家族

2009.12.25

 いとしい日々

 

 クリスマス。

 毎年ケーキは手作りだったけど、今年は無理しないってことで、近所の和洋菓子店(ボンとらや)でスポンジを買い、子供とデコレーションしました。Photo

 スポンジは店頭には出てないけど、電話で問い合わせたら(夫が前に買ったことがあると言うので)OKとの返事で、24日、工場から直送のスポンジ21cmを1330円で買いました(ちなみに、18cmだと963円、24cmは2030円、その他、19.5や22.5もある)。

 21cmって思ったより大きかったよ。けっこうお得だと思います  (1年でいちばん忙しい日だというのに女の子の対応も良かった)。

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  ろうそくつけるとこんな感じ・・・

    

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 生クリーム1パックが足りないくらいの大きさでした。

  

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   ちなみに去年は、雪山シフォンだったね。      

    

Photo_5 親子ともにツリーを買いたいという気持ちがないまま、毎年もらいものの小さなツリー(卓上サイズ)を出していたけど、今年は、荷物をかけるポールに子供たちが飾っていた。

 最初は、折り紙の「せみ」などもとまっていて、七夕か?という感じだったんだけど、ちょうど24日に行われた幼稚園の同窓会で、長男がオーナメント一式を景品にもらってきて、ちょっとだけ豪華になりました(楽しけりゃ何でもよしってことで・・・)。

  

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 夕食のメインは夫が前日煮込んだビーフシチュー(副菜のマカロニサラダも夫作)。

 お祭り=ちらし寿司&手巻き寿司、ログハウス=豚の丸焼き、クリスマス=ビーフシチューみたいに、家族の定番ができつつあるなあ。

         

 「夫が料理する」と言うと、「それだけで他の嫌なこと全部許す」と言う奥様方はけっこう多いのですが、上記だけだと、いかにも円満そうな家庭だけど、この間の日曜も大喧嘩をして(きっかけは、夫が子供を強く叱ったこと)、たまたま訪ねる予定だった姑やら、夫の親友に話を聞いてもらったりしていました。

 ちなみに、この親友Kちゃんは本当に頼りになり、「彼(夫)はこういう性格だから・・」「Kちゃんよく知ってるね!」「あなたよりつき合い長いからね!」とわかっていてくれる(笑)。子供たちも大好きで、第二の父になってくれたらいいなあと思う(Kちゃんに限らず、第二、第三の父候補は多い方がいい)。今は核家族の密室育児になりがちなので、父母のみの狭い価値観の中で子供が育っていくよりは、多くの大人に出会って、色々学んでいって欲しいと思う。

 父親以外の異性なんてとんでもない!ではなく、父親の暴走を止められる(直接的ではなくても、「そうか、そういう考えもあるんだ」と子供たちが価値観の多様性を知れるような)異性はいてくれたらいいと思う(同様に、母親に関しても)。

☆☆☆

      

 長男の同窓会で、卒業式ぶりに会ったママ友達(私の病気について知ってくれていた友達)に声をかけたら(「私、元気だよ」って)、泣いてくれて、私も感動というか涙がこみ上げた。

 先方の思いを詳しく伺ったわけではないが、お互い家庭を持ったからこその、同情や共感、共鳴があるように思う。

 頭よりも体で感じて泣ける、ただただ涙がこみ上げるってのは、母になったからかなあ。

 娘ちゃんは、息子の初恋の相手で、お母さんもエレガントなお方。僭越ながらも、別れ際ハグさせていただいた(実体を抱きしめて確かめることって大切)。

   

 家庭を第一に地道に・・・とは思いながらも、私みたいに、放浪することや一人旅が大好きだったタイプからすると、思うように動けない今に、「わーっ」となることもある。

 でも、この間遊びに行かせてもらった次男の友達のお母さんと話してもスーッとしたように、結婚したから、子供を産んだから、新しく知れる経験や感情は多々で、やはり人間に生まれたからには、できることならやっておくのが自然な気がする。

 なかなか厳しい時代だし、いいことばかりじゃないけど、結婚や育児という未知を知りたいと思う人が増えて欲しいなあと思う。

          

 

              

                          

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2009.12.04

 同志

        
 退院後、夫婦の関係がまるくなったのは事実だけど、日々が続けばケンカは勃発する。
 ちっぽけなことから始まって、久々に大きなやりとりに発展し(子供は就寝中)、その翌日、私は姑に電話した。

 夫の親は私が病気になり入院していたことを知らなかった。
 私は知らせた方がいいと思ったし、入院中の負担が夫と私の親に集中することがいたたまれず、夫の親にも少しは手伝ってもらえたらと思っていた(なんと言っても実家から我が家へは車で一時間、夫の実家から我が家へは車で10分程度)。
 しかし、夫は断固拒否。
 ここで書くのは控えるけど、本当にややこしい関係なのです。

 時が経ち、それでもやはりと思い、私は姑に知らせた。
 今後も通院は続くし、親子で気をつけていても、急な学級閉鎖などある時期。
 実際世話にはならなくとも、何かあった時によりどころとなる場所はひとつでも多く確保しておきたい(夫の意向により、今まで一度も子供を預かってもらったことはない)。
 姑は「知らずにいて申し訳なかった」と言ってくれた。

 その後は、<共通の敵>について悪口合戦(笑)。
 一見悲しい光景だけど、私はいい関係だと思う。
 私も姑も、夫の短所について世界でいちばんよく知ってるわけだから。
 厄介な敵に立ち向かうにはこのくらいの結束が必要です。

