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2009年5月

2009.05.31

270 読書体験と魔女修行

 前回書いたアニキの娘さんに、私は本をお贈りしたことがある。

 梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』。

 この本を読んだ時、深い感動に包まれ、いても立ってもいられない気分で、何人かの友達にプレゼントした。ふだん、本をお贈りするのは押し付けになってもイヤなので、よほど感性の合う相手以外にはしないけれど、『西の魔女が死んだ』に関しては、迷いなくお届けしたい友達が何人かいた(ひとりは、このタイトルにも関わらず、出産祝いとして赤ちゃんの絵本とともにお贈りした:笑)。

 そして、誰よりも、その本の主人公と同じ年代に当たる女の子に、今!読んでもらいたかった。その時真っ先に思い浮かんだのが、本好きというアニキの娘ちゃん(当時中学生)だったのだ。

 今思えば熱病に冒されたかのような突進力で、お会いしたこともない女の子に本をお贈りし(アニキに仲介していただき)、ハードカバーにするか文庫本にするか迷いに迷った末、両方お渡しするという間抜けな状態で(文庫には文庫にしかない短編付きだったし、しかし、贈り物というからには、ハードカバーにしたかったし・・)、てんとう虫と葉っぱの付いたラッピングペーパーに包み、紙紐でリボンをかけたことも鮮明に憶えている。乳飲み子を抱えた状態で・・・(笑)。

 ありがたいことに娘ちゃんは、「号泣しました」という温かいお手紙をくださりホッとした。本当に、いったいあれは何だったんだ?と思うくらいの届けたい熱!だったのだけど、本というのはやはり出会うべきタイミングというのがあり、私は、『西の魔女~』を、主人公と同じ年代に読んでみたかったなーと切に思ったがゆえの行動であった。

 私の読書体験の最初の強い記憶は、小学校2年生の時に読んだ伝記。

 『キュリー夫人』と『野口英世』と『ヘレン・ケラー』。

 なぜそのチョイスだったのかは憶えていないが、確かまず『キュリー夫人』を読み切れたことがうれしくて、その他へ移行したような気がする(ちなみに、現在は『キュリー夫人』というより『マリー・キュリー』で出ています。時代の変化ですね)。

 どれも100ページを超えるような厚い本で(とはいえ字は大きい)、全体の内容を憶えてはいないが、例えば、<キュリー夫人が貧しいなか実験をし、パンを何日にも分けて食べたという場面を思い出し、給食にコッペパンとチーズ(確かアーモンドチーズ)が出るとキュリー夫人を真似るようなイメージでボソボソと食べていた(ついでに、その組み合わせの献立の時は細切りコンブの煮物とりんごとおしるこが付くことが多かった)>とか<幼少期の野口英世がいろりに落ちて手にやけどを負ってしまった場面とお母さんのもんぺ>とか<ヘレン・ケラーが「水」を認識する場面。芝生の庭先でポンプの水が泡のようにはじけて・・・そこは(自分の想像では)間違いなく陽だまり>とか、断片的に今も小学校2年生の時の目線でよみがえってくる。

 小学校2年生の時には確かにあった私の読書熱だが、その後まったくスポーツ少女と化した私は、きっちり社会人になるまでまともに本を読まなかった(見事に頭の中も筋肉だった)。

 でも、社会人時代に再び本を読むことに目覚め(テレビのAD時代、忙しさのみで一日が終わるのがくやしかった)、以後は、ほとんど毎日何か読んでいる。

 青春期によき本との出会いがなかったというのは、たいへん不幸だと思うけど(その頃は活字より体験だと強く信じていて、数少ない読んだ本で印象に残っているのも体験が描かれた『一リットルの涙』や『車椅子の花嫁』だった)長いブランクがあっても、再び本に戻ったのは、やはり小2の読書体験が根底にあるからだと思う。

 本によって、知らない世界に触れるおもしろさ。知を想像すること、外国を想像すること。本は確かに私にとって、世界の窓だと思う。

 窓を開けるとそこには、様々な世界が広がっている。時代も国境も超えて・・・

 今のところ息子たちは本への興味が薄いけれど(長男は私のキュリー体験と同じ小2であるが、まったく気配なし)、「ここ!」というタイミングでは、「絶対」という本を差し出したい。親になってから、子供にのこす本、というのも意識するようになった。遅ればせながら『ノルウェイの森』に感動した時は、思わず文庫だけではなくハードカバーも購入しておいた。いつか息子たちにも読んでもらいたいから(読んでないし買うつもりも今はないけど、『1Q84』人気、すごいっすね~)。

 『西の魔女が死んだ』については、小学校高学年から中学生・高校生の娘さんをお持ちの方は、よかったらお薦めいただきたいです(こんな風に強く思う本はこれしかない)。

 少女の繊細さを描きつつ、人生や世界、生と死を語ってくれる深さ(木々の緑やおいしそうな食べ物もたくさん登場するので読んでいて心地よいです。そもそも私がその本を読んだきっかけは、新聞で紹介されていた作中の「キッシュ」がおいしそうだったから!)。

 初めて読んだのは確か今頃の季節、5月だったと思う。おじいちゃんの命日(5月30日!・・・げげっ、この回は、おじいちゃんが書かせてくれたのかな?)とも重なる。

 思い出すだけで泣けてくる。あれは本当に傑作だと思う。

   

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 上記を書いたのは、28日の夜でした。この頃は、息子たちとともに9時半には寝てしまうような生活ですが、なぜだか目が冴え、ぐるぐる回転し続ける頭をおさめようと、ブログを書いていた。書いた時点では、祖父の命日が30日だと思い込んでいて(上記の通り、最後にハッとし)、30日にUPしようと思ったけれど、その後確認したら、命日は28日で、お葬式が30日でした。

 すると今度は、まさに命日の夜、祖父のことを思い至った流れ(眠れずにいた夜更け、『西の魔女』から祖父のことへ・・・というのも、『西の魔女が死んだ』というのは、おばあちゃんが亡くなる話なので)に、涙がこみ上げてきました。

 私は、おじいちゃんが、本当に本当に大好きだった。

 あんなおかしなひとはなかなかいない。

 この世で出会えて良かったな。そしてふとしたタイミングに舞い降りてきてくれるようで、やっぱり、死は別れじゃないんだな、などなど思い、タオルを握りしめて涙を拭き拭き眠りについた夜でした。

 (もう一つ、その夜は、『われわれはどこへ行くのか』というキーワードで結ばれた相手に上記の流れ(&すでに送ってあるゴーギャンの絵葉書)について、『一日の終わりに』というタイトルでメールをお送りした。つながる人とはどうしたってつながってる。つながってしまう。その不思議さと温かさに感謝し、そういう「冴え」や「受容」を今後も研ぎ澄ませてゆきたい。人生は魔女修行なのだ☆)

   

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 『西の魔女が死んだ』について、4年前、アマゾンに書いたレビューより

 <5月のさわやかな死>

 読み終えた時、やさしい光に包まれたようで、涙が止まりませんでした。
 本を人にすすめることはあまりしないのですが、この本は
 複数の友達に贈り、自分でもハードカバーと文庫とそれぞれ大切にしています。
 最初の楡出版(絶版)のものとはテイストが異なっているのが
 残念でもあるけれど、中身は本当におすすめです。
 この本を読んだ少しあとに、祖父が急に亡くなったのですが、
 「魔女」から教わった死のとらえ方を心の支えにしています。
 子供にも伝えていきたい素晴らしいお話だと思います。

         

           

    

      

         

         

     

              

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2009.05.29

269 向山フォレスタ

 地元ネタで恐縮ですが、6月1日にグランドオープンする、向山フォレスタの内覧会に行ってきました(時間的にやむを得ず子連れで・・・)。

 こんなところ☆ http://www.mukaiyama-foresta.com/

 この施設の社長さんが大学の先輩にあたり、6年前、地元のOB会で知り合い、以来お世話になっています。二度の出版時やスロータウン映画祭等々、地元での人脈はこの方を中心に広がって(広げていただいて)ます。

 向山フォレスタの施設コンセプトは、「ライフスタイルをデザインする」とのことですが、私がこの施設を自信持ってお薦めするわけは、社長の石川さんには、ズバリ、ライフもスタイルもあるから!

