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2011年6月

2011.06.27

 魔女と早稲女

 赤ちゃんのいた三泊が過ぎ、静かになった夜。久々に会った友達との時間は、思いのほかあっという間だった。離れていても、目に留まるキーワードが同じで、驚くほど心や温度が近かった。私はまるで異性の好きな人を見るかのように、彼女の表情や話し方を愛し、彼女との語らいをずっとずっと楽しんだ。

                        ☆

 最初にびっくりしたのは、私が「見て、これ」と示した、ペットボトル入りの白濁した液体について友達がすぐに、「あ、乳酸菌でしょ。私も作った!」と言ったこと。何が何やら?の人も多いと思うけれど、私は木下ブログのコメント欄で最初に知った放射能を除去するという液体。「放射能 乳酸菌」で検索すれば出てくると思います(私はまだ成功していません)。

 その後、洗濯の時には同じ洗濯用洗剤(arau)を使っていることも判明。ふと出た話にすべて同じ温度でついていける。育児も料理も自然療法も、はまり過ぎず、いいところを自分の判断で選び取って・・・。3泊4日の間に出てきたキーワードの中で象徴的だったのは、文化人類学者の船曳健夫さんの整った顔立ちについて話し合えたこと(笑)

 3日目に伊良湖方面に一緒に行き、実家の両親と結婚式以来の対面を果たしてもらい、両親も、大好きな友達(しかも子連れ)との再会を楽しんだ。友達のことを心から歓迎している両親を見て、我が親ながら「ほんとにいい人たちだよなあ」と思ったり、両親の描いた絵を「うわあ」としゃがみ込んで見てくれる友達の姿を見て、この子の感性、本当に好き!と涙が出そうになった。

 11年前、一緒に泊まった伊良湖ビューホテルへ向かう道で、彼女が「まーちゃんの実家、本当にいいところだよね」としみじみ言ってくれて、大学時代、彼女の研究によって、自分の田舎の良さを再認識したことを思い出していた。

 

                         ☆

 東京に出たばかりの頃、東京の夜が明るいことに驚いた。

 夜道でも楽々歩ける。

 私のふるさとでは、夜は本当の闇だった。

 前後左右が確認できないような闇も経験した。

 当時、沖縄の妖怪について研究していた友達は、「闇が闇であることの大切さ」について訴えていた。アニミズムについても。

 私たちのゼミは「社会発展論」と言い、「物質文明がもたらした悪」だとか「本当の豊かさとは何か」について、みんなで議論した。

 皮肉にも、まったく、今の日本の現状と重なる(そんなものは、ずっと重なり続けていたわけだけど)。

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 タイトルの「魔女」は、友達が、おうちのお寺(ダンナさんがお坊さん)で行われたイベントで、龍村ゆかりさん(『地球交響曲』のプロデューサー、監督の奥さん)や佐藤初女さん(『地球交響曲第二番』に登場したおばあちゃん。おむすびで有名な・・・ふきのとうの天ぷらや宝石のような梅干しも思い出される)や映画『13人のおばあちゃん』 http://motherspirit.org/grandmother/movie.html に出たブラジルのおばあちゃんたちに会った時の印象について、「魔女大会だった!」と言ったことに由来。

 そのニュアンス、わかり過ぎるほどわかる!!

 「初女さんの米を研ぐ時の手つきが魔女なの!」と、うっとりと語る彼女。私もこのブログで、『西の魔女が死んだ』について書いたり、友達の家の魔女みたいなグレートマザーについて触れたり、自分自身について「魔女修行」と書いたりしたけど、要するにそういうことなんだなあと思う。

 「生活のため」「子育てのため」「生きていくため」の知恵や家事の技術など熟練し、達人となった女性はまるで「魔女」や「魔法使い」のよう。魔法と言えば、産婆さんの技術だって魔法だと思う。

 前回分でも触れたけど、大学生の頃、彼女と私をつないだ『地球交響曲』という映画に直に関わっていたような大人たちと今、直接の交流を持っていることを光栄に思う。つながりを深めているのは、「新しい命」という共感。

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 友達と過ごした三泊四日は本当に実り多いものだった。

 会わない間、お互いにたいへんな時期もあったけれど、それらを乗り越えて、生活においてキャッチする情報やものごとが驚くほど共通していた。

 彼女との井戸端会議を内なる井戸端会議にとどめてはいけないな、と思った。

 これまでにも、女たちは、大切なことを井戸端会議で話し合ってきたのに、残念なのは、それを外(男たちの社会)へ届けようとしなかったことだと思う。

 私は、原発推進!と声高に訴える女の人を周囲で見たことがない。原発の問題はてこでも動かないほどのお金や利権だとかが絡んでいる話らしいけど、それらを進めているのは男たちだ。

 残念だけど、原発の問題は、男対女のたたかいのように感じてしまう(私の周囲の男性は、原発について父性とも母性とも受け取れる取り組みをしていたり、紳士的なコメントをくれる。ならばいったいどこの男たちがおかしなことゴリ押ししてるの?)。

 滞在中、友達が、1歳の息子くんを甲斐甲斐しく世話していて、かつて、赤ちゃん期だった子供に全身全霊を捧げていた自分を思い出した。

 赤ちゃんの世話ってこれほどまでたいへんなことだったんだなあと驚いた。

 その労力を体験として知れば(ただでさえ命を生き延びさせることがたいへんだということを知れば)、伸びゆく命の邪魔になるようなモノは排除するのが当たり前なのに。

 私はここで、まだものごとを考えているに過ぎないけれど、なんとか実行に移していけないかな、と思っている。心配は尽きないけれど、現状から子供を守りながら、次なるステップへ、未来へ向けて・・・。

 同じタイミングで、Facebookでは、別の早稲田時代の友達(5歳の娘ちゃんがいるワーキングマザー)が、会社の中から見た「男社会」について綴っていた。それを読んで、「そうか、男社会の中からでしか変えられないこともあるんだろうな」と思った(「今や企業活動のテーマは、競争ではなく共生ではないでしょうか?」と書いていて、大いにうなずいた)。

 各々が各々の立場で、よりよい未来のためにがんばりたい。

                         ☆

 私たちは早稲田の杜で出会った、いわゆる早稲女(ワセジョ)だ。

 「ワセジョ」って、昔から気が強いとか可愛くないとか言われてきたけれど、実際には、才色兼備が多く、文句なしに美しい子、頭のいい子、魅力的な子がいっぱいいた。

 今こそ、ワセ女みたいな女たちが行動するべき時なんじゃないかな、と妙に熱い気持ちになる。

 昔の女たちが井戸端会議レベルから脱せられなかったとしたら、私たちは子を守るためにも井戸端会議から飛び出して、社会に向けて発言していきたいと思う。

                         ☆

 一時疎開という名目で久々に会った友達と、バカ話にいっぱい笑い、真面目な話を熱く語り、震えるような感性を共有し合って涙を流した。本当に素晴らしい時間だった。今後のためのエネルギーとなった。