 こういう、何でも言える関係になるには年月が必要だった。
 耐えて耐えて過ごし、たまりかねて一度ケンカを売ってから楽になったのだ。
 「あんたが産んで育てた息子に困らされてる私の気持ちを聞いてよ!」と・・・(モチロンそんなことは言ってないです)。

 「早く言ってくれればよかったのに・・」
 「言えないくらいたいへんだったんだよ」
 等々、延々話は続く。  

 そして・・・
 電話の終盤、私は泣いていた。
 夫には届かない姑の深い愛情を感じた。

 結局、
 姑も私も、
 違う姓から同じ○○家に嫁いだ点では同志なのだ。
 何の因果か、どう考えても「「悪」みたいなものに立ち向かわざるを得ずして過ごしてきた(いる)。

 というか、時代や性格もあって姑が立ち向かえなかった分、私が闘わざるを得なくなっている。
 ちゃんと愛して結婚したんですけどね。
 結婚後に知ったあまりのことに、夫と知り合うきっかけとなったおばさんに恨みを持ったこともあったけど、久しぶりに会った時その方は、「(タマシイや系図の)おそうじ、おそうじ」と言って笑った。

 今回の病気、自分で自分を責めてばかりいたけど、やっぱりどう考えても結婚のストレスもあった。
 はーっ、『渡る世間は鬼ばかり』が支持されるわけだ(ちゃんと見たことないけど・・・)。


 磯崎憲一郎さんの『終の住処』を読んだ時、最初は「これで芥川賞?」と思った(芥川賞はそういうもの多いけど)。でも読み進めていくうちに、背後に隠されている「悠久」を感じ、固有名詞ではなく、彼、妻、娘としているところにも一つのたくらみを感じた(選評が読みたい)。
 都会の核家族を描いているあの短編では、まだまだ甘いぜ!とも思ってしまうが・・・。
 それにしても今見たけど、アマゾンってつくづく、読み込めてない人の感情的なレビューが多い。


 家族小説を書きたい人の気持ちってすごくよくわかる。
 くだらないと思いながらも人間の問題について突きつけられ、それはちっぽけなようでいて、壮大だったりする。
 
 不本意なことはいっぱいあるけど日々学んでいるし、やっぱりそこに何らかの真実があると信じてる。


 姑に言いたいことを言えずにいる人は多いけど、そんな相談を受けた時は、「ケンカしろ」と吹っかけている(笑)。ケンカしたら終わりだと思って耐えてる人いるけど、超えるべきは夫でも姑でもなく、まずは自分なんだよね。打てば響くのか、打っても無駄かわからないけど、まず打ってみることで、何かが画期的に変わっていくよ(打っても動じないとわかれば、打って発散するに越したことはない)。
 自分が楽になる方法を工夫してみて欲しいです。とはいえ、どーしようもないツワモノもいるけどね。ね、☆☆ちゃん?(まだぐわんぐわんだったら、またご一報ください)

           


             

                 
 


        


                  

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2009.09.15

327 10年後のサザエさん

       
 日曜、久しぶりに発熱した。
 風邪ではなく、明らかに疲れからだと思う。
 土曜、夫が会社の柔道の練習&飲み会で一日留守で、子供たちにせがまれ、お気に入りの温水プールに出かけた。一人で二人見られるようになったことはうれしいのだが、やはりなかなかたいへんだ。
 長男、次男両方の要求に応えなくちゃならない。
 「(浮き輪を)引っ張って~」「競争しよう!」「潜水やりたいから足開いて~(間をくぐるため)」
 このところ、病気知らずで、子によって自分も鍛えられたものだと思っていたけど、やはり甘くはない。
 おまけにその日は、長男の柔道の日でもあり、兄弟については休息を心がけたものの、自分はうまく休めなかった。

 そして、夫のいる日曜(酔っぱらって最近では珍しく乗り過ごして、帰ってきたのは朝なのだけど)、気がゆるみ、昼寝後の夕方、熱が上がってきた。
 テレビでは毎週おなじみの「サザエさん」。
 サザエはカツオとワカメにタラちゃんの子守りをお願いして(実際にはタラちゃんがついてきてしまったけど)、デパートにバーゲンに出かけていた。
 考えてみれば、サザエさんというのは、ものすごく恵まれた育児環境にある。
 自分の両親と同居、やさしいダンナ様に元気な弟と妹もいる。
 この時も、たとえカツオとワカメの子守りが無理でも専業主婦の母親に頼めるだろうし、二重三重に救いの手がある。
 そんでバーゲンかよっ!と、初めてサザエさんに敵意?を感じたね(笑)。
 今までは、サザエ&カツオは、自分の仲間だと信じて疑わなかったのに・・・。
 そしてふと思った。
 10年後のサザエさんは、年老いた親の介護や弟妹の進学・就職問題などを抱えているのだろうか。
 永遠に進みはしない物語だけど、その先がパロディーでもいいから垣間見たいと思った。


 私が高校生の時、『ちびまるこちゃん』、大学生の時、『クレヨンしんちゃん』の放送が始まった。
 ファミリーものということもあって、不動の人気番組・サザエさんと比較されることも多かった(両者がこんなに続いているのはびっくり)。
 友達は「『クレヨンしんちゃん』は『サザエさん』と違い、登場人物が成長して変化していくからいい」と言った(でも、ひまわりちゃんが生まれてしばらくしたら止まってしまった)。 
 『サザエさん』というのは、長谷川町子さんが描いた、その世代の夢の物語なのだろうか。
 男を立てながらも、女の人が楽そうに見える。楽しそうとまではいかないけど、楽そう。
 子供目線で見ていた昔より、妻目線、母目線で見る今は、「おいおい」と思うことも多い。
 どこまで今の設定のまま、つづくのかな?
 パソコンや携帯電話が登場する日は来るのかな?(地味に電化製品など変化してるけど、ネット系は来ないかな)

