129 三連休 ヒュウ~

☆何のオチもない、三連休の備忘録です。毎日盛りだくさんなんだけど、特別ギッシリの3日間だったので、忘れないうちに記録させてもらいます。 

 7.19(土)
 夫は会社の柔道部の練習&飲み会(今年は幹事で、土日も出ることが多い)。
 息子たちと私は実家へ。
 目的は、犬(春から飼い始めたコーギー)とともに、近所の海で泳ぐことだったけど、犬は初めての海にびびり、長男は帰り際、貝か何かでかかとをざっくり切ってしまった。 
 慌てて家に戻り、シャワーで洗い流して消毒。
 血はすぐ止まり、痛みもほとんどなかったので、バンドエイドを貼り、そのまま遊んだ。
 夜、自宅に戻ってから、ベランダで打ち上げ花火観賞。
 右手に満月、左手に花火。
 長男とともに(次男は爆睡)梅ジュース片手に夕涼み。
 ベランダのはじっこには、夫が漬けた梅が干してあった。

   

 7.20(日)
 朝、二日酔いの夫を起こし、長男の足の傷を見せる。「縫ったほうがいいかもしれんな」とのことで、広報で緊急医を調べ、連れて行く。初めての病院だけど、比較的近いところでよかった。
 先生はやさしそうな初老の先生で、街なかの病院なのに、緑が多いことに感心した。
 何か入っていないか、念のため、レントゲン。
 傷についてはビミョウなところだったけれど、縫うことになった。
 前夜、「病院はイヤ」だとか「縫うことになったら、先生に『やめてください』って言ってね」と涙ぐんでいた息子だったが、長い待ち時間の間に気が変わったようで、「早く自転車に乗れるなら縫いたい」と前向きになる(こちとら、盛り立てるのに必死)。
 「牽引室」とかかれた部屋(次々と包帯を巻かれた人が出てくる部屋)の一角、ベッドの上で、手術室にあるようなライトの下、うつぶせで、いざ待機。
 息子は緊張のために口数が増えている。その動揺にいちいちつき合って励ます(ケガについては、私は大いに責任を感じている)。
 まずは、麻酔注射。
 「痛くないや~」と余裕をかましていた息子がやがて「痛い、痛い!」と叫ぶ。しかし泣いてはいない。
 麻酔が効いてきたおかげで痛みを感じなくなった息子に笑顔が戻る。消毒に「気持ちいい」を連発。
 私も、息子が痛がってない様子に気持ちがやわらぎ、意外にも処置を凝視できた。次男があごを縫った時は部屋から出るように言われたので、今回も付き添えないかと思ったら、バッチリ立ち会えた。
 「オキシドール」(白い綿の玉)、泡しゅわしゅわしゅわ~
 「イソジン」(茶色の玉)、ダラダラ~
 の繰り返し。
 にじみ出てくる血の赤を、美しいとさえ思う。
 先生の、手際よい、しゅわしゅわ~&ダラダラ~に、さすがプロだと思う。
 念入りな消毒のあと、縫合。
 二針縫った。
 縫う時はちょっと痛そうだった息子だが、最後まで泣かずに終了。
 前夜の狼狽ぶりを見ていただけに、意外に強い息子に感心したり、うち(家&内)では涙が出ても、耐えられる外の顔を持つようになったのね、と成長ぶりをうれしく、同時に、切なく思う。
 
 ホッとしたのも、束の間。

 午後からは、幼稚園の『仮装カーニバル』。
 今年は母の会の委員なので、準備のため、炎天下、自転車に乗って一足早く幼稚園へ。
 他の委員のみなさんとともに、バザーの準備など行う。

 すこーし涼しくなった午後3時半からスタート。

 この仮装カーニバルは毎年恒例の幼稚園の夏祭りみたいなもので、みんな思い思いの格好に仮装して集まり、ゲームや出店を楽しんだり、最後、盆踊り風に輪になって踊る。

 毎年息子たちのなりたいものを聞いて一緒に準備するのだが(去年は消防士と救急隊員、おととしはタコ、その前はトーマス)、今年、次男の希望は「ピカチュウ」(『ポケットモンスター』というアニメのキャラクターです。ポケモンは、私は全く話を知らないし、息子たちも放送を見てもいないのに、なぜだか、長男も次男も好きなようで・・・。)最初、ディアルガーになりたい、とか、パルキアになりたい、とか言われたが、それらマイナーなキャラクターになっていっても、誰にも気づいてもらえないと悲しいので、いちばん分かりやすいピカチュウということで親子で納得。家にあった、黄色い帽子にフェルトで作った黄色&黒の耳をつけた(古くなった枕の綿を詰めて)。ちなみに、ご存知ない方のために、ピカチュウとは、ここに出てる黄色いねずみみたいなうさぎみたいな動物(モンスター?)です。

http://www.pokemon.co.jp/anime/tv/pokemon.html

 いつか写真をUPしたいとは思ってるけど、小さくなって着なくなった黄色いパジャマの袖を切って尻尾までつけて、ほっぺもスタンプで赤く染めて出かけました。

 みんな、「うわぁ、ピカチュウ!」と分かってくれたけど、個人的にはずっと、ヤノベケンジのアトムスーツみたいだなあと思っていた。

http://www.yanobe.com/aw/aw_miniatom.html

 ちなみに、ヤノベさんとは、10年前(美術作家のアシスタント時代)、展覧会場ですれ違ったことあります。

 委員としての私の仕事は、各クラスで行われるゲームのお手伝い。

 次から次へとやってくる園児相手に想像以上にたいへんで、汗だく。おばちゃんふうふう言いながらお手伝いしてたけど、アリスに仮装してる若い先生は、ずっと同じテンションで明るく園児をお迎えしてて、さすがプロ!と感心した。

 6時過ぎ、自転車で家に戻る。足が重い重い。

 夜寝る前に、気づいた。今日は記念日だと。

 夫に言った。「入籍記念日おめでとう」(去年はひまわり飾ったり、プレゼントしたりしたけど、たいした反応がなかったから取りやめ。ああ、枯れてる)

        

 7.21(月)

