書籍・雑誌

2008.12.06

186 読みものどっさり。

 『183 爆問学問 in 早稲田』を読んだ友達がメールをくれて、「私も、番組の最後で泣いた~」とのことだった。これぞワセダ(笑)。ええ、ええ、私たちは早稲女(わせじょ)ですとも。

 「わせじょ」というのは、気が強いとかかわいくない、というイメージでくくられたりもするけど(今どきは知らないけど、私たちの学生時代は)決してそんなことはない。驚くような美女や才媛がごろごろいる(上記の友達も才色兼備)。例えば、アートディレクターの佐藤可士和さんの奥様の悦子さんを見ると、あー、こういうクレバーで華やかな先輩いたよなあと懐かしく思い出したりする。

 ☆佐藤悦子さんのブログ http://www.1oven.com/etsuko_sato/

 最近読んだ、『SAMURAI 佐藤可士和のつくり方』に結び付けたくてこの書き出しにしましたが(笑)、この本、予想以上に面白かったです。

 悦子さんは可士和さんのマネージャーをしている。ここ数年、「佐藤可士和」という存在はアートディレクターの代名詞のように取り上げられているけれど、悦子さんの力が、これほどまで多大だとは思わなかった。

 「今までに見たことがないものを見てみたい。行ったことのないところに行ってみたい」という目標に邁進している二人は、可士和さんが馬で、悦子さんが騎手だと思った。

 すっごい能力を持っている荒削りな馬を、手綱でスマートに操る。

 馬はぐんぐん飛ばしてぶっちぎる。走り方も美しい。

 信頼関係で結ばれた馬と騎手は、切磋琢磨しながら、そのバランスが心地よく、走り切った後には、今まで見たこともない風景が広がり、観客もそれを楽しめる。

 そのパートナーシップは、クリスト&ジャンヌ・クロードを思い起こさせた。

 http://christojeanneclaude.net/

 二人がパートナーになったからこそ、圧倒的に仕事や人生がふくらんでいる。

 うーむ。なんともうらやましいなあ。

 かつての自分は、圧倒的な男性の妻になることに憧れたけど、ADや助手の経験から、つくづく「サポート役やマネージャー仕事は向かない」と分かったので(「奥さん」ってのもつくづく向かない)、私にも悦子さんみたいな奥さんが欲しいと思ってしまう(笑)。

 以前『ソロモン流』で佐藤夫妻のご自宅を見た時、その生活感のなさに「子供がいないからスタイリッシュに暮らせるんだなあ」と思ったけれど、お二人にはしっかりお子さんもいて、ブログで初めて知った時には、「やられた」という思いだった。スーパーウーマン、スーパーお母さんっているんだよなあ。

 『佐藤可士和のつくり方』で印象的だった部分を抜粋。

 「・・・付き合い始めた頃から、そのあたりの言動や、考え方に対するギャップについては常々彼に言っていたのですが、しばらくは今いちピンときていなかったようです。ことあるごとにクリエイターではない私の視点で感じたことを伝えてきました。佐藤がデザインの力で世の中に新しい価値を提案したいと願っているのであれば、クリエイターとクリエイターでない人のあいだにある意識の違い、つまりまずは私たち二人の意識の溝を埋めていかなければ、世の中の多くの人々に感動を与えるようなクリエイティブは生まれてこないのではないかと思ったのです。」

 クリエイティブの仕事という意味でも、夫婦やパートナーシップという意味でも、たいへん勉強になりました。

☆☆☆☆

 その他、同時期に読んだ遥洋子さんの『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』も、たいへんおもしろかった!!この本が流行った時(8年前)も気になったけれど、テレビで目にする遥さんの押しの強さになじめず、自己顕示欲の強そうな本かと思い、敬遠していた。ところが、遥さんの文章が想像以上に良かった。この本のおもしろいところは、女性学とか社会学の女王(と呼んでいいと思う)である上野さんの周辺の小難しい話を、一般人に近い遥さんが、驚きと熱意を持って噛み砕いて伝えてくれるところ。