  
 ☆まだぼーっとしてるけど、熱は下がりました。
 エネルギーのなさに、自分が無味無臭、もしくは薄味になっていくようで、もともと淡白な人ってこんな感じなのかな?それはそれでうらやましいなあ、と思ってしまった。
 喜怒哀楽や書く意欲って、体調と直結してるんだなあ。

                  


               

           
           

           
                        

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2009.07.01

287 びっくりはへび

          
 家族で食事中、次男が泣き入り引きつけ(憤怒けいれん)という乳幼児期特有の引きつけを50回以上起こしていた時期の話になり(←珍しいことで、ホトホトまいっていた)、
 「むーくんは、50回以上も引きつけしてびっくりだったよ」と伝えると、
 「オレが?50回も?」
 と、当の本人は、うれしそうに目を丸くした。
 「でもね、むーくんの時は、まーくんで1回見たことがあったからまだ平気だったけど、まーくんが初めて引きつけた時は本当にびっくりした。イトーヨーカドーの遊び場で、大きい子に後ろから乗られて、びっくりしたまーくんが泣き過ぎて息止めて引きつけちゃってお母さん何が起こったのかわからなくて、裸足のまま、まーくん抱えてレジのおばさんのところに飛んで行って、『救急車呼んでください!』って言ったんだよ。本当にあの時はびっくりした。人生でいちばんびっくりした」
 と話したら、「人生でいちばんびっくりした」という言葉に反応した長男が、
 「じいじが首に蛇巻いた時より?」
 と言うので、なんじゃその記憶?と思った。

 私の頭に浮かんだのは、マレーシアだったかを旅行中、ニシキヘビを首に巻いた満面の笑みのじいじの写真(王冠もかぶっていた気がする・・・)。

 しかし、長男の記憶は違っていた。
 「じいじのおうちで、蛇が出た時、じいじが捕まえて首に巻いたじゃん」

 あーあー、思い出した。

 3年前の夏の日(長男4歳&次男2歳)、実家の庭の隅(家の前の道につながる緑が多いところ)に長~い青大将がいた。
 私の父は、蛇がまったく平気で、近くにいた息子たちに見せようとひょいと蛇をつかんだ。蛇は大慌てで頭をレンガの陰に突っ込み、父は蛇のしっぽをつかんで、びよーんと引っ張った。蛇もがんばってレンガの陰にしがみつき(どういう状態だったかは???)、父と蛇の力比べ。それはそれは長い蛇がびよーんとまっすぐに伸びたのだった。

 その後、捕まえた蛇を、父はやさしくなでなでし(本当にお友達のようだった)、パフォーマンスとして自分の首に巻いた。
 蛇は袋状のものに入れると落ち着くらしく(父の弁)、作業ズボンの大きなポケットにそっと入れて、父はどこかに逃がしに行った。

 あの夏の日の蛇のことを、息子が憶えていたなんて・・・いやしかし、あのキョーレツな光景は忘れることがないか(私にとっては、びよーんのほうがキョーレツだった)。一緒に見ていたはずの次男は忘れてしまったけど、たぶん、長男には残りつづけると思う。

 <おじいちゃんが首に蛇を巻いた>

 という記憶が残る子供は、今の日本にはそんなにいないだろうなあ(笑)。


        
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 10年前に失くしたと思っていた『パルプフィクション』と『トレインスポッティング』のCDが見つかり感激。それも、何度も確認したはずの、『トレインスポッティング』のケースの中に2枚とも入っていた。
 何度も開けてガッカリした記憶があるケースの中から出てきたCDは、「現れた」とか「生まれた」という感じで、桃をパカッと割ったら桃太郎、竹をパカッと割ったらかぐや姫みたいな驚きだった。
 そういう不思議なことって、たまにありますよね?(私がボケてるだけかなあ・・・)

   
         


          


               


             


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2009.06.23

283 変化と変態

          
 日曜に夫が「開き」にしていた鯵を月曜に焼いて食べた。
 びっくりするほどおいしかった。
 毎週土日は、夫が食事を作り、必ず魚料理も食べている。
 夫は釣りもするけど、魚をさばくのが巧く、この辺では魚が安くて豊富な「サンヨネ」というスーパーで板前さんのように吟味して買ってくる(うちの近くのスーパーでは、夫はシングルファーザーではないか、と思われているくらい買い物に出かけている)。
 その日は、一匹あたり39円の鯵を買ってきて、半分は刺身(ネギや大葉や生姜とともにたたき風)にして食べ、残りの6匹を開いて塩を振り、天日干しではなく扇風機の風を当てていた。
 刺身で食べられる新鮮な鯵を開きにし、新しいうちに食べたのは初めてだったが、本当にいいお味だった。
 子供たちも喜んで食べた(私たちが楽しく食べた後、夫は帰宅した)。

 この頃、夫の株が上がっている。
 チリからやってきて就職活動中のSさんを快く泊めたり(私に対し「できることは手伝ってやれ」という姿勢)、ちょっとした悩み事で電話をしてきた妹に助け舟を出したり、彼が本来持っていたはずの「やさしさ」を発揮している。
 そういう姿を見て、余裕が出てきた今をありがたいと思う。

 子供が小さかった頃は、私も夫も、本当に余裕がなかった。
 つき合いが浅いうちに結婚してしまったので(まったく勢いと勘違いで暴走&バクチ)、お互いのこともよくわからず、「こんなはずじゃなかった」と思うことが多かった。