 夫は朝から柔道の審判講習会。

 私と息子たちは、朝からSさん一家に会いに、市内の外れの地区へ(Sさんについては、『126 感動』、『127 心和む日本語のトーン』参照)。

 すぐ近くに来ていたSさんだったが、前夜泊まったおうちがたまたま、静岡との県境に程近い、ブラジル人が大勢住んでいる市営団地だった。私が住んでいる愛知県の豊橋市は、工場で働く南米人が多く住んでいる。地区によっては、びっくりするくらい外国人ばかりの場所があり、その団地もそう。噂には聞いていたその場所に、昔からの知人を訪ねて行くところがおもしろかった。

 8年半ぶりのSさんとの再会。

 うっわあ~~!!という感動よりも、しみじみとした自然なものだった。

 ルイスさんも全く変わらない。

 赤ちゃんだったHちゃんがすっかりお姉さんで、初めて会うAちゃんは長男と同じ年だった。団地内の公園で、ペルー人の親子さんとともにしばし遊ぶ。

 ペルー人のお母さんは3人の子を抱えて身体がしんどそうで、看護師でもあるSさんが心配そうに話を聞いていた。

 3人のペルー人の子供たちに「ママ、病気かもしれないから、ちゃんと言うこと聞いて」と諭しているSさんの姿に、「昔と変わらないなあ」と思う。職種は違うけど、正義感に満ちていて、一団地内の風景だけど、まるで国連で働く人を見るような思いがした。

 会う前は海とか動物園とかいう話も出ていたけれど、娘ちゃんたちの希望で、「ショッピング」。Sさんの車を誘導してはるばるジャスコへ。私の車に子供たちが4人とも乗り込み、わいわい話しながら移動する。

 印象深かった会話。

「チリはどんなところ?」

「家の前に湖があってね、犬と一緒に泳ぐの。白鳥が二羽住んでて、ほかの白鳥が来ると、その二羽がアタックするの」

「うっわ~いいところだなあ・・・。」「日本とチリはどっちが好き?」

「日本も好きだけど、日本は『~~しちゃダメ』っていうのが多くて、チリだと、ピアスとかアクセサリーとかしていっていいし、お金持って行って学校で飴とか買えるの」

「そりゃチリのがいいなあ~」

 日本の規制ってもちろん重要なことも多いけど、この規制の多さっていったい何なんでしょうね?

 もうすぐ10歳のHちゃんはちゃんと見てる、ちゃんと分かってると思ったら、ただそれだけで泣けそうになった(毎度涙もろくてスミマセン)。切ないというか、感心するというか、人は小さくてもちゃんとわかってる。むしろ小さい時の方が真実を見極めている、というか・・・。

 その後、ジャスコでバタバタのんびり過ごし、出くわしたマジックショーで、息子がちゃっかり手を挙げ、マジシャンのお兄さん(おじさん?)と一緒にスプーン曲げに参加。うちの息子たちは、こういう機会に舞台に上がる率が高い。親としては、意外だなあとか頼もしいなあとか思いながら眺めている。次男も途中でスプーンを触らせてもらい、私も話を(スプーンを)振られたので指で曲げた(というか触っただけで曲がった)。

 いったいどういうことでしょう?という折れ曲がったスプーンを二つ、お土産にいただく。

 楽しい時間をもっと共有したいけれど、車で大阪へ帰るSさん一家と、そろそろお別れ。それぞれとハグして、娘ちゃんに「元気でね、チリの話またしてね」と言ってバイバイした。

 Sさんに会った感想。お互い、母になっても、自分の道を邁進していることに清々しさを感じた。Sさんが途中話してくれたこと。「父と母が立て続けに亡くなった時に、『ああ、人の一生ってあっけない』って思って、私も、せっかく父と母が繋いでくれた命をしっかり全うしなくちゃって思った」。

 私が今まで出会った人たちの中で、色濃く生きてる人はほとんど、死を意識した体験を持っている。人間いつ死ぬか分からない。いつ何が起こるか分からない。生きている間はやっぱり精一杯努力したいし、楽しみたい。

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 三連休でくったくたになったけれど、夏休みは始まったばかりなわけでして・・・。連休の翌日は、午前中息子の病院(傷口はバッチリ回復)、午後は、小学校の懇談会でした。

 先生から、「お母さんって物書きさんですか?」と言われ、いったいどこからどう漏れたのか?と焦る。担任の先生のことはとても信頼しているし大好き。しかし、狭い地方では噂がすぐ広まっちゃうんだよね。まだまだ、物書きですと言える立場でもないし。学校とか先生という世界の中で、煙たがられているのか尊重されているのか、うまく分からない。ただ、「何か書かれたらまずい」と、気を引き締めてもらえるのならいいことかと思う。

 懇談会の内容については、かなりおもしろい話もあったけれど、小説のネタに使えそうなので内緒にさせていただきます。

 夏休み。予定が盛りだくさん。

 旅もめいっぱいするでぇ~。

 そして、ドカンと、驚きのメールも届く。小説は、最終章の完成間近に来て、まるごと書き直したくなった。

 心身が落ち着きません。毎日ドッカンドッカン打ち上げ花火が上がってるみたい。

                  

                       

       

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128 満月前夜

 昨日(7月17日~18日にかけての夜)、すごく寝苦しかった方、いませんか?

 私は、どうにもこうにも眠れず、途中で確信しました。

 満月ではないかと。

 子供たちもバッタンバッタン寝返りを打ち、寝苦しそうで、暑さのせいもあるけれど、季節に関わらず特別寝苦しい時は、たいてい満月か、満月に近いです。

 深夜、目を覚ました夫が、バッタンバッタンやっている息子を見て、「暑いのかな?」と言うので、「ハルコさん(占いやらマクロビやらもろもろに詳しいゴッドマザー的な友達のお母さん)が砂糖をいっぱい取ると寝相が悪くなるって言ってたんだけど、確かに今日、甘いものたくさん食べてたからそのせいと、あと、今日、満月なんだと思う」