 いきなり『フェミニズム論』とか『ジェンダー論』を学ぼうと思うと敷居が高いのだが、この本のおかげで、日常生活で感じる「違和感」というものが、学問によって、どう解きほぐされているかがおぼろげながら分かる。

 上野さんは、最近では『おひとりさまの老後』が話題になったし、気の強そうな女性学者というイメージで世の中には知れ渡っているだろうけれど、私は、(色んな女性学者の中で)上野さんのことはエレガントだと思っている。強さよりも、やわらかな品性を感じるのだ。親しい学者さん(男性)が上野さんと仲良しで、本人の印象を聞いたことがあるけれど、知的でエレガントというイメージは間違ってないと思う。

 この本の中で、印象的だった部分。

<・・・経済学が「オイコスの学(オイコノミア)」からエコノミーに変容した時に、「経済」概念は、「生産」から「生活」を追い出した(『家父長制と資本制』)。

 と上野は経済学を批判する。

 オイコノミアは、生きる営み、生み育てる、という意味が語源で、家政学とも言われる。経済学の語源をたぐると家政学なんて、変化するにもほどがある。

 その、まさしく、日々、生きる営みを繰り返し、生み育てる女が、「労働の概念からみれば」、「二流の劣等人間」になり、「子供は未・半人間」で、「老人は不用人間」である(同前)と上野は表現する。結果、経済イコール金という理解をする、私のような人間が誕生する。 

 経済学が内包する問題は大きそうだ。

 「愛はイデオロギーや。」というと

 「お前はノイローゼか。」と言われる。 

 それほどイデオロギー概念は、短時間での説得に悪戦苦闘する。>

☆☆☆☆

 その他、上野さんと遥さんのやりとりの中で、上野さんが言った言葉。

「それは大学にあなたの能力を十八歳の時点で見抜く力がなかったのよ。大学に力がなかったの。あなたに能力がないわけじゃない!」

 この物言いだけでも、上野さんが厳しくも温かい人であることがわかる。

 本に出てくる、血の通った議論に、泣けそうになる箇所も多々だった。

 『赤土に咲くダリア』でも触れたけど、私や、多くの女性が、家庭生活で直面する違和感について、フェミニズムは何らかのこたえを与えてくれる。

 例えば、仕事で帰りが遅い夫のことを、夫が悪いわけではないのに責めたくなる夜もある。これは、上記の通り、経済学対家政学のたたかいでもあるのだ。

 私は、男女は平等だと思っていない。男女には違いが確実にある。それは、男の子を育てていて痛感する。女が男にかなわないところもあれば、男が女にかなわないところも当然ある。

 ただ、男の手による経済至上主義が、人間の生の営み(担い手は主に女)を破壊してきたことは確かで、見直すべき時だと思っている。

☆☆☆☆

 はーっ。久しぶりに熱くなる本に出会った。

 いい本に出会うと、本が読める幸福におそれを感じる。

 目が見えること、ありがとう。時間よ、ありがとう。

 長く(熱く)なりついでに、菊地成孔さんの言葉をご紹介。

 以下の記事に出てくる、これらの言葉に感動する。

 「極端な現実を乗りこなし、愉しみ、そしてそれを変えてしまう事は、私一人では到底無理、素晴らしい楽団員が揃っても、まだ無理なのです。今日のコンサートが、混迷する現代社会に、小さくも痛烈な一撃を与える、素晴らしい美しさを持った作品になりますよう。タフに、そしてエレガントに。共に楽しみ、共に創造しようではありませんか。」

 クールだけど熱い。熱いけどクールな菊地さんを尊敬する。

 確かに今は、恐ろしく不安な世の中だけど、嘆いていてもどうしようもない。

 大切なのは、今、生きているということ。そして、今を楽しむということだと思う。

 ☆上記の文章が出てくる菊地さんの速報

 http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=081201021905

 オーチャードホール初日、知り合いは招待されて出かけた。うらやましい!

