« 287 びっくりはへび | トップページ | 289 「丸の内サディスティック」 »

2009.07.02

288 知らなくても済んだこと

 久しぶりに、ここで頭をまとめずにはいられない衝動に駆られ、子供を寝かしつけた後、パソコンに向かっている。今私にあるのは怒りと悲しみ・・・

 まずはこの記事を読んでください。「ケニア人留学生失跡」に関して、中日新聞より。

 http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009070202000255.html

 やはりこういう事態が起こってしまったか、という気持ち。

 今年の正月、実家で恒例の箱根駅伝を観ながら、留学生について家族で話した。私が「形を変えた人身売買ではないか」と言ったら、夫が賛同した。夫とは極論めいた話(私の中でのタカ派的側面)になると賛同することが多い。対して、いかにもハト派の母や妹は「留学生本人や家族がそれを望み、暮らしも良くなるのならいいのではないか」と言った。母や妹の意見はもっともだが、私がモヤモヤしてしまったのは、走ることが速いこと=すぐれたこと、という価値観(日本の商業主義に付随するもの)を、ケニアの人たちの生活に持ち込むこと自体が気に入らないと思ったから。

 知らなくても済んだことをムリヤリに知らされてしまうことは、たとえその人たちの暮らしが豊かになったとしても、何か決定的なものを失わせてしまう結果になるのではないか。

 一面的な価値観を高圧的に押し付けるような日本の傲慢さ、さらには、それが傲慢だとすら気づかない人たちに対し、やるせない憤りを覚える。

 問題となっている留学生については、テレビで姿を観たことがある。

 昨年全国優勝した豊川高校は、私が住んでいる市の隣の市にあり、中学時代から存在を知っていたような地元の名選手も活躍している(その活躍は素晴らしいことだ)。

 優勝時の、京都の陸上競技場でのインタビューで、この留学生はマイクを向けられても日本語がうまく話せなかった。その姿を痛々しく思っていた。

 野生動物のように彼女が走って逃げたとしても、日本は彼女にとって外国である。

 今、どこで何をしているのか、とても心配。

 目の前で去っていく彼女を、なぜ止めることができなかったのか。

 未成年の少女を放り出してしまうこと(退学処分にしても、車に乗らず逃げ出したことにしても、学校から去っていったことにしても)が、どれほど危険なことか、なぜ教育に携わる者にわからないのか。わかっていたとして、責任をなぜとれなかったのか(なんとか保護して、責任を果たして欲しい)。

 多感な時期、ケニアから連れてこられ、まったく異なる日本の社会や学校に放り込まれ、走って結果を出すことでしか評価を得られないような状況。

 いくら学校側が精一杯フォローしていたとしても限界はある。

 彼女の本当の孤独を理解することは誰にもできない。

 このまま祖国に戻るわけにはいかない、と思い走って逃げ出した彼女の深い悲しみ。

 頭や心を整理することもまだ難しい年頃だと思う。

 彼女はまだ子供なのだ。

 彼女を守ってやるべき大人の中に、自分も含まれていたような気がしてならない。

 問題を感じながらも惰性に流されていた陸上関係者も目を覚ますべきだと思う。

 熱狂の前に、自分たちの傲慢さを恥じなければならない。

 結果がすべてなのではない。結果を生む前に、生きながらにして損なわせてしまうことがあることを知らなければならない。相手は未成年なのだから。いかようにも変わりうるやわらかい時期、表向き幸せなことが、真に幸せとは限らないのだ。

 異国の人間の人生を踏みにじるということの重みを、この問題に限らず、日本は真摯に考えるべきだと思う。

            

               

|

« 287 びっくりはへび | トップページ | 289 「丸の内サディスティック」 »

地域・社会」カテゴリの記事