 と返したら、「・・・・(しばし沈黙)、暑いかどうかについて聞きたいのに」みたいな反応で(うちの夫婦の行き違いがよく分かる会話:笑)、冷房を調整して、再び寝た。

 この、こみ上げてくるような寝苦しさは間違いないだろう、と思って、空を眺めた夜もあるけど、昨日はそのまま寝た。で、今、ネットで調べたら、やっぱり、満月前夜だった。

   http://www.moonsystem.to/

 私はたぶん感じやすいんだと思うけど、寝苦しさ(身体が火照ったり、心が落ち着かない)における満月については、ほぼ100パーセント当たる。とはいえ、毎回寝苦しいわけじゃないです。どうにも眠れないな~って時にふと満月を確信し、そんな夜は自分が狼になったような錯覚に陥る。

 満月の夜は出産が多い、とか、満月の夜は、事件が多い、とか、そういう月と人とのかかわりについて、世の中全体で謙虚に見つめていくことは大切な気がする。

 「月」について、分かりやすかったサイト

 http://www1.ocn.ne.jp/~iyasiro/maji/moon.html

 「あーもう、寝苦しい、イライラする!」とかじゃなくて、「そうか、満月だから仕方がないな」と、自然や宇宙を受けとめ(溶け込み)、身を任せることができたら、きっと少しは楽になれるはず。すべて、すべて、大いなる流れの中で、人は生かしてもらってる。

           

           

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127 心和む日本語のトーン

    
 庭の樫の木に毛虫がついているのを発見し、今年もこの時期が来たかと覚悟して、子供たちの出発後、朝から消毒。
 害虫駆除なんて、人間の傲慢だとちらりと思うけど、自分が死んだことすら気づかないようなイガイガの黄緑色の毛虫に、大切な樫の木の葉っぱをガジガジやられるなんて許せない。
 というわけで、タオルを頭に巻き、長袖長ズボン、ゴム手袋、マスク、さらにサングラスで防備し、「農薬」を1000倍に薄めて機械かついでシュワシュワする。人に見られたくない格好だが、仕方がない。
 終えてしまえば簡単なもので、木も私もスッキリした。
 その後、小説のつづき、メール10本、友達からいただいたさつま揚げの残りを大根と一緒に煮ておでんにする。
 とまあ、何が言いたいかと言うと、ゴチャゴチャした日はゴチャゴチャがつづくもので・・・
 長男の帰宅後、月曜日に引き続き、1年生3人が遊びに来て、ぎゃーぎゃー騒ぐ。途中、女の子とうちの息子がケンカになり、2人とも派手に泣く。1年生は、悪気はなくてもお互いに言葉が足りないためにケンカになることも多く、親が入らなくてはおさまらない場面もあるからなかなかたいへんなんです。
 さらに幼稚園から帰ってきた次男も素っ裸になって大騒ぎ。子供同士が調子に乗ると手に負えなくなる。
 そこに新たに、ピンポン♪
 いとこが、小学4年生の息子を連れて「アポなしで行きたいって言うからアポなしで来た」と、笑うしかないような展開。4年生も参加して泥遊び。
 いとこと話していると、電話がリリリーン♪前回書いた大阪のSさんから。
 久しぶりだと言うのに、「今、かくかくしかじかの状態で落ち着いて話せないからかけ直します」と切る。
 
 小一時間後・・・

 みんなが帰って、泥だらけの息子たちを強制的に風呂に放り込み、ようやくSさんに電話。
 電話に出たのは、ダンナさんのルイスさんだった。
 久しぶりの声!!!
 って、もともとそんなに話したことないけれど、ゆっくりとした温かい日本語を聞いているだけで泣けそうになった。朝からのゴチャゴチャが吹っ飛ぶ和やかなトーン。
 よみがえるよみがえるよみがえる記憶・・・。


                         ☆


 その昔、東京は井の頭公園で、アクセサリーを売っているような外国の方が集まるアパートがありました。 
 そのおうちに、Sさんとルイスさんのご縁でだったか、私も遊びに行くようになり、半年くらいだけど、忘れがたい出会いがありました。

 当時の私(11年前・24歳)はテレビの仕事を辞めて、自分の表現を探すのだと必死になっていて、荻窪の豪邸でお手伝いさんのバイト(朝食か夕食を作る仕事で、時給1500円)をしながら、井の頭公園近くのボロアパート(かろうじて風呂&トイレはあったけど、シャワーもクーラーもない部屋)で、拾ってきた扇風機に当たりながら小説(みたいなもの)を書いていた。
 上記の外国人の方々が集うアパートの主は、45歳の、超美人、超グラマーな女性で、かつてはケニアの駐在員(仕事は知らないけど)の奥様で、ケニアで複数のお手伝いさんがいるような豪邸に住んでいたのだが、離婚して、どういう経緯か知らないけど、外国人がたくさん住むアパートの大家さんをしていた。
 娘ちゃんが二人いて、高校1年生と小6だったと思う。二人ともケニアで10年くらい暮らしていたので、日本に迷い込んだ可愛らしい外国の女の子、という雰囲気があった。二人といると、ケニアの強い日差しや乾いた大地、象やキリンやライオンに加えてナイロビの大都会が背後に透けて見えるような気がした。
 45歳のママには30歳の恋人がいて、その恋人と娘ちゃんたちも仲良くしていた。
 そのママに頼まれ、私はしばらく高校1年生のお姉ちゃんの家庭教師をしていた。
 しかも、大の苦手の数学を!!!
 大嫌いな数学なのに(前も書いたけど、高校時代クラスでビリ)、「反抗期の娘が、エラそうな先生の言うことを聞けないから、友達感覚でわかる範囲でいいから」と言われ、引き受けてしまったのだ。苦手な中でも、数Ⅰはなんとなく分かったので、二次方程式とか、因数分解とかをがんばって教えていた。
 ここで学んだ教訓に、「『先生はできる』ということを、子供は当たり前として受けとめるが、『先生ができない』となると、子供に危機感が芽生え、一緒になんとか考えようとする」ということがある。
 私がデキの悪い先生だったために、その子と同志のような感覚が芽生え、一緒に数学をがんばった記憶がある。
 「げ、この宿題分からない!」と私が焦ると、それまでボンヤリしてた子が
 「え、どれどれ?こうじゃない?」
 と、身を乗り出す。こんな感じ(笑)。
 ちょっとしたバイト代もうれしかったけど、何よりママが作ってくれる無国籍の夕食が楽しみだった。
 その家にはハムスターがいて、小6の女の子(生粋のケニア育ち)が可愛がっていた。
 色んな人が出入りし、ギターの音色や色んな言葉が飛び交っていた。