 ☆この対談もおもしろかったです。菊地さん×沖野修也さん

 http://openers.jp/culture/cspecial/kikuchi_okino001.html

 立ち読みした『SPA!』にて菊地さんが言っていた「ぼくは、コンセプチュアルアートをやっているんです」という言葉にも共感した(つまりは、表現の枠を超えて世の中が、アッ!と驚くことをやっているのだと思う)。

 コンセプチュアルアートとカテゴライズされるアートは好きではないけれど、言葉ではない表現(美術や音楽)をやっている人ほど、実は理論武装を必要とする(理論武装で裏打ちされた非言語表現は強い)。冒頭の佐藤さんだって決して感覚だけで動いていない。表に出ている佐藤可士和作品の背景には、可士和さんのアイディアと技術、悦子さんのきめ細かな配慮や戦略、膨大な資料や統計、そしてお二人の努力等々・・がある。天才・鬼才は驚くほどストイック。おもしろければ何でもいいというわけではないのだ。

 創作も学問も果てしないなあ・・・。

 まだまだ未熟な自分を反省しつつ、まだまだ知らないことがいっぱいあることを幸せに思う。知のよろこび。学問の感動。

 長男の学習発表会のことも書こうと思ったけど、思ったよりずっと長くなっちゃったので、また別の機会にします☆

          

           

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2008.08.24

144 『乾く夏』

 
 松浦理英子さんのデビュー作 『葬儀の日』の文庫本におさめられている
 短編 『乾く夏』を読んだ。
 やられた、という思い。
 今風に言えば、「ヤバイ」って感じかな(この熱をここに書かずにいられない)。
 松浦さんの小説は、私にとっては難解で、今までも、『葬儀の日』『裏ヴァージョン』等チャレンジしつつも、『ナチュラルウーマン』しかまともに読めなかった。
 今回も、だいぶ前に買った文庫の中の、まずは『葬儀の日』にトライしたけど読み進められず、敗北感の中、どうかな?と思って読んだ『乾く夏』。夜中、一気に読んでしまった。
 『乾く夏』も『ナチュラルウーマン』同様、二人の女性を軸に物語が展開される。
 SとかMとか、レズビアンとか、そういう言葉を連想させられる(言葉としては出てこない)。
 なんだろうなあ、淫靡な香りや、そんなもの描かれてはいないのに、纏足とか貞操帯とか頭に過ぎる。
 そして、ちょっと狂った(「気違い」と表現されている)女の人に、どうにもこうにも心を奪われてしまう。
 私は前も書いたけど(『67 ティファニーで朝食を』参照)、奔放というか強烈な女の人に弱い。
 分かりやすい例で言えば、映画『ベティ・ブルー』の空気。
 ちょっと狂った人に心惹かれてしまうのは、そういう人たちに人間の純粋な欲望を感じるからだと思う。
 しかし、これが男で狂っているとチト恐い。
 女で、美女で、ちょっと頭がおかしいって人にたまらなく惹きつけられる。
 
 『乾く夏』は展開も見事だった。
 奔放に筆が動きながら(動いているように見えながら)、最後しっかり着地する。
 恩人と呼べる編集者さんが「すぐれた小説は、どこかミステリーの要素を持っている」みたいなことを言っていて、大いにうなずいたのだが、松浦さんの小説はまさにそんな感じ、いつもとってもスリリング。
 本当に天才だと思う。
 性を描きつつ、冷めた筆致と言葉選びに高度な知性を感じさせ、読後感は「エレガント」。 
 これほどの作家は、やはりしばらく出ないのでは?と思ってしまう。
 「松浦理英子」という名前も、作風に合っているというか、この字を見ただけで、エロティックかつクール、頭脳明晰って思ってしまう(笑)。
 