 今の埼玉は不安もあるだろうけれど、友達にはぜひとも今後も、ダンナさんとのお寺を地域の人々が集い学び和む、発信拠点にしていただきたい。

                          ☆

 大好きな大好きなちゃこ様

 ジュニア魔女のささやかなサミットだったね。

 この時期に会えて本当によかった。

 お互い、生きものとしての自然を大切に、それぞれの地で、がんばろう。

 子供たちは毎日、くーちゃんの物真似して「ピッ」とか「これ?」って言ってます(笑)

                    ☆思い出写真☆

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            海へのピクニックに鮭と梅干しのおにぎりを持って行き、

             途中立ち寄った実家で母がひょいと詰めてくれた

           おかず(新じゃがの粉ふきいも・漬けたばかりのらっきょう・

          とったばかりのきゅうり・ひじき・キムチ すべての食材に力有り)

 

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            パン作りの達人のちゃこに、簡単にできるパンを教わる!

        

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        子供たちにやさしく教えてくれるちゃこ。アジアの街角の風景っぽい。

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              見よ!達人(じゅうぶん魔女)の手の早ワザ。

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           イースト(発酵)なしで、じゅうぶんふくらんだパン!

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           お別れの日のランチ。夫作のオクラのインドカレー・

           鰯の酢漬け・漬けたばかりの私作のらっきょう&ピクルス

           

                     また来てね!

          

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2011.06.24

 夏至の日のできごと

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 夏至の日に、映画『夏至』を教えてくれた人と会った。旅の前に豊橋に寄ってくれた。

 時間差で豊橋に到着した大学時代の友を「夏至の人」に引き合わせた。

 その友は20年近く前、私に映画『地球交響曲』を教えてくれた。

 いちばん最初の『地球交響曲』のパンフレットには、「夏至の人」が書いた解説文が載っている。

 彼と彼女が話す様を見て、私はとてもうれしかった。

 大好きな人+大好きな人 meet in 豊橋!

 仏教、ネパール、文化人類学と、私からしたらアカデミックな話が続き、友達が一時疎開の地として考えているトルコについて尋ねたら、夏至の人は「トルコは100回以上行ってるよ。アフリカへのトランジットもたいていトルコだから」と言った。

 そのスケール感に笑ってしまう。

 原発事故がなかったら、やってこなかったタイミングの友達。たまたまの流れで、前々から会わせたかった二人をつなぐことができて、うれしかった。

 私がガイガーカウンターを注文したと伝えたら、二人に「豊橋でなんでそんなものがいるんだよ!」と爆笑された。二人の危機感は私以上だし、私の危機感も理解している上でのその反応。

 「ミーハーだなあ!」と笑い飛ばしてくれて、張り詰めていた心がすっと和んだ。

 三人で笑いながら話している間、友達の赤ちゃんは、すやすや眠っていた。

                         ☆

 1歳の赤ちゃんを見ていると、本当に宝物だなあと思う。

 宝物のような友達が、宝物のような赤ちゃんを連れてやってきた。

 子どもたちを守ることを基盤に考えたら、世の中もっとやさしくなれるはずなのに。

 友達は出会った頃の友達のまんま、お母さんをしていた。

 何の違和感もない。生きものらしい彼女が生きものらしく育児している。

 セットの母子が美しくて、いとおしくて、いつまでも眺めていたくなった。

 久々に会う友達との3泊、長く感じるかと思ったら、そんなこと全然なくて、話しても話しても話が尽きない。おもしろ過ぎる!!

 この危機にたくましく生きてる彼女がうれしかった。

                          ☆

 疎開先に考えているトルコも、沖縄も、彼女のかねてからの人脈による。

 沖縄で助けてくれる映画監督さんは、彼女たちの披露宴で印象的なスピーチをした人だった。

 私も彼女を助けたいと思ったし、そんな風に、彼女がご縁に守られ支えられている様子を知り、友として誇らしくもあった。

 大好きな友達の話はまだつづく。

           

               

  

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2011.06.22

 朝陽と卵

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               <写真は3月に伊良湖で眺めた朝陽>

  

 5時に眺めた朝陽がとてもきれいだった。

 オレンジより朱色に近く、周囲の風景をピンク色に染めていた。

 紛れもなく、希望を感じる美しさだった。

 子どもの頃、目玉焼きを見ると、太陽を思い出していた。

 卵によるのか焼き方によるのか、黄身が黄色い時もあれば、朱色、うっとりするような桃色の時もあり、そのグラデーションは太陽に似てるとよく思った。

 命の始まりの卵と太陽が似ているなんて、不思議だな、と思うと同時に、なんだか当然で自然なことのような気がしていた。

 自然は毎日、変わりなく美しいのに、人間が地球を汚してしまってごめんなさいと思った。

 今日、大好きな人二人が、関東から会いに来てくれる。

 その二人同士はまだ会ったことがないけれど、何年も前からそれぞれに存在を伝えてあり、たまたまのタイミングで私の地元で会えることになった。

 縁や流れって本当にある。

 こんな時に東から来てくれる人は、大げさに言えば、「戦火を逃れて」という気がしてしまう。

 久々に会えたら、人目など気にせず、思いっきり抱きしめ合うつもり。

 生は無限じゃない。

 一昨年病気した時、カラダとタマシイについていっぱい感じ考えた。

 身体があるから、生を楽しみ、誰かと抱きしめ合うことができる。

 魂と魂を交信させることができる。

 身体があるうちに、好きな人とはめいっぱい抱き合っておきたい。

 人は一人じゃ生きていけない。

 まずは自分自身が今、生きていることをかみしめて、大切な人と支え合いたい。

 書いた後に気づいた。今日は夏至ですね。太陽の力を感じる日ですね

            

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2011.06.21

 ありがたいブログ二つ

 前回分と同時にUPします。*前回分は、昨夜テスト的にUPしましたが、間違いがないかどうか詳しい人に確認してもらうため、今は非公開にしています。→確認できたので、公開しました。

 ☆『伊那の谷から古代が見える』

 タイトルだとわかりにくいけれど、現在は、放射性物質拡散予想図などをまとめてくださっている(引用フリー)。

 http://utukusinom.exblog.jp/

 ☆『ちょっとだけ観察中』

 地元豊橋市で、空間線量を簡易測定してくださっている方のブログ(掲載許可済)。

 http://radiation-toyohashi.seesaa.net/

*****

 私は原発関連に限った記事を書いているわけではないので、基本感情を交えているけれど、上記のお二方は、データをバーンと載せてくださっている潔さが信頼できる。

 現在の状況においては、天気予報の花粉情報のように、放射能拡散予想もするべきだと思う(『伊那の~』の筆者さんも書いていた)。天皇崩御前の、「下血が・・・」という毎日の情報のように、福島第一原発の状況についても、毎日伝えてほしいです。