 井の頭公園で布を敷いてアクセサリーを売ってるような方々と顔見知りだった一時期。
 フランス人の彼と世界中を旅していた日本人の女の子(ショートボブとインド綿のワンピースが似合う日に焼けた美女)。素敵なカップルだなあと思っていたのに、女の子が突然ぶっ倒れたことがあり、びっくりした。
 みんな、人生、色々あるよね、と思った。


                      ☆


 ルイスさんのやわらかな日本語に和み、よみがえった青春の記憶。
 何より、ルイスさんが元気でうれしかった。
 1歳くらいの時会った長女ちゃんはもうすぐ10歳。次女ちゃんも7歳だと言う。
 違う場所で、お互い確かに生きていた。
 しばしお話していたらSさんが帰宅。
 一家が時折訪れるスペイン語の教会が豊橋にあるらしく、しかも、場所を聞いてみると私の家からかなり近い(同じ校区内っぽい)。
 いやー、偶然やらご縁も、ここまで来ると、神がかっていて、じんわりと温かい気持ちに包まれる。
 ともかく、21日に会う予定。 
 Sさんとは、お互いの要所要所を知っている。
 お互い、それなりの大学も出たけど、あやしげな人生(笑)。
 不安定だった井の頭公園時代。
 みんな生きていたね。
 みんな生きているね。


    


             


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126 感動

       
 4年ぶりくらいの知人からのメール。
 次の連休で、再会が叶いそう。
 知人というより、「人生の先輩っ」という思いが強いのだが、テレビのAD時代、とある番組にフリーのディレクターとして参加してくださった年上の女性。
 
 22歳の時に出会った32歳のバリバリのそのひと(Sさん)は、かなりインパクトがあった。
 上智大を出て、有名ドキュメンタリー制作会社で海外もののドキュメンタリーに関わった経験を持ち、私の憧れをたくさん持っていた。その人と、自分のふるさと(渥美半島)についてふと話した時に言われたこと。
 「あんないいところで生まれ育ったのに、なんでこんなところに迷い込んでるの?」
 私はテレビに足を突っ込んだばかりで、Sさんはテレビから抜け出そうとしているところだった。

 紆余曲折後、Sさんは、青年海外協力隊員として出かけたエルサルバドル島で出会ったチリ人の彼と結婚。
 日本でひとりめのお子さんが生まれ、その子が1歳くらいの頃、実家に遊びに来てくれた。
 当時の私は、結婚前で、かつて自分の道をバリバリと邁進していたSさんのお母さんぶりにびっくりした。
 自分ではなくて子供を第一に考えるやさしくて温かくて、強いまなざし。
 おっぱいをあげるSさんの姿を美しいと思った。
 自分よりも子供に注ぐ姿に触発され、私も迷いなく結婚した。
 私にも子供が産まれ、電話で話した。その後、1冊目の本の出版時にメールを交わしたのが最後くらいかな(*あとで思い出したけど、自分に2人目が生まれ、ヘロヘロになっている話を電話でしたのが最後な気がする)。Sさんは、二人の娘ちゃんのお母さんになっていた。
 翻訳の仕事を主にしていたSさんだが、出産・育児を機に、思うところが大きかったらしく(目覚めについては、私も共感する)、助産師の勉強を始めていた。

 そして、久しぶりのメールにて・・・

 「この春、看護師、保健師、助産師の国家試験に合格して、4月から助産師として働いています。」

 添えてあった写真の中には、卒業証書を手にした晴れ着や袴姿の若い女の子にまじり、二人の娘ちゃんとともに、晴れやかな笑顔でおさまるSさんの姿が。。。

 泣けました。感動しました。
 子を持ってなお、子を持ったからこそなお輝ける女性はたくさんいる!!

 先月は、4人お子さんのいる友達が、「助産師を目指そうかと思う」というメールをくれたところ。
 その時も、夜中に泣きました。

 産む不安がつきまとうこのご時勢に、なんと頼もしいことでしょう。

 結果ではなく、そう願う気持ちそのものが美しい。
 結婚や子供の有無に関わらず、男も女も、いつだって、その気になれば新しい自分をつくり出せる。

 昨年出版した小説について、ずっと伝えたかったSさんにようやく伝えられた。
 返ってきた言葉。

 「やっぱり何か起こしていましたね?(ふふ、、)」

 ブランクがあっても、こんな風に互いの成長について語り合える仲間が大好き。

      
 Sさんとの出会いについての補足。
 Sさんが、私の働く制作会社にやってきたばかりの頃、編集室で、Sさんが過去に制作した番組を他のスタッフに見せていた。ペーペーの私は雑務に追われ、蚊帳の外。
 ふと、編集室の前を通りかかった時、モニターに映し出された人物にびっくり!!
 大学時代の同級生のAちゃんだった。
 番組は、Sさんがキューバの映画学校に取材に行った時のもので、その映画学校には私の友達がたまたま留学していたのだ(日本人2名のみ)
 つまり、私の友達Aちゃんが留学していたキューバの映画学校にSさんが出かけ、Sさんはその映像を携えて、私が働く制作会社にやってきたのだった。
 なんたる偶然の重なり!!
 だって、キューバだよ~。制作会社だって星の数ほどあるんだよ~。編集室の前をふと通りかからなければ、そのつながりについては、今も知らないままだったかもしれない。
 あの時の「あれ?なんで画面の中にAちゃんが?」という、驚きよりも自然な感じは忘れがたい。
 この件をきっかけに、SさんともAちゃんとも縁が深まった。

 そんなご縁で、今も昔もこれからも、ふとつながり、励まし合って生きていこうと思います。
 お互い、たいへんな時もいっぱいありました。
 でも、せっかくだから、人生、前向きに。女は強いぜよ!