 はぁ~・・・<この後の言葉はご想像ください>
 
 ブログのネタ、自分のことが続いているけど、子供の期待に応え、きっちり『ポニョ』も観に行きました。前半感動、後半??? 家に戻ってから映画好きの男友達に疑問点をぶつけて語り合いました(親の疑問は子供に関係ないので夜中、メールで)。
 ??もたっぷりだったけど、ポニョはとにかくかわいくて、子供を持ったおかげで実感できる温度もあって(たいていの人にとっては何のポイントでもない箇所で数回涙)、子供は大いに喜んでいたし、良かったです。
 子供というのは本当にスキかキライかで生きていて、ひたすらにひたむきなのだ。
 宮崎アニメのすごいところは、主人公の感触や気持ちに入り込んでしまえるところ。
 波の上を駆けるポニョなんて、自分がバシャバシャ走ってる気持ちになれて爽快だった。

 夏休みもあと少し、あと少しがんばるぞ~(楽しむぞ~)!!

             


                    
 


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2008.06.20

117 ゲゲゲの女房

         
 『ゲゲゲの女房』 武良布枝 実業之日本社 より

   
 精魂こめてマンガを描き続ける水木の後ろ姿に、私は正直、感動しました。これほど集中してひとつのことに打ち込む人間を、私はそれまで見たことがありませんでした。


  あとがき より


 水木は強烈な個性を持った人で、独自の生き様を貫いてきましたが、それとはまったく対照的に、私は、古い日本の女性の生き方を、そのままとおしてきたように思います。
 現代の女性には理解できないかもしれませんね。
 「すべてを受け入れる」だけの人生でした。あの洗うがごとき赤貧の日々も、たしかに辛かったけれど、私は不幸ではありませんでした。もちろん、惨めだったこと、寂しかったこと、いまも納得できない理不尽なことが、数え上げればキリがないほどにあります。でも、「終わりよければ、すべてよし」なのです。

   
****

         
 全体を読んだ上でのこのあとがきに、泣けた。
 「すべてを受け入れる」というのは、夫に従属しているように見えて、実はとても強いと思う。
 私には古き日本女性のように、夫を立てて従って、という生き方はできないけれど、人生において目の前のできごとを受け入れながら過ごしていくことは、とても大切な姿勢だと思う。

 テレビのADをやっていた23歳の頃、大嫌いな上司にすすめられて読んだ、水木しげるさんの『トペトロとの50年』(戦争時に出会ったパプアニューギニアの人たちとの交流)にとても感動し、同じ頃出かけたロタ島で、南の島の暮らしに触れたことも重なり、どうにもこうにも東京生活やテレビの仕事が続けられなくなってしまった(自分にとって大好きになった本を、大嫌いだった上司が教えてくれたという縁もちょっと忘れがたい)。
 水木サンのことは、色んな意味でとても尊敬している。今回この本を読んで、つげ義春さんも、一時期仕事を手伝っていたと知り、驚いた。
 ご存知の方も多いと思うけれど、水木さんは戦争で左腕を失っている。片腕で、あの、鬼太郎たちを生み出し、今なおお元気なのだから、本当にすごい!

 くどいけど、大切なのは、生命力。
 
 先週、車で信号待ちしていた時、街路樹に今まで見たこともないような、超でっかい毛虫を見つけた(大袈裟ではなく、最初ネズミかリスのしっぽかと思ったくらい)。その街路樹は背の低い茂みで、排気ガスで枝が黒くなり、周りにゴミや吸殻が捨てられ、情けないようなおどろおどろしいような生態系を想像させられた。車のラジオからは東北の地震の情報が流れていて、アナウンサーの緊迫した声を聞き、毛虫を見ながら、頭に浮かんだのは、「SURVIVE」という言葉だった。
 地球は今、困難な方向へ向かっている。
 といっても、それは、生命体としての地球からすれば、必要な変化なのかもしれない。
 地球も、人も、動物も、なんとか生き延びようとしている。
 こんな時に、家族を守りながら生きていくのは、たいへんなことだと思うけれど、それぞれが、内なる強さを持ちたいものだ。
    