 結婚式場も、フィットネスクラブもプールも中日文化センターも、会員になったり、機会がないと入れないけれど(どなたでも入れるカフェについては末尾に書きます)、地元において、もしもそれらの「機会」をお考えの方は、ぜひとも向山フォレスタをお薦めします。

 ライフ、リビング、ボディ、コミュニケーションの4つのデザインサイトからなる施設のうち、まず最初に伺ったボディサイトは、プールも更衣室も細部までデザインがおしゃれで(シックな外観やエントランスからしてスポーツクラブっぽくないグレード感・・・詳しくないので機能面のコメントができなくてすみません)、観覧席にはアートの展示があり、全体にわたり、気持ちの良い空間でした。向山フォレスタの立地自体、市内では梅や桜で有名な公園のすぐそばなので心地よい。公園を使ったノルディックウォーキングなども今後展開していくそうです。

 その後伺った結婚式場も、予想以上に素敵だったよ。http://www.rouge-ardent.net/(このHPより、実際の空間の方が良かった。・・・平日はランチ営業も行われていく予定だそうです)

 建築中なのは知っていたけれど、高台の土地をどんな風に活かすのかな?と興味津々で伺ったら、想像以上に開放的な空間でした。

 特にチャペルは、生花がふんだんに飾ってあったこともあるけれど、窓から覗く水辺や緑に「南国リゾートのテイスト」が確かに感じられ、パーティ会場部分も、丘の上に位置するガーデンも、厳かさとカジュアル感のバランスがちょうどいいように思いました。

 うーん、うまくお造りになったなあというのが率直な感想。

 思わずスタッフの方に「素晴らしいですね。下の世代に宣伝します」と伝えたら、「下とは言わず、何度でもどうぞ」というジョークで返され、笑いました。

 結婚式場のお仕事に携わりたい方の気持ちってわかるよなあ。みんなニコニコしてるもんね。

 途中、予想通り庭を息子たちが駆け巡ったりしてまいりましたが(途中はぐれて「おかあさーん!」と大声で呼ばれるし)、そのくらい開放的でした。子連れでの結婚式~披露宴は、退屈する子供をどうあやすか困ってしまうけれど、緑のお庭があるゆったり感は、ありがたいと思う。

 昨年おじゃました、ココラフロント(ホテルアークリッシュ豊橋)の内覧会もそうだったけど(3月には弟の結婚式&披露宴でお世話になりました)、やはり地元を代表する施設の内覧会には、先方のご了解をいただいた上で子供が希望する限りは連れて行きたいものです(今回も行く気まんまんだった)。

   

 フィットネスクラブ~お花屋さん(パリの街角にありそうなイメージhttp://www.peu-connu.net/)~結婚式場と巡ったあとは、お茶をいただきにカフェ・プロンジェへ。http://www.wr-salt.com/amondans/news.html

 こちらは、一ヶ月前に社長さんにご馳走していただき(ブログに書いたね)、その後友達とも伺ったけど、市内にある『アモンダン』http://www.wr-salt.com/amondans/というフレンチレストランが出店したカフェ。アモンダン自体何度か伺っていたので、カフェへの展開も楽しみにしていたけれど、アモンダンよりカジュアルに、でも、本場フランスの味をちゃんと楽しめるお薦めのカフェです。

 例えばランチは900円か1500円で選べるのですが、前菜・メイン・デザート・ドリンクの中から、前菜かデザートいずれかのチョイスができるのが900円(メインは肉か魚か選べる)、フルコースでお願いすると1500円という仕組み。これだけでも十分お得なのに、驚いたのは、数多くのドリンクメニューの中から、アルコールを選んだとしても同じ値段だということ。車で行く人が多い場所だとは思うけれど、私はアルコールを飲むために歩いて行こうかとまじで思ってしまった(自転車なら行ける距離感・・・校区ではないけど、長男たちの学年は春の遠足ですぐ目の前の公園まで歩いて行った)。

 なんかねー、飲みたくなるカフェなんです!

 フランスにはパリに1週間、南フランスに3週間滞在したことがあるけど、南フランスで泊めてもらった友達がフランスのテレビ局でカメラマンをしていた関係で、そのテレビ局の方々とランチを共にしたことがありました(実はその時、フランスのドラマにも出演しました。「ロートレック美術館」で演技:笑)。友達の仕事仲間の方々は、昼間からカフェというか食堂みたいなところで、ふつーに赤ワインで乾杯してました。その時の、カジュアルなビストロっていうのかな?その雰囲気やお料理に、プロンジェは近いです。おいしい食事と楽しい会話があって、心地よい空気に、自然に飲みたくなる!というような・・・(まあ、私がお酒好きってのもあるけど)。

 いつかぜひ昼間から飲みたいものです(飲めない友達、車で乗せてって~という場所:笑)。この日は、たまたまケーキを運んでくださったシェフの方にもご挨拶できて感激。実は、アモンダンがオープンする前、シェフのおばあちゃまと公園でお話したことがあり(「フランスから帰ってきた孫がお店をオープンするんだよ」と教えてくださった)、その偶然をいつかご本人にお伝えしたかったのです。

 社長さんもシェフもそうだけど、東京や海外で学んだ人たちが、地元において花を咲かせる姿を見るのは嬉しいし、励みになる。優秀な方々が外部にばかり流出するのではなく、地元を盛り上げて欲しいですよね。

 冒頭の、社長さんに関して、ライフもスタイルもある!と断言したのは、お子さんが4人いらして、仕事も家庭も地域活動もがんばってるから(早朝ジョギングも自然になさっている)。私が地元において、「こんなステキな人が豊橋にいるんだ!」と感動した人なのです。器が大きくてお洒落でやんちゃ。そして、ホスピタリティの人。あまり書くと個人情報に触れるので控えるけど、奥様も本当に素敵な方(この日、スターをお見かけしたような気持ちでご挨拶したかったけど子供に追われて叶わず残念だった)。社長さんが素敵であればあるほど、私は奥様を本当に尊敬する。子供や家庭を第一にし、ただ支えるのではなく、能ある鷹は爪を隠すという姿勢、子供が大きくなった今、表にお出になる潔さに感服します。10年先を行くご夫妻・ご家族から、学ぶところ大なのです。

 たまたま社長さんのお母様にはお目にかかれたので、ご挨拶しました。偶然夫の高校時代の同級生という弟さんも含め、男の子3人をお育てになった方。母としての大先輩に頭が下がりました。

 この日は、受付から、目の前に派手なチェックのスーツを着た人がいるなあ、待てよ?このヒゲ見覚えあるなあと思ったらお世話になっている美容師さんで(ちょうど一週間前、ベリーショートにしていただいた)、その偶然にも笑いました。

 狭い豊橋において、ライフを楽しくしていくこと。そして、そのライフは確実に次世代へとつながっていること。地域の今に責任を持つことは、未来にも責任を持つことだと思います。アニキとはふざけながらもついつい真面目に語ってしまうけど、自分の道をやんちゃに冒険しながらも、ある面ではちゃんと地域の大人としての役割を果たしたいなあと思っています。

 単純に、LOVEを歌う人はLOVEのある人でいて欲しいように、LIFEを謳う人はLIFEをちゃんと持っていて欲しい。これは私自身、そうありたい。

 てなわけで、向山フォレスタ。よろしくお願いします!!

