293 守られているという実感
今、旅に出ている人が、置き土産のように教えてくれたマンガ、『聖☆おにいさん』。
一昨日アマゾンで注文し今日届いた。それを読み、ゆったりした気持ちで笑っている。
http://morningmanga.com/lineup/25
このマンガはもう、設定の勝利。どう転がしても、可笑しい。作者が1984年生まれということにもびっくり(もうそういう年頃の人たちが、多くの読者をつかんでるんだなあと・・・)。
そして、たまたま今日、友達のミクシィ日記を見たら、その友達(Cちゃん)も同じタイミングで、『聖☆おにいさん』を読んでゲラゲラ笑っていた。
Cちゃんとは、ほんっとうにほんっとうにシンクロすることが多く、離れて暮らしているのに、同じタイミングで同じ何かに触れていることが多い。
はははと笑いながら涙が出てくる。
存在だけで感謝したくなる聖なる友達。Cちゃん、いつもありがとう。
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このところ触れさせてもらってきた、チリから一時帰国&就職活動中のSさん。このたび、豊橋の病院に採用が決まり(東京やら大阪やら巡ったうえで豊橋に決定かな)、現在家探し。昨日泊まりに来て、明日は一緒に物件を見に行く。
今日のSさんは、市内に住む牧師さんのおうちに泊まっている。
その牧師さんはコロンビアの出身で、派遣されて豊橋に住んでいるそう。
そして、この地域(主に東海地域)で困っているスペイン語圏出身の方々の支えになっている。
詳しいことはわからないけれど、牧師さんの生活は保障されていて、人々を助けることが牧師さんのお仕事らしい。
なんというか、そういう存在がいてくれることって、本当に救われるよなあ。
現在の日本に欠けている仕組みだったり、精神の支えが、世界のあちこちではちゃんと機能していることに素晴らしさを感じると同時に、日本人の生き難さについて考えてしまう。
私は仏教の曹洞宗の家で生まれ育ち、と言っても、多くの日本の家庭のように、常に信心深く信仰しているわけではなかったけど、ただ、家に当たり前のように仏壇と神棚があるというのは、大きかったと思う。
仏様や神様にお参りするのが当たり前の生活(もっと言えば、アニミズムというか、自然が近かったので、木や山や海のことも敬っていた)。
今住んでいる家には、神棚も仏壇のスペースもつくってあるけれど、新家なので仏壇はまだない。
なかなか難しいことだけど、子供たちも、なにか見えない大きな力に対する「感謝」や「祈り」の習慣を身につけてほしいなあ。
それにしても、豊橋に縁もゆかりもなかったSさんが、豊橋で働き始める偶然に驚く(というかもう、偶然が多過ぎて驚かずムフフと受けとめるようになったけど、冷静に振り返ると、東京のテレビ時代に出会ったSさんがチリ人のダンナさんと結婚し、今、助産師として豊橋にいることが不思議でならない)。それも私が子宮内膜症の頃から世話になり、息子たちを産んだ病院で。それなりに広い豊橋において、Sさん一家が大阪在住の頃からお世話になっていた牧師さんの家が私たちと同じ校区というのもすごい。
前回牧師さんのおうちにお送りした時、娘ちゃん二人を連れた牧師さんにお会いした。
見るからにやさしそうなお方だった。
素朴にも見えたその方が、スペイン語でキリスト教について語る時、後光が差すほど素晴らしいんだって。
毎度くどいけど、私は、「偶然は神様からのプレゼント」と思っている。
数々の偶然に出会うと、「守られている実感」を得られ、うれしくなる。
このよろこびを、表現という形にして世の中におかえししたい、と思いつつ、なかなか本という形にはならず、ブログを重ねてることが情けない気もするけれど、生活そのものが毎日本当におもしろくて、ここに書きたいことが増えてしまう。
ちゃんと生活することは、それだけで十分たいへんなことであり、生活が満たされていれば他に表現することなどなくなるような気もしちゃうけど、ちゃんと生活してない人の表現がいっぱい増えているのを見ると、ちゃんとした生活の声を書かなくちゃという使命感に燃えるのも確か。ちゃんとって、表現って、生活って何?とは思いつつ。
ま、ぼちぼちまいります(笑)。
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