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2009.08.02

304 潜在能力

 インターハイ陸上、女子3000メートル決勝。

 彼女がスタートから飛び出した時、その勇気に驚き、涙が出た。

 最初から最後まで、震えを感じながらの応援だった。

 彼女の名前は、鈴木亜由子ちゃん。地元・豊橋の高校3年生。

 決勝に揃った、亜由子ちゃんよりも持ちタイムの速い子達を差し置き、先頭でレースを引っ張った。

 本来、先頭が似合う亜由子ちゃんだが、この3年間は、とてもつらい期間だったと思う。

 1年生で疲労骨折を経験し、その後、昨年にも二度目の手術。リハビリ、リハビリの毎日。その状態で、インターハイは3年連続出場した。

 亜由子ちゃんの存在を知ったのは、彼女がまだ小学校6年生の時。

 市内の大会の1000メートルで、「半世紀は破られないだろう」と評される記録を打ち立てた。

 その後、紙面上で活躍を追っていたが、中学2年生の全国大会で800メートル、1500メートルの二冠に輝き、その姿をぜひとも生で見てみたいと思い、亜由子ちゃんが3年生の時、市の競技場に出かけた(2006年7月のこと)。

 初めて生で見た亜由子ちゃんの走りは感動的だった。まるで野生動物のように無駄のない美しい走り。競技終了後、思わず歩み寄ると、走っている時の集中力が解けた彼女は、色白でとてもかわいらしかった。その時の感動を前のブログに書いた後、別の大会で亜由子ちゃんに声をかけると、そばにいたお父さんがなんと私のブログを読んでくれていた。

 紹介していただいたお母さんは、偶然、私の処女作『チョコレート色のほおずき』を読んでくださっていて、さらに高校の先輩にもあたったので、一気に打ち解け、以降はお互いの節目ごとにメールを交わし合ってきた。

 中3時の全国大会でも1500メートルでダントツの優勝(全国大会の舞台で2位以下を50メートル離すような圧倒的勝利)、ジュニアオリンピック3000メートルでも大会新での優勝。マスコミが騒ぎ、増田明美さんも褒め称えていた。

 私は、自分が中・高で800メートルに取り組んでいた経験もあって、完全に亜由子ちゃんのファン。その後のテレビの特集番組も必ず拝見し、亜由子ちゃんのご家庭(おじいちゃん、おばあちゃんも同居のお米屋さん。お姉ちゃん、お兄ちゃんもいる7人家族)の、今どき珍しいほどの温かさにも何度も泣かせてもらった。

 上記のようなこれまでを、走馬灯のように巡らせながらのテレビ観戦。

 地区予選でのタイムナンバーワンは、京都の久馬さんという1年生。新しい子が出てきたもんだと思う。その他、同じ愛知には、亜由子ちゃんの中学時代からのライバル伊澤さんがいる(昨年、全国高校駅伝で初優勝した高校のメンバー。ちなみに豊橋出身。豊橋すごくないですか?)。亜由子ちゃんを通して知った藪下さんは名門・須磨学園なんだなあなど、興譲館、諫早など、高校駅伝の強豪校の選手が並ぶ。

 多くの誘いを断わって亜由子ちゃんが進んだのは、地元の名門進学校。陸上という面においては、その選択が正しかったのかどうか、迷いを感じたこともあったと思う。私も、レベルは雲泥の差だけれど、高校時代、私学へ進んだかつて自分より下位だった子に追い抜かれた経験があるので、ケガをしてしまった亜由子ちゃんが、思うように練習できない日々は本当に苦しかっただろうと想像する。

 お母さんの言葉をお借りすると、<3ヶ月間松葉杖の生活で、その後歩くことから始め、なんとかGWの東三大会頃から少しずつ走れるようになりました。>これが、今年のこと。<本当に薄紙をはぐように>・・・この言葉が亜由子ちゃんや、ご家族の気持ちを表していると思う。

 それらを、それらを経ての、亜由子ちゃんの飛び出し。

 ふだんは心やさしくて謙虚な亜由子ちゃんが、勝負となると一変する。

 最初の400メートルを71秒、1000メートルを3分04秒というスピード。久馬さんも、伊澤さんも亜由子ちゃんの後方。途中、久馬さんが前へ出ても、亜由子ちゃんはひるまない。中学時代、華々しい記録を作り、当時の彼女からすれば、どうってことないペースだったのかもしれないけれど、亜由子ちゃんは今、高校時代の彼女の未知を走っていると思った。ただでさえ中・長距離は、突っ走って、どこで息が切れるかわからない。ましてや、ケガによるブランクを経ていたら、どこが自分の限界なのか見定めにくい。そんな状態で、亜由子ちゃんは、迷いなく自分のレースをしようとしていた。きっと、これまでの思いを胸に、悔いのない走りをしたかったのだろう。その思いがひしひしと伝わってきた。

 最後のスプリント勝負で集団が崩れ、結局は、現在の実力ナンバーワンと目されていた伊澤さんが優勝。亜由子ちゃんは、8位だった。

 中学の時の優勝インタビューは亜由子ちゃんだった。同じ地元で、その陰に隠れ、きっとくやしい思いもしてきた伊澤さんが、この日はインタビューを受けた。

 アナウンサーも解説者も、両者の関係にはまったく触れなかったけれど、私にとっては(きっと一部豊橋市民にとっては)、様々な思いが交錯する感動的な3000メートルだった。

 伊澤さんの順調な成長も素晴らしいけれど、私はやはり、亜由子ちゃんの潜在能力はとてつもないと再確認した。

 長距離には様々な要素が絡み合うと思うが、例えば心肺能力。冬の間、ライバルたちと駅伝で競い合える強豪校の生徒と違い、亜由子ちゃんの高校では、ほとんど孤独なたたかいだったと思う。

 そして、スプリント力は筋力の強化が大きく左右する。

 そう思うと、長いブランクや足をいためないようにプールやゴルフ場での練習を経て、ようやくトラックを走れるようになった亜由子ちゃんが、それでも全国8位(入賞)というのは、つくづくすごいことだ。

 本来の彼女は比類なきスプリント力を持っている。

 今回は、スピードによる足への負担を回避するために、800や1500ではなく、3000メートルに挑戦したそう。

 彼女の走りは、まだまだ終わらないと思った。

 一貫して、伝え続けていることは、亜由子ちゃんには、幸せな人生を送って欲しい、ということ。走ることは素晴らしくとも苦しいことに変わりはない。私もそのよろこびと苦しみ、進路に関する葛藤を少しは知っているので、安易に「がんばって」とは言いたくない。

 彼女がこの先、どんな道を選ぼうとも、彼女の人生を勝手に応援したいと思っている。

 亜由子ちゃんの走りを初めて見た時、「日本の宝だ」と思った。

 郷土の宝のみならず、日本の宝の今後を見守るお手伝いを、すみっこのほうで、そーっとさせていただきたいです。

 亜由子ちゃん、ご家族の皆様、おつかれさまでした。

 感動をありがとうございました。

<追記> 後日、我が家に亜由子ちゃんがご両親とともに寄ってくださいました。その時のお話で、上記のインターハイ決勝、亜由子ちゃんは足への負担を考慮して、スパイクを履かなかったそうです。アップシューズで全国8位というのは、偉業だと思います(特筆すべきことと思い、追記しました)。これからも、ゆっくりがんばって欲しいです。

            

           

     

                     

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