      

            

              

             

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2009.05.27

268 外の世界(らっきょう、精米など)

 
 ここ最近、病的なまでにブログを書いていたけど(笑)、小説にいったん区切りができ、パソコンから離れると、当然ながら外の世界でやりたいこと、やるべきことが無数にある。
 小説を書いている時というのは、いかに現実逃避したくてブログをいじっていたか(別の思考を巡らしていたか)がよーくわかったよ。

 ここ数日の備忘録・・・

 <金~土> ゴーギャン展後、浜名湖の保養所へ。施設内のカラオケで『トランジスタ・ラジオ』を歌ったら(我ながらわかりやすい展開に笑っちゃうけど)、夫が首を振りながら「・・・屈辱的だな。こうやって歌ってるにわかファンに、天国の清志郎も腹を立ててるぞ」と言うので、「清志郎は愛の人だから、ぜったいに笑って見てるに決まってる!」と返した。しかしながら、もともとよーくわかっていたことだが、圧倒的なボーカリストの歌というのは、素人が歌うと本当にイ・タ・イ(笑)。そして、予想通り?の展開で、夫が『トランジスタ・ラジオ』を入れる。カタブツの夫ではあるが、歌はうまい(年代が少し上なので、一緒に盛り上がるということはないけど、調子に乗ってる時のジュリーは最高である)。しかしやっぱり、清志郎様の歌は歌うもんじゃないと、自分でもよーくわかっただろう!

 その他、何を思ったかスピードの『BODY& SOUL』を久々に歌ったら、高音が出なくて笑けた。36歳が一人で、12歳13歳の歌を歌おうってのはもうムリだ(笑)。子供を持ってみると、あの頃のスピードの声というのは、完全に少女ならではの高音だったことがわかる。<同じステップの毎日じゃ生きてることさえ忘れちゃうそれじゃ張りがない♪>という部分は、まさに張りのある声で歌うから素敵なのであって、その部分がママさんコーラスみたいなソプラノ声になったら、痛過ぎて笑えて(泣けて)くる。気を取り直して、無難に過去の定番、『ラズベリー・ドリーム』や『ラ・セゾン』を歌う。息子たちは延々と『ヤッターマン』と『シンケンジャー』を繰り返していた。

 土曜は、浜名湖で釣り。ふぐとせいごとベラが釣れたけど、ふぐは調理できないので逃がし、夜、せいごとベラをいただいた(さばくのも煮るのも夫)。

 <月曜> たまっているメールやお手紙のご返事を書く書く書く。

 <火曜> 幼稚園の参観。火曜の夜は長男の柔道のため、いつも作り置きできるような夕食にしている。この日はハヤシライスを作ったところ、なんとまさかまさかで、長男(小学校)も次男(幼稚園)も、給食がハヤシライスだった!!(苦笑・・・) 献立表を確かめなかった私が悪いけど、まさか両方と重なるとは!!(小学校と幼稚園の給食は作ってる場所が違い、連動していません。。)

 <水曜> らっきょう漬けがしたくて、朝から「泥つきらっきょう」と格闘。昨年、安いらっきょう(皮が適度に剥いてあるもの)を買ったら、まだ青くて、それなりにおいしかったけど悔いが残ったので、今年はバッチリ泥が付いているものを購入。火曜に出かけたJAの直売店で、「出会い」とも言うべきらっきょうがあったのだ。ふだんのお買い物もそうだけど、「これは!」という野菜にはしっかり反応したいものだ。

 リビングに新聞紙を敷き、その上にまな板を置いて、腰を据えてラッキョウの上下の切り落としと皮むき。袋を開けた途端、そのらっきょうが当たりだということがわかった。新鮮な酸味以上に、ただよう香りがまるでりんごやエリザベスメロンのように甘かった。

 手間はかかったけど、剥いて洗って、今は塩を振ってある状態。そのまま食べても十分おいしかった。甘酢に漬けるのが楽しみ♪

 その他、今まで実家で精米してもらっていた米を、自分で精米しようと籾付きのままもらってきていたので、近くでコイン精米機を探そうとしたら、ネットで探しても、農家の友達に聞いても、電話であちこちの精米所、JAで尋ねても、今住んでいる豊橋には、籾から精米できる一般向けの機械がないということがわかり、愕然とした。

 実家(隣の市に当たる田原市・・・なかでも旧渥美町)では、籾の状態で保管してある米を、食べる前に一袋ごと、籾から精米するのが常だった(近くのコイン精米機にその機能があった)。私は今回、籾から玄米と白米と両方やってみたかったのに、豊橋の精米機では、玄米からがスタンダードらしい(そもそも「精米」を調べると、玄米から白米にすることなので、私が願っているのは、脱穀&精米)。

 これは、各農家の米の刈り取りシステムや保存方法の違いを表しているのだと思う。私の実家辺りでは、まだ各々の家庭で刈り取る家が多いけど(田植えも)、豊橋は業者に頼むところが多いそう。なので、業者が一括して脱穀や精米をしてるんじゃないかな?籾のまま保管するとかさが増えるし、籾を精米するとゴミも多くなるわけで。

 豊橋だって農業地帯なのに、この違いにびっくりした。と同時に、私ってよほど田舎で育ったんだなあと思いました。

 実家では、おいしいお米をいただくために、刈り取った後の稲を「はさ」に掛けて天日干ししたり、保存も籾の状態で行っている。それがいかに贅沢なことであるかを思い知らされた。

 同じ地域だと思っていたのに、「ところ変われば」というのを改めて知った(まあ、もともと色々違いはあるけど)。

 思わず、母に電話してしまった。「ねえ、豊橋って、籾から精米できるところがないんだよ!!」

 生け花友達と歓談中だった母が、「まあ、お気の毒に~」と笑うので、「みんなにもよく言っておいてね!」とアピールしておいた。

 田舎の猿が街で暮らしていくことは、驚きの連続である。

 なにごとも、ギャップや違いが大きければ大きいほど面倒も増えるけど、学ぶべきことも増えて勉強になるし、おもしろい。

 生活って・・・深い(笑)。

    

 ☆オランダのわんちゃんへ わんちゃんブログの読者ご一行様が、いらしてくださってますよ!それはそれはなかなかの数ですよ!!

             

         

        

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2009.05.23

267 ゴーギャン展

 金曜。名古屋ボストン美術館で開催中の『ゴーギャン展』に行って来ました。

 もともとの予定だったけど、新型インフルエンザの関係で、この先どうなるかわからないので、先延ばしにはせず心もち慌てて・・・

 名古屋のサイト http://www.nagoya-boston.or.jp/gauguin/index.html

 7月から9月開催の、東京のサイト http://gauguin2009.jp/

 外出を控えて人が少なければいいのにな~と思っていたけど、思ったより多くの人が詰め掛けていました。それでも、むかーし、東京での学生時代、MoMA展のために確か西洋美術館で、ディズニーランドのアトラクション並みの2時間待ちの列に並んだことを思えば、やはりこういう時、地方はありがたい。

 数々の作品のなかで、私がいちばん心を打たれたのは、木彫りの『恋せよ、さらば幸福ならん』でした。(このなかにある→)http://www.nagoya-boston.or.jp/gauguin/gallery.html

 タヒチの絵で有名なゴーギャンだけど、絵よりも、彼の息づかいを感じて泣けてきた。

 この木彫りは、名古屋だけの公開らしいので残念。東京で観る方にも観ていただきたかった。

 全体を通して感じたキーワードを羅列すると(メモより・・・)、

 苦悩

 女

 シャッフル(色彩と構図を選び取る)

 リアリティは重要だけど、現実でなくていい

 

 さて、ゴーギャン自身も最高傑作と呼んでいる『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』について。http://www.nagoya-boston.or.jp/gauguin/guide.html