 みんなで注意し感謝し、最前線でがんばってくださっている作業員さんの無事を祈りたいです。

         

          

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2011.06.20

 茶葉から見えること

 ☆現況について、有益な情報や見解を載せたつもりだけれど、読みたくない人は読まないでください。また私は、作家とも主婦とも言い切れない立場で、いずれにしても放射能の専門家ではないです。責任を持った正確な記事を心がけていますが、子を持つ一生活者の視点と思ってください。

 最初に余談。

 前回分について、facebookで、名古屋の同級生男子から「今のあなたの表現の仕方には冷静さは感じられない。心配。」とコメントが入り、自分としては至極冷静なつもりだったので、落ち込みました。でも、その後、だいぶ年上の評論家の男友達から「まーちゃんは冷静だし、いい意味での熱さは持ってたほうがいいと思う。」とメッセージをもらい、持ち直し、さらに、横浜の同級生(一児の母)から「まーちゃんにはいろいろな情報をシェアしてもらって、ホント感謝してます!」といただき涙。さらに今日は、「あなたと同様に発言や行動をしている人たち、特に子供を持つお母さん達がたくさんいることは、至極当然のことだと思います。」と、10歳年上で四児の父からいただき、納得。さらに、山梨の親友(5児の母)と話したら、「続けてほしい」と言われ、がんばろうと思ったのでした。

 私も揺れるよ。でも、まさにシェアの気持ちです。

 自分や自分の家族だけが救われればいい、という考えではないので、大切な情報はお伝えしたいです。

*********

 今、日本の中で、原発に関する意識の高低に大きな差がある。住んでいる場所、子どもの有無、年齢、性別などによって・・・。私の危機意識をどう思うかはその人次第なので、以下、すべて鵜呑みにはせず、自分で判断してください。

 また、情報の出典をすべて書いていくことは時間がかかるので、気になるものは自分で調べてください。どうしても質問がある場合は、ツイッターを使って送ってください。

 私のベースには、広河隆一さん(『DAYS JAPAN』編集長)の『暴走する原発』という本があります。チェルノブイリと重ならないでほしいと思っていたけれど、残念ながらどんどん重なり、現状の福島原発、加えて日本の状態はさらに深刻化しています。そのことを念頭に置いてください。

 その本には、チェルノブイリに50回以上も足を運んだ広河さんによる、事故のその後の資料がたくさん出ています。ヨーロッパのどの範囲にまで汚染が広がったのか、現場から何㎞、何百(何千)㎞のところにどんな問題や病気が発生したのか、などなど・・・。

 感情論で書かれたものではなく、資料は事実です。

 だから私も、伝えなくちゃ、と思うんです。

*********

 私が、3.11以来得た情報で、初めて知った時大きく驚いたものが二つある。

 ①福島原発の放射性物質は、今後何十年も放出され続ける

 ②その量は、広島型原爆何○倍にも当たる

 原爆いくつ分か、というのは、換算方法や、人によって見解に違いがあるので、○にさせてもらったけれど、単純にわかっている情報として、広河隆一さんの言葉(4月末の講演より)を借りると・・・

<チェルノブイリは広島型原爆にして約500個分のセシウムが出たといいますからすでに50個分以上は福島でもう出ているんです。原爆50個分の放射能です。それで安全だというのはとても僕にはその考え方がわかりません。>

 原爆○個分と聞いて、かなりびっくりしました。一個だけでもびっくりなのに。

 そういうセンセーショナルな言い方は政府は使わないし、マスコミでも報道されていないけれど、それが現実。チェルノブイリの惨状を取材し、子どもたちを助ける活動をし、だいぶ前から一貫して「原発は危ない」と言い続けてきた広河さんの弁には説得力がある。

 東京に関して言えば、3月14日の水素爆発による汚染が3月15日には東京に及び、加えて、3月19~21の連休辺りで降った雨に汚染物質がだいぶ含まれていたようです。

 なので、その頃汚染物質を浴びてしまったと思われる人は、今健康被害が出ているとしたら、安易に構えず、早めに病院へ行き、相談してください(実際に子供たちの鼻血の例をこの頃聞きます。愛知でさえ一人聞きましたが、耳鼻科の医師は検査結果を見ながら、「花粉と黄砂と放射能の影響もあると思う」と伝えたそうです)。すぐに現れるわけではないけれど、甲状腺関係は、早く見つけるに越したことはないです。これは、一昨年スティル病で入院した時、同じ病室にバセドー病や橋本病の方々がいたので(私の担当医が、内分泌・膠原病内科だった)、その方たちから学んだことでもあります。

 本当は、政府が危険を国民に向けて伝えるべきでした。

 その辺りの、情報を伝えない姿勢も、ソ連政府の対応と重なります。

 自衛するしかないんだ、というのを徹底してほしいです。 

 

 今の事態がどれほど深刻であるかは、稼働させたばかりの汚染水の浄化装置のフィルターがたった5時間しかもたなかった、という点に象徴されていると思います。一ヶ月で交換する予定が、5時間。そのくらい、政府も東電もわかっていない、ということです。もちろん現場で必死に作業してくださっている方々には感謝の気持ちでいっぱいです。それに前代未聞の今回の事故を「わかる」というのは難しい。でもとにかく、今後、日本で起こってくる病気に関して、想定外、予想以上、では済まされないです。そんな程度の想像力に、子供の未来を任せてはならないよ。守れるものは自分たちで守ろう。防げるものは防ごう。チェルノブイリの時は強制退避だった放射線量の場所に、今も住み続けている子供たちがいることが、本当に悲しいです。

 ついでに書くと、海江田さんが言った「原発安全」も、何をもって安全と言っているのだろう。表面上安全だとしても、今回の汚泥でさえ行き場がないのだから、それこそ、無害になるには10万年かかる放射性廃棄物の処理まで完璧にできない限り、安全とは言い切れないはず。

 私には今の政府が、頭のカタいオッサンの集団に思える。

 私、オッサン好きだけど、聞く耳持たない老害オヤジは大嫌い。

 「心配ないって言ってるだろ!!」って逆切れするようなタイプ。未来へ向けての想像力も働かないその場しのぎのオッサンたちに、自分たちの未来を委ねてはいけない。すごく残念だけど。

 事故以来、木下さんhttp://bit.ly/fPGJLdも私も(多くの専門家も)、福島原発から放出され続ける放射性物質が、恒常的にいったいどこまで届いているのだろう、というのが大きな関心でした。

 木下さんが100人以上で進めている関東の土壌調査、全国にいるガイガーカウンター保有者たち、様々な専門家との話を総合させると、どうも、静岡の途中までではないか、とのことです(現時点では)。