           
           
  


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125 こんな日に

          
       ベランダで、ふとんを大量に干していたら、

       風がさわさわさわ~っと流れました。

       「気持ちがいいね」と私が言ったら、

       息子が

       「気持ちがいいね」とこたえ、

       「こんな日に、お母さんと結婚したいなあ」

       と言いました。

       そのあと、

       「でも、お母さんはもう大人だし、ぼくはまだ子供だから

       結婚できないね」

       という言葉。

  
       うれしくて、

       切なくなりました。


       夏の日に、きみは。

       そして、こんな夏の日も、

       いずれ記憶の海に放り込まれ。


         

                

                

                          

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124 もろもろ

  近所の大学のオープンカレッジで3ヶ月習っていた「気功・太極拳」が終わった途端、明らかに肩こりが復活した。

 パソコンに向かうことが多いため、肩こりと腰痛が慢性化していたけれど、気功に通っていた3ヶ月間は不思議なくらい無縁で、体調も良かった。疲れはするけれど、バテない、という感じ。

 今、終えた途端にガクンと肩がこり、暑さのせいもあるだろうけれどバテ気味で、気功・太極拳の効用を実感せざるを得ない。

 気功と言うと、怪しげに感じる人もいると思うけれど、本当にいいものだった。先生が中国の恩師から秘密裏に習得してきたものなので、ここで詳しく書くわけにはいかないのと、言葉ではうまく説明できないのだけれど(こうして書くとますます怪しいけど、早稲田の出身の先生で、今も早稲田実業に武術を教えに行っている素晴らしいお方でした)、確実に効果があった。これからも自分なりに続け、時には先生の教室におじゃましたいと思う。やっぱり定期的に運動して、血をめぐらせることは大切だ。

 話は変わって・・・

 昨日スーパーで見つけた、生のブルーベリーを買って食べたら、思ったより酸っぱかったのでジャムにした(離乳食の頃使っていたマッシャーが今も役に立つ)。完成後、小瓶に移した残りが鍋にこびりついていたので、それをパンで集めて食べてみたら、あまりにおいしくておいしくてびっくり!!今年は、安売りのイチゴを3回ジャムにして、いただきもののはっさくでマーマレードを作り、今回のブルーベリーと、ジャム作りの簡単さとおいしさに目覚めた。こうなってくると、色んなものをジャムにしたくなる。

 「iPhone」発売の記事に、並んでまで買おうと(どころか買おうと)思っていない自分は、世代が違うんだなあとか思ってしまった。

 大学卒業後に、ふと母校を訪ねていちばん驚いたのは、学生が携帯電話を手にしていることだった。今の大学生にとって、携帯電話とパソコンは当たり前。iPhoneはどうなっていくのだろう。

 いつか学生時代のことも小説に書きたいと思っているけれど、今の学生が読んだら、その古さに、私たちにとっての70年代の学生の本を読むような気持ちになるのかな?かつて、『もう頬づえはつかない』に心酔した私だけど、90年代には、70年代のような魅力はないだろうなあ・・・。本当に、IT革命以前・以後って、コミュニケーションの描き方が変化してしまうから大きい。

 デジタルのこととかよく分からないんだけど、ここでも時々紹介させてもらう高城さんのブログでちらっと勉強してます。高城さんって昔から何やってる人か分からないし、うさんくささは消えないんだけど、ワールドワイドな視点と時折感じる熱さに刺激を与えてもらっている。

 ☆最近感動した記事。

 http://blog.honeyee.com/ttakashiro/archives/2008/07/post_89.html

 ☆サラゴサ万博に触れている記事(私も、日本館どうよ?と思う。そもそも、愛知万博の時も、どうしても先進国の自己満足という気がして賛同できず、行かなかった)

 http://blog.honeyee.com/ttakashiro/archives/2008/06/post_87.html

 もろもろ、盛りだくさんの、気づけばすっかり夏。。。

 前回書いた柔道の先生。夫に確認したら、60歳くらいでした。そして、体重は90キロはありそうとのことで・・・。気功の先生もそうだけど、威厳のある方は、老けてるのではなくて、どうも年長に思えます。失礼しました。

         

                

                    

 

 

      

 

               

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123 柔も剛も

 お久しぶりです。

 小説については、まだ落ち着かないけれど、やっぱり書きたくて復帰。自分のパターンとして、新しい章が全く白紙の段階で、「書けるかな?大丈夫かな?」と思いながら資料集めたり、構想してる段階がいちばん不安なのだと分かった。今はなんとか進み出したので、少し余裕が生まれた状態。

 これもずっと書きたいと思いながら書けずにいたけど(いつも頭の中でまとめたい記事のイメージがあって、それを実現させようと思うと書けないのであって、気楽に考えればいいことで・・・)、長男が、小学校入学と同時に柔道を始めています。名ばかり三段の夫の希望で、息子も興味を持ったので、昔からある公民館みたいな道場に通っている。

 夫は早々にその道場に決めていたけれど、何よりも指導者が重要だと思い、入門前に家族で見学に行ったら、代表の先生が、本当に素晴らしい先生だった。七十歳くらいかな、きっともうおじいちゃんだろうけれど、体格がよく(80キロはありそう)、しゃきっとしていて、威厳があると同時にとてもやさしい。ごっつい顔して笑顔が温かいのだ。子供向けの指導者の重要な条件は、カリスマ性とやさしさを兼ね備えているかどうかだと思う。

 小学校時代の私はスポーツに夢中で、学校の課外活動で、陸上、体操、水泳、バスケとやらされ(大会があるので、召集される)、そのほかに、どうしてもやってみたくて4年生~6年生の間、町の剣道教室に通っていた。柔道場が横にあったので、防具なしでたたかう柔道にも興味があった。

 武道のいいところは、自然に礼儀が身につくこと。

 畳の上で、「黙想!」とか「正面に礼!」とか、心が引き締まって、やっぱりいい!