 ピカソの『ゲルニカ』やモネの『睡蓮』と思うと、大作というイメージの割には小さいと聞かされていたので、今度は、「それなりに大きいじゃん!」と思った(笑)。

 確かに、最高傑作だと思う。私もじっくり、遠くから近くから、いちばん時間をかけて観ました。

 時間をかけて観れば観るほど、今度は、館内の展示の仕方や、照明が気になってしまった。私も仕事で美術作品を展示することは何度かやったので、それぞれ作家の立ち会いのもと、その作品が最も映える展示の仕方をするわけだけど、作家が亡くなった後は、当然作家の意図は伝わらないわけで、この展示の仕方でゴーギャンはいいのかな?なんて思ってしまった。光によって、作品の見え方はまったく違うから・・・。

 ゴーギャン自身が最高傑作と呼ぶこの作品は、ゴーギャンが、どの時点をもって、完成としたのだろう、という興味が湧き、当然、完成時は、タヒチの陽光に照らされていたわけで、美術館の、ものものしい暗い照明の下ではなく、ぜひともタヒチで観てみたかったなあと叶わぬ願いを抱いてしまった。

 生の作品を観に行ったはずなのに、どうしたって生に触れられないもどかしさ。

 描かずにいられなかった作品たちが、思い入れ深いタヒチにないことは、いいことなのかどうなのか(世界中に散らばってるけど、タヒチにはないんだそうです)。

 『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』については、ゴーギャンが友人に書き送った解説がある。それによると、中央の人物は、男か女か定めておらず、ただ「中央の人物は果実を採っている」とされている。ここがまずうまいなあ、深いなあと思った。そして、左淵にいる、白い鳥は、ゴーギャンによると「言葉のむなしさを表している」。

 亡くなった偉大な画家や作品については、後世の人間が意味を持たせて持たせて仰々しくしていってるけど、本当は、作家本人以外の言葉にはあまり意味がない。ゴーギャン自身が言った、

 「言葉のむなしさを表している」

 この言葉に尽きるのではないか。

 美術展では必ず「あれは何?」という声がささやかれ、それに対し、なんとしてでも「何である」という答えを持ちたがったり与えたがったりする人がいるけど(今回もたくさんいらした)、無理に言語化しなくていいのにな~ただ感じればいいのにな~ということを強く思った。

 謎は謎のままでいい。

 だってきっと、作者にとっても謎だったと思うもん。

 とまあ、『ダリア』に書いた「ゴーギャンの絵に出てきそう」は実際何度か言われたことがあるので、どうしても観たかったゴーギャン展についてでした(作品にはもちろん感動しつつ、自分でも思いがけない感想を持ったな)。

 ゴーギャンの絵に出てくる女性は決してきれいではないので喜んでいいのかどうかわからないけど、やっぱり自分でも自分と重なると思う。それは中学時代似てると言われたジャマイカの陸上選手「マリーン・オッティ」(ブロンズ・コレクターと呼ばれた)や、フリーダ・カーロの自画像と同じで、私ってのはどうにもプリミティブで南国なんだろうなあ(笑)。プリミティブって書くとかっこいいけど、原始的ってやつです。自分でも自分は原始人っぽいってよく思う。

 この展覧会に合わせて愛知で先行放送されたNHK『迷宮美術館』が役に立ったので、もしも、東京で行かれる予定の方は、よかったらどうぞ・・・(28日、29日放送予定です)。言葉も解説も、必要ないけどね!

 https://pid.nhk.or.jp/pid04/RebroadNoticeInsert/Confirm.do?pkey=001-20090513-10-02490

       

        

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2009.05.20

266 大安の青空

 大安。愛知は気持ちのよい青空。

 昨日、親友の大好きな人と、私の大好きな人が、仕事で初対面しました。

 しかも北海道で!

 もともとは、友達と私含んだ4人で飲みたいねと話していたけれど、友達も私も子供がいるし、殿方2人は東京なので当然思うようには叶わず、でもいつか!とは思っていた。仲介というほどのことはしていないのに、昨夜の飲みの後のお礼のメールを受け取って、涙が出そうになった。

 私たちは今、飛び回るわけにはいかないけれど、結婚しても、子供を持っても、新しい出会いや関係を大切に守ってきたから、動き回れる分身のようなソウルメイトたちが私たちのいないところで、新しくつながってくれる。

 あちこちつながりすぎて、こわいほどだけど(笑)。

 独身の頃は、自由に無軌道に人とのつながりを増やせたけれど、今はそういうわけにもいかない。不自由な状態の今だからこそ、それでもつながる人、つながっていたい人というのは、本物だと思う。

 本物の速度や濃度や密度は高い。

 そして、心からの関係には運も味方してくれる。

 親友も私も、常識とは外れた自分を貫くために、傷もいっぱい負っている。でも、こんな瞬間を迎えると、やはり(物理的な旅は無理でも)、魂の旅を続けていてよかったと思う。

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 関西で子供たちの休校を余儀なくされているみなさん、たいへんだと思います。遅かれ早かれ、日本中の問題だと思っています。用心は大切だけど、過剰に心配することなく、時が解決してくれるのを祈りたいですよね。

 行政や教育機関、家庭にとっても初めての体験。

 スペイン風邪やアジア風邪について目にするように、何十年か先に(それとも頻発するのかもしれないけれど)、「あのメキシコ風邪(←様々な配慮からそう名付けはしないが)の時は、おばあちゃん、たいへんだったよ」って笑って振り返られたらいいな。乱世に立ち会うことは不幸だけれど、幸福でもあると信じたいです。

 小説の第一稿330枚が完成し、昨日編集者さんに送りました。というわけで、現在オフ&主婦強化週間。美容院や美術館に出かけ、衣替えをがんばります。子供の衣替えって、単純に服の入れ替えだけじゃなく、着られなくなった服のことも考えなくちゃならないから、数式を解いてるような気持ちになるよ(苦笑)。

 ☆濱田くんへ 冒頭は、御大のことです。またメールでお伝えするね!

   

           

          

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265 潮干狩りについて

 親愛なる山梨のMちゃん&ルチアちゃんへ

 潮干狩りについて、実はすぐに調べ、ここに書きたいと思っていたけど、遅くなってごめんね!私信にすればいいんだけど、故郷の宣伝も兼ねてここへ。

 まず、時期は、地元民の私も知らなかったけど、一般向けに開放しているのは、3月から6月という短期間でした。

 そのうち、「潮時」のいい日で、しかも、うまく採れるのは、干潮の約2時間前から干潮時刻までに限られ(干潮時刻の前後2時間という説も)、子供たちの学校が休みの時となると、あらかじめ、春休みかゴールデンウィークに計画を立てておくしかなさそうです。

 愛知でなくても、静岡は?と思ったけど、意外に潮干狩りできる海というのは限られていて、清水も三保の内海でできるらしいけど、メインは浜名湖辺りらしいです。

 ☆私のふるさと田原市の潮干狩りについて

 http://www.taharakankou.gr.jp/rekisi_kanko/sizenmankitu/nature25.html

 ☆桑嶋くんのお好きな豊橋から行ける場所としては竹島も有名(このHPの右下で、静岡等々検索してみてください)。

 http://www.shiohigari.info/2007/04/post.html

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 私の小学校では、学校行事に「しおひがり」があり、毎年今頃になると、学校から歩いて海に出かけ、1年生から6年生まであさりを採り、海でお弁当を食べていました。

 実家ではシーズンになると、あさりをもらってばかりで、ありがたみがなく(本当に、食べ切れなくて、一升炊きのガス釜で茹でた剥き身を冷凍していたくらい)、行事の潮干狩りにしても、寒くてやだなあと思っていたけど(毎年、ビーチぞうりで行くか、長靴で行くか迷っていた)、今思うと、近くに海があり、あさりが採れるなんて、恵まれていたんだなあとしみじみ思ったよ。