 それは、お茶の検査結果にも表れているので、ある程度確かな推測だと思います。

 静岡の製茶に規制値以上の放射性物質が検出され、愛知で荒茶の検査が行われた時、私は愛知でも出るだろうなあと思って、検査結果が出るのを祈るような気持ちで待っていました。結果は、規制値以下。そもそも規制値が大丈夫な数値なのか、検査が公正に行われているのかどうか、というのはここでは置いておきます。

 その、愛知県内の茶葉のセシウム量を見ても、今後の注意すべき点がわかります。

 ○愛知県農林水産部のPDFより

    http://bit.ly/kQ8m9W

 これで見ると、規制値500ベクレルのところ、豊橋53.5 豊田3.1 西尾4.5 新城360 田原 検出されず とのことでした。

 豊田と西尾のことはわからないけれど、豊橋と新城、田原のことは地元としてわかります。この数値を電話で木下さんに伝えたら(彼は独身時代からの友達なので、私の実家が渥美半島ということも知っている)、「新城は山や森が多いから、溜まったんだろうな」「田原は海が近いから海に流れたんだろうな」と言っていました。東京の数値を見ても、近い場所でも開きが出るのは、風向きや地形によるそうです。

 つまり、同じ市でも、地形によって放射線量に違いが出るのがお茶から見ても推測できるので、今いる場所の危険や安全の度合いを把握することが重要だと思います。

 ちなみに、静岡茶も、二番茶では検出されませんでした。

 選ばれている工場に偏りがあるらしいので、それもどこまで信頼できるかわからないところはあるけれど、二番茶は大丈夫、というのは、3月、4月の汚染はひどかったけれど、今はマシにはなっているという証拠かな、とも思います。

 まとめとして、私が福島原発からの放射性物質が届く地域に住んでいるとしたら、移住も視野に入れた上で(福島の場合は、すぐ移住します)、そうは言ってもなかなか難しいだろうから、休みのたびに子供を放射線量の低いところに連れ出して、身体を休めると思います。小さい子や妊婦に影響が大きいのは、放射能が細胞や遺伝子を破壊する性質を持つからです。細胞がどんどん新しくなっていく時期の子供を被曝させてはなりません。

 被曝量は積み重ねによって悪い症状が出てしまうから、なるべく浴びる量を増やさないこと(もちろん食べ物による内部被曝も含め)、危険な場所から抜け出すこと、これは放射線の専門家の先生たちも言っています。

 チェルノブイリの直近で、とにかく逃げた住民より、低線量の地域にとどまり続けた人の方が後々の健康被害が大きかったという例も報告されているので、慎重に、真剣に考えてほしいです。

 今のところ大丈夫そうな中部以西も楽観視は全くできないけれど(日本全国が汚れているのは明白)、長い目で見て、この日本の危機を支え、背負っていくのは私たちや私たちの子供世代だと自覚し、覚悟して、子供を一層たくましく育てていかなくては、と思います。

 私はひとまず、ガイガーカウンターを注文したので(8月末の入荷だけど・・・木下さんの意見を聞き、性能&価格的に良いもの・・・宣伝みたいになるのは嫌なので載せないけど、興味ある人、購入を迷っている人は個別に聞いてきてください)、今後地域のあちこちで計測し、放射線の分布について、土地の感覚をつかみたいと思っています。

 線量の高い日は、子供にマスクを着けさせるとか、とにかく雨に濡れない、というのは鉄則です。うちの息子は、傘を持っていても傘を差さずに帰ってくる男子の典型だったけど、心を鬼にして傘を差すように言っています。のびのび過ごせない子供が不憫だけど、戦時中のお母さんの気持ちでがんばるしかない。

 長い目で見た時に、学校や運動場の除染など、愛知でも必要かもしれないし、そんな時にちゃんと動けるように、仲間たちと備えておきたい(ママ友ばかりではなく、ふだん親しくしているオヤジ様たちも巻き込みますよ!)。

 つまり、今後一層、地域ごとに必要とされる情報や対策が異なってくると思うので、地域の人たちで連携し、結束していかなくては、と思います。

 私は、精一杯の思いで、子供を産み、子供を育てているお母さんたちが、その営みを否定されるかのような今回の事故が本当に悔しくてたまらない。

 子供たちの生きようとするふつうの、前向きな意志を絶対に守りたいです。

 木下さん、名古屋方面で25日に講演会です(ブログの末尾に告知出ています)。私は夫が飲み会の日なので行けないけど(いずれ彼のことは豊橋に呼ぼうと思って、関心の高い議員にも伝えてある)、興味のある方は行ってください。そして、疑問をぶつけてきてください。

 あさってから、埼玉の友達が一時疎開という名目で子連れでやってくるので、感性の近い分身のような彼女(独自の判断で、すでに、木下さんの講演会、チェルノブイリへのかけはしの野呂さんのお話会にも参加)と作戦会議するつもりです。

 今日は青年の主張みたいな内容になっちゃったけど、私は冷静です。

 お母さんたち、一緒にがんばろう!!

             

              

        

 

 

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2011.06.18

 現情報の整理(途中)

 友達が今、埼玉での木下黄太さん http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927

の講演会に参加している。

 その直前まで、私は彼と電話で話していた。

 新しい情報も得たので、ここに書こうかと思いつつ、夫に先に話したら「それを書くなよ」と釘を刺されたので、じっくり考えて、どう考えても正しいもののみ、載せたいと思う。

 夫に、「俄かジャーナリストになるな」とか「競輪の予想屋みたいなことするな。1,3が絶対来る!って言ったって落車もあるんだから」と言われ、その通りだと思った。

 夫とは溶け合えないけど、正しい指摘についてはいつも感謝している。

 

 私が今日動いたこととしては、絶版となった本、『ベルリンからの手紙 放射能は国境を越えて』を愛知県図書館から取り寄せる手続きをしたことと、ガイガーカウンターを買うと決めたこと(まだ注文してないけど、値段と性能で考えた場合、良いものを教えてもらった)。

 

 その他については、またじっくり書きます。

 そうそう、途中だけどUPしようと思ったのは、実際に足を運んでくれた友達のように、場所やタイミングが合えば是非、木下さんの講演会に出かけてほしいです(参加費用は場所代の100円~500円程度です)。

 辛い話も多いけれど、私と友達だったり、このブログの読者の人は、私を利用してでもいいから、木下さんに直接会って、疑問をぶつけてほしい。木下さん自身を利用してでもいいから、情報を得て、判断してほしい。

 ブログの言葉はキツイけれど(本人はやさしいんだよ。一人でも多くを救いたくて活動してる)、京都大学原子炉研究所の小出裕章さんや、群馬大学で火山の研究をしている早川教授等々の専門家、医療関係者、政府関係者、そして、facebookの5000人のグループから得た情報を持っている人なので、利用しない手はないと思う。

