自分の中で、普遍的な文章になったらUPしようと思っていたけど、
今の私には愛以外の普遍はムリ!とわかった。
毎日、変化している。
それが生きているということなんだと思う。
現時点では、いつか再び「書きたい」と思っている。
そのためにもまずは、強くなりたい。
小説や運命に引っ張られないように。
子供たちをちゃんと守れるように。
今まで、無軌道に表現に突っ走るエネルギーと
子供を大切に育みたいというエネルギーが
引っ張り合ってたいへんなことになっていたんだと思います。
強くなるため、しばらく書くことを休みます。
心身を再生します(なーんか、子のいる母の言うことではないが・・・あまりにも思いがけなかった)。
書くことで私は勝手に世の中とたたかっていたんだけど、書くことより当然子供!というのが、私なりに今、伝えたいことなんだと思う。
ここを乗り越えたら、何かがすごく変わる気がする。
家庭の中も変化しています。
いい風が吹いてる(と思う)。
子供はぐんぐん成長している(ありがたい)。
慎ましくがんばります。
以下、数日書き足し、書き足し、したものです。
結局のところ、今回の件について意味を持たせたり、理由を探したりしてるけど、そういう思念から解放されるくらい鈍感になれたら楽だろうに。
敏感さややさしさは、私の弱さでした。
強い体、心、頭を手に入れ、敏感にやさしく過ごせるようになりたい。
体→心→頭の順は、生まれたばかりの赤ん坊を見ていて、この順にゆっくり成長していけばいいんだなあと思った。大切なことは、子供がみんな教えてくれる。
ビョー的に長いけど、実際病気なのと、ラストメッセージとして、温かく受けとめてください。
See You !!
☆☆☆☆☆
感受性が強い、とか
感受能力が高い
というのは、いいことのように言われる時もあるけれど、
私はどうも、
「ぱーぱーに開いてる」状態のようで、
不思議なくらい、色んなものが寄ってきた。
誰とでもすぐ友達になったり、抱き合ったり、
感動し、涙して、
いいことのほうがいっぱいいっぱいあったのに、
一瞬にして奪われた、スティル台風。
いや、やはり悪いこととは思いたくないな。
入院のおかげで、家の中が前より円満になったことや
私が家にいるために、過剰に甘えたり、ケンカばかりしていた子供たちが、あっという間にたくましくなったのも事実なのです。それはそれは、はじめの一歩や乳離れくらい明確に。
なぜ小説を書くようになったかと言うと、
書かずにいられなかったし、
自分が小説から感動してきたから、
自分も感動を伝えたいと思った。
生半可な言葉では、活字にする意味はないと思ったし、
やるからには、読んでくれる人の心を揺さぶるようなものを書きたいと思った。
最初は映像の仕事から始めたけど、あれこれ吟味し小説は、
家の中で育児をしながらできる表現方法というのも大きかった。
というほど、何もしてないのに、いったん退場。
世の中、どうしたって、育児真っ盛りの、家庭中心の作家の書くものは少なく、
私は、今しか書けないことを書きたいと思っていた。
命や家族の尊さに勝るものはないと信じているから、
家庭を第一にしたうえで、違和感を覚える世の中に向けて、発してみたかった。
でもやっぱり、育児も小説も、ちゃんとやろうと思えば、両立は難しい。
できる人もいるだろうけど、双方精一杯やってしまう私にとっては容量オーバーだった。
仕事(自分の領域)も育児もと、今どき自然な願いでいたけど、小説については、息を止めて集中するような張り詰めた感覚があり(自分自身の性質や表現のせいです)、それはやはり単純ではない負担だったと思う。
あれこれ理由を探しながら、単に「10万分の1に当たっちゃった、ははは」って話なだけかもしれないけど。
バチが当たったとかなんとかは、違う気がする。
だって、タバコのポイ捨てする人とか、人の気持ちを考えない人が、私のような病気になるかといえば、むしろならないだろうから。
華道を人生の支えにしている母は言った。
「私だって、子供を育ててる10年くらいは離れざるを得なかったよ」