 小説に書いたことはもちろんすべて事実ではないけど、ケンカはかなりした。今ももちろんケンカすることはあるけど、テーブルをひっくり返したり、青あざができたり、裸足で飛び出したり、といった派手なものはなくなった。ま、そういうケンカがあること自体信じられないと言う人も多いけど(笑)。

 お互いの醜さを全力で出し合い、一周回って、今は落ち着いている。
 子供が大きくなったことや、父親になついてきたことも大きい。
 幼い頃はどうしたって子供は母親第一で、母親も子供第一な分、父親が疎外感を覚える気持ちも、今なら理解できる。その段階の家族の関係性に悩んでいる友達には、親身になってアドバイスしている。

 なにより、私の小説やこのブログをまったく見ないことも彼の価値を高めている(笑)。
 その点については、編集者さんも感心している。
 私が世に向けて伝えたいことが、最も身近にいる夫に伝わらないということは、さみしくもあるが、夫の目を気にせず自由に書けるメリットの方が遥かに大きい。

 創作に関しては、なにものからも自由でいたいからね。


 ところで、日曜、夫が鯵を調理中、私と息子たちは、カエルになった、かつてのおたまじゃくし2匹を逃がしに出かけた。去年の秋、おたまじゃくしとザリガニを釣ってきた緑地公園の池へ・・・。
 ザリガニは冬を越したものの、ある時バタバタと死んでしまった。おたまじゃくしは冬を越して春になっても足が出てこず、栄養が足りないのかな?と思っていたら、今月になって、にょきっと足を出した。
 私は田舎で育ったけど、おたまじゃくしがカエルになる過程を観察したのは初めてで感激だった。
 おたまじゃくしに後ろ足が生えたかと思うと、前足も出てきて、丸々太った下ぶくれのおたまじゃくしの顔が、じょじょに角ばったカエルの顔になっていき(いとうせいこう氏に似ていた)、しっぽが短くなった。
 「変態」を親子で観察できておもしろかった。
 おたまじゃくしの時は、市販のめだかのエサなどあげていたけど、カエルは生きエサを好むので、弱らないうちに池に戻すのが一般的らしい(男子の母の先輩・西原理恵子さんも、足が出てきたら逃がすと書いていた)。
 写真を何枚も撮って別れを惜しむ息子たち。
 元々カエルは平気だけど、我が家で足を生やしたカエルくんは、我が子のようなかわいさもちょっとあり、生えはじめの足は「あんよ」と呼ぶにふさわしかった。
 旅立ちがいちばん寂しかったのは私でした(水槽洗ったり、水替えたり、世話の大半は結局私だったしね:笑)。

  
 さて、今日は、予約してあるともさかりえちゃんの『トリドリ。』を買いに行く。
 明日は『いけちゃんとぼく』を観に行く予定。
 週末は舞台。りえちゃん月間の6月(小説も、鋭意進行中)。


   


          

                          

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2009.05.06

258 オランダのわんちゃん♪

 今日は、いとこの娘ちゃんの、わんちゃんのブログをご紹介。

 わんちゃん(本名は沙絵ちゃん)は、オランダの美大に留学中の23歳。昨年の2月、伯父宅で初めて会った。初めて会ったというのに、温かくて近い。血のつながりというのは不思議なものだなと思った。

 写真も文章も面白いので、機会を見て、ここでも紹介したいと思っていたが、このたびわんちゃんのパパママがオランダを訪ねた日記が、親戚ということを抜きにしても面白かったので、許可をいただきました。

 (のちほど、じっくりお楽しみください) http://saehond.exblog.jp/10923475/

 ママが私の父方のいとこなんだけど、わんちゃんと私の顔は確かにどこか似ているところがあり、このブログを見ると、わんちゃんはパパに似てるので、あれ?私もパパに似てるのかな?と、おかしなぐるぐるを頭でめぐらす(笑)。

 素敵なパパとママだけど、かつては色々あったらしく、それは子供時代の私の耳にもほんの少し入ってきたし、私が夫と大喧嘩してる頃は、伯父が「娘のところも・・・」と父を慰めた。昨年わんちゃんからも、ハードでシュールな話を聞いた(笑)。

 それが今のこの仲良しぶり。花の色とか、パパママのファッションとか、うっとり♪

 夫婦って、家族って、続けていかなくちゃ見えない関係、得られない未来ってあるんだなあと、勝手に感慨深くなる。

 この回以外にも、わんちゃんのステキな写真、アートのお話があるので、よかったら、さかのぼって(気に入った方はこれからも)ご覧ください。

 お互い、目の前の日々を慈しみ、よき作品をつくりましょう!

 LOVE わんちゃんheart01 (おねえちゃんも、いつか会おうね!)

 

             

               

           

             

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2009.04.18

248 逗子

 息子の看病でヘロヘロだった時にかかってきた、妹からの電話。

私:「もしもし、なに、急ぎ?(過去にひどい言い方をしてきたので、これでも努めて穏やかに・・・)」

妹:「ううん。昨日の夜ね、逗子のバーに行ったら、ふつーに<キマグレン>がおったよ!」

私:「えっ?逗子のバー?家族で行ったの?」

妹:「うん、そうだよ。<バナナズバー>ってところで、見たいライヴがあったじゃんね」

私:「なにあんた素敵なことしとる?(笑)」

妹:「そうだら~(←誇らしげに)、やっぱりこの辺って、素敵なんだよねー」

 妹家族は、かつて転勤族だったが(実際、妹が嫁いだのは函館だったが)、子供の誕生を機にダンナさんが転職し、今はダンナさんの実家の近くの逗子に定住している。

 しばらく、ライヴと、いかにしてキマグレンの二人に遭遇したかの話になり、妹はキマグレンに話しかけてないとのことだったので、

私:「今度会ったらさ、ウソでいいから、『私も好きなんですけど、お姉ちゃんがもっと好きなんです!』って言って握手しといてよ!」

 とお願いした。

 とはいえ昨夏、『LIFE』を200回以上連続して聴いた後は、聴いてなかったりするのだが(今も二人の爽やかさは大好きだけど、毎度のことながら、去年のあの熱はいったい何だったんだろう・・・)。