 少し古くなってしまったけれど、小出さんの論文(PDF)です。

 わかりやすいし、正論だと思う。

 http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouenindex.html

 また、今日回ってきた「きっこのブログ」のきっこさんのツイート。

 <ひとつだけハッキリしていることは「福島第一原発の少なくとも3基の原子炉がメルトスルーを起こしている」ことと「メルトスルーを起こして容器から溶け落ちた核燃料を回収する技術は現在の人類にはない」と言うこと。そして「その技術を開発するとすれば最低でも10年以上は掛かる」と言うこと。>

 そういうことだよ、つまり。

 なんか、尻切れトンボだけど、責任もって言葉を選びたいので、今日はここまでにします。

 私が考えてしまうのは、けっこう先のことだったりする。

        

                

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2011.06.15

 『冬の喝采』

 緊迫と弛緩がまだら模様の日本。真ん中に位置する愛知に住む私は、やはり真ん中まだらの心持ち。私にとっては久々の更新となってしまった。友達親子集合→ふれあい参観→浜名湖→水着のゼッケン付け→人と会う約束等々々・・・

 梅ジュースやらっきょうは、放っておいてもどんどん美味しく成ってくれる。そんな日々のひとときの読書日記(チョー長いです)。

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 箱根駅伝にまつわる小説。

 アマゾンに出ていた作品説明より・・・

<「天才は有限、努力は無限」 北海道の大地を一人で走り始めた著者が、怪我によるブランクを乗り越え、準部員として入った競走部には、世界的ランナー・瀬古利彦がいた。入部後も続く怪我との戦い、老監督との葛藤など、1年8ヶ月の下積み生活に耐えて掴んだ箱根駅伝の桧舞台で、タスキを渡してくれたのは瀬古だった。それから9年後、30歳になって自分を箱根路に導いた運命の正体を知る。>

 黒木亮さんの本名・金山雅之を主人公とした自伝的小説とあるけれど、作者本人も言う通り、ほとんどノンフィクション。

 ここでも何回か触れたけど、地元の早稲田OBで箱根駅伝を走った方がいて(しかも優勝経験有り)、その方が貸してくださった。

 この小説には、実名がじゃんじゃん登場する。瀬古利彦や中村清監督といったビッグネームもあれば、当時の高校~大学陸上界で活躍したマニアックな選手の名前もある。上記OBさんの名前も最後の方に登場する。

 黒木さんが走っていた頃の練習日誌を元に書かれている部分もあり、最初は、何もここまで詳細に記さなくても、と思ったりもしたけれど、最後まで来ると、作者の陸上競技に対する並々ならぬ熱意や執念と、お世話になったすべての方々への敬意や愛情を感じる。

 このひとは、ここに、覚悟を持って記しているんだな、と・・・。

 陸上に関心のない人がどう読むかはわからないけれど、元陸上部、しかも長距離に関心があった(今も)私としては、とても興味深く読んだ。

 特に、中村清監督の狂人ぶりは、実際に指導を受けた人がこうしてまとめてくれたことに感謝したくなった。OBさん(Nさん)は、実物の方がもっと凄かったと言うけれど、この本だけでも相当凄まじい。選手を殴らない代わりに自分を血だらけになるまで殴り、見ていた一年生が卒倒したとか、草を食べるだとか、伴走車で校歌を歌うだとか、そんなエピソードがいっぱい出てくる(恐ろしくもあるけど滑稽で、随所で笑いがこみ上げる)。 

 黒木さんやNさんが箱根を走ったのは、私が入学する(1991年)たった7年~12年前くらいのことなのに、空気感が全然違う。いい意味で重い。少し前とは言わないけれど、それほど遠くない昔に、確かに中村清というエキセントリックな監督や世界の瀬古がいて、ストイックな練習や過酷な駅伝を耐え抜いた選手たちがいたんだ、ということに驚くし、焦がれるような気持ちになる。

 現在の箱根駅伝はテレビ中継もあるし、データはコンピューターで管理され、車はプリウスで統一されているし(2011年の場合)、過酷でも整然とした印象すら与える。主役の選手たちも、昔以上の厳しい練習もしているだろうけれど、みんな粒ぞろいで美しく洗練されて見える。

 昔の箱根と言えば、ジープに拡声器、もちろん中継で見ていたわけじゃないから、現在の映像に差し込まれる印象でしかないけれど、いかにもアナログで、山を登ったり降りたりすることからも、原始的な競技にさえ映った。

 『冬の喝采』は、アナログ時代の選手たちの不器用な感じや雑草のような逞しさが、たまらなく眩しく感じられた小説だった。

 細かい記録の部分など、飛ばし読みしながら後半へ来て、金山が4年生の箱根を最後に陸上をやめると決めた辺りから、彼が眺めている風景や心境がまったく自分のもののように迫ってきて、涙が出てきてしかたなかった。

 最後の伴走車の中村監督の言葉。

 「お前も頑張れ。大東が一分ちょっと前にいるけど、お前なら抜ける。今のお前の力なら、どこの大学の奴にも負けない。俺はお前に期待してるんだよ」

 これにも感動した(それまでが色々あったから)。

 中村監督の強烈な人格形成には戦争体験が大きく響いていて、こんな人をつくった戦争というのはいかなる修羅場だったのか、と戦後史を読むような気さえした。

 そして、ネタバレになるけれど(推理小説ほどじゃないけど、重要なラストに関することなので、これから読みたいって人は以下、読まないでください)・・・

           

      

・・・金山の実の父親が明治大学で箱根駅伝を走ったということが判明するくだりになると、号泣。

 読み続けてきた壮大な駅伝(距離)の話が、さらに壮大かつ悠久な遺伝子の話に内包されるようで、走ることから生きることへ思いが及ぶ。

 それにしても、この黒木って人、すごい。

 小説にも書いてあるけれど、練習の合間にたくさん読書し、リンガフォンを聴いて英語の勉強をし、陸上だけが人生じゃないから、とその後の人生についても常に思いを巡らせていた。

 文庫等に出ている経歴より・・・ 

<1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒業、カイロ・アメリカン大学大学院修士(中東研究科)。
 都市銀行、証券会社、総合商社に23年余り勤務し、国際協調融資、プロジェクト・ファイナンス、航空機ファイナンス、貿易金融など数多くの案件を手がける
 2000年、大型シンジケートローンを巡る攻防を描いた『トップ・レフト』でデビュー。他『アジアの隼』『排出権商人』『トリプルA』『巨大投資銀行』『貸し込み』などがある。英国在住。>
 

 映画監督の篠田正浩さんが箱根を走ったと知った時も驚いたけど、黒木さんも、経済小説を専門としてきて、満を持した形で書いた『冬の喝采』では、超マニアックに自分が体験した箱根を描いているんだから、その幅広さに大げさではなく驚愕する。