 息子が行っている時間帯は、1年生から6年生までの小学生が男女とも一緒になって組み合う。真剣な子、サボろうとしている子、いつも泣けてしまう子、男の子を負かしてしまう女の子、色んな子がいて、見ていて飽きない。不真面目な子同士が組み合うと、必ず一緒にサボろうとし、二人の動きはまるで社交ダンスのようになる。それもまたおもしろい。 

 昨日は、5年生の男の子のおじいさんが、家でつくっている瓜を持ってきてくれて、みんな持ち帰った。先月は西瓜もいただいた。そんな昔の大家族的な雰囲気もうれしい。

 夫も私も、勝つための柔道をして欲しいとは思っておらず、いわゆる柔道精神を身につけて欲しいと思っている(「精力善用」「自他共栄」「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ」ってやつ)。 

 とはいえ、オリンピックも気になる。柔道選手の中で、鈴木桂治くんのブログはよく見ています。従来の柔道選手のストイックなイメージじゃなくて、彼の男子ノリが好きです。

 例えば、最近の記事より・・・

 http://ameblo.jp/suzukikeiji/entry-10114265030.html

 大荒れの富士山の翌日、ふつーに予定をこなしているところがスゴイ!

 井上康生選手の亡きお母様の実家は豊橋にあり、私の母の友達は康生選手と親戚にあたります。伯母さんが働いている豊橋の養護施設にも毎年のように訪れているらしく、いつか親子でお会いしてみたいです。

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 ブログを離れているたった1週間の間にも、色々ありました。

 高校時代の先生が突然自転車でやってきて(自転車ってったって、その先生の家と私の家は20キロくらい離れている!しかも2回目)、「電話番号が分からなかったから来た」と小学生ばりの理由をおっしゃる。まあ、目的はいつも通り、お見合い情報(笑)。旧友に近々連絡します(今回のお相手は東大卒だそうですよ)。

 先月、傘をお貸しした息子のクラスメイトの女の子(『118 女の子様にたじたじ』参照)が、なかなか傘を返してくれず、私はいつでもいいと思っていたけれど、息子が気にし出して泣くので(自分でも直接伝えたが返してもらえないので)、思い切って先生に連絡帳で仲介をお願いした。お願いした翌日、親子で謝りながら返しに来てくれて、ホッとした。お母さんの顔が見えないと、ついついどんな親だろう、と不安に思ってしまうけど、会ってみればとってもいい人だったりして安心する。小学1年生って、まだまだ子供だけに任せられず、かと言って親が出過ぎてもいけないし、なかなか難しいところ。そんな些細なことで心がいつも揺れています。

 敢えて同列に書かせていただくけれど、本を読んで感動し(『115 胸がいっぱい』参照)、お手紙をお送りした小山田さんのご両親から、追悼本と丁寧なお手紙が届いた。私が手紙に書いた日付は、事故からちょうど1000日目だったとのこと。そのようなカウントをせざるを得ないほど、ご家族は今も悲しみの中にある。本やマスコミのニュースだけでは分からない真実。

 私が手紙に書いた「すっ飛んで行って一緒に泣きたいです」という言葉を、お母様は「一生忘れません」と受けとってくださった。苦しんでいる人に向かって、安易に「その気持ちわかります」とは絶対に言いたくない。でも、寄り添って泣くことはできる。

 私は数々の共通点から、もはや咲子さんのことが他人とは思えず、ご家族のために少しでも力になりたいと思っている。私にしかできないことがあると思っているし、じっくり冷静に考えた上で、行動に移していきたい。咲子さんの素晴らしい文章がつないでくれたご縁を大切にしていきたい。そして、彼女の熱は私が引き受けた、くらいの思いで、表現活動をがんばりたい。

 と、柔も剛も織り交ぜて、毎日様々なことがある。

 一日一日を、大切に過ごしていこう。

          

        

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122 7月だね☆

 今書いている小説が大詰めで、数行のリアリティのために、資料を読み漁ったり、先輩や友達に話を聞いたりしています。大詰めとは言っても、ようやく第一稿ができるかな?という段階なので、完成はまだまだ遠いです。

 「アルバムの編集作業のため、20日間当欄の更新を停止させていただきます」と宣言して、例外的な日記を除いては本当に「速報」の更新をしなかった5月の菊地成孔さんを潔いと思ったり(ふだんとても饒舌でおもしろい記事を書いていらっしゃるだけに・・・)、「仕事が山積みなのでブログ休みます」と宣言したものの、きっとみなさんの期待に応えたくてすぐ復帰なさる河原マッチャーさんに共感したりしつつ、私もしばし、こもろうかな、という状況です。

 菊地さんや河原さんと思えば、このブログへのアクセス数は少ないものだけど、それでも、毎日熱心にアクセスしてくださるコアな方がいらっしゃることは、とってもよく分かっているので(ついつい見ちゃうアクセス解析:笑)、うれしいです。更新減ってすみません。

 ここに書きたいことはいつもいっぱいあって、でも心を込めて書きたいから、またあらためて、にさせてもらいます。

 例えば、日本でデビューした、イギリス在住の友達の彼のこと。

 去年は「くるり」のツアーに参加してたんだって! 先々週、「『snoozer』(リトルモアの音楽雑誌)に載ってます」ってメールが入り、彼女が撮った彼の写真とともに、記事を拝見しました。

 ちなみに、こんなお方・・・(snoozerに出てた写真もこちら)

http://www.badnews.co.jp/main/ja/public/cgi-bin/artist_main.cgi?ad=1206614276

 My Space はこちら・・・(曲が聴けます♪)

http://www.myspace.com/coloramasound

 10年前、ロンドンで会った時の彼は、やさしくて温かくて、かっこよくて美しくて、とても印象に残っています。今回、ちらっと聴かせてもらった音楽は、かつての印象のまま、ピースフルなイメージ。近々アルバムを買うつもりなので、またじっくり書きたいです。そもそも、大学時代の友達である彼女こそ才能あふれるひとで、彼女より先に彼の情報を日本で知ることは驚きであり、新しい喜びでした。

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 昨日、たまたま資料として久しぶりに読んだ、10年前くらいに書いた小説。そこに出てくる中学時代の同級生男子のことを思い浮かべていました。今日は朝から、3年前に亡くなったおじいちゃんのことを・・・。どちらも今書いている小説の関係で思い出していたんだけど、ふと気づいたら、昨日はその同級生男子の誕生日。今日はおじいちゃんの誕生日。

 ヤバイ橋を渡り、何度も死にかけた同級生がかつて言ったこと。「オレ、47年7月1日生まれで、シナナイだから、やっぱり死ねないんだ」

 いつか書かせてもらいたいと思い、彼のお母さんに取材させてもらったこともあります。今回はテーマが違うので、あまり反映させないと思うけど、昨日今日の思いと誕生日の一致は、お導きだと思いました。