 いつの日か、ルチアちゃん筆頭にみんなが潮干狩りできることを祈っているよ!!(お話のつづきは、また改めて:笑)

                         

          

           

         

                    

           

                      

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2009.05.18

264 空想はボーダーを超える

 毎度、気に入るとトコトンの私は、『トランジスタ・ラジオ』を繰り返し聴いている。子供たちもお気に入りのようで、特に「授業中 あくびしてたら 口がでっかくなっちまった~♪」「居眠りばかりしてたら 目が小さくなっちまった~♪」の部分でケラケラ笑っている。

 夜は『スラムドッグ$ミリオネア』を子供向けにアレンジして、『桃太郎』や『花咲かじいさん』を聞かすようにしてお話している。

 『スラムドッグ~』は、兄弟愛の話でもあるので、息子たちにも、どんな時も、たくましく生きていくんだぞ、というメッセージを込めて、スラムの話も、少々残虐な場面も伝えている。どの程度話すかは親の裁量によるけど、「キミたちが、ふかふかのお布団で寝ている今、よその国では、家も親もなく、ゴミ山で寝ている子もいるんだよ」というのは、本当のことなので、それを知ってもらいたいという気持ちもある。

 西原理恵子かあさんは、子供たちを実際に様々な国に連れて行っていて、それはすごいなと思うけど、私にはお金がないので、お話を・・・

 子供たちは興味津々でインドのお話に耳を傾ける(毎晩リピート)。彼らなりの想像をふくらませた後、ネットで映画の予告編や「タージマハル」を見せた。

 ビジュアルというのは強過ぎて、イメージを限定してしまうので、なるべく色んなものごとを、まずは想像させるようにしている。特に現代は、頭の中の余白を意識的につくることが大切だと思う。

 この映画は気に入ったので、DVDが販売されたら、親子で観ようと思っている(観たがるので映画館に連れて行くことも考えたけど、字幕なので断念)。

 私にとっての大人の映画、最初の出会いは、『ジョーズ』と『悪魔の赤ちゃん』で、それはどうかと思うけど(父親が映画好きだったので映画館やテレビで色々観てきた)、やっぱり大人がおもしろいものは、子供もおもしろかったりするものだ。

 例えば性教育もそうだけど、子にとって最初のボーダーは親が決めてしまうところがあるので、私はできるだけ柔軟に、世の中がタブーとすることも、そーっとうまく伝えていきたい。

 ところで、最近楽しかった、長男の空想。

 お風呂に入っていた長男が「お母さーん」と呼ぶので見に行ったら、両足を壁に投げ出し、水面におちんちんをピョコンと覗かせている。そして、ちんちんを眺めながらお話の始まり・・・

 「地球温暖化でね、この島は沈みそうになって、でも、やしの木に登ってたから助かった。100人中60人がやしの木に登っとって、下にいた40人が流された。そのうち、20人がくじらの潮でシューッとなって助かったんだけど、あとの20人は海で『助けて助けて』ってなっちゃった」

 自分の小さなおちんちんを見つめながらのこのお話に爆笑!!

 別の日に次男は、「明日が楽しみで寝れん」と夜、布団の上で泣いていた。翌日の楽しみというのは、ただ、私が幼稚園にお迎えに行くというだけのこと(ふだんは園バス)。

 「明日が楽しみで眠れない」なんて、かわいいなあ、素敵だなあと思った(大人になっても、そういう明日を持ってほしい)。

 子供は時々、すぐれた哲学書や現代アートに勝る「ワクワク」を与えてくれる。

 今日の次男は突然、「お母さんにとっての思い出ってオレ?」とニコニコしながら聞いてきた。なんじゃそれ?という言葉が出てくると、思わず抱きしめたくなる。かわいくて、切なくて・・・。

 今はまだ、言葉も知識も少ないからこそ、大人以上に自由な発想を持っている。

 早期教育を施す人もいるけど、シュタイナー教育の本に出ていた、「知的に早く目覚めさせてはいけない」という言葉に、大きくうなずいた憶えがある(というほど真面目に読んでないけど、その教えはとても印象的だった)。

 子供時代に詰め込まず、いかに余白をつくっておくかが、大人になってからの人生を決めるような気がする。

 ほどよいバランスで、伝えることと伝えないことに線引きをしつつ、あとは、子供たちが自由に選び取っていってほしい。

・・・うーん、最初の予定と書きたいことが変わったし、まとまりなくてスミマセン(笑)。

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 最近、NHKから取り寄せた楽譜で『ラジオ体操第一』の伴奏を練習しています。

 前々からラジオ体操をピアノで弾いてみたい!と思っていて、楽譜を買うことを考えていたけれど、調べてみたらNHKで送ってくれるとわかり、すぐにお願いしました。ありがたいです。

 pianoの部分やスタッカートの部分など、場面ごとの体操が思い浮かび、弾いていてとても楽しいし、気持ちいい!最後は弾きながら深呼吸して、体操したような気持ちになれるよ。

 作曲は、第一が服部正さん、第二が團伊玖磨さん。音符の数は少ないのに、ゴージャス感があって、素晴らしいなあと思う。

 ☆楽譜に興味ある方はこちら(下の方に出てきます)。

 http://pid.nhk.or.jp/event/taisou/taisou.html

 ☆いつも読んでる西原さんのブログも、おもしろかったのでご紹介(3枚目の写真まで見てね)。

 http://ameblo.jp/saibararieko/entry-10262532907.html

          

            

         

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2009.05.16

263 清志郎酒

  
 子供が寝静まり、ただいま、RCサクセションの 『the TEARS OF a CLOWN』 を聴いている。
 夫は焼酎からウィスキー。
 私は、小腹が空いたので、残り物の卵スープにご飯を入れて、鰹節とネギと、胡椒と醤油を少々ふりかけて、雑炊風にしていただきながら・・・。

 何日か前に切り抜いた、夕刊の清志郎さん追悼記事を示したことから、夫が清志郎さんに関するウンチクを述べ出し、確かに、リアルタイムで聴き、彼らの全盛期のライヴに行ってるので強気で、生き字引から話を聞くようにして耳を傾けた。
 「清志郎は、ステージでベイベーとか愛し合ってるかい?とか言うけど、最初から最後まで『こんなもん観に来て何がおもしろいんだ?』って顔してた」とか(もちろんその姿勢をリスペクトしている)
 「中3の11月で、一緒に行く予定だった一人は試験前だからやめた(そのコンサートのチケットは実家の机の引き出しにある)」とか
 「タモリのオールナイトニッポンで初期のRC呼んで2時間くらい歌わせたりしてた」とか(夫:「タモリこそ弔辞を読めばいいのに」 私:「赤塚不二夫で名弔辞を読んじゃったから辞退したんじゃないの?」)
 「オレはあの曲が完成形だと思ってる」とか・・・・
 ふだん会話のない私たちであるが(お互い元々一点集中主義というか、子供に注いでいる)、ああ、この人は本当はおしゃべりなんだろうな、と思い、聞いてやる。
 どうやら夫にとっては、RCサクセションとYMOが音楽の出発点で、その後ジャズに移行していったらしい。

 調子に乗り出すと(豚もおだてりゃ木に登り)予想通り、自分が持っているRCサクセションのCDを引っ張り出してきて、数えたら14枚あった。
 そのうちのお気に入りだという『the TEARS OF a CLOWN』を私が聴きたいと思い、なかでも『トランジスタ・ラジオ』『スローバラード』を聴いちゃって寝ようと思ったのに、これまた予想通り「最初から聴かなくちゃ」と言うので(ライヴアルバムということもあり)、面倒くせーなーと思いつつ、最初から聴き始めたら、その素晴らしさに、全曲聴いている。