 男ってすごいなあってのも改めて感じた。

 ごく個人的な話になるけど、正直、今まで男ってすごいって真に思ったことがなかった。

 傲慢ではなく環境で、小・中くらいだと男より色々できたし、例えば大学時代も、女の友達の方が美も能力も突出した子が目立っていたので、男ってすごいと思う機会があまりなかった(注:書きだせば長くなるけど、女子の方が早熟なのは、卵子の寿命を考えれば当然だと思う)。自分が表現や創作といった感覚的なものを好み、志していたことも大きいと思う。感性の分野は男女超えた独自のものだし・・・。

 それが、去年久々に出た早稲田のOB会辺りから、優秀でユニークな先輩たちとの出会いにより、男ってすごい!というのをハッキリ言って初めて感じている(うれしい)。

 自分の頃は、体育会の友達と言えば、得意な運動はすごいけれど、薄っぺらく感じていた(現在はみんな成長している)。少なくとも身近な体育会の友達に、練習の合間に英語を勉強し、将来経済小説を書きそうな人なんていなかった。

 たまたま地元で出会ったOBさんたちは年を重ねているから、というのもあるだろうけれど、仕事も家庭も遊びもめいっぱいの人たちで、体育会出身の人たちも決して薄っぺらではなく、むしろ、強い心身の基盤を持った上で世界を広げていて、知れば知るほど、圧倒的!とか無敵!とか思ってしまう。

 『冬の喝采』を読んで、青春時代に自分の心身の限界に挑み、器を大いに広げた人は、その後の人生で体験する辛さなんて大したことないと思えるのかな?と羨望にも似た気持ちを感じた。

 もちろん、過酷な青春期を頂点に栄光も努力も低下していく人も多いだろうけれど、黒木さんの場合、箱根を頂点とせず、ビジネスの分野、小説の分野にも活躍の場を広げているんだから、その容量の大きさに唖然とします。

 まさに中村監督の言った、「天才は有限、努力は無限」を人生においても実践している。

 遺伝子による違いというのは、残酷なまでにこの世に誕生した瞬間(受精の瞬間)からあるのだろうけれど、一度の人生、それをどんな風に彩っていくか、無限大にしていくかは、その人の努力次第なんだろうなと思った。

 長々書いても、結局まとめられない。

 小説としてのまとまりや完成度は度外視した、圧倒的なものに触れ、まとめられない思いが、涙としてあふれてくるような、そんな小説(事実は小説より奇なりを、小説という形でまとめた作品)でした。

 興味ある方は、「早稲田スポーツ」に出ていた、こちらのインタビューも。

 http://www.wasedasports.com/field/081115.php

 ☆ちなみにこの小説、お借りしたのは地震の直前だったのに、心身落ち着いて読むまでに3ヶ月かかってしまった(今なお落ち着かないけど、そのくらい、誰にとっても今まで経験したことのない3ヶ月だったと思う)。

 震災以来、生半可なものは読めなくなったけど、これは読めた。本物の力は強い。

           

            

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2011.06.10

 梅

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 先週の土曜のことになるけど(オヤジ様たちとお好み焼きに出かける前)、お隣の広いお庭で、梅の実をとらせていただきました。お隣は前にも書いたけど、偶然高校時代の数学の先生の家で、毎年楽しませてもらっている。

 小梅は夫が梅干しに(今塩漬け中)、大梅は私が梅ジュースにしています。

 3枚目の写真は、去年夫が漬けた梅を入れた、長男の日の丸弁当!

 社会科見学の日、長男がどうしても日の丸弁当を持って行きたいと言い出し、でも、栄養や体裁を私が気にして、折衷案?として、写真のごはんの下に、ちゃんとおかずが入っています(笑) 焼肉と、にんじんのきんぴらと、シューマイと卵焼き。それらを、まるで完全犯罪かのように、見えないようにぴっちり上にご飯を載せ、梅干しで仕上げた。で、気づいたんだけど、横におかずとご飯を並べるより、隙間なくご飯が入る分、量も多い。だんだん量が必要になってきたので、これならいける!と思ったのでした。

                         ☆

 その他、日々思うことは色々あって・・・

 埼玉の友達の周囲は、5組くらいの親子が引っ越しを決めたそう。

 前に書いた広瀬隆さんの『暴走する原発』のチェルノブイリのルポを読んでいると、本当に同じような経過を日本がたどっていて愕然とする。

 パニックを恐れて政府が公表しない、とか、避難するストレスの方が放射能の害より大きいと信じられていた、とか・・・。

 チェルノブイリの事故は、今思えば短期間のものだったけど、日本が困るのは、今もまだ(これからも)放射能が出続けてしまうこと。

 日本が島国でよかった、と思ってる人たちが、世界中にいっぱいいると思う。残念。

 チェルノブイリ事故による被害は、1000㎞以上離れたスウェーデンでも大きかったらしいから、日本みたいな狭い国土じゃますます心配じゃん!って思う。

 メルトダウンじゃなくて、さらに酷いメルトスルーって、たいへんなこと。底がどこにあるのか、地球がかわいそう。国家的な問題じゃなくて、どこの国でもいいから助けてほしいです。これからのための行動と同時に、早くあの場所をなんとかできないものか。すごい頭のいい科学者とか総動員されてるだろうけど、なかなか収束できないなんて、やはり人間が責任もって片づけられないものはつくっちゃいけないと思うよ。

 前書いた『100000年後の安全』という映画http://www.uplink.co.jp/100000/によると、高レベル放射性廃棄物が安全な状態になるまで「10万年」かかるそうです。そのため、10万年後の人類(なのかどうか??)に向けて、「これは危険 掘り起こしてはいけない」というのを示すために、文字やら絵を駆使して伝えようとする場面があるらしい(友達が言うには、それが間抜けなんだって)。10万年後の人たちに迷惑かけるようなものは、いらないでしょう。

 「100000年後の安全」で検索しようとすると、「10000年後の安全」と打ってる人たちが多いことがわかる。1ケタ違うからね。本当にたいへんなことだ。

                         ☆

 PDFで届いた、中森明夫さんの『東京トンガリキッズ2011』

 80年代に「世界の終わり」を口にするなんて、敏感な人たちの感性だっただろうに、あの頃のSFや空想が、今現実化していることがたまらなく寂しい。

                         ☆

 昨日の夕方子供たちと買い物に出かけたら、小学校の先生たちをやたら見かけ、その表情から、何かあったんだろうな、と思った。

 すると学校からメールが入り、次男と同じクラスの男の子がまだ帰らないとのこと。「6時過ぎても帰りません」の文面が「7時過ぎても」になり、うちにも一度遊びに来てくれた可愛らしい子なので、私まで泣けそうになっていたが、8時少し前にようやく「見つかりました」との連絡。よかった。