  
 小説、一区切り。
 そしてまた、進みます。


                  


     

                    
 
 

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2008.06.17

115 胸がいっぱい

      
 この頃、けっこう頻繁に更新していたけれど、今、小説に集中しているのと、読みかけの本が素晴らしくて、胸がいっぱいで、ここに回すエネルギーが足りない。

     
 今読んでいる本は、『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』。
 小山田咲子さんという、24歳で亡くなった方の本です。

 小山田さんのブログをまとめたものだけれど、さいごの日記にこう書いてあります。

 「・・・今回ほとんど行動予定は決まってないけど、久しぶりに会う大好きな人と過ごす時間がとれるかも、愛が甦るかを楽しみにしている。まずちゃんと電話とかが繋がるかどうかだけど。・・・」

 この日記の10日後に、アルゼンチンで同乗していた車が横転し、亡くなってしまうのです。
 私は、おそらくその<大好きな人>のことを検索している時に、小山田さんの存在を知りました。
 最初は、双方の運命に驚き、身体が震え、眠れなくなるほど衝撃を受けました。まったく他人の私なのに、たまたま同じ大学で過ごした二人だから勝手に痛みを強く感じてしまった。
 そして、たとえ、この本を読んだとしても、ここに書くことはやめておこうと思っていました。

 でも、読み始めて、小山田さんの文章の輝きに触れ、やっぱり、この本は、多くの人に読まれて欲しいと思いました。序文を寄せた鴻上尚史さんの気持ちと同じです。それに、ものを書く仕事に就きたいと希望していたそうなので・・・。
 大好きな人の今について、最初はどう受けとったらいいのだろうとも思ったけれど、物理的にも精神的にも、神と悪魔の領域を垣間見た人だからこその強さだと思うし、彼が人生を楽しむことは、小山田さんも望むことだと思う。他人がとやかく言うことじゃない。私はただ出会った本を読み、小山田さんの死を悲しむことは彼女の本意じゃないと思ったので、今書いています。

 文章の一端・・・

 <東京に来るまでは知らなかった、私を取り囲む景色の外側にも世界のあることを。見るべきもの、行くべき場所が限りなくあることも。
 私はなんにも知らなすぎて、それはもう悲しくなるくらいだけど、ばかになることも真面目に語ることも恐れない人たちを見ていると、勇気が出る。>

    
 <みっともなくなるくらい夢中になれないなら、恋愛なんて無意味だ。ちゃんとしようとしてよけいみっともなくなってしまうのが、最高に素敵だと思う。>

     
 <いくら彼女が大袈裟に見えてもこれからの方がもっと大変よと言うのは、ただの脅しだ。年上の人間が年下の人間に、ただ「知らない」という理由だけで自分がちょっと垣間見た世の中の複雑さやつらさを見せようとするのは罪だと思う。>

   
 <しかし、もう結構息苦しい。日常の雑事を全てとりあえず収めるべき場所に収めて(あるいはなかったことにして)深夜に荷物をまとめ、えいやっと部屋を飛び出す、あの一瞬をやっぱりどうしても愛してると思う。
 穏やかな日常に幸せを感じるのと同じ強さで今、いなくなりたい。>

   
****

 十代というのも特別だけれど、二十代前半の女の子というのは、特別な輝きを放っていると思う。
 苦しいけれど、素晴らしい。刹那的に生きることを許される限られた時間。

 小山田さんの言葉のひとつひとつが胸に迫り、なかなかページを進めることができない。
 今、色鉛筆(ピンクと緑)を片手に、文字通り珠玉の文章に線を引きながらゆっくり大切に読んでいます。
 誰かの死を嘆くよりも、今生きている私たちは、私たちの生をめいっぱい生き切ることが大切だと思う。
 行間から伝わってくる小山田さんの生命力やユーモアに励まされている。

        

