍しい体験をしていたり、とにかくピンポイントの一致)、神様に感謝しつつ、自然に受けとめています。

 抽象的な表現になってしまったけど、私には霊能力はないけど、偶然力?みたいなものはあるのではないかと思ってしまう。それは、意識や努力で何とかなる問題ではないし(「行動」や「伝達」は重要だと思うが、そこに「作為」や「策略」が入ると幸運が消えてしまう気がする)、自分で引き寄せているというよりは、やはり見えない力、神様からのプレゼントに思えてならない。それら不思議な現象を受けとめて活かして、社会に還元しなくちゃと思うのだけど、ただひとつ足りないのが、アウトプットするための私の能力のような気がする。

 世の不思議に見合うように自分の能力を高めるのは容易ではないけれど、死ぬまでになんとかバランスが取れてほしいなあ。

☆☆☆☆

 先週末、少しだけ、地元の映画祭のお手伝いに行き、http://www.slowtown.info/index.php 前からお話してみたかったデザイナーさんが、川崎和男さんの研究室で学んだ経験をお持ちの方で、やっぱり!という川崎像も知れて興味深かった。改めて検索し、HPやブログなどを拝見し、すごい人だなあとつくづく思った。最近は、ペイリン氏の眼鏡が話題だけど、もっとずっと前から、すぐれた発想と提案と発言を、身を呈して行ってきた鬼才だと思う。

 ☆ http://www.design.frc.eng.osaka-u.ac.jp/kazuokawasaki.html

 ☆ http://artgene.blog.ocn.ne.jp/kawasaki/

 その映画祭で、たまたま『ぼくらの七日間戦争』でおなじみの宗田理さんの息子さんとお話し、宗田さんがポプラ社のお仕事もされている関係で、私の編集者さんともすでに面識があり、私の本も、すでにお手元にあった。加えて(上記の偶然の話につながるけど)、息子さんは私と同級生に当たり(宗田ファミリーは一時豊橋に住んでいらしたのです)、共通の友人もちょこちょこ、その他もろもろ、スゴイ!&ヤバイ!という展開だった。宗田さんのお言葉を借りるなら、「多くの部分で接点がありすぎて非常にびっくりしましたよ」。本当に非常にびっくりしつつ、偶然が続いている時期だったので、嬉しいなあ、ありがたいなあと温かい気持ちになっていました。
 私がその日、映画祭のお手伝いに出かけたのは偶然で、もともと親しいYくんも偶然入っていて、Yくんが紹介してくれたおかげで偶然いらしていた宗田さんと話し、開けてびっくり☆偶然の数々、という展開でした(Yくん&Yちゃんありがとう)。

 『ぼくらの七日間戦争』は、とても思い出深い本であり、映画なので(宮沢りえちゃんの長い足を思い出すなあ)、新装版を読んでみたいと思います。

 ☆ http://www.bokura.com/

 ☆ http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=40320010

 私にとって、不思議な縁の土地があるんだけど、市内で言えば夫の中学の校区(私の父の母校でもある・・・私の生まれ育った場所からは40kmくらい離れている)。そして、横須賀市。横須賀は父が青春時代を過ごした土地であり、結婚前の夫が、唯一一人暮らしをした場所であり、妹のダンナさんの出身地&巡り巡って妹家族の現在の居住地。

 これらはいったい、どういうことでしょうね。

 文字にしたらたいしたことなくなってしまうけど、上記以外にも、いろいろあった最近です。犬も歩けば偶然に当たる。っていうか、年取って経験や人脈が増えて、出くわす偶然が増えたってだけなのかな?しかしまあ、ある種の法則性はあるわけで、そのうち統計的にわかってくるでしょう。

☆☆☆☆

 文化の日にすっ転んでできた大きな痣やかさぶたは、おもしろくないくらい、あっという間に治ってしまいました。30代も半ばなので、もっと時間がかかると思っていたのに、ありがたいことです。

 金魚とかアメリカザリガニとか鼻ちょうちんとか『けろっこデメタン』を連想させた次男のおちんちんも、たいへんだったのは一日だけで、すっかり普通サイズです。

 神様に感謝して、生きていこう。

   

           

                 

                  

            

                

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