 1年生男子は本当に危ないので、親の側でも我が子にもみんなにも、一層気をつけたいと思った。

 こんな風に、世の中がパニックになっても、結局のところ、身近な問題でいつもあふれているんだよね。

 身近なよろこびも幸せも・・・。

 明日はアメリカから一時帰国中の親子たちと我が家で集まる予定。

 今月はうれしい予定がいっぱいあって、埼玉からの友達親子(名目は一時疎開)、東京から大好きな人も来てくれるし(埼玉の友達にも会わせる♪大好きな人×大好きな人 in 豊橋!)、月末には早稲田のOB会の総会もある(途中参加)。

 こんな時だからこそ(もともとだけど)、大好きな人たちといっぱいいっぱい抱き合いたい。

            

          

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2011.06.08

 記録として 「東京トンガリキッズ2011」から

 昨日facebookに書き込んだことに対し、ある評論家さんからコメントいただき、それにお返しした自分のコメントをここに転載。

 人との対話の中で自分の思考が整理されていくことはよくあるので、記録として(相手の素敵なコメントは申し訳ないので割愛します)。

 <夕刊で見て、衝動的に中森明夫の『東京トンガリキッズ2011』を購入した(「早稲田文学」のチャリティーPDF)。前身は80年代後半に発表していた短編で、読み返すと驚くほど原発の問題に触れているそう。RCサクセションの『カバーズ』やら世界でもチェルノブイリ後の反原発ブームの頃。今回の震災を経て、どう続編にまとめたのか(まだ振り込んでないので届いてない)。

 同時多発テロの後も、もっと言えば、インターネットが登場した時も、小説の中にどんな風に「大きなできごと」を織り込むか、みんな葛藤していた。今回私にとっては、震災と向き合った初めての文学。

 80年代から90年代にかけて、世の中の浮かれた感じとは裏腹に岡崎京子はずっと「終末期」を連想させるようなマンガを描いていた。東京ガールがお洒落にポップに遊んでいても、常にどこかに毒があった。
 サブカルチャーと呼ばれる人たちの嗅覚を、もう一度読み返したい気分。>

                        ☆

 <うーん、さすが!ありがとうございます。パッツン前髪の生き字引様(←褒め言葉です)から、やはりもっと学ばせてもらわなければ・・・(笑) 私は73年生まれなので、80年代はちょうど、小学校入学~高校生という時間でした。なので、お書きいただいた錚々たる名前も、文字では知ってるけど・・という感じでした。

 近田春夫で思ったんですが、岡崎京子の『pink』に出てくるハルヲくんってのは、ずいぶん古風な名前だと思ったけど、近田春夫氏も影響してたのかな?って思っちゃいました。
 91年から大学に入り東京で過ごしたので、その辺りから慌ててビシバシ感じ始めたのですが、特に岡崎京子は大きかったです。ちょうど東北沢に住んでいたので彼女のおひざ元の下北沢の空気感とも混じり・・・。『リバーズ・エッジ』はCutie連載中に読んだのが最初でしたが、コンビニで立ち読みしてたら死体が出てきて、少女マンガ(というカテゴリーではないけど)に死体!というのにかなり衝撃を受けました。

 それからさかのぼって古本屋で買ったりしてあれこれ読んでいったけど、80年代の『ハッピィ・ハウス』だって、今読んでも新しい。で、○○さんのコメント読んで思ったんですが、サブカルチャーって人たちは一見新しいことをしている人たちに思えるけど、世の中に登場する「新しいもの」への違和感が作品を産む原動力になってるのかな?とふと思いました。そう考えると生きものらしい人たちなんですよね(○○さんや私も含め:笑)。あー、終わらない。作戦会議が必要だ(笑)>

                         ☆

  <私、今回の震災、そしてこれからも続く原発の影響というのは想像以上に大きくて、○○さんの言うとおり、文学や音楽にフィードバックされるのは時間経ってから・・・と同時に、文学や音楽をやめて、違う方向へ動く人もかなり出るんじゃないかな?って思いました。みんな一気に、「これからの人生」になっちゃったわけだから。むしろ、直後から何かスラスラと発してる人の方がうさんくさいですよね。

 私などもうしばらく小説書けないなあと思っています。「それでも(それを超えてでも)書きたいもの」っていうのを持つ...には、よほどの強さか、傲慢さを持ってないとできないように思えて。書くものの種類にもよりますけどね。無責任に逃避みたいなことができないってのが、私なりの感性なんだろうなあと思います。

 そんな意味では、この間のETV特集の細野さんの、一ヶ月音楽に触れられなかった、でも、その後で発する音が「やさしい」というのはすごいことだと思うし、声高に何かを訴えるよりも、痛みを深く感じ考えている上でみんなを包み込むような音作り(発表)ができるってのは、細野さんの素晴らしさであるし、人生のタイミングもあるんだろうなあと思いました。

 (後略)

 *その後500円振り込んで『東京トンガリキッズ2011』のPDFを手に入れつつ、今日は小学校の給食懇談会に出かけ、まだ読めてないです。

                

  

         

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2011.06.05

 お好み焼き壮行会

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 きよみちゃん(http://bit.ly/jD3UWr)が、もうすぐバンクーバーへ旅立つので、壮行会を彼女のご実家のお好み焼き屋さんで行った。写真は宴の後のお庭の風景と先輩セレクト&作成のjazzCD(すごく手がかかってる!レコード音源からだったり、ジャケット写真を一枚40分かけてスキャンしてくれたり・・・)

   ☆花林 http://g.chaoo.jp/shop/karin/

         http://bit.ly/ldLzhB

 まず、お好み焼きを始めとするお料理、とっても美味しかった!!友達の実家ということを抜きにしても、本当にどれもこれも美味しかったし、お料理にも、お店にも、ポップにも温かい心づかいが感じられて、とても良かった。近所に欲しいなあというお店です。

 きよみちゃんのお母さんは噂以上の美女だったし、お兄さんもかっこよかった。

 早稲田の先輩4人と私&きよみちゃんで、話題は相変わらず色々だったけれど(ある先輩の同じ話の同じフレーズを23回くらい聞いたり、その他、「バンクーバー→きれい→ガス灯・・・の流れは暗記できるくらいだったわ♪)、なんと言っても私にとっては、別れ際が印象的だった。

 きよみちゃんへのはなむけ的贈り物は前々から決めていて、本になる前の(なるかどうかわからない)原稿を渡そうと思っていた。

 3月まで書いていた『人間の存続』という長編(原稿用紙で400枚くらい)と、『乳』という短編(40枚くらい)。今まで編集者しか読んでいないものをケースに入れてラッピングして・・・。

 それを渡したら、きよみちゃんが泣いてくれた。

 それを見て、私も涙・・・。今でも思い出すと泣けてくる。

 

 『赤土に咲くダリア』を出したばかりの高揚と不安の時、ふと発見したきよみちゃんのブログに励まされた。こんな若くて可愛い子が読んでくれたんだ!共感してくれたんだ!ってうれしかった。