 <追記>
 ブログは、いつも、自分のための記録だったり、文章修業だったり、不特定多数の方に「知らせたい」と思って書くのですが、ここにUPした後、私が知らしめていいのだろうか、という自責の念に駆られることも多々です。
 今回の件は、書き方がすごく難しかったけれど、本当に素晴らしい本で、本単体で取り上げようかとも思いつつ、背景に触れないのも嘘になるし、迷った末、上記の書き方になりました。
 現実は現実。
 のこされたものは、生きていくしかない。
 小山田さん本人は書籍化についてどう思うのか分からないけれど、小山田さんを愛する方々が心を込めて編纂したもの。実は、学生時代、交通事故で亡くなった友達のご家族が遺稿集を出され、それをいただいたことがある。その時も、のこされたご家族と彼のことが気になった。
 どうしたって、彼女の新しい文章に出会うことはできない。
 彼女の文章に出会えたことを幸運に思う。
 ごちゃごちゃと矛盾するようだけど、やっぱりどうしても知ってもらいたい!と思うくらい、力のある本なのです。

<追・追記>
 小山田さんのお名前を検索して、ここにいらっしゃった方へ・・・。
 上記の文章をUP後、小山田さんのご両親にお手紙をお送りし、ご返事をいただきました。ご家族は今も悲しみの中にあります。新しく知ったこともありますが、ブログではこれ以上は書きません。
 ともかく、『えいやっ!~』に書かれている小山田さんの文章は、本当に素晴らしいです。
 小山田さんのご冥福を祈っています。 

                  

       

 

              
  

             

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2008.06.12

113 らも&ミーさん

           
 『らも―中島らもとの三十五年―』  中島美代子 集英社 より抜粋。


                   ☆

  
 らもが私とつきあいだしたとき、友人たちは心底驚いたようだ。高校時代、授業をボイコットし、シンナーを吸い、睡眠薬を飲み、酒を飲み、音楽と活字に耽溺して毎日をようやく生きのびていたらもは、誰から見ても将来に何の希望も抱いていないのは明らかだった。心の中に大きな虚無が巣くっていたらもは、不安と、怒りと絶望の塊だった。
 「あの中島が恋をした! 生きようとしている!」
 らもは、恋をしてはじめて明日を信じたのだ。
 そして私にとっても、あんなに不器用なキスが、それだけであとの長い人生を生きていけるほどの素敵なキスになった。


                   ☆


 マスコミに注目されるようになると、らもはモテモテになった。
 あるとき、らもは宣言した。
 「これから、お互い、セックスは外でやろう」
 「うん、いいよ。そうしよ」


                   ☆

        
 自分の名前で世に出ていくことだけが、やりたいことなのか。ワシは名誉も金もいらんわいッ。こうして私はらもと暮らして、子供たちを育てる。これがやりたいことなんじゃ。

   
                   ☆


 人は人を独り占めすることなんてできないよ。


                   ☆
 

 将来に絶望しかなかったらもが、やりたいことを見つけ、やりたいことをやって、たくさんの人に愛され、仕事が成功して。いい人生だったよね。ほんとうによかった。その中に私が加われたことが、誇りです。


****

   
 ほんとうは、↑この3倍くらい抜粋してちまちま書いたんだけど(考えさせられる言葉がずらり)、著作権の問題というより、人様が本用に書いた言葉をネット上で公開するのはいかがなものかと思って、消しました。本を手に取った人にだけ届けたいメッセージもあるだろうと思い・・・。って、上記の抜粋も心苦しい面もあるのだけど、多くの人に(本を)読んでもらいたい気持ちもあるので、紹介させてもらいました。
       
