270 読書体験と魔女修行
前回書いたアニキの娘さんに、私は本をお贈りしたことがある。
梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』。
この本を読んだ時、深い感動に包まれ、いても立ってもいられない気分で、何人かの友達にプレゼントした。ふだん、本をお贈りするのは押し付けになってもイヤなので、よほど感性の合う相手以外にはしないけれど、『西の魔女が死んだ』に関しては、迷いなくお届けしたい友達が何人かいた(ひとりは、このタイトルにも関わらず、出産祝いとして赤ちゃんの絵本とともにお贈りした:笑)。
そして、誰よりも、その本の主人公と同じ年代に当たる女の子に、今!読んでもらいたかった。その時真っ先に思い浮かんだのが、本好きというアニキの娘ちゃん(当時中学生)だったのだ。
今思えば熱病に冒されたかのような突進力で、お会いしたこともない女の子に本をお贈りし(アニキに仲介していただき)、ハードカバーにするか文庫本にするか迷いに迷った末、両方お渡しするという間抜けな状態で(文庫には文庫にしかない短編付きだったし、しかし、贈り物というからには、ハードカバーにしたかったし・・)、てんとう虫と葉っぱの付いたラッピングペーパーに包み、紙紐でリボンをかけたことも鮮明に憶えている。乳飲み子を抱えた状態で・・・(笑)。
ありがたいことに娘ちゃんは、「号泣しました」という温かいお手紙をくださりホッとした。本当に、いったいあれは何だったんだ?と思うくらいの届けたい熱!だったのだけど、本というのはやはり出会うべきタイミングというのがあり、私は、『西の魔女~』を、主人公と同じ年代に読んでみたかったなーと切に思ったがゆえの行動であった。
私の読書体験の最初の強い記憶は、小学校2年生の時に読んだ伝記。
『キュリー夫人』と『野口英世』と『ヘレン・ケラー』。
なぜそのチョイスだったのかは憶えていないが、確かまず『キュリー夫人』を読み切れたことがうれしくて、その他へ移行したような気がする(ちなみに、現在は『キュリー夫人』というより『マリー・キュリー』で出ています。時代の変化ですね)。
どれも100ページを超えるような厚い本で(とはいえ字は大きい)、全体の内容を憶えてはいないが、例えば、<キュリー夫人が貧しいなか実験をし、パンを何日にも分けて食べたという場面を思い出し、給食にコッペパンとチーズ(確かアーモンドチーズ)が出るとキュリー夫人を真似るようなイメージでボソボソと食べていた(ついでに、その組み合わせの献立の時は細切りコンブの煮物とりんごとおしるこが付くことが多かった)>とか<幼少期の野口英世がいろりに落ちて手にやけどを負ってしまった場面とお母さんのもんぺ>とか<ヘレン・ケラーが「水」を認識する場面。芝生の庭先でポンプの水が泡のようにはじけて・・・そこは(自分の想像では)間違いなく陽だまり>とか、断片的に今も小学校2年生の時の目線でよみがえってくる。
小学校2年生の時には確かにあった私の読書熱だが、その後まったくスポーツ少女と化した私は、きっちり社会人になるまでまともに本を読まなかった(見事に頭の中も筋肉だった)。
でも、社会人時代に再び本を読むことに目覚め(テレビのAD時代、忙しさのみで一日が終わるのがくやしかった)、以後は、ほとんど毎日何か読んでいる。
青春期によき本との出会いがなかったというのは、たいへん不幸だと思うけど(その頃は活字より体験だと強く信じていて、数少ない読んだ本で印象に残っているのも体験が描かれた『一リットルの涙』や『車椅子の花嫁』だった)長いブランクがあっても、再び本に戻ったのは、やはり小2の読書体験が根底にあるからだと思う。
本によって、知らない世界に触れるおもしろさ。知を想像すること、外国を想像すること。本は確かに私にとって、世界の窓だと思う。
窓を開けるとそこには、様々な世界が広がっている。時代も国境も超えて・・・
今のところ息子たちは本への興味が薄いけれど(長男は私のキュリー体験と同じ小2であるが、まったく気配なし)、「ここ!」というタイミングでは、「絶対」という本を差し出したい。親になってから、子供にのこす本、というのも意識するようになった。遅ればせながら『ノルウェイの森』に感動した時は、思わず文庫だけではなくハードカバーも購入しておいた。いつか息子たちにも読んでもらいたいから(読んでないし買うつもりも今はないけど、『1Q84』人気、すごいっすね~)。
『西の魔女が死んだ』については、小学校高学年から中学生・高校生の娘さんをお持ちの方は、よかったらお薦めいただきたいです(こんな風に強く思う本はこれしかない)。
少女の繊細さを描きつつ、人生や世界、生と死を語ってくれる深さ(木々の緑やおいしそうな食べ物もたくさん登場するので読んでいて心地よいです。そもそも私がその本を読んだきっかけは、新聞で紹介されていた作中の「キッシュ」がおいしそうだったから!)。
初めて読んだのは確か今頃の季節、5月だったと思う。おじいちゃんの命日(5月30日!・・・げげっ、この回は、おじいちゃんが書かせてくれたのかな?)とも重なる。
思い出すだけで泣けてくる。あれは本当に傑作だと思う。
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上記を書いたのは、28日の夜でした。この頃は、息子たちとともに9時半には寝てしまうような生活ですが、なぜだか目が冴え、ぐるぐる回転し続ける頭をおさめようと、ブログを書いていた。書いた時点では、祖父の命日が30日だと思い込んでいて(上記の通り、最後にハッとし)、30日にUPしようと思ったけれど、その後確認したら、命日は28日で、お葬式が30日でした。
すると今度は、まさに命日の夜、祖父のことを思い至った流れ(眠れずにいた夜更け、『西の魔女』から祖父のことへ・・・というのも、『西の魔女が死んだ』というのは、おばあちゃんが亡くなる話なので)に、涙がこみ上げてきました。
私は、おじいちゃんが、本当に本当に大好きだった。
あんなおかしなひとはなかなかいない。
この世で出会えて良かったな。そしてふとしたタイミングに舞い降りてきてくれるようで、やっぱり、死は別れじゃないんだな、などなど思い、タオルを握りしめて涙を拭き拭き眠りについた夜でした。
(もう一つ、その夜は、『われわれはどこへ行くのか』というキーワードで結ばれた相手に上記の流れ(&すでに送ってあるゴーギャンの絵葉書)について、『一日の終わりに』というタイトルでメールをお送りした。つながる人とはどうしたってつながってる。つながってしまう。その不思議さと温かさに感謝し、そういう「冴え」や「受容」を今後も研ぎ澄ませてゆきたい。人生は魔女修行なのだ☆)
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『西の魔女が死んだ』について、4年前、アマゾンに書いたレビューより
<5月のさわやかな死>
読み終えた時、やさしい光に包まれたようで、涙が止まりませんでした。
本を人にすすめることはあまりしないのですが、この本は
複数の友達に贈り、自分でもハードカバーと文庫とそれぞれ大切にしています。
最初の楡出版(絶版)のものとはテイストが異なっているのが
残念でもあるけれど、中身は本当におすすめです。
この本を読んだ少しあとに、祖父が急に亡くなったのですが、
「魔女」から教わった死のとらえ方を心の支えにしています。
子供にも伝えていきたい素晴らしいお話だと思います。
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