花にしがみついているように見えた母でさえ、そうだったんだと納得する。
なんと言っても、妹が、「私には無理!」
母が「病気になってもしかたがない」と言うような息子たちのパワー。
退院の日、妹に教えてもらった言葉を披露させてもらいます(ブログを終わりにしなければ、心にとどめておこうと思っていた)。
<どんなに愛情を注いでも、満たされない器の大きな子は存在します。
でも、親が精一杯愛を注げば、その子が成長した時、器の大きな人に育ち
その器を今度は、世の中に還元するような人物になります>
みたいな内容・・・。
シュタイナー教育の言葉だそうです。
うちの子の器が大きいかどうかはわからないけれど、私自身の器が小さいせいか、生まれた頃から「たいへんだ~」と思うことばかりだった。
兄弟とも、おっぱいをいっぱい飲み、9ヶ月に入るとすぐ歩き出した。2歳になる頃には昼寝をしなくなり、朝から夜遅くまで全開だった(その頃の彼らは裸族だった)。
これは自慢ではなくて、動き出すのが早い、動いている時間が長いということは、それだけ目が離せないわけで、私は本当に子供に精力を吸い取られながら過ごしてきた。
男の子というのは(すべてではないが)、声やアクションが大きいし、ドンドンガチャガチャやることを好む。まず聴覚がやられる。頭が真っ白になる。この凄まじさは、同じようなタイプのお子さんを持った人でないとわかっていただけないと思う。
成長した今も、要求も会話もケンカもドンドンも激しい。
受けとめるのはたいへんだけど、
それは、子供たちが私たち親を諦めてない証拠かな、とも思う。
泣いても振り向いてもらえない子供は、早いうちから親を諦めてしまうそうです。
子供が親を諦めないことは世の中を諦めないことにもつながる。
世の中には希望がいっぱい、と思ってもらいたいし、
自分で切りひらいていってほしいから、
私はそのためのお手伝いを、今はしっかりしなければならない時期だと思う。
もう少し子供が大きくなるまで、私は私自身の過剰さや妙な繊細さを封印しようと思う。
修行して(子育て=修行ですね)、自分自身の心身が強くなり、子供が手を離れていったら、また、がんばればいい。
言い訳だけど・・・育児に専念し、入園で子供が手を離れた第一段階以降に動き始め、子に鍛えられて強くなったと思っていたところで発病しました。
しかしまあ、このタイミングをよかったと思いたい。
この病気が15年前の再発だとしても、この15年の間に子宮内膜症を経験し、そのうえで、無事、二人の元気な男の子を授かったのだから。感謝、感謝感謝です。
36歳。
今までは、人生の折り返し地点だとは思えなかったけれど(これまでが濃過ぎて、とても倍生きられるとは思えなかった)、今は子供のために、それなりに長く生きたい。
子供たちと今回、病気の話になった時、「お母さんは何も悪くないのに!」と言ってもらえてホッとした。
素晴らしい小説は未来にのこるけど、未来になっても作品そのものに変化は起きない。
素晴らしい「人」は、未来をつくり、未来を変えていく力を持つ。
私は今、「未来の人」を育てている。
今回のスティル台風については、苦しくもおもしろい体験だったけど、この先書くのかどうかは、今はわからない。ただ、長い目や客観的に見た時、書くに値する内容だとは思う(同時に、だからこそ、書くべきではないとも思う)。
編集者さんも、ブログを読んで連絡くださり、私の気持ちと、ここには書いてない話をしかと受けとめてくださった。関係はつづいていく。
私がこの先、小説に引きずられないような強さを持てたのなら、笑って(つくりごととして)振り返られるのかもしれない。すでに頭のなかでは、最初から終わりまでできていて、悲壮な話ではなくハッピーなお話になるはずなのです(もともと書いていた15年前の話も、「生」のメッセージを込めつつ気の抜けた青春小説だったのになあ・・・)。
現実が凄いと、そこが頂点となってしまい、イマジネーションの入り込む隙がなくなってしまうのだけど、自分にダメージが来ないように、「創意工夫」したいと思う。