 かつて東京にいた頃、なぜだか三浦半島と縁があったこと(父が青春時代を過ごした横須賀&三浦マラソン参加&「海を語るシンポジウム」の司会~加山雄三氏の船でパーティなど)や、友達と出かけた鎌倉辺りや江ノ電が好きで、関東で結婚するなら、この辺に住みたいなあ、文化人って人たちがこぞって住みたがるのも分かるよなあ~と思っていた。

 その土地に、妹が住むようになるなんて、笑っちゃうけど、うらやましい。

私:「なんていうバー?」

妹:「<バナナズバー>、あれ?<ハバナズバー>?<バハマズバー>だったかな?」

私:「・・・豚に真珠だな(笑)」

 なんにせよ、妹は、やさしいダンナさまと、ダンナさんにそっっっくりな娘ちゃんと洒落た海辺の街で暮らしていくのだ。根本きこさんのカフェも自転車の距離らしい(って、妹はナチュラルテイストってやつが好きだけど、私はもっと毒々しいんだけど)。

 同じ田舎で育った私たち姉妹の、それぞれの行く末が楽しみだ☆(この夏は、一週間ほど遊びに行く予定です)

 調べたところ、バーの名前は<バハナズバー>

 「豚に真珠」って言っちゃったけど、この名前は間違えてもおかしくないね。

 http://www.vahanasbar.com/HawaiianStyle_vahanasbar.html

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 ☆イチローの新記録達成、すごかったですね。

 彼のバット職人さんが岐阜県の方ということもあって、こちらの新聞等ではよくお顔を拝見するのですが、お名前が、久保田五十一(いそかず)さんと知ってびっくり!!! イチローの背番号51と重なるではないか。

 この偶然に驚き、もしや、イチローの活躍後に付けた芸名?なのかな?と思って調べてみたけど、そのような情報はなく・・・。

 神がかった人は、様々な伝説をお持ちだよなあ。

<上記を書いた翌日、新聞に出ていた記事によると・・・「五十一」の名は、父が五十一歳の時に生まれたから。自身の入社五十一年目に、背番号「51」が達成してくれた快挙。・・・>

 とありました。入社五十一年目ってのもすごいなあ。「バット職人として半世紀」だそうです。

☆今週末より、雑誌『edu』のHP内の、子育てブログ集に、私のブログも加わりました。

 存在を知ってもらってなんぼ、と思い、先月衝動的に申し込んだものです。

 以下のページの、カテゴリー「子育て」内、ずずずーっと、下から二段目に、<NEW『緑の下で深呼吸』>と出てきます。紹介文は先方が考えてくださったものです。

 http://web-edu.jp/blogportal/bloglist.html

 今後も慎重に、ピンポイントで営業活動をしたいと思います♪

         

                

           

                        

                      

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2009.03.30

237 弟の結婚式

 まさか最初から泣くとは思わなかった。
 バージンロードに立つ弟を見た時、
 「あー、弟はいつの間にか、一人で立ち、お嫁さんを迎えられるほどに成長したんだな」と思った。
 お父様と一緒にバージンロードに立つNちゃんを見た時、ここまで大切に育まれてきた彼女が、弟と結婚してくれるなんてありがたいことだな、と思った。

 その後は、弟とNちゃんの神妙な顔やらついついこぼれてしまう笑みに、こちらも泣き笑い。

 キリスト教式というのは弟カップルからすると意外でもあったが、神父さん(外国の方が日本語でわかりやすく説明してくれた)のお話の、「人生において大切なものは、愛と信仰と希望である。そのうち、もっとも大切で強いものは愛である」みたいな言葉は(聖書の原典も調べたけど、こちらの言葉の方が自然に耳に入った)、時代や国や信仰を超えた真実を表していると思い、感動した。

 披露宴にて。

 新郎新婦登場直前は、弟自作のDVDによるふたりの紹介。ちなみに弟は、招待状や席次表、メッセージカードの類をすべて制作した。
 弟は、Webデザイナーをしている。
 大学卒業後(確かダブルスクールでバンタンデザイン研究所へ通い)、広告デザインの仕事に就いた。東京で5年働いた後、地元に帰ってきて、最初は広告関係の仕事を探し、実際に印刷会社に就職もした。しかし、紙媒体の限界や思うところあって(通勤渋滞にも耐えられず)、独学でホームページの制作を学んだ。そして、起業。私のふるさとの半島においては、いち早くWebデザイナーなる仕事を始めたため、ありがたいことに順調に仕事が続いている。

 こーいうのや http://www.foodoasis.jp/ こーいうのや http://agriwith-yasuda.jp/

こーいうの http://www12.ocn.ne.jp/~aspen/  等々を、つくっております。

 弟が地元に帰ってきて就職する時、私も私なりの人脈を紹介したけれど、独学でホームページのことをやり出した時は、我が弟ながら、よくがんばってるなと思った。

 20代続いた農家の長男(弟で21代目)。

 先祖たちがなんとか絶やさないようにしてきた家を守りながら、自分のやりたいことを仕事にするのはかなりの努力を要する。

 そんな弟がつくったスライド(音楽は『20th Century Boy』)は、ユーモア混じりの、なかなか見応えのあるものだった。

 スライドのラスト、「3、2、1」のカウントダウンに合わせて扉が開き、新郎新婦入場。

 新婦のNちゃんは、小学校の「音楽」の元講師で、ピアノ教室を主宰している。生徒さんは50人もいるそう。その上、自分自身、声楽の勉強やコンサート活動を続けていて、かと思えば、旅好き・秘境好きなアウトドア派でもある。