 彼女の涙に、本を介して支えてもらっていたのは私の方なんだ、ということを改めて感じた。

 きよみちゃんとハグして別れ、先輩の車に乗り込んでからも、涙が止まらなかった。自分でもびっくりするくらい・・・。

 本が出てから昨日までの3年半の間に、彼女はダンナさんの闘病と死を経験した(喪主も)。私は、書いていた小説と同じ病気になり、入院。それなりに長い間、不安の中にあった(今やその時の主治医が近所で開業)。

 二人とも、死とか運命というものについて、深く感じ、考えざるを得なかった。

 

 きよみちゃんとネットで出会ってからこれまでの間にあった色々なこと。

 初めて会った同じ週に先輩たちとの飲みにお連れし、昨日で私は会うのが4回目。先輩たちは3回目。だけどみんな、昔から知ってるみたいな和みの時間(少し距離のある彼女の実家にみんなで行くというシチュエーションもおもしろかった)。

 外国へ旅立つ彼女のこれから・・・

 私たちの車を見送って、いつまでも手を振ってくれるきよみちゃんの姿が小さくなっていき・・・・・・見えなくなった後、ずっとずっと泣いていた。

 可愛くて可憐で、人懐こくて頭の回転速くて、楽しくて頼もしくて、だけど存在そのものに生きる刹那を感じさせてくれるきよみちゃん。丸ごと守りたい気持ちになる。

 きよみちゃんの未来に幸多かりしことを、心から祈っています。

 

               (小声で)彼女が書いてくれたブログ♪ http://amba.to/iUtyDT

           

               

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2011.06.03

 素直

 昨日、大好きな人二人の、太陽のようなあたたかさを浴びて、今朝は「うれしいなあ」と思いながら目覚めた。

 二人とも私よりだいぶ年上の男性だけど、共通しているのはとても素直だということ。素直って本当に大切。

 うち一人からは、ある本に関しての電話取材を受けた。おもしろい取材にありのままこたえたけど、それがもしも活字になった場合、ありのままこたえ過ぎてるために「これ、私!」って言えない内容(笑)

 そして、もんじゅくんの言葉にも変わらず感動した。

 

Monju

 <はまおか君止めたら「他は止めないのかプンスカ」チェルノ先輩の番組を深夜に放送したら「ゴールデンでやればいいのにプンスカ」ってボクによくリプ来るの。気持ちはわかるよ。でもすなおに喜びをあらわすの大事。そしたら政治家さんにもテレビ局にも、こういうのが支持につながるんだって伝わるもん。>

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2011.06.02

 弁解つぶやき

            

 本当におもしろいことってのは、公に書けない話ばかりなわけで、そんな話を妹に電話でしつつ、最近のブログの原発話について気をつけろと助言された(笑)
 つまり本当におもしろいことじゃないところで知らない人に判断されてしまうであろう「私」。うーむ。

 自分でも模索しながらだけど、表現の覚悟って難しい。

            

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2011.06.01

 午後3時のラッキースター☆

 デモや集団というのが誰よりも苦手な私ですが、6月1日午後3時のネットを使った一斉呼びかけに参加します。

 伝えたいことは・・・

 ①「6月11日(土)午後から官邸や国会周辺に、お散歩しましょう」

 ②「黄色のリボンや黄色の帽子など黄色の物を身につけましょう」

 だそうです。

 6月11日のデモは、木下さんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927 (一日30万アクセスだそう)を伝えた地元の市議会議員も知っていました。つまり、出所がどこかわからないけれど、原発に関心ある人に広く知れ渡っている様子。

 原発について発言するようになって、私のところに何人かの友達からメッセージが届いていて、応援してくれる声もあれば、不安を訴える声もあり、北関東にいる友達からは現実の不安ゆえ苦言と受けとれる言葉ももらったけど、私の気持ちを伝えたら、泣いてスッキリしてくれました。

 私自身、厳しいことを書くのは疲れるので、ほどほどにするけど、強く思うのは、命を守るために正しい情報や人の命にとって正しいことって、実は同じものになるはずだということ。ただ、今は、誰にとっても初めて経験する緊急事態で、それがどの程度のものなのかがわかりにくいってことだと思います(例えばどの範囲で避難が必要なのかとか場所的にも将来的にも・・・)。

 ソフトバンクの孫さんも福島の子供たちの疎開のために動き出しているけど、前に触れた『チェルノブイリのかけはし』の野呂代表の講演を見ると、「チェルノブイリでは誰も住んでいないような放射線量のところに福島では住んでいる。なんとか助け出したい」と切々と訴えていました。

 日本、変なんだよ。例えば、「世界もおどろく日本の基準値2000ベクレル」

   http://kingo999.web.fc2.com/kizyun.html

 認めたくないけど、変な政府のもとにいるので(どうしてそうなっちゃうんだろう)、自衛しなくちゃなりません。

 その上で、溢れている情報については(上記の木下ブログや私のブログも込みで)、「もんじゅくん」(高速増殖炉もんじゅの危険をキャラになりきって訴えている人)のツイートがその通りと思った。

Monju

 うーん。イメージと語り口って重要だなあ(笑)

 「そうだよね、もんじゅくん♪」と思わずうなずいてしまうツイートはこちら・・・

 http://twitter.com/#!/monjukun

 
 木下さんの、ボロボロになりながら個を捨てて、(彼の献身ぶりをわかりやすく言うのなら)収入を捨ててがんばってる今の活動にも頭が下がるけど(厳しい言葉を発してる人だけど、彼個人の得になることはひとつもないくらいなのに、本当によくやってると思う)、私も私なりの葛藤がある中で、書いています。
                    
 みんな、これまでの生き方、これからの生き方が問われてるんだと思う。
            
    
 そんな中で、1ヶ月も前から楽しみにしていた5月29日のETV特集の細野晴臣さん、よかった。 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0529.html

 私の周囲、この番組何人もみていました。

 人生時間のズレで、細野さんの感動をその都度追ってこられなかったけど(YMOは小学校の低学年頃だったし)、細野さんの軌跡をみて、改めてすごい人なんだと知り、勉強にもなりました。

 震災から1ヶ月間、音楽に触れることができなかったという細野さん、社会の痛みを深く感じてると思うけれど、 その上で、発している音楽はとても心地よい。

 4月に出たアルバムは震災前につくられたものだけど、震災後の今もどんどん支持を集めているのは、彼の音楽が本物だからだと思う。

 いっぱいいい曲あるけど、昨日の夜泣けてしまった『悲しみのラッキースター』

 http://youtu.be/b2SR5caq0W0

 詩も曲もたたずまいも好き。

 細野さんみたいな、いっぱい考えながらも表に出す表現は「やさしい」 そういう方法もあるんだなあと改めて思ったし、細野さんからは人間の品性を感じます。

 というわけで、午後3時の発信を、細野さんの音楽の力で和らげてもらいました。

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 ☆弟制作のHPなかなかよい!

 ☆待ち人もうすぐ来る!

            

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