186 読みものどっさり。
『183 爆問学問 in 早稲田』を読んだ友達がメールをくれて、「私も、番組の最後で泣いた~」とのことだった。これぞワセダ(笑)。ええ、ええ、私たちは早稲女(わせじょ)ですとも。
「わせじょ」というのは、気が強いとかかわいくない、というイメージでくくられたりもするけど(今どきは知らないけど、私たちの学生時代は)決してそんなことはない。驚くような美女や才媛がごろごろいる(上記の友達も才色兼備)。例えば、アートディレクターの佐藤可士和さんの奥様の悦子さんを見ると、あー、こういうクレバーで華やかな先輩いたよなあと懐かしく思い出したりする。
☆佐藤悦子さんのブログ http://www.1oven.com/etsuko_sato/
最近読んだ、『SAMURAI 佐藤可士和のつくり方』に結び付けたくてこの書き出しにしましたが(笑)、この本、予想以上に面白かったです。
悦子さんは可士和さんのマネージャーをしている。ここ数年、「佐藤可士和」という存在はアートディレクターの代名詞のように取り上げられているけれど、悦子さんの力が、これほどまで多大だとは思わなかった。
「今までに見たことがないものを見てみたい。行ったことのないところに行ってみたい」という目標に邁進している二人は、可士和さんが馬で、悦子さんが騎手だと思った。
すっごい能力を持っている荒削りな馬を、手綱でスマートに操る。
馬はぐんぐん飛ばしてぶっちぎる。走り方も美しい。
信頼関係で結ばれた馬と騎手は、切磋琢磨しながら、そのバランスが心地よく、走り切った後には、今まで見たこともない風景が広がり、観客もそれを楽しめる。
そのパートナーシップは、クリスト&ジャンヌ・クロードを思い起こさせた。
http://christojeanneclaude.net/
二人がパートナーになったからこそ、圧倒的に仕事や人生がふくらんでいる。
うーむ。なんともうらやましいなあ。
かつての自分は、圧倒的な男性の妻になることに憧れたけど、ADや助手の経験から、つくづく「サポート役やマネージャー仕事は向かない」と分かったので(「奥さん」ってのもつくづく向かない)、私にも悦子さんみたいな奥さんが欲しいと思ってしまう(笑)。
以前『ソロモン流』で佐藤夫妻のご自宅を見た時、その生活感のなさに「子供がいないからスタイリッシュに暮らせるんだなあ」と思ったけれど、お二人にはしっかりお子さんもいて、ブログで初めて知った時には、「やられた」という思いだった。スーパーウーマン、スーパーお母さんっているんだよなあ。
『佐藤可士和のつくり方』で印象的だった部分を抜粋。
「・・・付き合い始めた頃から、そのあたりの言動や、考え方に対するギャップについては常々彼に言っていたのですが、しばらくは今いちピンときていなかったようです。ことあるごとにクリエイターではない私の視点で感じたことを伝えてきました。佐藤がデザインの力で世の中に新しい価値を提案したいと願っているのであれば、クリエイターとクリエイターでない人のあいだにある意識の違い、つまりまずは私たち二人の意識の溝を埋めていかなければ、世の中の多くの人々に感動を与えるようなクリエイティブは生まれてこないのではないかと思ったのです。」
クリエイティブの仕事という意味でも、夫婦やパートナーシップという意味でも、たいへん勉強になりました。
☆☆☆☆
その他、同時期に読んだ遥洋子さんの『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』も、たいへんおもしろかった!!この本が流行った時(8年前)も気になったけれど、テレビで目にする遥さんの押しの強さになじめず、自己顕示欲の強そうな本かと思い、敬遠していた。ところが、遥さんの文章が想像以上に良かった。この本のおもしろいところは、女性学とか社会学の女王(と呼んでいいと思う)である上野さんの周辺の小難しい話を、一般人に近い遥さんが、驚きと熱意を持って噛み砕いて伝えてくれるところ。
いきなり『フェミニズム論』とか『ジェンダー論』を学ぼうと思うと敷居が高いのだが、この本のおかげで、日常生活で感じる「違和感」というものが、学問によって、どう解きほぐされているかがおぼろげながら分かる。
上野さんは、最近では『おひとりさまの老後』が話題になったし、気の強そうな女性学者というイメージで世の中には知れ渡っているだろうけれど、私は、(色んな女性学者の中で)上野さんのことはエレガントだと思っている。強さよりも、やわらかな品性を感じるのだ。親しい学者さん(男性)が上野さんと仲良しで、本人の印象を聞いたことがあるけれど、知的でエレガントというイメージは間違ってないと思う。
この本の中で、印象的だった部分。