 おそらく菊地さんが速報の『追悼』の回で書いていたと思われる歌に行き当たり、確かにぶわっと泣けてきた。これは、ある一定の孤独を抱えた人にしか書けないし、ある一定の人にとっては心の琴線に触れてしまうんだと思う。

 私たち夫婦は、追悼という気持ちでもなく、仲良く聴いているわけでもなく、夫は何かつまみつつ、たぶん青春期の思い出に浸りながら無言で飲み、私はこうして文章を書いている。 

 随所で泣ける。
 やはり素晴らしい。

 私たち夫婦は、冷えてるけど、じいちゃんばあちゃんになっても(それまで一緒にいるかどうか甚だ疑問ではあるが)、清志郎の歌声に感動したいもんだと思う。


 あらま、日付が変わった。
 今日は、母と親友と、とあるアーティストと、大切な人の息子くんのお誕生日。
 新緑の五月。
 大好きな季節。

          

       


             


                 

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2009.05.14

262 スラムドッグ$ミリオネア

 過去観た映画の中で、いちばん泣いたんじゃないかな。

 感動とか、一言でくくれるものではなく、ただただ感情がほとばしる、熱い涙がこみ上げてくる、そういう感じ。

 エンドロールが終わり、外に出ても涙が止まらず、本当は夏のサンダルを買って帰ろうと思ったけどそんな気分ではなく、せめてと思ってパンフレットを買ったら、店員さんはシネコン独特のアメリカンな画一的なファッションとやりとりで、これが昔ながらの映画館で、支配人の判断で決めた上映だったら、思わず支配人に会いに行き、「素晴らしかった。観せてくれてありがとう」と感動とお礼を伝えるのに、それすらも叶わない。監督のダニー・ボイルに伝えるって言っても言葉の壁が、ああ言葉の壁が、と思ったらくやしくて、とにかく、様々な感情にかきむしられるようにして帰ってきて、今パソコンに向かっている。

 私は基本的に旅と映画はひとりで出かけたいほうなので、この感動を誰と語ろう?という時に、ブログは助かっている。

 人間って素晴らしい! 生きるって素晴らしい!

 エンターテインメントにしかできないことってある!と強く思った映画だった。

 映像も、音楽も、どこを切り取っても凡庸な映画ならばクライマックスシーンに当てはまるような断片の連続で、泣いたり笑ったり、多角的なカメラワークに感心したり、自分の知らない世界の広さを思い途方に暮れたりしながら、ただひとつの難点は、これが『ミリオネア』というテレビ番組を軸にしている分、せっかくのスケール感がテレビという枠のために縮こまった印象を与え続けていることだった。

 ところが、最後まで観て、心憎い演出に感情をシャッフルさせられた。悲しいしうれしいし・・・。エンターテインメントとして割り切ったラストに、だからこそ広く強く伝わることがある。現実を描きつつ、現実を超越したつくりものの素晴らしさをまざまざと感じた。

 インドだイギリスだアカデミー賞だ関係なく、すべてのボーダーを超える圧倒的な力を感じた。

 今まで、例えばグランドキャニオンやナイアガラの滝やイグアスの滝やピレネー山脈や身近な海や山や空を見て、人間は大自然にかなうはずがないと思ってきた。

 それは大前提として・・・

 人間ってすごいなあと感服した。

 今日の感動に似た経験を思い出すとしたら、大学卒業直前にひとりで出かけたニューヨーク、MoMAでの感動。

 ピカソ、ダリ、ゴッホ、モンドリアン、ウォーホル、リキテンシュタインの作品や横尾忠則のポスター等々錚々たる美術作品の中に、工業製品が展示してあるコーナーがあり、そこに、パソコンを分解したような機械が置いてあった(半導体や回路を見せてくれてたのかな?)。その精巧なつくりに、「これをつくり出した人間ってすごいな」と、クラクラした。

 ダニー・ボイルの映画は、『トレインスポッティング』しか観てないけれど、今回も、主人公が疾走する場面が多く出てきた。

 それはそのまま、「生きろ!」「生き延びろ!」というメッセージとして伝わってくる。

 最初から最後まで、疾走感にやられた。

 ノックアウトです。椅子からなかなか立ち上がれませんでした。

 ファーストショー1000円で観ちゃって申し訳ないくらいいい映画だった(子供が帰ってくるのでその時間しか無理だし、いつもレディースデー等1000円を狙って行くけど)。

 なので、観る人が増えたらいいなと思い、ここに書かせていただきます(毎度、感動屋で大げさなのは否めないので、ご判断は慎重にお願いします)。

 『ニュー・シネマ・パラダイス』のラスト、つないだキスシーンを観た時の感動が忘れがたく、過去の好きな映画ナンバーワンは『ニュー・シネマ・パラダイス』だったりするけど、『スラムドッグ$ミリオネア』、本当に素晴らしかった。ジャンクな感触は否めないので、一位という空気ではないけれど、現時点での私にとって、総合ナンバーワンは空けておいて、この映画は間違いなく「揺さぶられた」ナンバーワンである。

 映画は総合芸術だから、と訳知り顔で言いたがる人いるけど、確かにそれはそうだと思う。男に生まれていたら映画監督を目指したかもしれない、と思ったことは何度かあり、私は家庭にもどっぷり浸かりたいからせこせこと文章を書いているけれど、チクショウ!男のパワーにはかなわないぜ!と、そんな意味でも揺さぶられた(笑)。とにかく、よかった。

 ホームページも、パンフレットも、全然映画の凄さを伝えてくれてないけど、とりあえず・・・ http://slumdog.gyao.jp/

 暗闇の中、思わず書き留めた少年の言葉

 「君は幸運。ぼくは違った。それだけのことさ」

   

                 

             

        

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2009.05.12

261 樫の木(追記したよ)


 家を建てた頃植えた樫の木が、どんどん葉を伸ばしている。
 モリゾー色の葉の上に、キッコロ色の新芽が伸びる。
 この季節、木がもくもくとふくらんでいくのを見るのは、とてもうれしい。

 その木の下には、木の到着の頃亡くなった祖父の骨の欠片が、ちょびっと、こっそり埋めてある。
 じいちゃんは、超が付くほど怠け者だったので、感傷的に「骨を埋めた」と妹に伝えたら、「それじゃ、その木、なかなか大きくならんわ」と言われた。
 しかし、意外や意外、順調に成長。
 夢の「木陰でお茶」まで、あと少し!


 本日の朝は、長男の忘れ物を届けに、300メートルダッシュした。
 おばちゃんと呼ばれる年頃の私が本気で走っている姿は、子供たちにどう映るのだろう?
 無事渡したら長男は、「バイバ~イ」と明るく手を振った。まだ嫌がる年ではないらしい。
 
 昔々(20歳頃)、とあるおばちゃんが目の前を本気で駆け抜ける一瞬を目の当たりにしたことがあり、それが今も忘れられない。
 「へー、おばちゃんなのに、あんなに速く走る人いるんだ」
 その身のこなし方は、忍者のようだった。 
 渋谷のスクランブル交差点とか新宿のアルタ前とか、そういう若者の多い場所だったので、余計に印象に残っている。
 そんなわけで、自分が今、本気で走ると、あの時のおばちゃんを思い出してしまう。
 本気で走る時は、迷いを持ってはいけない(とはいえ、真面目な顔だと恐いので、忘れ物を届ける時は笑顔も忘れずに・・・)。
 いつまでも、ジーンズと走る姿が似合う女でいたいものだ。


 NHKの清志郎さんの追悼番組で彼が若者に語っていた。
 「大人になると人生つまらなくなるって思ってる方も多いと思うけど、そんなことはないです。もっとおもしろいです、大人になったほうが。もっとやりたいことできるし、誰にも遠慮せずにおもしろくなりますから。それは、本当ですから。ぜひ夢を持ってがんばってほしいと思います」