もしくは、沈黙ののち、小説など取るに足らないものになってるのかもしれない。
その辺りの見極めについては、超人的なサポーターがついていてくれるので大丈夫。
自分がかぶっている「身体」に加え、タマシイや霊的な存在を意識せずにはいられない、不思議な不思議な体験だった(今も、これからも実感していくだろう)。
<注>金銭が発生するような、うさんくさい宗教の話ではなくて、どこにでもあるような日本古来の神社の話です。そもそも私の実家は、村の中で一番神社に近く、祖父も父も、時に要職を務めました。家は岩盤の上にあり、目の前には雨乞山、裏には海が見渡せ、欅の巨木が生い茂る、グリーングリーンの家でした。山の神、海の神、自然の神・・・「神様」の存在はごく当たり前のものとして育ち、今回、自分の特殊性を自覚するとともに、少しずつ研鑽を積んでみようと思う。
とりあえず今は、、、
頭の中を平らに耕して、その先に生まれてくるものを、私自身、楽しみにしている。
☆☆☆☆☆ちょっとつぶやき・・・ちょっとじゃないです☆☆☆☆☆
そういえば私、絵本がかきたいんだったなー。
ふるさとが海や山や光や、花や虫や緑やら、色彩の美しい場所だったから、鮮やかな色の世界を表現することが当たり前だと思ってたのにな。
東京での病気をきっかけに小説を書いて、モノトーン(かつ平面)の小説から立ち上る色彩や感触を楽しんでいたけど、素直に色を使って遊んでみようかな。
「生」を感じる狂おしい小説が好きだし、自分も書くとしたらどうしてもそういう方向になってしまってきたけど(テレビの仕事の時、取材のために人を傷つけてもなんとも思わない人たちを見て、私は誰かを傷つけないためにも自分を切り刻もうと思ってしまったけど)、自分を不幸にしてまで書く必要はナイ!
もっと、楽な、幸せなお話を見つけていこうかな。
エッセイだったらいくらでも楽しく書けるんだよな(止められなければ24時間、自分の思索や記憶と遊んでしまう。なので止めてもらえてよかったんだと思う)。
だけど、無名の者(作家とも呼べない)のエッセイなんて読んでもらえないから、苦手な小説がんばろうかな?って思ったんだよなー。
このブログにも、「布ナプキンの快適さ(基礎体温の神秘)」や「洗剤を薄めて使うこと(安上がり)」や「育児の悩み(日々続く)」とか「私が思う美味いハンバーグのコツ」とか、具体的に書きたいこと、まだまだあったけど(笑)、またの機会がありますように。
梶井基次郎の『檸檬』を読み返した。
私が知る中で、最も好きな短編。
退廃的な風景に、突如立ち上る向日葵やカンナ。
檸檬の色。重さ。感触。
こういう作品を読むと、小説の魔力を知る。
泣きながら、共感しながら、こんな世界に憧れるような自分を捨てたいと思った。
発熱直後から今も読み返している、『病の神様 ~横尾忠則の超・病気克服術~』。
ケラケラ笑い、うんうんと頷いている。
横尾さんと言えば、ニューヨークMoMAでみた「天井桟敷」のポスターの衝撃が強く(ピカソやモネやダリと同じ美術館に展示というのはやはりすごい)、画家宣言後の絵画については、ソッチ系(三島由紀夫さんや美輪明宏さんとの交流の通り)の色が濃くて、正直こわくて苦手だった。
でも今、同じ本の同じ言葉を読みながら、まったく同じ温度を感じる。
私もびびりながら、横尾さんくらい生きたいなあ。
自分でも、頭の病気なのか心の病気なのか体の病気なのかわかりません。
すべての病気であると同時に、病気なんて気のせいかもしれないし・・・。
☆天からのアドバイス
<大吉と凶とあるけど、全体で吉にしないといけない(運がいいことばかりでもダメ)>
<人への親切心も、度を過ぎると自分に(悪いこととして)返ってきてしまう>
■自覚と自戒
<口は災いのもと!>
○入院直前に書きたかったこと。
「ハウスキーパー」って言葉、見下したり卑下したりしがちだけど、「keepできる」ってすごいことなんだなあ、素晴らしいことなんだなあと思ったよ。
自分の身体が動くこと、子供の世話ができること、家族が一緒に過ごせることって、実はとてつもなく幸せなことだよ!