 らもさん&ミーさん夫婦の「間」には一男一女がいて、それ以外に、多くの男や女がごちゃごちゃとやってきたり、共存したり、去っていったりした。
 でも、ずっと、「二人は一人、一人は一人」を貫き、お互いに離婚しようとしたことはなかったそうだ。
 らもさんの躁鬱病、アルコール依存症、お互いの咳止めシロップ依存症(ラリリのため・・・これはちょっと笑いも伴ってしまうけど)、ミーさんの鬱病、子供の混乱、阪神大震災・・・。
 様々な、まさに激動の日々の中でも、夫婦であり続けることは当たり前としていた二人。人には理解できなくても、深い愛で結びついていた二人。
 奥さんは野生児(お嬢様だけど)と呼ぶのがピッタリで、自由な魂を持ち続けた人。
生まれながらのカトリック信者であるのに、性的な奔放さは笑うしかないのだけど、どこまでも人への愛にあふれていて(貧乏でも同居人がごろごろいたという家)、自分の自由と相手の自由を受け入れ、私はどの部分を読んでも、奥さんに対する反発は感じなかった。

 それに、どんなに奔放でも母は母。男がいなくなっても、女は子供を育てなくてはならない。

 <睡眠薬をやっていると、オートバイに乗るのも危険だった。だから、ケンと別れたのと同時に睡眠薬はきっぱりとやめた。でも、咳止めシロップは、どうしてもやめられなかった。家にはやっぱり居候がいたし、らもは相変わらず酔っ払ってわけのわからない人間を連れてきたかと思えば、帰ってこないし。子供にも手がかかった。私に代わって母が面倒をみてくれるときもあったが、母は子供たちを甘やかして、夜更かしさせたり、甘いジュースやコーラを与えたりするので、安心して任せられない。私はどんなにしんどくても起きて、子供を幼稚園に出して、お迎えに行って、ご飯を作って食べさせなければならない。>

 子供がまだ幼稚園の頃に、恋をしてラリって、というらもさんとミーさんにも驚かされるけれど、そんな状態でもがんばって子供を育てていた、ということにも驚く。

 らもさんの本は何冊か読んだけど、特に『心が雨漏りする日には』が大好きで、『アマニタ・パンセリナ』(合法ドラック?等の体験記)を読むと、その破滅ぶりに驚く。52歳で亡くなったが、よくそこまで生きられたなあと思ってしまうくらいだ(だって、25mプール一杯分のアルコールは飲んだ、とか言われると、よくそこまで持ちこたえたと思う)。

 らもさんはアグレッシブな印象だけど、NHKでお姿を見た時に、すんごいスローなしゃべりだから驚いた。そして、それは病でたまたま、というのではなく、もともとゆっくりしゃべるお方だということも。

 (仕事や闘病などに)がんばる夫を支えたという妻の手記(いわゆる美談)はいっぱいあるけれど、かなりダメダメな自分たちを赤裸々にさらしている手記は珍しいと思う。
 二人の価値観を許容できない人も多いとは思うけれど、私には痛快で、爽やかさすら感じてしまった。

 間違いなく、中島らもにしかあり得ない一生を終え、奥さんも中島美代子にしかあり得ない一生を過ごしている。
 そして、親はどうでも、子供は育っていく。

 もし興味を持ってもらえたら、ぜひぜひ読んでみてください!
 人間とか法律とか国境とか性別とか、様々なボーダーを超えて、生きものとして元気に生き切りたいなと思う。

   
 さて、お次は、武良布枝さん(水木しげる夫人)による、『ゲゲゲの女房 ~人生は・・・終わりよければ、すべてよし!!~』を読みます。
 自分の読書に耽りつつ、子供の課題図書の研究?もしております。本を読んだり感想文を書くのは子供自身だけれど(出来は気にしない。どんな風に表現するのか楽しみ)、まだ志向や嗜好が定まらない今、よい出会いに導くのは親の役目だと思うので・・・。とはいえ、自分の時と思うと、男の子は言語やコミュニケーション能力の発達が遅いので、のんびりと。周りを見ても、男女の違いは、確かにはっきりある。子供を育てることで、恋愛や男女・夫婦関係の勉強にもなります。

          


         


          


             

        

           

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