 ただあの人が同じ時代に生きているだけで温かいということを、また一人失ってみて感じた。
 
 おとなになったほうが、きっと、もっとおもしろいと私も思うよ。

          


        
  


               

                 

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2009.05.11

260 書くと読む、食虫植物

  
 今書いている小説の第一稿が完成間近で、期待と不安(不安8:期待2)を持ちながら一気に読んでみた。
 エピローグを書くにあたり、全体を把握しておく必要があったから。
 少しずつ書いていったもののバランスをみるために、一気に読むという時間はどうしても必要で、その4~5時間がずっととれずにいたけれど、ご飯も食べず、只今読了。

 現時点では、いいんじゃないか?と思った。

 ええ、ええ、こんなこと書くことが馬鹿げていることはよくわかっております。
 でも、随所で涙がこみ上げ、「いいじゃん、コレ!」と言いながら読んでおった。アホとは私のことです(笑)。

 以前、石田衣良さんを追いかけた番組で、あのお洒落な白い仕事部屋で(テレビ取材が入ることも意識した新居だとはっきり言うておった)パソコン画面に向かい、書いたばかりの小説を読み返しながら泣いている彼を見て、「これだからナルシストは」と思いながらも、無垢とも言えるその姿勢に感動したのも確かなのであった。
 「自分で読んで感動して涙が出るくらいじゃないと、いい作品とは言えませんから」とおっしゃっていた。
 確かにそうだよね。

 てなわけで、書くと読むを並行させながら鋭意進行中。
 それなりのものになってくると、いいんだ、A社で本にならなくても、P社に持っていくんだ。それでもダメならどこかの新人賞に送るんだ、坊ちゃん文学賞辺りかな?などと思いをめぐらせる。
 いずれにしても、美術の仕事をしていた頃、多くの作家が、大勢の目にとまらなくとも個展を積み重ね、自分のことを「アーティスト」と名乗れるか否かを見定めていた様子を見ているので、小説における作家というのもまあ、色んなやり方があるんじゃないかと。
 なんせ、ネット時代ですし。
 不況ですし。

 こんな時のために、私は家族という基盤を固めているような気がする。
 人様に感動を伝える前に、自分の大切な人にこそ感動を・・・これはずっと私のポリシーである。

 ところで、最近、私は自分のことが「食虫植物」に思えてならない(わかる人はわかって、大いに笑って!)。
 肉食女子、草食男子って言葉が飛び交ってるけど、かつての私は明らかに肉食女子であったと思う。
 そして今、ホイホイ狩りに出るわけにはいかない私は、どっかり根を張りつつも、目ぼしい獲物は逃さずにいる。なにも恋愛の話じゃないですよ。いろーんなものごとにおいてね。
 これも、ネットのおかげも大きい(今も草間彌生Tシャツを注文するか迷っている)。
 危険に気を配りつつ、今できることを楽しむのだ。
・・・・・ふうっ。ちゃんと本になりますように☆(小心者)

         

                   

               

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2009.05.08

259 幸せな夜

  
 ゴールデンウィーク以来、ガラガラ声。
 予想外に決行された幼稚園の遠足で、雨が降ったりやんだり、風が吹いたり照ったりの中、明確に「象!」「白熊!」「熊!」が見たいという次男を連れて、幼稚園中の誰よりも、はやく遠く歩き回ったような一日。
 その他諸々の面倒があり(次男がツバメかスズメに糞をふりかけられたり)、ヘロヘロになって家に戻ったら、うれしいメール。
 東京で今日行われる、とある講座についてご案内していた友達が「参加」とのこと。
 飛び上がって喜び、友達に電話。
 一年以上ぶりなのに、心近くて温かい。
 その講座は、敬愛する学者さんと写真家さんによるトークイベントのようなもので、「私の大切な友達が今晩伺います」と学者さん本人にメールしたところ、すぐに「歓迎」の反応。すでにその講座のファミリーともなっている友達(まだ会ったことがない)にメールしたところ、「まかせてください」の返事。ほんと泣けます。

 大学時代からの友達も、まだ会ったことがない男の子も、学者さんも、私にとって、
とても大切な人たち。
 その人たちが私のいないところで、会ってもらえることが本当にうれしい。

 10年前だったら、こんなに素直に、ただ喜びだけを持てなかったと思う。
 自分は参加できなくてくやしい、とか、うらやましい、とか思ってしまったと思う。

 でも、今の私は、心からうれしくて、素晴らしい時間となりますように、と祈っている。
 みんな大好きだから・・・。
 こんな時、年を重ねることって素敵なことだなとしみじみ思う。

 結婚して、子供を産んで、あきらめなくちゃならないことも、確かにある。
 でも、結婚前からの友達や、結婚後に新しく出会った友達を、大切に守り続けてきたおかげで、今夜がある。

 得られた人生。
 得られなかった人生。
 道が様々に分かれ、目の前の状況を嘆きたくなる時もあるけれど、
 それでもやはり、私は幸せだ。
 幸せは、ほかの誰でもない、自分が決めること。感じること。
 目の前の今を愛し、これからの人生を得ていこうと思う。

 夕方慌しくメールしているそばで、長男がおならした(この頃プープー)。
 今これを書いてる目の前で、夫がおならした(でかい図体に似合わないネズミのようなぷー)。
 これが私の、只今の日常。
 目の前の家族も大好き!!
 遠く離れた友達も大好き!!(もちろん、そばにいる友達にも感謝!!)
 そして、一生かかって、好きになれる自分をつくっていけばいいのかな。


☆業務連絡 次男が本日動物園で、妙に「熊」にこだわった偶然に今気づき、笑ったよ。


    


      


   

          

  

                            

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2009.05.06

258 オランダのわんちゃん♪

 今日は、いとこの娘ちゃんの、わんちゃんのブログをご紹介。

 わんちゃん(本名は沙絵ちゃん)は、オランダの美大に留学中の23歳。昨年の2月、伯父宅で初めて会った。初めて会ったというのに、温かくて近い。血のつながりというのは不思議なものだなと思った。

 写真も文章も面白いので、機会を見て、ここでも紹介したいと思っていたが、このたびわんちゃんのパパママがオランダを訪ねた日記が、親戚ということを抜きにしても面白かったので、許可をいただきました。

 (のちほど、じっくりお楽しみください) http://saehond.exblog.jp/10923475/

 ママが私の父方のいとこなんだけど、わんちゃんと私の顔は確かにどこか似ているところがあり、このブログを見ると、わんちゃんはパパに似てるので、あれ?私もパパに似てるのかな?と、おかしなぐるぐるを頭でめぐらす(笑)。

 素敵なパパとママだけど、かつては色々あったらしく、それは子供時代の私の耳にもほんの少し入ってきたし、私が夫と大喧嘩してる頃は、伯父が「娘のところも・・・」と父を慰めた。昨年わんちゃんからも、ハードでシュールな話を聞いた(笑)。

 それが今のこの仲良しぶり。花の色とか、パパママのファッションとか、うっとり♪

 夫婦って、家族って、続けていかなくちゃ見えない関係、得られない未来ってあるんだなあと、勝手に感慨深くなる。

 この回以外にも、わんちゃんのステキな写真、アートのお話があるので、よかったら、さかのぼって(気に入った方はこれからも)ご覧ください。

 お互い、目の前の日々を慈しみ、よき作品をつくりましょう!

 LOVE わんちゃんheart01 (おねえちゃんも、いつか会おうね!)

 

             

               

           

             

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2009.05.05

257 ダチョウのダンス

 ぬととととーーっと、お尻からピンク色の長い舌のようなものが出てきたと思ったら、、、ダップン(脱糞)!!