 Nちゃんは、スペイン辺りにいそうな、目のとびっきり大きな美女。

 弟は目が小さく、じゃがいもにそっくり。中田の登場で、ま、こういう顔もありかな?というタイプ(フォローにもならないけど、小さい頃は目が大きくてめちゃめちゃ可愛かったんですよ・・・笑)。

 そんな2人が結婚しました。

 馴れ初めは、Nちゃんが勤務中の小学校に、私たちのいとこ(Mさん)が勤務していて、Mさんが、弟のことはよく知らなくとも(いとこの中での最年長と最年少ということもあって)、私の実家の家風にNちゃんは合うだろうと思って引き合わせてくれたのでした。

 まさかまさかで交際が始まり、順調にゴールイン。

 私の長男が、幼稚園の年少で担任してもらった先生がNちゃんの高校時代の仲良し友達だったご縁もあり(またしても偶然)、私も早いうちからNちゃんに会い、意気投合していた。自分の道を追求したいNちゃんの気持ちはよくわかるから。

 キョーレツと言われがちなNちゃんらしいけど、キョーレツな姉を見て育ってきた弟には免疫があり、最初から弟が「お前に似ている」と言うので、「そうかそうか、あっくんは、やっぱり姉ちゃんに似た人を選んだんだね」とからかっていた(笑)。

 しかし、大きな違いは、私に経済力はないけど、Nちゃんにはある!これはとても立派なことです。

 披露宴で特に目を引いたのは、Nちゃんのお友達によるピアノとバイオリンの演奏(『情熱大陸』のテーマソングを結婚式に合わせてアレンジしてくださったもの)や、カラオケによる『あ~よかった』の熱唱。演奏は感動的だったし(音楽の力に涙)、カラオケもめちゃめちゃ上手いので、思わず立ち上がって手拍子していたけれど、後で聞いたら「劇団四季」の方だったそうで!!

 私たち親族だけではあり得ない新しい風びゅんびゅん吹きまくりの芸のご披露に、結婚ってすごいことだなあと改めて発見するような思いだった。

 一人で生きていくより、二人で生きていくことは、それぞれの能力にそれぞれの能力を加え、かけ合わせていくことなのだなあと思った。

 明らかに、弟にはない能力をNちゃんが届けてくれ、お互いに発展していけるようで、二人の門出に際し、清々しい気持ちになった。初心を思い返すというような殊勝なことはないけれど、客観的に「結婚」の良さを感じさせてくれた。

 結びの新郎父の挨拶で、印象的だったこと。

 「私たちは同じ家で別の仕事をしていくことになります。家族で支え合ってハーモニーをつくっていけたらと思います」

 「手塩にかけた娘さんを嫁に出す気持ちは、私どもも姉を二人嫁がせたので、重々承知しております。その点は、どうかご安心ください」

 父のこの言葉に涙。

 思えば、私は結婚によって、両親を苦しめた時期もあった。その上で、今回、実家がお嫁さんを迎える側になってみて初めて、夫の偉大な部分も改めてわかった。両親や弟が、Nちゃんを苦しませることのないように努力していくそのかげには、私のかけた苦労も響いている。お互い経験を積めたことをありがたいと思って生きていきたい。

 その後の、弟のスピーチも、手前味噌で申し訳ないが、素晴らしかった。

 妹も弟の友達も言っていたけれど、今まで見た新郎挨拶の中で、いちばんうまかった。

 堂々と、伝えたいことを述べ、多方面への感謝の気持ちを口にし、かと言ってかたくなり過ぎず、適度なユーモアと余裕を見せ、うまくまとめた。

 その中にあった、

 「ぼくたちは、結婚しても、それぞれの仕事を続けていきます」

 この言葉には、今の時代の夫婦像を感じたし、つくづく弟は、知らないうちにすっかり成長したんだなあと胸が熱くなった。

 身内ネタ(ごく個人的な日記)で申し訳ないけど、素晴らしい結婚式&披露宴でした。

 うちの息子たちと妹の娘ちゃんは、途中飽き飽きしてしまったけれど(スーツを脱ぎ出すわ、タイツがずり落ちるわ)、それでも、余興一発目をキッチリがんばってくれました。

 ともあれ、無事に結びとなってよかった。

 そして、これからが新しい始まり。

 両親と同居してくれる弟夫婦を、見守っていきたいと思っています。両親と弟の長所・短所は重々わかっているし、結婚や育児のたいへんさとおもしろさはそれなりに体験してきました。加えて、結婚しても自分の道を追求し続けたい気持ちには本音で共感するので、Nちゃんの身になって、精一杯応援したいです。

 弟は31歳で、Nちゃんは28歳。

 参列してくれたNちゃんのお友達には、結婚に夢を描く女の子たちもたくさんいて、微笑ましかった。

 「結婚」に迷いやバカバカしさを感じ、する前からやめてしまう人もいるけれど、未知なるものへの挑戦という意味でも、私は「結婚」「夫婦」「子供」というものにトライしてみたかった。トライすることで初めて見えたこと、知ったことがたくさんあり、自分を中心に横に広がりがちだった世界が、結婚のおかげで、先代・次代という縦の世界へもふくらんだ。どんな形であれ、新しいステージに進めたことは良かったと思っているし、まだまだ途上にいる。