 見えない力に導いてもらえる時は、きっといいものが生み出せると思う(信じたい)。  偶然とかシンクロニシティを体感すると、安心するし、励まされる。

 というわけで、がんばります。

 こもる、ってったって、すぐまた復帰すると思います(笑)。ただ、このブログは、自分にとって現実逃避や楽しみの場所であるので、小説や家事が滞ると罪悪感が芽生えるわけで・・・。夏休み前になんとかスパートかけなくちゃ。

 ではではまた。

 よき7月となりますように☆☆☆

             

 

                          

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121 ボクは、さか上がりができない。

         
 長男のクラスに、入学時から話題の☆☆くんがいる。
 「入学を祝う会」で、みんなの前でケツを出し、教室では机に乗り、名簿順ではいちばん後ろの席だったらしいが、いつも先生の目の前に座らされ(席替えしても・・)、マークされている。
 ケツを出した話を聞いた時は、息子よりも私のほうがワクワクした。
 そのくらいの子がいてくれなくちゃ!と思った。
 他のお母さんの中には、彼のクラスへの影響について心配している人もいるし(保育園の頃から目立っていたらしい)、息子が☆☆くんに頬をつねられ、小さな傷を作ってきたこともあるけれど、私は、色んな子がいるのが、公立小学校のいいところだと思っている。

 そんななか・・・
 先週、体育の時間に、「のぼり棒」をやった息子が、帰宅後、目を丸くしながら話した。
 「『のぼり棒、上まで上れる人?』って先生が聞いたら、☆☆くん、1番に手を挙げたんだよ!靴下はいてたのに、上まで上っちゃったんだよ!」
 ☆☆くんの活躍を聞き、私までうれしくなってしまった。
 「女子は、○○ちゃんが1番だった!」
 ちなみに○○ちゃんは、授業参観の日、教科書を忘れて先生に叱られていた子。
 二人の絵に描いたような活躍ぶりがマンガのようだと微笑ましく思いながら、
 「すごいねえ、☆☆くんも、○○ちゃんも!」
 と褒めちぎった。

 私は、自分も含めて田舎のサルみたいな集まりの中で過ごし、例えば勉強はできなくても、虫とりがうまい!とかアサリ掘るのがうまい!とかいう男子女子を心底尊敬しながら育った。子供時代に感じた心底すごい!とか心底イヤだ!という気持ちは、鮮明であればあるほど、その後の人生の支えになる(傷にもなるけど、とらえ方次第で支えとなるという意味で)。ごちゃ混ぜならではの問題もあるし、都会で私立とかに入れる人の気持ちも分かるけど、息子たちには、色んな子がいる中で大げさに言えば、「世界の縮図」を肌で感じながら学んで欲しい。

 息子はのぼり棒がほとんどできず、おまけに逆上がりもできなかった、と、くやしそうに打ち明けた。
 クラスで逆上がりができない子はわずからしい。
 私は運動全般できたけど、夫はできなかった。
 長男は、運動神経という点では、見事に夫を引き継いでしまった。
 夫に「逆上がりって何年生でできた?」と尋ねると、「4年生」という答え・・・。
 いやー、あり得ねえ(苦笑)。

 てなわけで、土曜日、息子と二人で自転車こいで小学校へ行き、のぼり棒と逆上がりの練習をした。
 国語や算数のテストができなくても気にしないのに、体育は気になる(笑)。
 教えるためにも、自分がやらなくちゃ、と思い、まず、のぼり棒を25年ぶりくらいにやってみたら、意外にも上れた(笑)。運動場で、野球の練習をしている子供たちや父兄がいっぱいいる中、35歳でのぼり棒(もちろん裸足)はちょっと恥ずかしかったけど、上れて感激。息子も喜ぶ。で、コツを伝えてみるが、ダメだりゃ~、という感じ(苦笑)。
 彼は彼の人生なので、勉強ができて欲しいとか運動ができて欲しいとか、入り込んで思ったりはしないけど、ちょっとねえ、男子だし、ある程度運動ができないのはかわいそうな気がする。息子が何とも思わないならいいけど、くやしいのなら協力してやりたい。

 逆上がりは、1年くらい前、公園で挑戦した時はできたけど、その日は恥ずかしくてできなかった。
 息子の指導に専念。
 しかし、ハッキリ言って、どう指導したらいいのか分からないレベル。
 幼稚園のかけっこの時からそうだったけど、自分からすると、考えられないような身体の動きなのだ。
 私が産んだ私の子供なのに、違う身体で違う能力を持つ他人である、ということを具体的に知らされる。
 それは、とてももどかしい感覚だけど、確かに自分は違う人間をひとり生み出したんだな、という感慨深い気持ちにもなる。

 運動場では、野球の監督が、ミスした子供に「何やっとるだ!サボろうとしてるからだ!」などと注意している。いやー、そういう根性論じゃないんだよな。できない子にやらせようとするのは酷なんだよ、とつくづく思う。どの子も、その子の得意なことをがんばればそれでいいんだよ、って本当に思う。

 しばらく指導したけど、雨も降ってきたし、諦めることにした。
 ま、そのうち何とかなるだろう。

 年長の冬休みに入ったばかりの頃、1回しか飛べなかった縄跳びも、休みが終わる頃にはコツをつかみ、50回以上跳べるようになった。
 50回や100回と言っても、少ないほうだけど(私の妹は、年長時1000回跳んだ・・・これは自慢ではなくて田舎にはそういう子が本当にいた)、ある時突然進歩するのは確かなことだ。

 なんかこうして書くと、私はバッチリ教育ママ?してるっぽいけど、運動に関してはね・・・私も運動できる男子が好きだったし、1年生の開幕ダッシュ?(せめてビリにならない程度に)は重要な気がしちゃうんだよね~~

 夏休みは、水泳もがんばろ。夫に期待できない分、完全に私が星一徹(ってほどじゃ全然ないです)☆


            


          