<・・・経済学が「オイコスの学(オイコノミア)」からエコノミーに変容した時に、「経済」概念は、「生産」から「生活」を追い出した(『家父長制と資本制』)。
と上野は経済学を批判する。
オイコノミアは、生きる営み、生み育てる、という意味が語源で、家政学とも言われる。経済学の語源をたぐると家政学なんて、変化するにもほどがある。
その、まさしく、日々、生きる営みを繰り返し、生み育てる女が、「労働の概念からみれば」、「二流の劣等人間」になり、「子供は未・半人間」で、「老人は不用人間」である(同前)と上野は表現する。結果、経済イコール金という理解をする、私のような人間が誕生する。
経済学が内包する問題は大きそうだ。
「愛はイデオロギーや。」というと
「お前はノイローゼか。」と言われる。
それほどイデオロギー概念は、短時間での説得に悪戦苦闘する。>
☆☆☆☆
その他、上野さんと遥さんのやりとりの中で、上野さんが言った言葉。
「それは大学にあなたの能力を十八歳の時点で見抜く力がなかったのよ。大学に力がなかったの。あなたに能力がないわけじゃない!」
この物言いだけでも、上野さんが厳しくも温かい人であることがわかる。
本に出てくる、血の通った議論に、泣けそうになる箇所も多々だった。
『赤土に咲くダリア』でも触れたけど、私や、多くの女性が、家庭生活で直面する違和感について、フェミニズムは何らかのこたえを与えてくれる。
例えば、仕事で帰りが遅い夫のことを、夫が悪いわけではないのに責めたくなる夜もある。これは、上記の通り、経済学対家政学のたたかいでもあるのだ。
私は、男女は平等だと思っていない。男女には違いが確実にある。それは、男の子を育てていて痛感する。女が男にかなわないところもあれば、男が女にかなわないところも当然ある。
ただ、男の手による経済至上主義が、人間の生の営み(担い手は主に女)を破壊してきたことは確かで、見直すべき時だと思っている。
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はーっ。久しぶりに熱くなる本に出会った。
いい本に出会うと、本が読める幸福におそれを感じる。
目が見えること、ありがとう。時間よ、ありがとう。
長く(熱く)なりついでに、菊地成孔さんの言葉をご紹介。
以下の記事に出てくる、これらの言葉に感動する。
「極端な現実を乗りこなし、愉しみ、そしてそれを変えてしまう事は、私一人では到底無理、素晴らしい楽団員が揃っても、まだ無理なのです。今日のコンサートが、混迷する現代社会に、小さくも痛烈な一撃を与える、素晴らしい美しさを持った作品になりますよう。タフに、そしてエレガントに。共に楽しみ、共に創造しようではありませんか。」
クールだけど熱い。熱いけどクールな菊地さんを尊敬する。
確かに今は、恐ろしく不安な世の中だけど、嘆いていてもどうしようもない。
大切なのは、今、生きているということ。そして、今を楽しむということだと思う。
☆上記の文章が出てくる菊地さんの速報
http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=081201021905
オーチャードホール初日、知り合いは招待されて出かけた。うらやましい!
☆この対談もおもしろかったです。菊地さん×沖野修也さん
http://openers.jp/culture/cspecial/kikuchi_okino001.html
立ち読みした『SPA!』にて菊地さんが言っていた「ぼくは、コンセプチュアルアートをやっているんです」という言葉にも共感した(つまりは、表現の枠を超えて世の中が、アッ!と驚くことをやっているのだと思う)。
コンセプチュアルアートとカテゴライズされるアートは好きではないけれど、言葉ではない表現(美術や音楽)をやっている人ほど、実は理論武装を必要とする(理論武装で裏打ちされた非言語表現は強い)。冒頭の佐藤さんだって決して感覚だけで動いていない。表に出ている佐藤可士和作品の背景には、可士和さんのアイディアと技術、悦子さんのきめ細かな配慮や戦略、膨大な資料や統計、そしてお二人の努力等々・・がある。天才・鬼才は驚くほどストイック。おもしろければ何でもいいというわけではないのだ。
創作も学問も果てしないなあ・・・。
まだまだ未熟な自分を反省しつつ、まだまだ知らないことがいっぱいあることを幸せに思う。知のよろこび。学問の感動。
長男の学習発表会のことも書こうと思ったけど、思ったよりずっと長くなっちゃったので、また別の機会にします☆
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