 たかが結婚、されど結婚。

 結婚について、無条件に憧れていた時を過ぎ、冷めた目で眺めることもあるし、私自身、結婚なるものがよくわからないけれど、ジタバタもがきながら、「結婚」をまずは求めている人たちのことを私は肯定したいし、共感したいし、応援したいなーと思う。     

        

            

             

                         

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2009.03.27

236 日曜は、

 弟の結婚式&披露宴です。

 弟が結婚だなんて笑っちゃうよなあ~と思っていたけれど、日が近づくにつれて、泣くかも・・・と思っております。

 しかしなあ、子連れなので、感慨にふけってるヒマはないのかな。

 だいたい、結婚式が初めての息子たちは(正確には、長男は生後4ヶ月の時、妹の結婚式に出ているのだが)、「結婚式」や「披露宴」というものがどういうものなのか、とても謎のようで、あれこれ質問してくる。

 「ねえ、結婚式の時って、トイレ行ってもいいの?」

 「ごちそう食べたらお金を払うの?」

 「オレンジジュースってある?」

・・・一昨日、テレビでマグロ漁師の番組を観ていた時、「マグロで家を建てたい」というナレーションが入った途端、「ねえ、マグロで家ってどうやって建てるの?骨で建てるの?」と真顔で聞いてくるくらいのレベルだから(長男7歳が:笑)、結婚式とはそれはそれは未知のシロモノだと思う。

 加えて、たまたま私の頬にあるホクロを息子たちが笑うので、「ばあばなんて、頭にイボがあるんだよ」と話したら興味津々になってしまい、見たがるので、「結婚式の時は絶対に『見せて』って言っちゃダメだよ」と言ってあるのだが、心配(笑)。

 息子たちの服はそろえたけれど、自分の服がまだ決まらない。

 最初は着物を着る気マンマンだったのに、失せた(笑)。

 島根時代に染色家の方からいただいた真っ赤な絹のショールがあり、それがとても気に入っているので、参列者が重ならない限りは、パーティでそのショールをまとっている。それに合わせる黒いドレスが4種類あるんだけど、この10年、妊娠を除けば体型はほとんど変わっていないのに、おもしろいほど、その時の髪型やシチュエーションによって、似合う似合わないが出てくる。

 子供がまだ小さいのにこれは変か、とか、逆に40歳を超えたらまた着られるんだろうな、とか・・・。

 女ってそこが面倒くさいけど、おもしろいですね。

 ちなみに、ただ今の髪型は、黒髪のショートボブ。

 ドレスを2種類まで絞ったけど、後は妹と相談します(お互いに・・・)。

 弟単体よりも、家族の移り変わりを思うと、泣けそうだなあ。

 弟の結婚をいちばん心待ちにしていたおじいちゃんは、今は天国。

 たまたま昨日、ケツメイシの『さくら』や『君にBUMP』を聴いていて、おじいちゃんがいなくなった夏、弟の車でこのCDを聴いたなあと思い出した。

 それから知り合った彼女と、めでたく結婚。あんまり書いちゃ申し訳ないと思ってここでは控えていたけれど、私もすっかり仲良しです♪

 弟に、結婚を意識する彼女ができて初めて、私は旧姓への執着が消えました。かと言って、今の姓には、きっと一生かかってもなじめないと思う。結婚が謎ってのは、私も変わらないなー(笑)。

 うーむ。

 色んな意味でソワソワ。

 ともかく、幸せな旅立ちになりますように☆

           

                  

        

        

               

  

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2008.12.30

196 給水女房

 「女房役」は、自分には向かないと思っていたし、今も思っている。
 誰かの女房になることに憧れた時も確かにあったのに、いざ「女房」ってものになってみると、面倒くさくてしかたがない。ってほど、役割を果たしてるわけでもないけど・・・。

 1年を振り返るにあたり、思い浮かんだ自分のキャッチフレーズは「給水女房」だった。
 給水って、そう、アレです。マラソンランナーとかが途中で水分を補給するためのドリンク。
 今年の私は、ランナーではなく、明らかに給水役だった。「給水係」よりも「給水女房」の方が、水を差し出すたいへんさと哀れさがにじんでいるから、そんな感じ。
 主役じゃなくて、補助、補助の一年でございました。
 しかし、家族(夫・息子・息子)は私のこの気持ちには気づいていない。
 妻や女房や母は、いて当たり前、務めを果たして当たり前と思われがち。
 そこに日本の問題点があるのではなかろうか?(また大げさな・・・笑)

 まあでも、務めを果たして当たり前と思われているうちが華か。

 今年の給水がなぜしんどかったかと言えば、ランナー(世話すべき家族)がだんご状態でやって来るのではなく、先頭から後方まで間が空いていたからだ。

 朝5時20分、夫のために起床。朝食(主にご飯と味噌汁と納豆を用意)
 その後、二度寝(もちろん起きてしまうことも何度も試みているが、夜まで体力がもたないので断念)。

 6時30分、長男のために起床。朝食(主にご飯と目玉焼きと牛乳を用意)

 水筒やら給食袋やら持たせ、時間割を私も確かめ送り出す。

 この辺りですでに次男が起きている場合もあるが、たいていは長男の出発辺りで起床。

 7時40分、次男のための朝食(主に昆布入り一口おにぎりと牛乳。味噌汁がきのこ入りの場合はきのこをたらふく食らう。もしくはフレンチトーストやら焼きおにぎりのリクエストも・・・甘やかしてるようですが、朝はとにかく食べさせることが重要で)。

 この後、次男の出発(バスのお迎え)はなんと、9時47分(遅いバスのコースなので)。それまでが長い長い。

 次男の世話をしながら、ゴミ出し、洗濯、食事の片付け、掃除等をこなす。

 次男出発後、10時からようやく創作の時間。

 10時から12時までひとまず集中。

 その後、昼ごはん、夕食の買い物や軽い準備等を済ませていると、、、

 もう一年生が帰ってくる!!!