 え?ダチョウの排便って、いちいちこんなことしているの?と思ったら、そのオスのダチョウがツトトトトーーっと、爪先立ちでメスのダチョウに近寄り、ダンス・ダンス・ダンス。 これって求愛ポーズ?と思ったら、あれよあれよという間に、オスがメスに覆いかぶさり座って交尾のもよう・・・。羽をバサバサしながら、ふわんふわんと揺れている。

 実家からの帰り道、ふと立ち寄った<渥美たまご牧場>にて。

 http://www.rakuten.co.jp/tamago/

 脱糞の後に交尾はないだろう?とあまりのムードのなさに呆れつつ、私はかぶりつきでダチョウを見つめ、しかし、子供に問われたら何と説明しよう?と思っていた。

 さっそく次男が、「ダチョウ、なにバカな格好しとる?」と笑うので、

 「バカなことじゃないよ。(聖なる)ダンスだよ」とこたえつつ、私自身、よくわかっていない(生々しいモノが見えるわけではないので、ダンスか交尾かわからない)。

  そこに長男が、

 「違うよ、ダチョウの結婚だよ!」

 と言うので、「そうだそうだ。(うまいこと言うなあ)結婚だよ」とまとめておいた。

 私はどうも、ふと立ち寄った場所で、決定的な?場面に出会うことが多く、上記も、思いつきで寄った場所での、滞在5分以内のできごと。交尾に関連して言えば、家族で行った動物園で、象のおちんちんが長ーく長くのびている姿を見たこともある。メスがそばにいるわけではなかったので、その姿は笑えるより気の毒で、どうしようもないから半笑いでいたら、夫に「笑うな!」と叱られた。

 海で遊んで、ダチョウにびっくりして、戻った家では、ベランダで焼肉。

 ご飯も、部屋ではなく、青空の下で炊いたらおいしいかも?と思い、炊飯器もベランダに持ち込んで、そこで炊いてみたけど、意外にも(当然ながら)同じ味だった。

 鯉のぼりを見ながら、帽子をかぶって、焼肉じゅーじゅー。

 焼酎飲んで、その後昼寝(親がダウンで子供は起きてる)。

 実家は、ふと行って来たけど、一泊の間に近所の人から、グリーンピースや産みたて卵やラベンダー6鉢やキャベツ2玉をいただいた。田舎はすっかり田植えの季節。

 毎年、ゴールデンウィークに夫といると、必ず大ゲンカになっていたけど(三連休以上は無理!)、今のところは中ゲンカ程度(笑)。

     

             

            

             

                           

               

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2009.05.03

256 雨あがりの夜空に


 のん気にパソコン開けて、訃報を知ってびっくり。
 忌野清志郎さん。

 全盛期を知ってるわけでもないし、特にファンというわけでもなくて、書くのもおこがましいけど、とてもショック。
 過激さよりも私は彼の、素朴さが好きだった。

 世代的なこともあるけど、ど真ん中の活動より、断片的に清志郎さんの存在を感じた。
 小椋冬美の漫画にキヨシローっぽい人が出てきたり、高校の社会の先生が、発売中止になった曲を聴かせてくれたり、大学のナンパな先輩が三次会辺りで「雨あがりの夜空に」を歌ったり・・・。
 大学時代の彼が、自分のことをなかなか名前で呼んでくれないことがさみしかった時、「キヨシローだって、奥さんのこと名字で呼んでるらしい」と言われ、その時初めて、そうなんだ、そんな純な人なんだと思い、以来、清志郎さんの純な面ばかり感じていた。

 6歳年上の夫は、中学時代と高校時代、RCサクセションのコンサートに行っている。
 夫は見るからに真面目なタイプだけど、その話を聞いて、センスを信頼した。
 自分たちの披露宴で、ジャズとバロック好きの彼とUAとレゲエ好きの私が、結びの、新郎新婦退場の音楽に選んだのは、「雨あがりの夜空に」だった。そのライヴヴァージョン(「今日は最後までこんなに盛り上がってくれてありがとう。ベイベー」というMCが入ってるもの・・・)。涙でそれなりに感動的にしめくくった後の、ロックの音調に、笑ってる人たちがいてうれしかった。今もその曲を聴くと、初心を思い出す。
 この頃は弾むような会話のない私たちだけど、さっき、「きよしろー、死んじゃったって」と伝えたら、「ほんとか」と沈んだ声を出していた。

 私は「雨あがりの夜空に」の歌詞の中の

 <雨あがりの夜空に 流れる
  ジンライムのような お月様>

 の部分がいちばん好き。
 息子が生まれた時、かっこよく、とがっていても、こんな風に繊細な心と目を持った子に育ってほしいなと思った。
 この名曲をここに載せるのは今は悲しいので、控えます。

 熱さとやさしさと涙をありがとう。
 ご冥福をお祈りします。


                


      


                

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2009.05.02

255 グーグルって

 ゴールデンウィーク。

 今日は、午前中家族で海に行き、波打ち際で遊んだ後、浜辺で大の字。

 太陽にあたためられた砂は、さらさらでふくよかで、赤ちゃんの肌にも似ている。

 地球のエネルギーを感じて幸せ。

 緑と海を見るだけで、はらはらと泣けそうになる。近頃の涙腺のゆるみ加減は、ご老人(だいぶお年を召した)が、久しぶりに訪ねてきた孫に会い、言葉は出なくとも涙が頬を伝う、そんな感じに似ていて、私、今この状態で、老後大丈夫か?と心配になる(笑)。

 お昼は、回転寿司の「スシロー」。初めて行った店だけど、開店10分後に入ったのに番号札47番。その並び具合に、パチンコ屋か?と思ってしまった。知り合い家族に二組会う(笑)。

 ところで、最近、ポプラ社からお手紙が届き、「Google ブック検索訴訟」についてのものだった。「ポプラディア」等が封筒に載っていたので、子供向けのダイレクトメールかと思ったら、著者宛のお手紙だった。そうか、私は著者だったんだ、と自分の素人ぶりが情けなくなる。

 で、今、専門のサイトを検索していったら、確かに私の本も出てきた。

 この問題については、3月に内田樹さんのブログで拝見していて、まるっきり他人事だと思っていた。まだ著作も少ないので、出版社さんの意向に従います。

 内田さんのブログより http://blog.tatsuru.com/2009/03/23_1053.php

 グーグルは、いつも検索で使っているが(理由は、画面に余計な宣伝がなくて、シンプルだから)問題はもちろん感じていて、例えば先日、辻仁成さんも書いていたけど、事実と異なることでも、検索数やヒット数が多い場合、自動的に上位に出てきてしまい、異議の申し立てもしにくい。自分が過去にここに書いたものでも、キーワードによって、思いがけないものが上位に出てきたりするので、精一杯責任持って書いているつもりだけれど、心中複雑。

 小説に関しても、やーな感想が上に出てくるから、やーな気持ちになる(笑)。

 でも、例えば村上春樹さんや三浦しをんさんとかでも、それはおかしいだろ、というような批判記事が上に来ているから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、ネット社会ってのは本当にまだまだ未知・未踏だと思う。

 これらを乗り越えていくためには、新しいものを書いていくしかないんだろうな。

 グーグルとヤフーで久々に自分の名前を検索して、新しい嬉しい感想も発見した。

 <本当にいい本だった。

 感想は難しくて書けないけど、読んで何も感じない人はいないと思う。>

 <これよかったな。出産までの感じが明るいだけの本は腐るほどあるけれど、色んな出来事が起きているっていうのとリアルさ。またもし私が妊娠したら読みたい本。>

 等々書いてくださってる方がいた。思わずURLを載せたくなったけれど、申し訳ないので遠慮。意外に奈良美智さんも、ご自身の展覧会後など、かなり検索なさっているよ。

 じんわり涙(ありがとうございます)。

 さっ、休日も、小説も(亀の歩みだけど)、がんばろう。

                 

         

              

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