さあ、再生、再生。
ハイジ病から、今度こそは立ち直れますように☆
体調や副作用で今もくずおれそうになる時あるけど、そのたびに、「それでも私は生還したんだ!」と思い直している。生きることを再び与えられたと思っている。
だるい時は、妊娠中を思い出している。こんな身体になる前に、二人産めてよかった。
今私は、三人目を身ごもっているような気持ちで、自分自身を産もうと思う。
産後のように、ゆっくりゆっくり歩いていこう。
人間は、ひとりでは生きられないようにできているということがわかった。
誰かの温もりがあって、ようやく生きられる、成り立ってるってわかったよ。
それはもう、家族とか恋人とかそういうレベルではなく、
深いところでタマシイが求めてる。
だから、自分の弱さを 嘆かなくてもいいんだよ。
人間はもともと欠けて生まれてて、誰かを求めたり、何かを求めずにはいられない、そういう生きものだとわかりました。受け売りっぽいけど、神秘体験を経ての実感。
どんなに強いタマシイだとしても、誰かを求めずにはいられず、だからこそきっと子孫が生まれ、人間ってものが存続してるんだね。
私が私であるってのは、魂とか身体とか頭とか心とか環境とか生まれだとか運命だとかそれらの総合体で、私が今回10万分の1の病になったのは珍しいことだけど、そんなことよりももっと、地球上の誰もが、68億!分の1、もう分母なんて関係ない。ひとりひとりが唯一無二、ただそれだけのことなんだよね。
ただ、それだけのこと。
与えられた人生を、よりよく生きられるように、自分の身の丈で大切に生きよう。
なによりも、目の前に今在る輝きを大切に。
まさかまさかの展開に、自分自身がいちばん驚いていますが、今回で、いったんブログを終わりにします。
しばらくこのまま置いておきますが(誰かの役に立てばと意識して書いた回も確かにあるので)、更新がなければ、「がんばってるんだなあ」と思っていただけたら幸いです(来月末、発病前に書いておいた地元の映画祭用新聞原稿がUPされるので、そのお知らせはしたいと思っています)。
旧ブログから4年間、最初は育児の合間のせめてもの発信でした。
旧ブログが217本、当ブログが今回を入れると337本!!
新聞記事や出版、テレビ取材にまで発展したことは、楽しかったですね(笑)。
ここで考え、まとめることによって、自分自身を整理したり、子供のための記録にしたり、読んでくださる方を少しでも励ましたいと思って書いてきました。
小説には嘘もあるけど、ここは、100パーセント真実でした。
結局、派手な自滅ですみません!!
ご愛読、ありがとうございました。
みなさまの、すこやかな日々を祈っています。
いっぱいの愛を込めて 
日原いずみ
「元気です」って写真を示そうと思って撮ってみたものの、「元気」ってのがどんな感じか難しくて、「あ、そうだ!」と思い立った昨日の夕食の写真です。

子供たちが心待ちにしていたハンバーグ。
このくらい、私ペロリで、食欲全快!です。
☆当時思うところあって非公開にしていた、いちばん最初のブログを公開にしました。敢えてつながないけれど、興味のある方はバックナンバー(2007.10)からでも読んでください。今を嘆く気持ちはないし、思いはまったく変わらない。ただ、衝動にまかせて突っ走るのはやめにするね。ようやく学んだ(←アホ)。やっぱりよかった!!今ね、幸せだよ。