 はい、後半の給水の始まり・・・。

 4時間の日の長男は、午後2時頃帰宅。

 宿題(本読みやプリント等、「はは」のサインを書かなくちゃならないので、絶対に見なくてはならない)、お友達の家に行ったりお友達が来たり・・・(前も書いたけど、小学1年の男子は待ち合わせがまともにできない!!!①何時に②誰と③どこ、のどれかが欠けてしまい、自転車でぐるぐる走り出して会えなくて、全員そろうことのほうが珍しい)。勝手に遊ぶのではなく、親のフォローがまだまだ必要だったりする。

 午後4時19分 次男帰宅。

 洗濯物をしまったり、たたんだり、夕食の準備。

 午後6時~7時頃 息子たちと夕食。

 午後8時半~10時くらい 夫の帰宅。夕食のお給仕&片づけ。

 9時くらいまでの間に、兄弟の風呂、寝かしつけ。

 お父さんに会わせてやりたいし、しかし、リズムは崩れるし・・・。

 以前は、子供を寝かしつけた後、自分の時間を作っていたが、子供たちとともに寝てしまうことが多くなった。

 結局、愚痴日記みたいで申し訳ないけど、

 夫の起床2時間後に長男出発、長男の出発の2時間後に次男が出発・・・この、縦にながーくのびたランナーに、それぞれ給水するのがなかなかたいへんなのです。

 これだけ家族に尽くしているつもりでも、「お母さんはいつも家にいていいなあ」「昼寝してていいなあ」と憎まれ口を叩かれる。家族がふつうに出かけ、ふつうにご飯を食べるために、お母さんはどれほどがんばっていることか(ねえ、みなさん!)。

 去年は、長男次男ともに幼稚園だったので、朝10時から夕方4時まで、私にまとまった時間がありました。

 小説を書くことは、かなり集中力を要するので(レベルや状況の違いはあれど、川上未映子さんがブログで「集中力が続かない」とか「眠い」と書く気持ちはよく分かる)、私の場合、1クール2時間が限度(桜庭一樹さんも執筆は午前中の2時間と言っていた)。去年は、2時間集中しても、昼寝の時間が確保でき、夜中に再び集中することもできたけれど、今年はそれができない。

 上記の状況に、幼稚園や小学校の行事が入ったり欠席になったりすると、もう、かなわんのです。

 おまけに去年のように、幼稚園のみの行事ではなく、小学校とダブル。

 一度はやらなければ、と思い、幼稚園の母の会の委員もやっていたので、なかなか非常にたいへんな一年だったのだよ。

 子供が大きくなれば育児が楽になるのは確かだけれど、小学校1年生という、自分で色々できる、でも完全にはできない、という年齢に対する、親の介入のさじ加減が、なかなか難しいものでした。先輩お母さんから「2年生になると楽になるよ~」と言われているので、希望を持っていますが。 

 どれもこれも、結局は、自分の問題なんだけどね。

 自分がどこまで子供に手をかけるかで、自分のたいへん度は変わってくるわけだけど、それなりに愛情をかけたいと思うから、苦しみも生まれてくるわけで・・・。

 私は、作家になってから母になったのではなく、母になってから作家になった(というよりなろうとしている)ので、なかなかたいへんなんだと思うし、信頼している表現者の方からも、その点を同情される。

 外部の人に助けてもらえるほどの稼ぎはないし、元々表現者としてよりは、まずは生活者としての視点を大切にしたいと思ってしまうほうだし・・・。

 しかし、読者さんにとっては、表に出た作品がすべてだから、ちゃんとしたものを書きたい。

 自分で選んだ道だけど、いやはや、今年は、思った以上にたいへんでした。

  

 ところで(全然話変わるけど)、いつも読んでる茂木健一郎さんのブログに、友達の写真家、桑嶋維くんの名前がふと出てきてうれしかった(「桑嶋維さんが撮影」ってとこ)。

 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/12/post-b6ee.html

 桑嶋くんは、高校の同級生で、在学中、ジュノンスーパーボーイコンテストの本選まで行った美少年だった。

 彼がロンドンに渡ってから音信不通だったのだが、2年前ふと名前を検索して現在を知り、大手出版社に勤めている元彼に調べてもらって、どうやらあの桑嶋くんらしい、と分かり、恐る恐る事務所に電話を入れて15年ぶりにつながった縁。今では奥さんとも仲良し。

 こんな風に、どこかで友達の名前をふと発見するようなことが増えたらうれしいし、私もがんばりたいな。

   

 給水女房。。。

 来年こそは、ランナーとして躍り出るぞ!!(同時に、世の給水女房さんたちこそ、素晴らしき存在だと思っています)

 ****↑ここまで、昨日書いたものでして、、、

 今日(30日)は毎年恒例の実家の餅つきに行って来ました。つき立てのお餅はたまらなくおいしくて、息子たちも異様に食べていた。

 今(午後8時30分)は、別室にて、夫の高校時代の仲間たちが毎年恒例の飲み会をしています。息子たちも私も楽しく参加!

 今年も1年間、ありがとうございました。小説に集中できない、でも文章を書くことは好きで、思った以上に書いてしまいました。ブログの更新ばかりが増えていくことに不本意な思いを抱えたこともあったけれど、これももがいた1年間の記録です。旧ブログと違い、コメントをやめていますが、200回辺りで、一時的に設定を予定しています。

 あー、酔っ払ってる気がする(笑)。

 みなさま、どうぞよいお年をお迎えください☆

 

            

               

        

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