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120 かつて生け贄だった私にできること

            
 幼稚園の自由参観日。
 息子のクラスの前で、泣いている我が子を見て泣いているお母さんを発見!
 この時期の年少さん、出発前や送った時の別れ際に泣く子はいなくなるけれど、参観日や行事で、お母さんの姿を見ると泣けてしまう子がいる。
 かくいう私の息子たちも、ふだんは楽しく園に通うのに、参観日に私の姿を見ると泣き出したり、別れ際に泣き叫んで私を引き止めようとしたりした。
 それはそれは本当にたいへんでした。
 特に長男は、年少時代、月に一度の自由参観日のたびに必ず泣き、私は次男を抱き、毎度汗だくで慰める始末。どうにもこうにも泣き止まず、「一緒に給食食べてって~~」という息子に根負けし、園児たちとともに小さい椅子に座って身を屈めて給食をいただいたことさえあった。
 ま、振り切って私が帰ってしまえば、その後は持ち直すので、さっさと帰ればいいのだが、そのコツをつかむまでは、振り切ることなどなかなかできなかった。
 長男が泣くたびに、自分を反省した。
 弟の世話に追われ、兄に愛情をうまく注げてないのかな?
 夫婦仲が悪いのがいけないのかな?
 私だって泣き虫だったから仕方ないよな。
 などなど・・・。
 クラスの中で、我が子だけが泣く!という状況は相当こたえます。
 そして、誰かが泣けば、他の子に「ボクは(わたしは)しっかりしなくちゃ」という意識が芽生えるのも事実。
 泣いている子はまさに生け贄。
 耳をふさぎながら「うるさい~」とはやし立ててくる子達に囲まれる親子の図・・・悲しいでしょ(笑)。
 結局、長男は、ふだんは大丈夫なのに参観日だけ泣く、という状況を、年明けまで続け(「おいおい、年越しちゃったよ~」と寒空の下、苦笑いしました)、先が思いやられたけど、年中になり、下の子が入ってきたら、お兄さんぶりたくなったのか、ピタリと泣かなくなった。
 次男は、お兄ちゃんがいるうちに幼稚園に入ったおかげか、長男の時ほど困らなかった。

 と、こんな経験があったので、目の前で、泣いている我が子に手を焼いているお母さんを見かけると、励まさずにはいられない。
 「大丈夫だよ。うちの上の子も年明けまで泣いてたから。下だって、今日は泣いてないけど、いつ泣き出すか分からない状態だよ」
 そのお母さんは、クラスの中でたった一人泣いている我が子を見て、こらえきれずに自分がボロボロ泣いていた。
 分かります、その気持ち。私も毎度、生け贄でした。
 ともかく、一時期のことだから大丈夫だとか、男の子の方が泣けちゃうんだよとか、お母さんが大好きな証拠だ、とか、口に出さないけど、がんばってるんだよね、子供は色んな時があるよね、等々、必要以上に励ます(かつて自分で自分を慰めた言葉の羅列:笑)。私まで一緒にもらい泣きしながら・・・。

 私も動き回る次男抱え、泣き出す長男相手に汗だくだった時は参観日が恐怖で、
「あのお母さんいつもたいへんだよね」と思われていたと思う。長男が初めて泣かなかった日は、「子供が泣かないとこんなに楽なんだ~」と、晴れ晴れとした清々しい気持ちで家に帰ったことを憶えている。

 しかし、こうして、新しいお母さんを励ますことができるのなら、自分のあの魔の日々もムダじゃなかったとつくづく思う。

 次男は、年少2年目なのに(満3歳で入れる園なので、仕事再開と兄と通うために1年早く入れた)、自分がいちばんに泣き出すこともあるくせして、先に泣き出す子を見れば、「大丈夫だよ」と慰めるお兄さん役に回る。
 この日も、泣き出した子の上靴を両足履かせてあげて、「一緒に行こう」と誘導していた(あ、あんたがそんなことするの?と思わず笑ってしまった)。
 家では荒くれ者の困ったちゃんで、甘えん坊なのに・・・。
 私にとって、驚きでありうれしかったことは、同じクラスの知らないお母さんが、ニコニコして私のところへ来てくれて、「うちの息子(娘)がむーくんにお世話になってて、よく、むーくんの話するんですよ」と複数言ってもらえたこと。
 これには、かなりびっくり☆
 あいつが、あの男が、あの暴れん坊が、外ではそんな顔をしているなんて!!!
 出発前も、帰宅後も、家では荒れているのに、幼稚園でがんばっているんだね。
 ソトヅラばかりが良くても困るけど、ニコニコと嬉しそうに話しかけてきてくれたお母さんのおかげで、次男の新しい面を教えてもらえ、感激した。
 その瞬間よりも、思い出して書いている今、泣けてくる。。。

 前も書いたけど、長男の時の「初めての手厚さ」と思えば、次男は放りっぱなしで、幼稚園でも私自身が、「ママ友を作ろう光線」を発しておらず、それなのに、知らないお母さんが話しかけてきてくれて、「むーくん」を知っていてくれることは本当にうれしい。

  
 参観の後は、母の会の委員会。
 今年は初めての委員、がんばっています(お題は「仮装カーニバルについて」など)。
 今までお世話になった、園や、委員をやってくださったお母さんたちへの恩返しのつもりで、少しでもお役に立ちたい。役職はどうにも無理だったので、たいへんななか、役に就いてくれた友達をできるだけサポートしたい。


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 と、いい子ちゃんぶると、ほかのことが書きたくなるけど、最近のいちばんの衝撃は、日本画家の松井冬子さんの美しさ!!びびります。圧倒的な技量や作品の迫力にも驚くけど、ご本人の突き抜けた美しさには宇宙人的なものを感じる。12年前、ニキ・ド・サンファルに惚れた時も、最初は作品よりも、若き日の彼女の美しさだった。
 圧倒的な外見や技術を持ちながらも、どこか自分に自信がなさそうな点、ご自身に違和感(外と内のギャップみたいな)を覚えている様子も魅力。注目の存在。
 女友達が、彼女を見て、私を思い出してくれたことも嬉しかった(美貌じゃないですよ。やってることとか、かかずにいられないサガとかゴウについてだと思う)。 
 ご存知ない方は、どうぞ検索なさって、その美に触れてください!

                     

       

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